影なき狙撃者 ★★★
(The Manchurian Candidate)

1962 US
監督:ジョン・フランケンハイマー
出演:フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ、ジャネット・リー、アンジェラ・ランズベリー



<一口プロット解説>
朝鮮戦争に出征した兵士達がコミュニストに洗脳されて母国アメリカに戻ってくるが、コミュニストの手から彼の部隊を一人で救ったとして英雄になるレイモンド(ローレンス・ハーヴェイ)の行動にマルコ(フランク・シナトラ)は疑問を持ち始める。
<入間洋のコメント>
 なにはともあれ、この作品に関してはまず邦題が素晴らしいことを敢えて指摘しておこう。昨今の洋画の邦題は原題をそのままカタカナ書きにしただけというケースが目立ち、ひどいものになると勝手に歪曲して意味不明或いは別の意味に取られても仕方がないような表現になっている場合すらある。後者の典型的な例を1つ挙げると、コリン・ファースやケネス・ブラナーと共に小生と同年齢であり好きな俳優でもあるヒュー・グラントが真のメジャースターの仲間入りするきっかけを作った「フォー・ウェディング」(1994)という映画があったが、小生は最初にこの映画を見るまで原題は「For wedding」であろうとばかり考えていた。しかしながら、原題は「Four weddings and a funeral」すなわち「4つの結婚式と1つの葬式」であるということにようやく見てから気付いたことがあった。恐らくほとんどの映画ファンが洋画邦題に関して同様な勘違いをした経験があるのではないかと思われるが、こうなるといい加減な邦題は害にすらなる。それに比べると1960年代前半の映画には素晴らしい邦題が付けられているものが数多くあり、「影なき狙撃者」の他にはたとえば同じくローレンス・ハーヴェイが主演する「肉体のすきま風」(1961)や「渇いた太陽」(1962)など、ものの見事に一言で内容が要約された邦題が付けられているものがある。「影なき狙撃者」も見事であり、コミュニストに洗脳されアメリカに帰還し、自分でも知らない内に要人暗殺スナイパーと化すローレンス・ハーヴェイ演ずるキャラクターは、彼を追う側の立場から見れば文字通り影なき殺人者であり、また彼自身にとってもスナイパーたる自己は影のない、すなわち過去のない存在であり、見事にたった一言にストーリーが要約されている。

 苦言を呈するのはこれくらいにして本題に入るが、この作品のストーリーは極めて錯綜している上に途方もなく、またストーリーを説明しておかないとこれから述べることが意味不明に思われる恐れがある為、最初にストーリーを詳しく紹介しておこう。「影なき狙撃者」はマルコ(フランク・シナトラ)やレイモンド(ローレンス・ハーヴェイ)達アメリカ軍部隊が、朝鮮戦争中コミュニストの部隊に待ち伏せされ捕虜になるところから始まる。彼らは通常の捕虜収容所に送られるのではなく洗脳施設に連行される。この施設は、戦争捕虜を洗脳してトリガーメカニズムを頭の中に埋め込み、彼らを好きな時にコミュニストの操り人形に変えることが出来るように調教する為のヒューマンマインド改造工場であり、捕らえられた主人公達はそのようなトリガーが埋め込まれたことを知らぬまま釈放される。かくして、レイモンドは一人で部隊を救った英雄としてアメリカに凱旋帰国する。ところでレイモンドの母親(アンジェラ・ランズベリー)は、自分の旦那を大統領候補に仕立てその陰で政治権力を掌握しようとする野心家であり、戦争英雄として帰国した自分の息子までもその目的を達成する為の手段として利用しようとする。一方、毎日仲間が同じような悪夢にうなされていることを知ったマルコは漠然と何かがおかしいことに気付き調査を開始する。ある日、彼は、レイモンドがトランプの一人遊びをしている時、ハートのクイーンをめくった直後に奇妙な行動に移ることに気が付く。また、彼に雇われている使用人(ヘンリー・シルバ)がかつて彼らを洗脳したコミュニストの一団の中にいたことにも気付く。これによりマルコはコミュニストの計画を察知し、レイモンドの頭の中に仕掛けられたトリガーメカニズムを何とか解除しようとする。一方、レイモンドの母親は、自身の野望を達成する為にある大統領候補を殺害しようとするが、こともあろうに自分の息子に仕掛けられたトリガーをアクティベイトさせて彼を要人暗殺スナイパーに仕立て上げる。かくして、マディソン・スクエア・ガーデンで開かれた政治集会で彼は密かに暗殺を実行しようとするが、最後の瞬間にマルコの努力が功を奏したか彼は自分の母親が指示したターゲットではなく、まさにこの母親を狙撃した後自分も自殺する。

