●「となりの山田くん」の家族と時代性
Family and Feature in Age of "My Neighbors The Yamadas"

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●山田家のテレビに見る、家族と時代性 1999/07/19




●山田家の電話に見る、家族と時代性 1999/07/19




●山田家の食卓に見る、家族と時代性 1999/07/29









 
●山田家のテレビに見る、家族と時代性


 たかしとまつ子がテレビのチャンネル権を巡って争うシーンがある。延長された野球中継を最後まで見たいたかしに対し、別のチャンネルで定時から始まるドラマを見たいまつ子が、リモコンを使って実力でチャンネルを変えようとするのだ。たかしはそれに対抗して新聞紙でテレビのリモコン受光部をさえぎって防御する。

 その攻防は、しげをして「テレビよりも面白いわ」と言わしめるほどコミカルに描かれていたが、チャンネル権を巡る争いそのものは、どこの家庭でもありがちな風景である。

 いや、現在では過去にそういう風景があったと言ったほうがいいかもしれない。何故なら、現実の家庭でこのような風景が再現される可能性は、とっくの昔に激減しているからだ。

 その最大の理由は、言うまでもなくテレビの複数所有に見い出される。テレビの普及率は、一世帯あたり2台を超えており、一家に1台しかないという家庭の方が少なくなって久しい。(1) 居間に1台、寝室に1台、子供部屋に1台づつという、1人1台のテレビがあるという家庭も珍しくなくなった。父は居間で、母は寝室で、子供たちは子供部屋で、それぞれの好きな番組を見ていたりするのだ。かくして、家庭からチャンネル権争いは消滅したのである。

 かつてテレビが家庭に入ってきたとき、テレビは「家具」であった。居間の最も良い位置に仰々しく鎮座して、テレビの上にはガラスケースに入った大和人形が置かれたりした。テレビ自体も木の装飾が施され、一種の調度品のような趣さえ見せていた。面白い番組の時間になると、一家はテーブルを囲んで見入ったものである。

 昔から子供向けの番組もあった。しかし、それを見ることを許可する権限は親の手に握られていた。たとえ親が見るテレビ番組と重ならなくても、「宿題が終わるまではテレビを見てはいけません」の一言で、電源が入れられることはなかった。当時はビデオデッキもなかったから、ひとたび見そこなった番組は再び見ることが出来なかった。どうしても番組を見たい子供は、やっつけやっつけ宿題をこなしたりしたものだ。テレビの使用許可の権限は、まだ親に威厳というものが残っていた時代を反映するものであった。

 その昔、テレビは「一家の団欒の時間を奪う元凶である」と糾弾されたりした。みんなが画面に見入ってしまうために、家族で会話する時間が失われるというのである。それは、確かにそういう側面はあったかもしれない。しかし、一家がテレビを見るために居間に集合する機会が得られるという機能は果たしていた。たとえ込み入った話はしなくても集まれば会話のひとつや二つはあるだろうし、何よりも家族が一緒になって同じ番組を見るという時間的・空間的な共有体験を紡ぐことが出来た。

 しかし、一家にテレビが複数台入ることは、その貴重な共有体験を家族から駆逐することになった。もし、山田家にもしかるべき数のテレビが置いてあったとしたら、居間では父が野球中継を、寝室では母がドラマを見たであろうことは間違いない。子供たちも、自分の部屋でテレビを見て、テレビゲームをつなぐであろう。山田一家は同じひとつ屋根の下にいながら、一家が揃って顔を合わせて団欒するという機会は激減することになるだろう。

 その意味では、チャンネル権争いというのは、家族のコミュニケーションのためには決して無駄ではなかった。チャンネル権の調整は一種の駆け引きである。自分がどうしても見たい番組を確保するために、子供は家の手伝いをしたり宿題を早く片づけたりし、見ても見なくても良い番組の時間帯は明け渡したりした。また、そうすることで、漫然とテレビを見ることが自然と回避される面もあった。それでも、子供の努力に関わらず、多くの場合は父の希望が優先されたものなので、子供たちは、ここで父の威厳を再確認することとなった。そして何よりも、1台のテレビを家族で共用していると、誰がどの番組を見たがっているかが明らかになるので、お互いがどのような興味や関心を抱いているのかも分かるという効用を発揮した。

