手塚治虫ショート・ショート(『鉄腕アトム』)

佐藤和美

アトム、お茶の水博士、天馬博士の生まれた年

 アトムはいつ生まれたのだろうか。
 アトムの誕生日が書かれているのは、「鉄腕アトム・ミーバ」である。だが、これも調べてみると種類によって変動がある。発行順にならべてみるとこうなる。

2013年4月7日 小学館ゴールデンコミックス
2003年4月7日 朝日ソノラマサンコミックス
2003年4月7日 講談社全集

最も古いゴールデンコミックス版では2013年だったのが、サンコミックス版以降2003年になっている。今ではアトムの誕生年は2003年が定説になっているが、その2003年というのも、これくらいいいかげんなのである。

 次はお茶の水博士の生まれた年である。
「鉄腕アトム・火星から帰ってきた男」でお茶の水博士の生まれた年がわかる。
「火星から帰ってきた男」の冒頭で、アトムが18回目のクリスマスだと言っている。このことから、この話はアトムが生まれてから17年後のことだとわかる。(アトムは4月生まれなので、18回目のクリスマスは17年後である。)
次に新聞記事であるが。お茶の水博士が68歳だとわかる。
で、アトムの誕生年を2003年として、お茶の水博士の誕生年を計算すると、
2003+17-68=1952
で、お茶の水博士は1952年生まれということになる。

 さて、天馬博士はいつ生まれたのだろうか。
 天馬博士は丙午(ひのえうま)の生まれである。(「アトム大使」、「アトム今昔物語」による。)20、21世紀の丙午は1906、1966、2026、2086年の4回である。アトム誕生の時期(2003年または2013年)を考えると、天馬博士は1966年生まれということになる。

(1999・06・13)


トビオの交通事故のあった年

 アトム誕生のきっかけとなったトビオの交通事故は何年にあったのだろうか。
 アトムの誕生年には2003年、2013年二つの説があるが、以下2003年説を使用することにする。

 朝日ソノラマのサンコミックス版のプロローグ「アトム誕生」では、、トビオの交通事故は2003年の事だとしている。交通事故があったのが1月上旬だとしても、アトムの誕生日4月7日まで三ヶ月しかない。このような短期間で、アトムのようなロボットを作れるのだろうか。

 「アトム今昔物語」では、トビオの交通事故からアトムの誕生まで、2年余りの年月がたっている。(「アトム今昔物語」講談社全集版第2巻P138)そうするとトビオの交通事故は2001年だったことになる。

 アトム誕生の後、天馬博士がアトムが成長しないのに気がついたのは、その誕生から何年後のことだったろうか。すくなくとも2003年中のことではなかっただろう。その後、アトムはサーカスに売られていくのだが、「アトム大使」は2003年の数年後の話だろう。

(2000・1・10)


十万馬力と五百万ダイン

 アトムの力といえば十万馬力(のち、百万馬力)ということになっているが、アトムの最初のエピソード「アトム大使」では実はアトムは五百万ダインの力を持っているという設定になっていた。その後もロボッティングでは「ダイン」という単位が使われている。オメガ因子を組み込んだロボットのアトラスは1500万ダインだった。
(「アトム大使」でのアトムの力は、朝日ソノラマのサンコミックス版から十万馬力に訂正されている。)

 ダインと馬力はどういう単位なのだろうか。

 現在、世界で使われている単位系はSI(国際単位系)であり、そのSIでの力の単位は「ニュートン」([N])である。ダインはSI以前のCGS単位系での力の単位である。
 ダインとニュートンの関係は次のようになる。
1[dyn]=10-5[N]
五百万ダインは50ニュートンである。「アトム大使」でのアトムは50ニュートンの力を持っているという設定だったのである。

 さて、馬力はどういう単位だろうか。これはSIでいえばワットに相当する。蒸気機関で有名なジェームズ・ワットの考案した単位である。イギリスとフランスで少しだが差がある。
仏(フランス)馬力は
1[PS]=735.5[W]
英(イギリス)馬力は
1[hp]=745.7[W]
十万馬力をワットに換算すると、仏馬力で7355万ワット、英馬力で7457万ワットである。

(1999・12・12)


ジェット噴射とロケット噴射

 アトムはジェット噴射で空を飛ぶが、「鉄腕アトム」をテレビ放映中にアトムが宇宙を飛ぶシーンがあり、「ジェット噴射では宇宙を飛べない」と投書がきたそうである。

 これに対する返事なのか、手塚治虫は鉄腕アトムクラブに掲載した「悪役たちのロボット」で、悪役たちの作ったロボットと宇宙空間で戦ったときに、アトムにこう言わせている。
「ジェット噴射は空気のないところでは役に立たないんだよ
(中略)
ぼくは宇宙ではロケット噴射にきりかえてるんだい」