 というような途轍もないストーリーが展開されるが、朝鮮戦争から母国アメリカに英雄として帰還した兵士が、実はコミュニスト達によって洗脳され、トリガーメカニズムを識域下に埋め込まれた一種の時限爆弾と化していたというあたり迄はまだ何とかついていけても、そのコミュニストの陰謀にその兵士の母親が密接に絡んでいて自分の息子を要人暗殺スナイパーに仕立てあげるという段になると、あまりにも途方もなくほとんど狂気地味てさえいる。この映画が呈示するそのような狂気性は、コミュニストの手によってマルコやレイモンド達が洗脳される冒頭近くのシーンで早くも明瞭になる。このシーンでは、彼らを尋問するコミュニスト達の姿と、園芸学のようなものを講義するアメリカ人の市井のおばちゃん達の姿が交互に提示される。勿論これは、尋問されている兵士達の主観的な観点から見たシーンが描かれているわけだが、最初にこの映画を見た時には、見ている自分の頭までが混乱してきたのをよく覚えている。しかし実はこの映画が描く狂気性、或いはこのように言ってよければこの映画の狂気性は、この映画が製作された時期を考えてみるとある程度納得が出来る。というのも、当時はキューバミサイル危機が発生した頃※、すなわち東西冷戦が今まさにそのピークを迎え冷戦がひょっとすると冷戦ではなくなるかもしれないような危機的状況にあった頃であり、コミュニズムの存在に対するえも言われぬ恐怖感が最高潮に達していたのが丁度この頃であったからである。従って、この映画が今日の目から見ればどんなに狂気地味て見えたとしても、それはその当時の風潮が誇張された形で表現されたものであると見なし得る。「影なき狙撃者」が興味深いのはまさにこの点であり、1960年代初頭の危機的な政治状況が拡大鏡で何十倍にも肥大化されて呈示されているような印象がある。最近ジョナサン・デミによるリメイクがあったが、オリジナルと比べてそちらが全くチグハグに見える理由は、そのような歴史的コンテクストから離れて途方もないストーリーが語られているが故に、単なるおとぎ話にしか見えないからである。すなわち、東側ブロックが崩壊した後の21世紀になってコミュニズムをアーチエネミーとして取り上げることは出来ないにも関わらず、ストーリーの大筋が変わっていない為、コミュニズムという明瞭な焦点が存在しないという大きなほころびを起点としてあらゆる点でストーリー展開が齟齬を来たす結果になっているからである。

 さてそのような歴史的状況は別として、一歩間違えればハチャメチャであるとも取られかねない妄想的且つ幻惑的なストーリーをそれにもかかわらず説得力あるものにしているのは、やはりパフォーマンスの力である。その力は、ややミスキャスト気味のフランク・シナトラからではなく、自らが知らぬ間に暗殺者に仕立てあげられる兵士を演ずるローレンス・ハーヴェイから由来する。ローレンス・ハーヴェイという俳優は、外見上は派手に喜怒哀楽を表現することが全くなく、オーディエンスに対し感情移入をほとんど許さないようなタイプに見える。しかし、このたぐい稀なる俳優の持つ大きな特徴は、表面上はそのように冷淡に見えながら、時折見せるわずかな感情表現によって人を寄せ付けない外見の下に隠された孤独で抑圧された自己、傷つけられた自己というような感情的機微を恐ろしく効果的に垣間見せる能力を持っていることである。この映画では、支配欲の固まりのような母親に完全に情緒的領野を支配される人物を演じているが、この役はそのようなパーソナリティを持った彼でないと務まらない。たとえば珍しく興に乗って冗談を言った後で「自分にも冗談が言えた」などと馬鹿騒ぎして喜ぶシーンがあるが、ローレンス・ハーヴェイ以外の俳優がこのシーンを演じていたならば間違いなく素人芝居的に野暮ったいコメディになるところだが、彼が演ずるとそれ程までに母親に感情領域を支配され、心理的に徹底的に抑圧された人生を送ってきたことが極めて説得的に伝わって来る。言い換えると、レイモンドの情緒的領野は母親の影響で糸のように細い部分しか残されておらず、その彼をコミュニスト達がうまく料理するのは実に簡単なことであったということがローレンス・ハーヴェイという役者の持つ特異なパーソナリティにより実に効果的に伝わってくる。また、精神分析的表現を借りれば貪り食らう母親表象の権化のような母親を演ずるアンジェラ・ランズベリーの鬼気迫るパフォーマンスにも特筆すべきものがある。リメイクバージョンではこの役はメリル・ストリープが演じていたが、彼女の演技自体は悪くはなかったとしても、自分の息子の情緒領域までも貪り食らう母親というアンジェラ・ランズベリーの持っていた強烈なイメージがほとんどなく、単に理知的で攻撃的な面のみが強調されていたきらいがあり、殊にアンジェラ・ランズベリーのパフォーマンスと比較するとどうにも深みに欠けていた印象が否めない。それ程アンジェラ・ランズベリーの印象が強烈であったということである。

 というわけで、確かにこの映画は万人向きの映画であるとは言えないが、錯綜して途方もない中にも見る者の興味を強く惹き付けるパワーを持ち、サスペンスドラマとしては超一級品である。また忍び寄るキューバ危機の暗い影が映画全体に重くのしかかり、1つの歴史的な証言として見ることも可能である。付け加えておくと、ストーリーは、映画の終了によっては終っていないと考えるとより面白いかもしれない。何故ならば、汽車の中で彼に話かけてきて懇ろな関係になるジャネット・リーが偶然にしては余りにも美しすぎ、フランク・シナトラ演ずるマルコにもトリガーメカニズムが仕掛けられていると考えた方が自然だからである。それを考慮に入れると、リメイクはむしろオリジナルのオープンエンドな展開を受けた形での続編とした方がひょっとすると面白かったのではないかという印象がある。


※キューバミサイル危機は、1962年の冬に発生した事件であり、これは「影なき狙撃者」の公開年と重なる。従って、この映画が製作されていた時期は、まだキューバミサイル危機が発生する以前であったと考えられるが、キューバミサイル危機というクライマックスの13日間に至るまでに、それに至る兆候が現れていたことも間違いないところである。キューバミサイル危機に関しては、ロジャー・ドナルドソンの「13デイズ」(2000)という作品があり、映画自体も素晴らしいが、DVDに同時収録されている「キューバ危機」というドキュメンタリーを見ると、キューバ危機及びそれに至る迄の経緯が良く分かるので懐に余裕のある人は是非参考にされたい。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2001/03/11 by 雷小僧
(2008/10/16 revised by Hiroshi Iruma)
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