 さて、テレビの複数所有によってチャンネル権争いが消滅すると、その状況はことごとく変化することになってしまった。チャンネルを巡る争いはないから、自分が見たい番組はいくらでも見ることが出来るようになった。その代わり、あまり見たくない番組まで漫然と見たり、ただテレビをつけておくだけという「ながら視聴」も増えていった。そして、誰がどんな番組を見ているのかが分からなくなり、互いの興味や関心にまで無関心になっていった。たまたま関心が一致して同じ番組を見ていても、父と母と子供が、それぞれの部屋でそれぞれのテレビをつけ、同じ番組を見ていることに互いに気づかないという笑えない事態すら、決して非現実的なものではなくなってきたのである。

 結局、「となりの山田くん」で描かれたようなテレビの共有やチャンネル争いの駆け引きは、いってみれば昭和時代の懐かしい思い出、旧き良き時代のノスタルジーなのだ。たとえ、テレビを囲んだ一家団欒が理想のひとつだと思っても、家庭に入りすぎた余分なテレビを捨てられない以上、もう時代が逆戻りすることはないだろう。

(1)1997年の経済企画庁『消費動向調査』によれば、テレビは一世帯あたり平均で2.24台を所有している。つまり、全国4400万世帯の家庭で9000万台以上のテレビが稼動している計算になる。ちなみに、日本で最も高いのは北陸・甲信越地方の2.59台で、最も少ないのは九州・沖縄地方の1.82台である。






 
●山田家の電話に見る、家族と時代性


 のぼるに電話がかかってくるシーンがある。のの子が大声で「お兄ちゃん、女の人から電話!」と言うものだから、で母も祖母もピクリと反応し、電話のそばで聞き耳を立てている。「あの顔でよう女がついたのー。」のツッコミがまた笑わせる。

 この風景も、思春期を迎えた子供がいる家庭では、どこでも一度や二度はあったであろう微笑ましい風景である。

 いや、現在では過去にそういう風景があったと言ったほうがいいかもしれない。何故なら、現実の家庭でこのような風景が再現される可能性は、とっくの昔に激減しているからだ。

 その最大の理由は、言うまでもなく電話の複数所有に見い出される。かつて、電電公社からうやうやしく借り受けた電話は、もちろん1台きりであった。親子電話もないではなかったが、ほとんどの家庭では電話機は1台と決まっていた。1980年代、世界的に通信自由化の波が広がり、日本でも電電公社が民営化されNTTに衣替えした1980年代後半から、カラフルな親子電話が家庭に入り込んできた。1990年代は、コードレス電話の一大ブームとなる。親機1台に対して子機は何台でも増やすことが出来たから、それこそ各部屋に1台づつ電話機が置かれることとなった。1995年以降は、携帯電話・PHSが爆発的な普及を見る。かくして、家庭内のみならず、私たちの周囲は電話だらけになってしまった。

 電話は、外部の世界と家庭の内部を仲介する役割を果たす機械であった。だから、家庭に電話機が入ってきた頃、それは玄関に入ってすぐのところに置かれる例が多かった。当時の人々は、家に電話がかかってくることは家に来客があることと同じであるという意識が強かった。だから、電話機は、玄関のすぐ近くか、玄関から見渡せる廊下といった、家庭の内部と外部が入り交じる空間に置かれた。少なくとも、居間の真ん中に置かれるようなことはなかった。

 電話をかける側も、自らが「訪問者」であることを心得ていた。本当は直接伺いたいのだけれども、ちょっと時間がないから電話で済ませるといった具合に、家庭を訪問して話す代わりに使われた。来客は、いきなり団欒中の居間に上がりこんできたりはしない。だから、電話をかける時も、玄関先で挨拶するかのように遠慮めに「もしもし」と声をかけ、居間にいる家族の誰かを呼び出してもらったものだ。

 電話で話している間、その人の心は電話の先の相手と共有している。たとえ横に家族がいて、家族と空間を共有していても、精神的には共有しなくなる時間である。だから、長電話というものは嫌われた。単なる通話料金の問題といった側面もあるが、長時間にわたって家族が家族でなくなるという違和感がそうさせたのである。