 「キャプテンKen」でアロー号は地球から火星へ行くのに、宇宙空間を飛んでいく。この推進力だが、講談社全集版では「フルロケットエンジン」であるが、少年サンデー・虫コミックスでは「フルジェットエンジン」だった。アロー号もまた時代の流れの中で推進力がジェットからロケットへと変わっていったのである。

(1999・11・03)


お茶の水博士の家系

 お茶の水博士は猿田一族である。以下でそれを検証してみよう。

 虫プロ版「火の鳥・黎明編」に次の記述がある。
「この物語の中では 猿田彦は ただの防人ではあるが お茶の水博士の先祖ということになっている」

(ただし、この部分は後の朝日ソノラマ版等では次のように変更されている。
「この物語の中では 猿田彦は ただの防人ではあるが かれの子孫は、物語全体を通じて、いずれも重要な役割をもつようになるのである。」)

 これでお茶の水博士の先祖が猿田彦だということがわかった。では子孫はどうだろうか。

 「鉄腕アトム・テストパイロット」にお茶の水博士の子孫が顔をだしている。その顔と「火の鳥・復活編」のラストの猿田博士の顔を比べてみるがいい。その顔は猿田博士そのものである。お茶の水博士の子孫もまた「猿田」なのであった。

 そして「火の鳥・太陽編」(雑誌版)では、お茶の水博士自身が猿田の兄として登場していた。

 つまり、お茶の水博士は猿田一族なのである。

 もし「火の鳥・アトム編」が描かれていたら、猿田一族であるお茶の水博士が主役になっていたのではないだろうか。

(1999・08・14)
(1999・09・10)
(2000・04・09)


ヒゲオヤジの別名

 虫プロで作成されたアニメ「鉄腕アトム」をアメリカに輸出するときに、登場人物の名などにいろいろ変更がくわえられている。「アトム」はアメリカの俗語で「オナラ」のことなので「アストロボーイ」に変更された。「ウラン」は「アストロガール」、「お茶の水博士」は「ドクター・エレファント」、そして、「ヒゲオヤジ」は「ミスター・パンパス」という名になった。

 ヒゲオヤジは数多くの手塚作品に登場している。手塚治虫の代表作の一つ「ブッダ」にも登場している。ここでのヒゲオヤジの役名は「パンパス刑事」である。

 「ブッダ」でのヒゲオヤジの役名の「パンパス刑事」というのは、アメリカでの名前が逆輸入されてつけられた名前だったのである。

(1999・08・18)


薬のききめ

「ききめが永久につづく薬なんてあるか!!
なんにだって有効期限はあるんだ」
「のび太の宇宙小戦争」(藤子不二雄(藤本弘))のドラえもんのセリフである。この作品では薬の有効期限がクライマックスの伏線になっているのである。

 それでは薬の有効期限について、手塚作品で見てみよう。

 「ビッグX」ではビッグXの薬がこぼれて地下に染み込んでしまい、ジャガイモの怪物キング・ガレアが誕生する。ところでキング・ガレアはいつまでたってもビッグXの薬の有効期限がこない。手塚治虫は薬のききめがきれることを忘れてしまったようだ。キング・ガレアは昆虫好きの手塚治虫らしい最後を迎える。

 「アトム大使」では天馬博士が生物を小さくする薬を発明し、この薬を使って次々と宇宙人を消し去っていく。だが最後にはこの薬を自分自身にかけられてしまい消滅する。しかしこの薬もやがて有効期限がきたようだ。天馬博士は元の大きさになって再登場する。しかし他の薬をかけられた人は元にもどっていない。どうやら薬の有効期限がきたのは天馬博士だけだったようだ。

(2000・3・17)


「鉄腕アトム」次の巻は


 「鉄腕アトム」は短いエピソード集として描かれたが、一つ一つのエピソードは繋がっているものもある。以下、それらを見ていってみよう。

 「火星探検の巻」の次は「コバルトの巻」である。
雑誌版「コバルトの巻」の冒頭は火星から帰ったアトムの乗った飛行機が日本に到着するところから始まっていた。飛行場でのアトムのお茶の水博士への言葉はこうである。
「博士からいただいたおまもりぶくろのおかげでぼくはたすかった!」
 その後アトムはコバルトとともに海底の水爆を探すのだが、真空管がきれかかってしまう。そのときのアトムの言葉はこうである。
「火星から帰ってきてから、からだを整備しなかったんでね 無理がたたったらしいよ」
 「火星探検の巻」の次は「コバルトの巻」である。

