y●白神山地紀行:2
a travel sketch of Shirakami 2

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藤琴川の流れ

(4)6月29日 一路、白神山地へ
 天気はすこぶる良い。レンタカーのエアコンを切り、窓を全開にして爽やかな風を入れて快走する。藤琴川の流れが美しい。少し寄り道して川の水をすくってみた。冷たい。当然ながら、この水は白神山地に降った雨が集まって流れているものである。

 しばらく走ると、真名子(まなご)という集落にたどり着いた。ここは、二ツ井から出ているバスの終点である。レンタカーを借りなければ、ここまでバスで来て、あとはヒッチハイクを決め込むことにしていた。もっとも、実際の交通量は少なく、たまに車が通っても地元の農家の軽トラックばかりだったから、もしヒッチハイクをしていたら、うまい具合に目的地まで運んでくれそうな車にありつくことは難しかったかもしれない。

 真名子を通り過ぎ、さらに北上するぞ、と意気込んだその瞬間、舗装道路が終わってしまった。もちろん、保養所の人から途中から砂利道になることは聞かされていたが、まさかこんなに早くやってくるとは思っていなかった。あとは延々と砂利の林道である。

 私は運転免許を取得して以来、舗装された道ばかりを走っていた。山間の砂利道は、未知の道との遭遇であった。こういう道は、時速20km以下でのろのろと進んでいくに限る。それでも、ところどころに大きくたまっている水たまりに突入すると窓からしぶきが飛び込んでくるので、水たまりの場所ではさらに減速した。当然、乗り心地は最悪で車体も泥まみれ、いかにも山道を走っているという醍醐味を味わうこととなった。

 軽い土砂崩れを起こしているところにさしかかった。前日の台風による大雨が原因なのであろうか。ぎりぎり車1台分が通れる幅だけあいていたが、ペーパードライバーの私にとっては少し辛い。おそるおそる、微速で通過した。途中、車体の真下でゴツンという音がしたが、まあ聞かなかったことにしよう。


白神山地への標識

白神山地の林道
 「これより白神山地」という標識にさしかかった。ようやくたどり着いた。いよいよ目的地の白神山地である。すぐ入るのはもったいないから、ここでしばらく休憩をとることにした。その間、4輪駆動車が轟音を立てて追い抜いていった。やはり、普通のレンタカーでこの山道を走るのは苦しかったか。でも、レンタカーの係の人は(これで白神山地へ行くことについて)特に何も言わなかったし、ゆっくり走ればどうということもないさ。

 休んだあと、いよいよ白神山中へさしかかる。2kmほど走ったら、先ほどの4輪駆動車が停車していた。どうやら渓流釣りに来ている人達らしかった。川にかかっている橋から見下ろすと、先ほどの4輪駆動車に乗っていたと思われる人が4人、釣り場を求めて川沿いを歩いて行くところであった。

 鉱山の脇も通過した。地図を見ると太良(だいら)鉱山だと書かれている。位置的には、真名子集落と太良峡の間の、やや太良峡寄りである。ここで何が採掘されているかは分からなかったが、山肌は削られ、赤い土の露出しているのが見えた。白神山地は世界自然遺産にも登録されていて、原生林がまるまる残っているというイメージが想起されるけれども、実際に自然遺産に登録されているのは白神山地のほんの一部分に過ぎない。あとは林業振興のために植えられた人工林の山が幅をきかせ、鉱物採取のために禿げ山となっているところさえあることもまぎれのない事実であり、それもまた白神山地の現実の姿なのである。

太良峡(不動渓谷)
(5)太良峡でコケる
 太良峡に到着した。ひとことで太良峡といっても、結構広い範囲にわたっている。林道を下って、ほとんど道とは呼べないような遊歩道が通っていて、犬戻渓谷、位牌岩、一通滝、不動渓谷などの見どころを結んでいる。そのうち、不動渓谷に最も近い地点で車を止め、遊歩道を下っていくことにした。

