●「千と千尋の神隠し」完成披露レポート
A Press Conference of "Spirited Away"

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2001年7月10日、帝国ホテル桜の間にて「千と千尋の神隠し」の完成披露記者会見が行われ、宮崎駿監督が「千尋」を最後に長編アニメーション映画の制作から退くことを明らかにした。今後は後進の育成を図りつつ、2001年10月に開館するジブリ美術館の仕事にも携わるという。

超満員となった記者会見
(撮影:2001年7月10日 以下同じ)


報道スタッフ


左より菅原文太氏、木村弓氏、宮崎駿監督、柊瑠美さん、久石譲氏

撮影風景

着ぐるみと一緒に
質疑応答の概略は以下の通り。

Q. 「千と千尋の神隠し」が完成して思うことは?
A. 宮崎監督:「10歳の子どものために作ったが、大人の心に触れるものもあると思って作った。こういう映画が作れて本当に幸せに思う」
柊さん:「声だけでやるのは難しかったけれども、最後まで楽しく出来ました」
菅原氏:「45年前から映画出演していたが(声優出演は)初めてだった。千尋(柊さん)の方が上手だった。新鮮で楽しい仕事が出来た」
久石氏:「戸惑いながら作った。これまで手掛けた作品の中でも難しかった。心情を表現するように努めた」
木村氏:「3年前から(宮崎作品に)歌で参加したいと思っていた。夢が叶って嬉しい」

Q.カオナシの発想はどこから出てきたのか?
A.宮崎監督:「橋にたたずむカオナシが目に留まったから、あれ使おうと思ったのが始まり。最初からこういうのを出そうとして出したのではない」
カオナシのテーマ曲は(ストーカーのようで)危ないのではないのかという声が出て、会場は爆笑。

Q.カオナシの「アッ、アッ」という声は誰が担当したのか?
A.宮崎監督:「何も知らない」
その後「監督がやったのか?」「鈴木プロデューサーでは?」と諸説が飛び交うが、真相は分からなかった。「カオナシの声は(誰がやったというのではなく)みんなの心の声なのだ」

Q.今回、韓国に発注したが、成果はどうか?
A.宮崎監督:「(韓国のスタッフは)予想外に良い仕事をやってくれた。(ジブリから)4人行ったスタッフは生き生きして帰ってきた。向こうでも試写会をやりたい」

Q.今後の予定はどうか?
A.宮崎監督:「長編はもう体力的に無理。やりたくなったら短いものをやればいいと思う」



記者会見の後、隣接するスカラ座で完成披露試写会が行われた。招待客・一般客・取材関係者で満員となった会場で、宮崎監督は「今、審判を待つ囚人のような気持ちだ。このまま逃げ出したい」と心中を吐露した。しかし、上映終了後、その出来映えにの良さに満場から拍手がわき起こった。「千尋」は、2001年7月20日から全国330館以上で一般公開される。


スカラ座前の行列

入場開始

宮崎監督と鈴木プロデューサーがお出迎え

塩爺こと塩川財務大臣も飛び入り

舞台挨拶

上映終了後の風景

上映終了後の風景




―ジレンマの坩堝(るつぼ)―
「生きる力」は、ジレンマを乗り越えられるか



和やかなムードで進んでいた記者会見が一瞬、緊張に包まれたのは、プレスキットの矛盾を突く質問が飛び出した時だった。「ファンタジーの氾濫が子どもの力を奪っていると言いながら、またファンタジーを作るのは矛盾しているのではないのか」と。

この問いについて、宮崎監督はごまかすことなく「矛盾だと思っています」と答えた。「子ども時代に見る映画は1本か2本あれば充分。それよりも、自由に遊べる空間があった方が健やかに育つだろう」 と言った。さらに、「小さい頃から映像漬けでやっていたら、次の世代の映像の担い手にならない」とまで言い切った。「今の文明のありようは、将来きっとツケを払わせられるだろう」とも。その上で、こう続けた。「現代は現実を見ろと言われるとつらく、自分が主人公になれるファンタジーが必要だ。自己表現の下手だった私も、かつてマンガやアニメーションのファンタジーで心が解放されましたから」