 「エジプト陰謀団の秘密の巻」の次は「ガデムの巻」である。
「エジプト陰謀団の秘密の巻」はエジプトを舞台としてその幕を閉じる。次の「ガデムの巻」はアトムがエジプトから船で日本に帰るところから始まる。
 「エジプト陰謀団の秘密の巻」の次は「ガデムの巻」である。

 「メラニン一族の巻」の次は「ミーバの巻」である。
「メラニン一族の巻」はアフリカを舞台としてその幕を閉じる。次の「ミーバの巻」はアフリカの砂漠から始まる。
 「メラニン一族の巻」の次は「ミーバの巻」である。

(2000・05・20)


「鉄腕アトム・人工太陽球」の「私の太陽」

 「鉄腕アトム・人工太陽球」でアトムは人工太陽球をコントロールするために「私の太陽」という曲を弾いた。それでは「私の太陽」とはどういう曲なのだろうか。

イタリア民謡に「オー ソレ ミオ」という曲がある。
イタリア語で意味は
「オー」 「オー」
「ソレ」 「太陽」
「ミオ」 「私の」
つまり「私の太陽」である。

アトムが人工太陽球をコントロールするために弾いたのは「オー ソレ ミオ」だったのである。

(1999・01・25)


「鉄腕アトム・赤いネコ」のランドセル

 「鉄腕アトム・赤いネコ」で動物たちの反乱が起こり、アトムは子供たちを家へ送りとどけるために。大きな箱のようなものに子供たちを入れ飛びたつが、鳥に襲われるという場面がある。
 このとき、突然ランドセルが飛んできてアトムの頭にかぶさり、アトムはビルの壁に激突してしまう。この突然飛んできたランドセルはいったいなんなのだろうか。

 ここでは省略されている場面があるため、突然ランドセルが飛んできたように見えるのである。
 この箱の中にはタマオがいた。タマオはアトムに鳥を追い払うようにいわれてランドセルで鳥を追い払おうとするが、はずみでランドセルがはねとばされてしまってアトムの頭にかぶさってしまうのである。

 アトムがビルにつきささり、子供たちを乗せた箱は動物たちのまっただなかに落ちてしまったが、タマオは自分がおとりになり、子供たちを逃がすことに成功する。このとき捕まったのはタマオだけであった。

(2000・2・5)


「鉄腕アトム・ミドロが沼」のトカゲ

 ミドロが沼のトカゲはどこから来たのだろうか。

このことに関しては、講談社全集版「鉄腕アトム」で、お茶の水博士はヒゲオヤジに次のように言う。

「そうか ヒゲオヤジくん 信じられんじゃろうがこんな話がある
時航機を発明した男がおる」
「時航機?」
「そこで偶然わしとアトムはその男に時航機にのっけてもらってむかしの世界へ行った……と思いたまえ」
「思いませんな」
「前世紀の世界で出会ったのがこのトカゲじゃ
こいつは前世紀で人間のように世界にはびこっておった
第一に考えられるのはそのトカゲが時航機に密航して現代の世界へのりこんできたということじゃ
しかも夫婦でだ 悪いことにトカゲはすぐ子どもを生んでふえる」

 お茶の水博士とアトムは「タイムパイロット」の巻で、お茶の水博士の子孫に過去の世界・前世紀に連れて行かれる。その戻って来るときに、トカゲはタイムマシンにまぎれこんでついてきてしまったというのである。

 こういう設定になっているのは、講談社全集版だけである。講談社全集版の「鉄腕アトム」のみが、ほぼ発表順に作品が収録されている。その強みであろう。

(1999・09・05)


「鉄腕アトム・ロボット爆弾」の代筆

 「鉄腕アトム・ロボット爆弾」は雑誌「少年」に昭和31年12月号から昭和32年8月号まで連載された。そのうち32年7月号が内野純緒という人の代筆になっている。

 この号ではメイスンの人質になっていたタマちゃんが救出されるエピソードが描かれている。助けたのは桑田船長(海底でロボット爆弾に捕まっていた人。講談社全集版では名前が出てこないし、メイスンとも無関係に変更されている。)である。桑田船長はメイスンの部下だったのだが、裏切ってタマちゃんを助けたのだった。

 手塚治虫は単行本化するときには、いつも代筆部分には手を入れていた。「ロボット爆弾」の代筆部分にも手を入れ、現在ではアトムが金の仏像になって、タマちゃんを助けに行くように変更されている。ただしこの変更は中途半端で、メイスンのアジトから脱出するところは描かれていない。いつの間にか脱出していたという具合である。