 下れど下れど、目指す渓谷は見えてこない。勢い、歩幅を早め、先を急ぐことにした。ほとんど小走りに近い状態だったと思う。これがいけなかった。

「あっ」

という間に遊歩道を踏み外し、気がついたら斜角30度ほどの崖を5メートルくらい下まで転落していた。前日の台風で足場がゆるみ、滑りやすくなっていたのに、この山道を急ごうとしたのが間違いであった。私は、高校時代に山岳部にいたが、こんなにみっともなく足場を踏み外すことはなかった。しかし、幸運なことに、堆積した腐葉土がクッションとなって、両腕にかすり傷を負っただけで済んだ。この時、デジタルカメラ(Fuji DS-7)とスチルカメラ(Nikon FG20)を携行しており、スチルカメラの方は約10メートルも飛ばされたが、これまた奇跡的に両方とも全く壊れなかった。もちろん私もカメラも腐葉土まみれになったが、この天然のクッションには本当に助けられた。
(余談だが、FG20は父からのお下がりのカメラである。装着している35ミリレンズも父が若い頃から使っていたものなので、かれこれ数十年は経つ年代物である。父は、NikonのF2というカメラを愛用していた。定期的に点検に出すほどの愛着をもっており、幼い頃の私はこれでずいぶん撮影されたものだ。しかし、このカメラは阪神大震災で失われてしまった。神戸・三宮では、多くのビルが崩壊したが、父の職場のあったビルの6階も、まさにその6階部分が見事につぶされ、カメラはたまたまその職場に置いていたため、回収することが出来なかったというのである。でも、もし地震が勤務時間中に起こっていたら、父は間違いなく助からなかったであろうから、私はカメラが父の身代わりになってくれたと思うようにしている。)

 さて、なんとかよろよろと崖を這い上がり、目指す不動渓谷にたどりついた。手頃な大岩があったので、そこでカメラを乾かし、しばしの休息をとった。こういういい場所で休むなという方が無茶である。
この渓谷も渓流釣りにもってこいの場所であるはずだが、人影はなかった。台風で思いっきり増水していて流れも速かったから、とても釣りを楽しむ状況ではないのかもしれない。先ほど転んだばかりだったので、水に近づくことはせず、岩づたいの移動も決して無理しなかった。さっき転んだことは、結果的に良かったかもしれない。もし、ここで無茶をして足を滑らせていたら、増水した流れに飲み込まれて助からなかっただろう。

ブナ原生林

原生林の下草
(6)岳代ブナ原生林
 太良峡を後にし、さらに奥地へと向かった。ほどなく林道が二本に分かれる地点に着いた。右側に行くと釣瓶落という峠に達し、青森県へ行くことが出来る。ここでは、もちろん左側へハンドルを切る。

 山道が一層険しくなってきた。自動車教習所のコース以来ではないかと思われるほどの急カーブが連続する。しかも、ここでは砂利道の上に傾斜まであって、さらに水たまりまである難路である。油断したら、車ごと谷底に落っこちてしまうかもしれない。

 岳代のブナ原生林に到着した。ここの原生林は、自然観察のために特に立ち入ることが出来る。もっとも、この入り口を示すものはしょぼい標柱ひとつだけであった。これを私が走行中に発見することは、まず不可能であるほどのしょぼさであった。なぜ気付いたかというと、林道脇に何台かの車が停まっていたからで、この列に従って車を停めてみると、そこに原生林の入り口あったという訳である。

 原生林は素晴らしかった。私の本籍地があるところは地名からして山奥であり、犬の散歩などでよく山の中に入ったものだが、ここの原生林はそういう今まで見てきた山の風景とは全く異なっていた。私がよく入っていた山は、人の手の加わった、いわば人工的な自然環境であったことを、つくづく思い知らされた。原則的に立ち入りの出来ない自然遺産保護区域のそれは、さらに文字通りの原生林が広がっていることだろう。

 この原生林には一応巡回ルートがあるが、簡単に道を見失ってしまった。歩けど歩けど、ルートに戻れない。大げさだが、一瞬、富士山麓の生きて帰れない樹海に迷い込んだかのような錯覚さえ覚えた。何せ、方向感覚が全くなくなるし、見上げても原生林の枝が空を薄暗く覆っていて太陽の方角を知ることも出来ない。

 しばらくさまよっていると、遠くに人影が見えた。地元の若いお兄さん方であった。おかげで無事にルートに戻れ、車を停めているところまで生還することが出来た。このお兄さん方には、あとで駒ヶ岳でも大変世話になる。

 原生林を出発し、さらに奥地へと向かう。やがて車で行くことの出来る最深部まで到達した。ここからは、徒歩での行軍になる。先ほどの原生林で会ったお兄さん方もやってきた。聞くと、これから駒ヶ岳の頂上まで行くというので、一緒に上ることになった。やはり一人での登山はつまらないし、道に迷ってしまうかもしれないから、大変心強かった。

 さあ、いざ駒ヶ岳へ!





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