「だから、それが矛盾なのだよ」という突っ込みが来るのを遮るように、宮崎監督はさらに続けた。

「矛盾してる。矛盾してるけど、ファンタジーは必要。ファンタジーを受け入れられなくなったら、それは精神の衰弱だから・・・。ジレンマです。ジレンマの固まりです。そういうことを感じながらやっています」

誰もが「おいおい、そんなことを言ったらオシマイじゃないのか」といぶかったに違いないが、それ以上突っ込んだ質問は出なかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


ところで、なぜ私がこのようなレポートが書いているかというと、鈴木プロデューサーが取材許可を出して下さったからである。「取材させて下さい!」 別にマスコミ関係者でもない、一介の学生からの要望であったが、「学生には親切にしといたほうがいいだろう」という鈴木プロデューサーのいつもの台詞が出たのか、後ほど正式にOKを出して下さった。

で、帝国ホテルの会見場に赴いたのであるが、受付で名乗るべき身分がない。とりあえずフリーライターになりきることにする。ジブリ広報担当の西岡氏に挨拶し、取材章をもらって会見場へ。記者会見の後、完成披露試写がスカラ座で行われることになっており、そこの取材もOKとのことであった。

入ったはいいが、そこはズブの素人が何か出来る世界ではなかった。速記のようにメモをとる隣の記者のスピードについていけない。断片的にしか書き留められない。撮影タイムになったが、タイミングが一瞬遅れただけで一番隅っこの位置しか残っていない。もし私が本物の記者だったら、デスクから即刻ヒマを申し渡される体たらくであった。そうこう考える間もなく、これまでの雰囲気は一変して「○○さん、こっち向いて下さい!!」「もう1回笑って下さい!!」という絶叫とフラッシュの嵐が交錯する壮絶な戦場になっていた。カメラマンは、使える写真が撮れてナンボの世界だから必死だ。普通の人がこれだけのカメラの放列と絶叫とフラッシュの前にさらされたら、たちまち引きつけをおこして卒倒してしまうに違いない。

スカラ座はさらに壮観だった。日本テレビのおエラサマ御一行が歩いている。釜爺ならぬ塩爺がSPを引き連れて歩いている。オナマサマならぬばななサマ(吉本ばなな)、オオトリサマならぬ大谷サマ(大谷みつほ)、リンならぬエミリ(中山エミリ)、その他、カオナシならぬ顔売れの有名人(糸井重里、加藤登紀子、三田佳子ほか)がゾロゾロと歩いていた。それら有名人に群がってコメントをねだる記者軍団の姿は、まさしくカオナシから砂金をねだるカエル男・ナメクジ女そのもの。そこは、さながらヒートアップした油屋のような様相を呈していた。何だか自分がいてはいけないような場所だった。突然、油屋の中に放り込まれた千尋の気持ちも、こんな感じだったのだろうか。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


しかし、ここで私にしか出来ないことが一つだけある。それは、記者の本音を確かめること。記者に取材される人はいくらでもいるが、記者を取材する人は誰もいない。

本音は、拍子抜けするほどあっさり引き出された。いわく、「あれは自己満足の世界なんだよね」

その記者氏は、こんな本音を隠しながらテレビカメラを回していたのか。そーですか。「千尋」は監督の自己満足の世界なのですか・・・。宮崎監督でさえコレなのだから、その後追いかけ回していた有名人に対して、どういう気持ちでインタビューしていたのか想像がつこうというものだ。「この落ち目が、宮崎人気に便乗するんじゃねえよ」だろうか。「てめーの顔なんか見たくもねぇけど、ワイドショーのネタになるから仕方なく取材してやってんだよ」だろうか。あるいは、もっと辛辣な本音が隠されているのだろうか。

