●英語吹替版「もののけ姫」公開初日
Reports of the Release of English Version in Japan

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2000年4月29日より、英語吹き替え・日本語字幕版の「もののけ姫」が日本全国の東宝洋画系劇場で公開が始まった。これは、1999年10月に北米地域の131館で公開された英語版の日本における凱旋上映という位置づけである。料金も、ファンへの感謝の意味を込めて1000円均一の特別料金が設定されている。

東京・有楽町の有楽町スバル座には午前9時の入場開始時点で約60名の行列が出来、上映開始までに約120名の観客が来場し、英語に吹き替えられた作品の雰囲気を楽しんだ。ロビーには鈴木敏夫プロデューサーも現れ、大勢の子供たちがサインをねだる風景も見られた。なお、英語版「もののけ姫」の公開に先立ち、宮崎監督が北米で行ったキャンペーンの模様を収録した約20分のドキュメンタリー映画「もののけ姫 in USA」も同時上映された。

有楽町スバル座



宣伝媒体物 「本日初日」の札が



入場待ちの行列



行列 入場開始時で約60名



取材スタッフ







鈴木敏夫プロデューサーが来場される。他に"ギブリーズ"関係者の姿も。
宮崎駿氏は現れなかったが、鈴木プロデューサーは子供たちのサインの求めに気軽に応じていた。

館内の状況 入場者は約120名



売店前 パンフレットはなし



ロビーの様子



サインに応じる鈴木プロデューサー



子供と一緒に



一緒に記念撮影



サインをもらってにっこり



−「もののけ現象」を超えて−
鈴木プロデューサーの笑顔に、ジブリの原点回帰を見た



静かな初日であった。

ゴールデンウイークの初日、日本映画史上最大のヒットを記録して「もののけ現象」と呼ばれるブームを巻き起こした「もののけ姫」が、再び全国で公開された。これは1999年10月にアメリカで公開された英語吹き替え版に日本語字幕をつけたもので、日本では凱旋上映という位置づけである。この英語版「もののけ姫」の公開に合わせて行われたキャンペーンを収録した20分のドキュメンタリー映画である「もののけ姫 in USA」も同時上映された。

徹夜組はなく、東京・有楽町のスバル座では、当日の朝7:20頃に来た人が1番乗りになった。2番目は7:30頃、3番目の親子は8:00頃というふうに列が出来始め、8:30で30人弱、9:00の入場開始時で60人強の行列が出来た。そして、9:30の上映開始までに集まった観客は120人ほどであった。座席数は306であるから、空席の方が目立ったという印象は否めない。徹夜組だけで500人が殺到し、朝7:00には2000人もの行列が有楽町マリオンを取り囲んだ3年前とは比べるべくもない静かな初日であった。他の上映館における観客動員も似たような状況であり、中には10人も入らなかった所さえあったという。ゴールデンウイーク以降に観客動員が伸びていく可能性はあるが、満員札止めの盛況になる可能性は少ないだろう。

かつて、マリオンで「もののけ姫」を見た人々の多くは、今では同じマリオンで封切られている新作映画を見ているのだろうか。少なくとも、「もののけ姫」の観客動員を支えた1000万もの人々は、英語版「もののけ姫」には戻ってこなかった。「もののけ現象」とまで形容された当時の熱気は、もはや影も形もなくなってしまったと言わざるを得ない風景がそこにあった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


確かに、興行面だけ見ると、今回の観客の入りは物足りなかった。宮崎駿氏の引退作品と騒がれ、繰り返しマスメディアで報道された3年前と異なり、凱旋上映に関する報道はほとんど見られなかった。かつて「もののけ姫」を見た人々の大半は、今回の上映の事実さえ知らないのではないだろうか。また、日本で作られた日本語の映画を、わざわざ英語に吹き替えて字幕付きで鑑賞するというコンセプトも、さしたる関心を呼ばなかったのかもしれない。それ以前に、多くの人々にとって「もののけ姫」は既に過去の作品であり、ビデオでも広範に普及しており、わざわざ映画館へ足を運ぶまでもないのだろう。

