福沢諭吉「福翁自伝」を読む

佐藤和美

 福沢諭吉は中津藩出身で大坂の緒方洪庵の塾(適塾)に入ったが、晩年に書いた「福翁自伝」で適塾の思い出にふれている。手塚治虫は「陽だまりの樹」を書くときに、「福翁自伝」を参考資料としてそのなかのいくつかのエピソードを取り入れている。「福翁自伝」はいくつかの章からなっていて、章はさらに項目に分かれている。以下で、適塾のことを書いた「緒方の塾風」の章の項目から、手塚治虫の取り入れたエピソードをひろってみよう。

「塾生裸体」 塾生は刀を共有物のようにしていたという話がある。
「裸体の奇談失策」 福沢諭吉の失敗談。呼ばれて裸で出たら、緒方洪庵の奥さんだったという話。
「不潔に頓着せず」 虱などの話。
「豚を殺す」 ブタを殺した礼にその頭をもらい、解剖した後に食べたという話。
「難波橋から小皿を投ず」 難波橋から船に向かって小皿を投げた話。
「自身自力の研究」 適塾での会読の話。割り当てられたところができれば白丸、できなければ黒丸。
「工芸技術に熱心」 アンモニア作成の話がある。アンモニアの匂いは強烈で落ちにくく、近所から苦情がきた。その後、一部の者が船の上でアンモニアを作った。

 それでは、以下、手塚の登場する「緒方の塾風」の「遊女の置手紙」の全文を紹介しよう。

  「遊女の置手紙」

 それから塾中の奇談をいうと、そのときの塾生は大抵みな医者の子弟だから、頭は坊主か総髪で国から出てくるけれども、大阪の都会に居る間は半髪になって天下普通の武家の風がしてみたい。今の真宗妨主が毛を少し延ばして当前の断髪の真似をするような訳けで、内実の医者坊主が半髪になって刀を挟(さ)して威張るのを嬉しがっている。そのとき江戸から釆ている手塚という書生があって、この男はある徳川家の藩医の子であるから、親の拝領した葵の紋付を着て、頭は塾中流行の半髪で太刀作の刀を挟してるという風だから、如何にも見栄があって立派な男であるが、如何も身持ちが善くない。ソコデ私がある日、手塚に向かって「君が本当に勉強すれば僕は毎日でも講釈をして聞かせるから、何はさておき北の新地に行くことは止しなさい」と言ったら、当人もその時は何か後悔したことがあるとみえて「アア新地か、今思い出しても忌(いや)だ。決して行かない」「それなら吃度(きっと)君に教えてやるけれども、マダ疑わしい。行ないという証文を書け」「宜しい、如何なことでも書く」と言うから、云々(しかじか)今後きっと勉強する、もし違約をすれは坊主にされても苦しからず、という証文を書かせて私の手に取って置いて、約束の通りに毎日別段に教えていたところが、その後手塚が真実勉強するから面由くない。こういうのは全く此方(こっち)が悪い。人の勉強するのを面白くないとは怪(け)しからぬことだけれども、何分興がないから窃(そっ)と両三人に相談して「彼奴(あいつ)の馴染の遊女は何という奴か知ら」「それはすぐにわかる、何々という奴」「よし、それならば一つ手紙をやろう」と、それから私が遊女風の手紙を書く。片言交りにあれらの言いそうなことを並べ立て、何でもあの男は無心を言われているに相違ないと推察して、その無心は、吃度麝香(じゃこう)をくれろとか何とか言われたことがあるに違いないと堆察して、文句の中に「ソレあのとき役足(やくそく)のじゃこはどておます」というような、判じて読まねば分らぬようなことを書き入れて、鉄川様何々よりと記して手紙は出来たが、しかし私の手蹟(テ)じゃ不味(まず)いから、長州の松岡勇記という男が御家流で女の手に紛らわしく書いて、ソレカラ玄関の取次をする書生に言い含めて「これを新地から来たと言って持って行け。しかし事実を言えば打(ぶ)ち撲(なぐ)るぞ。宜しいか」と脅迫して、それから取次が本人の所に持って行って「鉄川という人は塾中にない、多分手塚君のことと思うから持って来た」と言って渡した。手紙偽造の共謀者は、その前から見え隠れに様子を窺うていたところが、本人の手塚は一人で頻りにその手紙を見ている。麝香の無心があったことか如何か分らないが、手塚の二字を大阪なまりにテツカというそのテツカを鉄川と書いたのは、高橋順益の思い付きでよほど善く出来てる。そんなことで如何やらこうやら、遂に本人をしゃくり出してしまったのは罪の深いことだ。二、三日は止まっていたが果してやって行ったから、ソリャ締めたと共謀者は待っている。翌朝帰って平気でいるから、此方も平気で、私が鋏を持って行ってひょいと引捕えたところが、手塚が驚いて「どうする」と言うから「どうするも何もない、坊主にするだけだ。坊主にされてまた今のような立派な男になるには二年ばかり手間が掛るだろう。往生しろ」と言って、髻(もとどり)を捕えて鋏をガチャ/\いわせると、当人は真面目になって手を合わせて拝む。そうすると共謀者中から仲裁人が出て来て「福沢、余り酷(ひど)いじゃないか」「何も文句なしじゃないか、坊主になるのは約束だ」と問答の中に、馴合(なれあい)の中人がだん/\取り持つような風をして、果ては坊主の代りに酒や鶏を買わして、一緒に飲みながらまた冷かして「お願いだ、もう一度行ってくれんか、また飲めるから」とワイワイ言ったのは、随分乱暴だけれども、それがおのずから切諌(イケン)になっていたこともあろう。

(1999・09・25)
(2000・04・12)


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