「安達が原」のユーケイ
佐藤和美
あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川
そう高村光太郎が「智恵子抄」で詠んだ安達太良山のふもとに安達ケ原は広がっている。
この安達ケ原に鬼婆が住むようになったのはいつごろのことだったろうか。もとは都に住んでいたのが、薬となる人の生肝を求めて放浪のすえ、この奥州安達ケ原にたどりつき、この地で鬼婆になったという。
ある日のこと、旅の僧がこの鬼婆の家に一夜の宿を借りた。夜が更けて、囲炉裏にくべる薪がなくなった。老婆は薪を取りに行って来るので、その間けして奥の部屋の中を見ては行けないと言ったが、旅の僧は約束を破って奥の部屋の中を見てしまう。そこには人骨、食いかけの人肉が散乱していた。旅の僧は驚いて逃げ出したが、後ろから鬼婆が追いかけて来た。
「よくも約束をやぶって見たなあ」
旅の僧はすがる思いでお経を唱えると、鬼婆は突然倒れ、その命が絶たれていたという。
鬼婆を倒したこの旅の僧の名は「祐慶」(ゆうけい)であったという。
なお、鬼婆を葬った墓を黒塚という。「アンニー・黒塚」の「黒塚」である。
(2000・1・10)
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