 さて、山田家の電話機も玄関に入ってすぐのところに置いてあった。家庭にはじめて電話が入ってきた頃の、きわめて標準的な置き場所である。山田家の電話機の位置は、その頃から変わっていないであろう。そして、親子電話化することもコードレス化することもなく、まして携帯電話を買うこともなく、一家で唯一の電話機はそこに鎮座しつづけ、山田家は以前からの習慣を大事に守っている。

 のの子が迷子になった後、家に電話がかかってきたシーンがあった。まつ子が電話に出て、のの子の無事が知らされると、世話になった相手の人に心から礼を述べる。まつ子は、単に口で礼を述べるだけではなく、電話機に向かってお辞儀さえしている。それを後ろで見守る家族の姿も興味深い。それは、実際に山田家を訪問してきた来客に対してする礼と何ら変わるものではなかった。やはり、電話は来客の代理人なのである。

 山田家では携帯電話はもちろん、親子電話・コードレス電話もない。自分あてにかかってきた電話も、自分の部屋に電話機を引き込むことは出来ないから、玄関前の廊下で話さなければならない。だから、のぼるが話している側に母と祖母が寄ってきて聞き耳をたてたりした。

 それはともかく、一家に1台しか電話がない場合、電話は家族全員で共有されるため、個人のプライバシーがあまり確保されない面はある。話の内容が聞かれなくたって、少なくとも誰から誰あてに電話がかかってきたのかは明らかになるからである。

 しかし、家族であれば、その程度のことは知れた方がいいかもしれない。子供にとっては迷惑かもしれないが、別に話の内容を逐一聞くわけではないのだし、親にとっては息子にかかってくる女性からの電話、娘にかかってくる男性からの電話に驚いたり、喜んだり、心配したり、そのくらいのことは分かっていいと思う。また、そのくらいオープンであれば、子供たちが異性とのお付き合いをはじめても安心であろう。悪くいえばプライバシーがない電話も、良くいえば秘密を作ることなく家族らしい結束を保つことが出来るのである。

 ともあれ、家族で1台の電話を共有していると、家族にかかってくる電話は必ず1台の電話機を中継することになる。つまり、情報を1ヶ所に集約する機能を果たす。

 ところで、親子電話・コードレス電話が普及してくると、この情報の集約機能が分散する。家族がそれぞれの個室に電話を引き込んで話すようになると、ほかの家族がそれを知ることは難しくなる。それでも、まだ親子電話・コードレス電話なら、少なくとも電話をしているらしいということが分かるが、電話番号が完全に別個のものになってしまう携帯電話・PHSになると、それも分からなくなってしまう。

 一度は家族の誰かを経由して話された電話が、特定の個人に電話をかけられるようになると、電話をかける人の「訪問者」という心得が要らなくなる。何しろ、他の家族に気を使うことはないのだ。(玄関先=家庭の内部と外部が混ざり合う空間に置かれた)電話にかけるときにつきものの遠慮をせず、いきなり個人を名指ししてプライベートな空間に入っていけるわけである。

 入っていくという表現は適当ではないかもしれない。逆に、電話を受けた側が、家庭から外の世界に出ていくと言ったほうがいいかもしれない。身体こそ家庭の中の個室にいるかもしれないが、気持ちはもはや家庭の中にないのだ。それぞれがそれぞれの個室で電話をするようになると、物理的には同じ一つ屋根の下にいる家族でも、精神的にはみんな外へ出かけていてバラバラになってしまう。それが日常的になると、家族としての最低限の情報共有すら怪しくなるという事態に陥ってしまいかねない。

 携帯電話・PHSを持った子供は、外出先はもちろん帰宅しても自室で携帯電話を使って外部と連絡をとっている。家族は、子供がどこの誰と付き合っているのか知る由もない。親しげに友達とおしゃべりする姿は、自宅にいるというより外出先の延長と言ったほうがふさわしい。少なくとも、精神的には外出しているのと同じであろう。同居している家族よりも、電話の先の相手との方がよほど精神的に近いのだ。

 玄関先や廊下といった共有空間に置かれた電話で長時間話すことには、何かと制約がつきものであった。しかし、プライベートな部屋から話される長電話は、電話料金=経済的側面以外の制約はないに等しい。帰宅するなり自室に閉じこもった女子高生が、家族の顔すら見ないまま、睡眠の直前まで友達と電話でおしゃべりしたりPメールを送ったりすることに費やすといった事態も、異常とは思われなくなってくるのだ。