何しろ、ゴールデンウイーク中に封切られる魅力的な新作映画だけでも10指に余るのだ。「もののけ姫」が満席にならなかったとしても別段不思議ではない。かくして、移り気な大衆は他の新作映画へと流れていった。

あるいは、もし初日に宮崎駿氏の舞台挨拶があったならば、スバル座だけは満員になったかもしれない。だが、それは実現しなかったから、宮崎駿氏目当てのマニア層も集まらなかった。

けれども、逆に言えば、この日のスバル座は、ある意味において最もピュアな観客で占められていたとも言える。前回のようにマスメディアの報道に乗ってやって来た大衆はいなかったし、舞台挨拶だけが目的のマニア層もいなかった。そこにいたのは、純粋にジブリの作品が好きな人達であった。流行的愛好でもない、マニア的愛好でもない、ただジブリの作品世界に親しむため映画館に足を運んだ人達であった。その総数こそ決して多くはなかったが、幼児からお年寄りに至る全ての世代が万遍なく集まっており、ジブリ作品がいかに幅広い年齢層の人達に親しまれているかが改めて実感される。


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さて、当日のスバル座には鈴木敏夫プロデューサーもひょっこり来場された。事前にアナウンスもなかったので、お忍びでやってきたのであろう。「もしお客さんが誰もいなかったらどうしよう。」と心配しておられたようであるが、それなりの観客の入りに安堵した様子であった。

鈴木プロデューサーがロビーに姿を現すや、たちまちサインをねだる子供たちに囲まれた。ジブリの顔といえば高畑監督と宮崎監督であるが、鈴木プロデューサーの顔もよく知られていて、しかも相当の人気なようである。鈴木プロデューサーは快くサインの求めに応じ、名前を尋ね、イラストを添えたサインを丁寧に描かれていた。子供たちは、"○○ちゃんへ"という自分へのメッセージが入ったサインに感激し、まるで宝物をもらったかのように大事そうにサインを見つめていた。

サインを渡すときの鈴木プロデューサーの笑顔が、とりわけ印象的であった。子供たちにとって、この日の一番の思い出は、英語版「もののけ姫」でも「もののけ姫 in USA」でもなく、鈴木プロデューサーの笑顔になるかもしれない。


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ところで、宮崎駿監督はすっかり遠い存在になってしまったかのようである。特に、同時上映された「もののけ姫 in USA」における宮崎監督は、畏れを抱かせるほどの威厳に満ち、にわかに近寄りがたい雰囲気さえ醸し出していた。本意ではないに違いないが、このドキュメンタリーは宮崎監督のカリスマ性を高める効果しかなかった。少なくとも、これを見て宮崎監督を身近で親しみやすい存在として感じた人はいないだろう。崇拝的に愛好する一部のマニア層は有り難がるかもしれないが、普通の観客にどれだけの訴求力があったかどうか疑問である。

いずれにせよ、「もののけ姫」がどんなにアメリカで絶賛されても、日本でブームは復活しなかった。誉れ高い凱旋上映なのに、客席の半分も埋まらなかった事実は象徴的ですらある。「もののけ現象」の総決算ともいうべき凱旋上映は、皮肉にも「もののけ現象」の終わりを確認する役回りを演じたのである。


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そして、新しいジブリの物語は、鈴木プロデューサーの笑顔から始まったのではないかと思う。「となりの山田くん」の不振を受け、宮崎監督と鈴木プロデューサーは「ジブリの原点に戻ろう。これからは子供のための映画をつくっていこう。」と申し合わせたという(日経産業新聞記事より)。 私は、子供たちの求めに応じて快くサインする鈴木プロデューサーの笑顔に、その原点を見たような気がした。

サインをもらった女の子は「(鈴木プロデューサーは)とっても優しいおじさんだった。」と声を弾ませて言った。その笑顔は、今や遠い存在になってしまった宮崎監督のイメージをも、子供たちにとって身近な位置にまで戻してくれるかもしれない。

2001年夏に公開予定のジブリ次回作「千と千尋の神隠し」がとても楽しみである。(2000/04/30 Y.Mohri)








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