『イシ』とイシ

佐藤和美

 手塚治虫の「原人イシの物語」は講談社版全集では『タイガーブックス』2巻に収録されている。

 「原人イシの物語」は岩波書店から出版された『イシ 北米最後の野生インディアン』をもとにしたと思われる。この本は現在は岩波書店の同時代ライブラリーに収められている。作者はクローバー教授の妻シオドーラ・クローバーである。

 それでは『イシ 北米最後の野生インディアン』に基づいて、イシの行動を追ってみよう。

 イシが人前に現れたのは1911年8月29日だった。この野生インディアンがどの部族に属するのか調査をしたのがウォーターマンである。ウォーターマンは「原人イシの物語」では悪役にされている。「シウィニ」(黄肌の松)という単語をきっかけにその野生インディアンがヤナ族のうちのヤヒ族であることがわかった。
 この野生インディアンは自分では名を名のらなかった。そのためクローバー教授がヤナの言葉で「人」を意味する「イシ」と名づけた。

 1914年5月、イシはクローバー教授、ウォーターマン達と故郷へ帰った。その故郷でイシは家族と密かに暮らしていたが、白人に見つかり、そのとき母、「妹」とはなればなれになった。母と「妹」はその後行方不明である。その白人をウォーターマンの父としたのは、手塚治虫の創作である。

 「原人イシの物語」の扉絵は『手塚治虫全史』(秋田書店)などで見ることができる。この絵のもとになった写真は岩波同時代ライブラリー版『イシ』の312ページに掲載されている。その写真の説明は次のようになっている。
「木の枝の先端に骨か角製の二叉をとりつけてしばり、鮭用のやすをつくる」
この写真はイシがこのとき故郷へ帰ったときのものである。
扉絵では「イシ」のスペルが「ISCHI」となっているが、実際は「ISHI」である。

 イシが死んだのは1916年3月25日、結核によってだった。「原人イシの物語」では1916年3月15日となっている。これはミスプリントだろう。

 イシの最後の言葉は
「あなたは居なさい、ぼくは行く。」
だったという。

(1998・12・26)


Copyright(C) 1998 Satou Kazumi

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