 すなわち、テレビの複数所有が家族の団欒という物理的な空間を切り裂いたとすれば、電話の複数所有は精神的な空間を切り裂いたと言える。現代日本の家族は、これらの機械によってバラバラにされている。血のつながりがあって家計を共にし、同居しているという面以外は、ほとんど他人と同じといっていいくらいバラバラになっている家族も決して少なくない。

 親子で価値観が異なり、夫婦でも価値観が異なるのが常であるから、もともとコミュニケーションをとるのが難しい。それでも、昔のように1台の電話しかなければ、お互いに進行中のおおよその出来事や交友関係を知ることが出来、そこから様々な話題が生まれ、団欒のネタになった。あまりの長電話も自ずから制限された。しかし、電話の複数所有は、それぞれが外部の知り合いとダイレクトに情報を交換するがゆえに情報の流れが遮られるばかりではなく、長電話の歯止めもなくなり、精神的共有感まで家庭の外へ出ていってしまうために、何のために空間を共有している家族なんだか分からない状態すら生みだしてしまう。しかも、そういう家族は決して特殊なのではなく、確実に増えつつあるのだ。

 結局、「となりの山田くん」で描かれたような電話の共有は、テレビの共有と同じく昭和時代の懐かしい思い出、旧き良き時代のノスタルジーなのだ。たとえ、家族同士のコミュニケーションを増進させようと意気込んでも、個人で別々に所有するようになった電話を捨てられない以上、もう時代が逆戻りすることはないだろう。





 
●山田家の食卓に見る、家族と時代性


 山田家の一家が揃って食事をするシーンがある。迷い箸をするのぼるに対し、たかしは「迷い箸なんかするな。これと決めたらさっと取るんだ。」と諌め、自ら実践してみせる。しかし、しげから「そのタクアン、私のやけど。」と突っ込まれ、バツが悪そうに戻すものの、今度はまつ子から「食べさしを戻しなさんな。」と言われ、さらにバツが悪くなる。

 このシーンは、映画宣伝のテレビCMにも使われた、全編を通しても特に印象深くて見どころのあるエピソードである。そして、同時に「となりの山田くん」の家族と時代性が余すところなく表現されている非常に優れたシーンでもある。

 ここでは、食卓のシーンから山田家における家族と時代性のありようについて考察していくことにする。

 明治から平成にかけて、日本人の食卓は大きく変化した。明治・大正期は、各自にごはんとおかずが配膳された銘々膳による食卓が多かった。銘々膳は、旅館などで1人分の食事が運ばれてくるときのアレである。昭和初期から、高度経済成長の頃までは、いわゆるチャブ台が普及して銘々膳にとってかわり、チャブ台の全盛期を迎える。そして、高度経済成長期以降はテーブル&椅子が増加していく。(1)

 家庭の食卓は、それぞれの家庭の歴史の中で大きな節目を迎えたときに大きく変わるという。たとえば、家を新築・改築したとき、引越ししたときや、結婚・子供の誕生・舅や姑の死亡などがきっかけとなることが多い。逆にいうと、大きな節目がないと食卓形式は簡単に変わるものではない。使用人の出入りが激しい商家などでは長く銘々膳が重宝がられたし、現在もチャブ台は立派に現役で使われている。しかし、歴史的には、銘々膳→チャブ台→テーブルに移行する大きな流れがあることが認められる。食卓形式は、時代背景をある程度反映し、食事の場でのふるまい方や、家族の中の位置関係をも規定することが多い。

 銘々膳は、家長の権威と密接に結びついていた。家長は、食卓の中で最も上席に座った。そして家長には当然のように良いおかずがつけられた。家長だけ特別待遇をするには、銘々膳のほうが都合が良かった。上席と良いおかずは、家庭内における家長の権威を象徴するものであった。父が箸をつけるまでは、誰も食事を始めてはならなかった。食事中の会話は厳禁とされることが多く、話題を提供することがあっても、常に家長からなされるものであった。会話は実質的に家長による説教であり、食卓は家長が支配する場であった。子供は、「食べると逃げるは速いが勝ち」と、しゃべらずに急いで食べるのが常であった。