もっとも、そういう醒めた本音は、取材対象に迎合しない記者魂の現れと言えなくもない。単なる有名人の宣伝機関に成り下がっては、第4の権力とまで言われる誇り高きマスコミの名がすたる。だが、現実にはカエル男やナメクジ女になりきって、有名人から使えるコメントをとってこなければならない。視聴率や部数を稼ぐため、大衆の欲望には迎合しなければならない宿命にあるのだ。

結局、誇り高きマスコミ人も記者魂と現実との狭間でジレンマに苦しんでいる。
プレスキットの矛盾を突いた記者も、自らジレンマに苦しんでいるからこそ、あえて深く追及しなかったのだろうか。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「千尋」についての一般客の反応は上々であった。「夢があって良かった」「幻想的だけどリアル」「あたたかい雰囲気」「幕末太陽伝みたいなセットが好き(別にセットではないと思うが)」「この良さは説明のしようがない。最高!」「全体的にドキドキした」などなど。何せ宮崎監督やVIPやタレント・有名人と一緒に鑑賞出来たのだから、気分の悪かろうはずもない。有名人を見られて興奮している人もいたくらいだ。やはり会場が一種独特の雰囲気に包まれていたのであろう。

しかし、そのような雰囲気の中でも子どもは正直であった。「たのしかった」「おもしろかった」というコメントがある一方で、「カオナシが怖かった」「嫌い。もう見たくない」という声があったことも紹介しなければならない。特に、幼稚園児以下の小さい子どもにとって、カオナシの暴走シーンは相当に恐ろしく感じさせるものであることに留意しておく必要があろう。また、上映終了が夜10時に近かったので、眠気のためか明らかに不機嫌そうな顔をしている子もいた。

でも、子どもはやはり正直が一番だと思う。子どもが宮崎監督に遠慮してかしこまったり、お世辞まがいのことを言うようになったら世も末だ。つまらなかったらつまらないと言えばいい。宮崎おじさんはリベンジに燃えてくれるかもしれないよ。余談だが、「千尋になりたかった」というふうに感情移入して見た子もいれば、「ハクになりたかった」という予想もしなかったような感情移入をした子(女の子)もいた。子どもの反応は、本当にいろいろだ。

宮崎監督が「千尋」を最後に引退を表明していることについては、「もっと作って欲しい」「引退は仕方ない」と意見が分かれた。塩爺が79歳で大臣の激務に耐えていることを考えれば、60歳の宮崎氏なら、まだ長編の何本かは作れるのではないかと考える人がいても不思議ではない。しかし、宮崎氏が年齢以上に老けてしまったと感じた人は、もうこれ以上作ってくれなくてもいいから体を大切にして欲しいとも願うだろう。

まだまだ新作を見たいという願いと、もうこれ以上体をすり減らさないでという願いの錯綜・・・。
観客もまた、ジレンマの中にいるのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


このようにしてみると、宮崎監督がジレンマを抱え、記者もジレンマを抱え、観客もジレンマを抱えている。多分、塩爺も芸能人も、その他もろもろのお偉方も有名人も、それぞれにジレンマを抱えている。「千尋」が世の中のあらゆる善悪が混じり合った坩堝の映画であるように、「千尋」を取り巻く人々も、本音と建て前が混じり合ったジレンマの坩堝の中にいる。やはり、世の中とはこういうものであり、「千尋」はこういう世の中の縮図でもあったのだ。

子ども達は、どこまで世の中のジレンマから自由でいられるだろうか。

その子ども達も、いずれ思春期に入り、世の中の仕組みというものを学んでいくだろう。様々なジレンマにも直面することだろう。でもその時、変に納得したり割り切ったりすることなく、先達達が乗り越えられなかったジレンマを乗り越えていけるような「生きる力」が、そして新たな地平を開拓していけるような「生きる力」が発揮されていくことを、願わずにはいられない。

「千尋」の持つファンタジーの力が、経験の力と調和して、本当に子ども達の「生きる力」を引き出した名作となったかどうかは、後世の評価が決するだろう。(2001/07/10 Y.Mohri)



(鈴木敏夫プロデューサーおよびジブリ広報担当の西岡氏より取材許可をいただいています。)




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