 現在でも代筆部分は若干であるが残っている。アトムが金の仏像になってタマちゃんを助けた後、メイスンが金貨プールに行こうとするあたり(「鉄腕アトム」講談社版全集4巻P56)である。メイスンの顔をよく見ると、手塚治虫のタッチではない。

(1998・11・07)


石森章太郎の代筆

 有名な話であるが、「鉄腕アトム・電光人間」は石森章太郎が手つだっている。「手つだいたのむ」の電報で呼び出された石森章太郎は、カンヅメ先の旅館で待った。だが、待っていても、原稿は少しずつしか来なかった。石森章太郎は当時高校生で期末試験があったため、できている分の手塚治虫の下書きの原稿を持って帰郷した。そして「期末試験をうけながら、その原稿にペンいれをした。背景だけではものたらず、人物までいれて、返送した。」(石ノ森章太郎「石ノ森章太郎の青春」小学館文庫)

 これには後日談がある。石森章太郎は次のように書いている。
「よく月、発売された「鉄腕アトム」”電光人間の巻”は、背景はそのままだったが、人物はかなりの部分、描きなおされていた。
 はりきりすぎの好意が、かえって手塚先生のよけいな手間というあだになってしまったと、悔やんだ。
 その後、二度と手つだいの依頼がなかったところをみると、あれでよほどこりられたのだろう。」(「石ノ森章太郎の青春」)

 石森章太郎は手塚治虫からは二度とマンガの手つだいを頼まれることはなかったのである。

(編集者から「ぼくの孫悟空」の代筆を頼まれたことはあった。石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)の4人で代筆したのだが、その後、手塚治虫本人の原稿が完成したため、4人の描いた原稿は雑誌には載らなかった。この原稿は今では「ある日の手塚治虫」に収録されていて、見ることができる。)

 後の話である。
 トキワ荘メンバーのうち、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)、つのだじろう、鈴木伸一の6名でスタジオ・ゼロという会社をつくった。
 このスタジオ・ゼロに虫プロから舞い込んだ仕事というのが「鉄腕アトム・ミドロが沼」のアニメ制作である。

 これについて、石森章太郎は次のように書いている。
「藤本が描いた。安孫子が描いた。角田が描いた。赤塚が描いた。ボクが描いた。
 ……鈴木アトムが出来た。藤本アトムが出来た。安孫子アトムが出来た。角田アトムが出来た。赤塚アトムが出来た。石森アトムが出来た……。
 ……二度と”注文”が来なかった。
 後でなおすのが大変だった、と聞く。まァ当然の結果と言えるだろう。」(石ノ森章太郎「トキワ荘の青春」講談社文庫)

 アニメでも二度と手つだいを頼まれることはなかったのである。

(1999・08・10)


アトムは空を飛べるか

 アトムは空を飛べるだろうか。

 なにをいまさらと思われるかもしれないが、実は最初の「アトム大使」(「少年」版)では、アトムは空を飛べる設定にはなっていなかったのである。その証拠をお目にかけよう。最初の「アトム大使」(講談社全集版「鉄腕アトム」第1巻収録)のラスト近く、アトムが大使として宇宙船に向かうのにどのように行くか見ていただきたい。大砲の弾となって、飛ばされて行くのである。
(のちの書き直された「アトム大使」(「漫画少年」版、講談社全集版「鉄腕アトム」以外の収録)では、アトムが自らジェット噴射で飛んでいくように書き直されている。)

 アトムが飛べるように設定変更されたのは、「アトム大使」の次の「鉄腕アトム」となった第1作「気体人間」からである。気体人間を倒すためには、成層圏に行かなければならないが、ここでアトムはケン一に自分の手が噴射機になっていることを告げる。アトムは飛ぶ実演をして見せるが、着陸するときに、噴射でケン一の頭を地面にめりこませてしまい、そこを見ていたアトムの父に怒られてしまう。
「そんなに空をとびたけりゃとべ、ぜったいにおりちゃいかんぞ」
こうして、アトムは泣きながら空を飛び続けるのだった。
 現行版ではアトムの父が怒ったのは、貯水池の事件に関してに変更されている。今では、読むことができないエピソードである。

 「気体人間」ではまだアトムは手で噴射するだけで、足では噴射していない。アトムもケン一に「きみだけにはなすがぼくの手はふん出器なんだよ」というだけである。ここでの設定では手だけが噴射機なのである。足でも噴射するようになるのは、のちの話である。
 講談社全集版「鉄腕アトム」はほぼ発表順に収録されているが、これで調べてみると、初めて足で噴射するシーンが描かれているのは「火星探検」である。

(1999・09・16)


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