 昭和初期から高度経済成長の頃までは、チャブ台による食卓が主流になる。家族でひとつのチャブ台を囲んで団欒をするのは「家庭の民主化」と呼ばれたりした。それは、「家」制度の解体と家長の消滅と軌を一にしていた。家長は父親と名前を変え、食事中の会話が増えていき、その話題も世間話・1日の出来事・学校のことなど多彩になってくる。しかし、制度としての「家」は消滅したが、意識の上ではまだまだ父親(家長)の権威が残っていたから、父親が説教を兼ねて話題を提供することが多かった。ゆえに、食卓は子供のしつけの場としての機能も残っていた。「サザエさん」で描かれる食卓は、和やかな雰囲気の中にも波平が一定の影響力を発揮しており、もっともこの時代らしい特徴を感じさせる。

 高度経済期以降は、テーブルで食事をとる家庭が増えてくる。食堂兼居間という、制約された団地などの住宅環境の中で、テーブルの普及が進んだ。居間にはテレビが置かれ、テレビを見ながら食事をする家族が増えていく。食卓で交わされる話題も、必然的にニュースや芸能といったテレビで流される情報が多くなった。この頃までには父親の権威の残り香も消え、同時に父親が発言する機会も減り、しつけの場としての機能も弱体化していった。

 さて、「となりの山田くん」に出てきた山田家は一戸建てであり、食卓はチャブ台のままであった。しかし、たとえチャブ台を使っていても、家族の実態はきわめてテーブル世代的である。一言でいうなれば、食卓から父親の権威というのもが影も形も存在しないのだ。たかしは、せっかく迷い箸はいけないというしつけを試みるのであるが、誰もフォローしてくれない。そればかりか「それは自分のおかずだ」なり「食べさしを戻しなさんな」なりというツッコミまで入れてくる。そのため、たかしはすっかり体面を失って、のぼるにクスクス笑われるハメいなってしまった。この場面は、実にうまく演出上の処理がなされているから観る人をほのぼのとさせるが、考えてみれば父親にとって実に気の毒なシーンであった。父親の権威の消滅は、「サザエさん」と「となりの山田くん」の食卓風景を最も異なるものにしており、両者の時代の差とが象徴的に映し出されているシーンでもあった。

 よって、この迷い箸のエピソードは、最も「となりの山田くん」らしさが凝縮されたシーンであると思われる。ここだけで、映画全編に匹敵するほどの、山田家の家族と時代性が見事に凝縮されているからだ。このエピソードを映画宣伝のテレビCMに採用した担当者の選択眼の優秀さが分かろうものである。(逆にいうと、このCMを見れば映画全編が分かってしまうという逆効果もある。それゆえ観客動員が伸びていないとすれば皮肉かもしれないが。)

 さて、現代の食卓に目を転じてみる。近年、家族の生活時間帯がバラバラになる傾向が加速している。そのため、家族全員で一緒に食事をすることが減り、各自が別々に食べるという「個食」が増えている。それは、食事の時間から会話は再びなくなり、ついでに食卓の賑わいも同時に消滅しつつある。先日、あるテレビ番組の中の企画で、「家族が全員同じ時間に食卓を囲むことが出来たら100万円!」というチャレンジがあったが、それが企画として成立するほど、現代は家族全員で食卓を囲むと機会が少なくなっている。この企画は視聴者に特に好評だったというが、単に夜7時に集まるというチャレンジだけでなはく、食事中の会話や食後のひとときをはじめとする団欒風景までもが丹念に映し出されていたことも、人気の理由だったのではないだろうか。(もっとも、この家族におけるお父さんも、さしたる威厳がないという点では、やはり現代らしい。)

 結局、「となりの山田くん」で描かれたようなチャブ台、家族の団欒は、昭和時代の懐かしい思い出、旧き良き時代のノスタルジーなのだ。父親としての権威を示すことなど望むべくもなく、家族が揃って食事をする機会が持てるだけでもマシと思ったほうがいいだろう。

(1)1993年1月22日朝日新聞夕刊記事より






参考文献
吉見俊哉『メディア時代の文化社会学』新曜社,1994
吉武輝子編 『日本の家族を考える』ミネルヴァ書房,1994.
上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』岩波書店,1994.
経済企画庁編 『平成10年版 国民白書』大蔵省印刷局,1998.
井上宏『現代メディアとコミュニケーション』世界思想社,1998





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