すべては映画の中で語って欲しい
―あえて内部の事情は知りたくないと言ってみる―
試写会などで配布された「コクリコ坂から」宣伝チラシの裏面には、「企画のための覚書『コクリコ坂から』について」と題された文章が載っている。公式サイトにもそのまま載っているものだ。
私は、これを初めて読んだとき仰天してしまった。あまりに原作・原作者をコテンパンにしているのだ。いわく、
「(原作漫画は)不発に終わった作品である」「学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている」「結果的に失敗作に終わった最大の理由は〜」など、冒頭からネガティブな表現が並んでいる。さらに読み進めると、
「出生の秘密はいかにもマンネリな安直なモチーフ」「連載の初回と二回目くらいが一番生彩がある。その後の展開は原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ」「原作の生徒会長なんか"ど"がつくマンネリだ」などと、これまた容赦のない表現が続く。あまりにもストレート過ぎる物言いに目まいさえ覚えた。
一緒に試写会を見に行った連れは、これを読んで絶句した。ジブリ作品が好きな何人かの友人にも聞いてみたが、「ちょっとアレな感じだね」「原作者に失礼」「原作のファンが読んだら泣く」といった反応で、肯定的に受け止めた者はいなかった。原作を失敗作呼ばわりするなんて、あまりにもあんまりだ。
これは、一体どのように読み解けば良いのだろうか。
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もちろん、宮崎駿氏が原作に敬意を表していないとは、多分誰も思っていない。
宮崎駿氏は原作漫画を愛読しており、映画化の企画も長い間議論してきたことは周知の事実である。思い入れのある作品であろうことは想像に難くない。一度は時代的制約で断念したという企画を「今だから出来る」ということで実現させるくらいなのだから、原作に対する愛情は、誰よりも強いものがあるはずだ。そのあたりは、原作者もマンガ家も関係者も、みんな分かっている。
すなわち、この表現は「宮崎駿氏が書いた『コクリコ坂から』のための覚書」であるから成立するものであることが分かる。
他の誰にも(宮崎吾朗監督でさえも)、とてもマネ出来るものではない、唯一無二のポジションに位置する文章なのである。
この覚書には2010年1月27日の日付がある。企画の検討段階で書かれた、いわゆる内部資料であったと推察される。作成時期から見ても、これは関係者が読むものであって一般の人々に読んでもらうことを想定して書かれたものとは思えない。であるなら、びっくりするくらい率直かつストレートな表現で原作の"欠点"が列挙されていることにも納得出来る。様々な角度から分析を加え評価することは当然だし、原作漫画の至らなかった部分をピックアップして検討を進めることは必要なプロセスだからだ。そのくらいしなければ「映画でこうしたい」という方向性も定まらないだろう。
問題があるとすれば、そのような内部資料的なものを注釈なく一般向けの公式メッセージとして用いているため、事情を知らない人を戸惑わせてしまう(原作へ敬意が払われていないと感じてしまう)ということになるのではないだろうか。
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そういえば、最近のテレビは業界の裏事情の開陳を売りにする番組が増えているような気がする。芸能人がたくさん集まってプライベートなネタを暴露したり、誰と誰が交際しているとかいった話で盛り上がったりする類だ。芸能界の関係者とか裏事情に通じている人ならば面白い話であるとは思うが、そうでない人が見ても訳が分からない。芸能人は自分の芸を見せることが本業であり、内部事情の暴露を芸の代わりにしても仕方がないのではないかと思うのだが。
映画制作の世界も、基本は同じだと思う。
映画監督の本業は、ひたすら良い映画を追求して見せることであろう。
だから、内部の事情の公開は、ほどほどのレベルで良いと思う。
自分は熱心なファンの部類に入るだろうから、内部の事情が書かれていれば興味を持って読むと思う。しかし、一般の観客層にとっては、あまり関係のない話であるとも思う。今回の覚書について言うなら、上述の事情を知ってしまえば(原作を失敗作呼ばわりする物言いも)宮崎駿氏なりの敬意の表現であり、リスペクトのしかたであると読むことが出来る。けれども、事情を知らない人は、ネガティブな表現に戸惑うだけだ。つまるところ、この覚書は非公開のままで良かったと思うし、公開したとしても数ある資料群の一つという位置づけで充分なのではないか。そのように思ったりもする。
宮崎吾朗監督には、もちろん映画そのもので勝負して欲しい。
すべては映画の中で語って欲しい。
制作秘話のようなものは、ほどほどのレベルで良いと思う。
関連書籍のインタビュー記事を読むと「絵コンテは1回挫折した」とか「最初の絵コンテは陰鬱すぎた」とか書かれていたが、そこまで話さなくても良いのではないか。当たり障りのない美辞麗句より、本音が率直に語られる方が良いという見方もあるが、読者まで陰鬱な気分にさせてしまう。それは晩年の自伝とかで打ち明けるべきものだろう。インタビュアーが食い下がるのなら、原作への敬意を語って欲しい。尽きることのない映画への愛情を語って欲しい。観客が求めているものは、映画そのものなのだから。
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映画の出来映えは素晴らしかった。自分がまだ生まれていない1963年という時代に、ぐいぐい引き込まれた。「耳をすませば」の昭和ノスタルジー版というイメージを持っていたが、また別の趣きがある。評論家の視点からアラを探そうと思って見れば出てくるだろうが、一観客の視点からでは素直に楽しむことが出来た。厳しいと言われるスケジュールを守りきって映画を完成させた宮崎吾朗監督の手腕は、もっと注目されて良いと思う。
思うに、ジブリの作画で高度経済成長期の日本の風景を見たかった、というニーズは案外多かったのではないだろうか。携帯電話はないが電話はある。カラーではないがテレビもある。電気、ガス、水道もちゃんとある。現代生活の必需品のルーツが一通り揃っている。コンビニはないが商店街が賑わっている。レトロな分、かえって新鮮味が感じられる。ファンタジー色がなくヒロインも高校生であることから、小さな子どもには受けないかもしれないが、思春期以降の年代には興味深く見ることが出来るのではないだろうか。年配の世代が懐かしがって映画館に足を運べば、大いにヒットするのではないかと思った。今後の展開に注目していきたい。
by もーり (2011/08/10修正)
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