武蔵野万葉散歩
(防人歌一覧)

 7〜8世紀、日本が、古代国家をつくっている最中です。
朝鮮半島との関係が引き金になって、国際緊張が高まりました。

国を挙げての防備、威信をかけて、対馬、壱岐、筑紫の「崎を守る」ため
なぜか、武術が優れているからと
東国の若者が、3年間の義務として、徴用されました。

いずれも働き盛りで、一家の中心、後に残る耕作や税の負担など、心配ばかり
二度と帰れるかどうかもわかりません。恋人を残し、妻を置いて
別れを惜しむ間もなく、筑紫(九州)まで、旅立ちました。

その時に、せっぱ詰まって詠まれた歌が、宝物のように残されました。
防人歌(さきもり)といわれます。

天平勝宝7年(755)の防人交替の時のもの84首と昔年の歌9首(巻第20)で
その他に、巻第14に5首、巻第13に2首あります。

「さきもり」と読むのが難しいほど、時代が過ぎました。
武蔵国の歌には、夫婦や恋人への思いが鮮烈で
純粋で素朴な歌い上げが、セックスレスなどという平成の時代、感動を新しくします。

ここでは、「武蔵国」と国名がはっきりしている歌を一覧にしました。
20首提出されて、うち、12首が選ばれたと書かれています。
選んだのは、大伴家持でしょうか。
ペアが4組・8首あって、他の国とは違った雰囲気です。

万葉集巻第20 [防人歌]

[武蔵国]

国歌
大観
番号
     歌 (訓み下し 岩波書店 日本古典文学大系 万葉集 歌 碑 等

所 在 地

4413  枕太刀(まくらたし)腰に取り佩(は)き真愛(まかな)しき
  背(せ)ろがめき来(こ)む月(つく)の知らなく
    右の一首は、上丁(かみつよぼろ)那珂郡(こほり)の檜前舎人(ひのくまのとねり)
     石前(いはさき)が妻(め)大伴部真足女(またりめ)のなり。
埼玉県

美里町

4414  大君の命畏(みことかしこ)み愛(うつく)しけ
  真子(まこ)が手離(はな)り島伝(づた)ひ行く
     右の一首は、助丁(すけのよぼろ)秩父郡の大伴部小歳(おとし)のなり。
埼玉県

秩父市

4415
4416
 白玉(しらたま)を手に取り持(も)して見るのすも
  家なる妹をまた見てももや
     右の一首は、主帳荏原郡(えばらぐん)の物部歳徳(もののべのとしとこ)のなり。

 草枕旅行く夫(せ)なが丸寝(まるね)せば
   家(いは)なる我は紐解かず寝む
     右の一首は、妻(め)椋椅部(くらはしべ)刀自売(とじめ)のなり。
 
4417  赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放(はが)し捕(と)りかにて
  多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
     右の一首は、豊島郡の上丁椋椅部荒虫が妻の宇遅部(うじべの)黒女(くろめ)のなり。
東京都
八王子市
府中市
4418  我が門(かど)の片山椿(かたやまつばき)まこと汝(なれ)
  わが手触(ふ)れなな土に落ちもかも
     右の一首は、荏原郡の上丁物部広足(ひろたり)のなり。
 
4419
4420
 家(いは)ろには葦火(あしぶ)(た)けども住み良(よ)けを
   筑紫(つくし)に至りて恋しけもはも
     右の一首は、橘樹郡(たちばなぐん)の上丁物部真根(まね)のなり。

 草枕旅の丸寝(まるね)の紐絶えば
  吾(あ)が手と付けろこれの針持(はるも)
     右の一首は、妻の椋椅部弟女(おとめ)のなり。
 
4421
4422
 我が行(ゆ)きの息衝(いきつ)くしかば足柄(あしがら)
   峰延(は)ほ雲を見とと偲(しの)はね
    右の一首は、都筑(つつき)郡の上丁服部於由(はとりべのうえだ)のなり。

 我が背(せ)なを筑紫(つくし)へ遣(や)りて愛(うつく)しみ
  帯は解かななあやにかも寝(ね)
    右の一首は、妻の服部呰女(はとりべのあさめ)のなり。
神奈川県

横浜市

4423
4424
 足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖振らば
  家(いは)なる妹は清(さや)に見もかも
    右の一首は、埼玉(さきたま)郡の上丁藤原部等母麻呂(ともまろ)のなり。

 色深(いろぶかく)く背(せ)なが衣(ころも)は染めましを
  御坂たばらばま清(さや)かに見む
     右の一首は、妻の物部刀自売(とじめ)のなり。
埼玉県

行田市

 二月二十日、武蔵国の部領(ことり)防人使掾正六位上安曇(あずみ)宿禰三国が進(たてまつ)れる歌の数は二十首なり。但し、拙劣なる歌のみは取り載せず。

 (いずれも、訓み下し文は 岩波書店 日本古典文学大系 万葉集 によります)

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