未知への飛行 ★★★
(Fail Safe)

1964 US
監督:シドニー・ルメット
出演:ヘンリー・フォンダ、ウォルター・マッソー、ダン・オハーリー、ラリー・ハグマン


<一口プロット解説>
核爆弾を搭載した米軍爆撃隊が、機械の誤動作の為に誤ってモスクワ爆撃指令を実行に移してしまう。

<雷小僧のコメント>
シドニー・ルメットという監督さんは、本当に観客を座席に釘付けにする術を心得ていますね。2時間近くの間、緊張感を持続させるのは相当困難なことであるように思いますが、この人のこの作品や「十二人の怒れる男」(1957)、「質屋」、「ネットワーク」(1976)等の作品はまさにこの困難なことをいとも簡単になし遂げています。余談になりますが、1970年を過ぎると映画の質(良い悪いの価値判断を除いての質です)が変わってしまって、かつての名匠達たとえばオットー・プレミンジャー、スタンリー・クレイマー、ビリー・ワイルダー等はうまくこの変化についていけなかったように思われるのに対し、ルメットはもともと現代的な感覚を持ってデビューした人で今現在でも活躍しているのはまさに当然とも言えるのではないでしょうか(因みにワイルダー、クレイマーはまだ存命中のようです)。
ところで、「未知への飛行」が公開された年にもう1つ同じ主題を扱った有名な映画が公開されました。それは言うまでもなく、スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964)です。この映画に関しては60年代の映画であるにもかかわらず、インターネット上でも記事が多いのでここで多くを語ることはしませんが、実は私目はこの有名な作品よりもこの「未知への飛行」の方が好きなのですね。1つには、「未知への飛行」は非常にシリアスな映画であるということがあるのですが、実はこの映画も「博士の異常な愛情」同様にある面において途方もなくあり得ないことを描いているのですね。あり得ないというのは、何かの間違いで核戦争が勃発するのがあり得ないと言っているのではなく、アメリカ大統領がどういう状況にしろニューヨークに核爆弾を投下するのはまずあり得ないだろうと言うことです。けれども、この映画の皮肉はこの点に存在していて、ストーリーがあり得なく思えれば思える程、そのことは次回核戦争が勃発すれば人類生存の確率が非常に低くなることを示していることになるからです。では、何故そういうことになるのでしょう。この映画が慧眼であるというのは、まさに次のことを見抜いている点にあると思います。
それは何かというと、人間がある別々の2つの集団を構成する時、この2つの集団の間のバランスが常に均衡していないと、遅かれ早かれそのバランスが取戻されるか、或いはその2集団から成るという構成に対し破局が訪れるかのいずれかになるであろうということがこの映画ではよく理解されているということです。従って、もし何かの間違いでどちらかの集団が相手集団によって損害が被らされた場合、それと同等の犠牲がその相手集団に対し加えられないと、事は絶対に納まらないということです。ヘンリー・フォンダ演じるところのアメリカ大統領は、このことをよく知っているのですね。そういうわけでニューヨークに核弾頭を投下するわけです。そうしないとアメリカとソビエトとという2集団の均衡が絶対に回復しないであろうということと、均衡が回復しなければそれは世界の破滅とイコールであるということがよく理解されているわけです。この方程式を延長すると、もしヘンリー・フォンダの決定が実際にはあり得ないように思えれば思える程、それは一度核戦争が勃発すれば世界の破滅が確実であるということが示されていることになります。つまり、核の怖さは、それ自体の破壊力もそうですが、一度それが行使されればそれによって与えられた損害を贖い、またそれによってもたらされた不均衡を回復することが何を持ってしても不可能であるという点にも存在するわけで、「未知への飛行」はこの後者の点を我々に実によく示してくれているということが言えるように思います。ルメットは社会派の映画監督であると言われていますが、ある意味で社会学者監督と言っても過言ではないのではないでしょうか。

1999/04/10 by 雷小僧
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