は行音について


佐藤和美


 室町時代に次のようななぞなぞがあった。

 ははには二たびあいたれども ちちには一度もあわず

 答えは「くちびる」である。

 現在「はは」と発音しても、「ちち」と発音しても、くちびるは1度もあわない。

 これは国語学上貴重な資料といわれ、この時代の「は」行音の子音が「h」でなかったことの証拠の一つとされている。「はは」はくちびるの二度あう音「ファファ」φaφaだったのである。(日本人の発音する「ファ」の子音はφであって、fではない)

 「は」行音の子音は奈良時代以前はpだった。それが奈良時代にはφになっていた。さらには江戸時代初期にhに転化した。例をあげるなら「葉」は古くは「パ」paで、「ファ」φa、「ハ」haと変わっていったのである。

 「川」は新仮名では「かわ」だが、旧仮名では「かは」である。「かは」も古くは「カパ」kapaで、それが「カファ」kaφaに変わったのだが、「カハ」kahaには変わらなかった。それは平安時代末期に「は」行転呼音と呼ばれる現象がおこったためである。それは語頭以外の「は」行音の子音がφからwに転化した現象である。このことによって「カファ」kaφaが「カワ」kawaになった。語頭の「は」行音の子音がφからhに変わったのは、前にも書いたとおり江戸時代初期のことである。

  奈良時代以前 奈良時代 平安時代末期 江戸時代初期
語頭 φ φ
語頭以外 φ
pa φa φa ha
kapa kaφa kawa kawa


 日本語の歴史をつらぬく基本法則に唇音退化の法則がある。つまりくちびるを使って発音する音が退化していったということなのだが、「は」行音はそのよい見本なのである。

参考資料
小松秀雄『日本語の音韻』中央公論社

(1987・7・7)


(注1)
「p」:両唇破裂音
「φ」:両唇摩擦音
「h」:声門摩擦音
「f」:唇歯摩擦音

(注2)
「フ」は「φu」のままで「hu」に変わらなかった。現在ヘボン式ローマ字で「フ」を[fu」と表記するのはその名残である。「ヒ」は[hi]からさらに発音が変わった。現在の「ヒ」は発音記号では「hi」ではない。(JISコードにない)

(注3)
「言葉・思いつくままに」より。

「「母(はは)」の発音」(2006/09/18)

「母(はは)」の発音については「は行音について」で書いたことがありますが、実はこれではふれていないことがあります。

小学館『日本国語大辞典』からです。

はは【母】
語誌
(1)ハ行子音は、語頭ではp→φ→h、語中ではp→φ→wと音韻変化したとされる(φは両唇摩擦音。Fとも書く)。これに従えば、「はは」はpapa→φaφa→φawa→hawaとなったはずで、実際、ハワの形が中世に広く行なわれたらしい。仮名で「はは」と書かれたものの読み方がハハなのかハワなのかは確かめようがないが、すでに一二世紀の初期から一1の挙例「古本説話集」「法華経単字」「日蓮遺文」など、「はわ」と書かれた例が散見されるから、川のことを「かは」と書いてカワと読むごとく、「はは」と書いてハワと読むことも少なくなかったと考えられる。キリシタン資料を見ると、「日葡辞書」ではFafa(ハハ)とFaua(ハワ)の両形が見出しにあるが、「天草本平家」などにおける実際の用例ではハワの方が圧倒的に多い。
(2)一七世紀初頭までは優勢だったハワが滅んで、現代のようにハハの形のみが用いられるようになったのには、次のようないくつかの原因が考えられる。(イ)他の親族名称、チチ・ヂヂ・ババからの類推が働いた。すなわち、これらの親族名称は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハである。(ロ)江戸時代には、日常の口頭語で母を意味する語としては、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供が小さいときに耳で覚える語ではなく、大人になってから習得する語になっていた。(ハ)江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による。

「母(はは)」の発音の歴史はいろいろ複雑なようですね。


「人は「かか」と笑うか?」(2007/06/03)

人はハ行音で笑うといいます。

「ははは」
「ひひひ」
「ふふふ」
「へへへ」
「ほほほ」

さて時代小説などにでてくる表現ですが、「呵呵(かか)と笑う」というのがあります。人は「かか」と笑うのでしょうか?

『大辞林』
かか【呵呵】(副)
大声で笑うさま。あはは。

まずは「は行音について」を読んでください。

「呵」のピンインは「he」です。つまり「呵呵」は現在の日本語では「かか」ですが、もとはハ行音の笑い声だったんですね。

「呵」の中国語での発音の変遷です。
(藤堂明保編『学研漢和大字典』による)
har → ha → ho → h(hē)


「駒のいななき」(2007/06/09)

馬の鳴声は現在では一般的には「ヒヒ−ン」です。ハ行音の発音の変遷は「は行音について」にまとめてありますが、昔は今の「ヒ」という音はありませんでした。では馬の鳴声の擬音語はどのようだったのでしょうか?

山口仲美編『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社)の「ひひーん」の項にはこうあります。

「馬の鳴き声を「ひ」で始まる音で写すようになるのは江戸時代後期から。それ以前のハ行音は現在のようなhの音ではなかったので「い」で写された。」

岩波文庫の橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』に「駒のいななき」という数ページの文章が収録されています。(著作権が切れてるので青空文庫にもあります。http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/396_21658.html)

「駒のいななき」は馬の鳴き声の擬音語の変遷を考察したものです。その中で『万葉集』時代の馬の鳴き声についてふれているところがあるので引用してみましょう。

「『万葉集』巻十二に「いぶせくも」という語を「馬声(イ)蜂音(ブ)石花(セ)蜘(クモ)」と書いてあって、「馬声」をイに宛て、「蜂音」をブに宛てたのをみれば、当時の人々は、蜂の飛ぶ音をブと聞いたと共に、馬の鳴声をイの音で表わしていたのである。」

「いななく」は馬専用に使います。豚がいななくとか、牛がいななくとは言いません。「いななく」にはいくつか語源説があるのですが、「いななく」の語頭の「い」は「馬声」だろうというのはほぼ共通しています。


「ひんひん」(2007/06/10)

山口仲美編『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社)に「ひんひん」の項があるのを見逃してました。

ひんひん
「馬の鳴き声。江戸時代の中頃から「ひんひん」と「ひ」の音で写すようになった。」
「江戸時代の中頃までは、馬の鳴き声は「い」「いん」と、「い」音で聞いていた。ハ行子音が現在の[h]ではなく、[F]音だったため、実際の馬の声に近いのは、「ひ[Fi]=フィ」ではなく、「い[i]」の方だった。奈良時代には「馬声」と書いて「い」と読ませた例があり、馬の声が「い」だったことがわかる。馬の声「い」に「鳴く」を付けて出来た「いなく」の語もある。平安時代には、馬の声は「いう」と表記され、「いん」に近い音で発音していた。「いうといななきて引き離れていぬべき顔したり」(落窪物語)。「いななく」の語も、「いん」という馬の声に「鳴く」を付けて出来たもの。」

『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(2003年)の『落窪物語』の引用ですが、「駒のいななき」(1944年)にはこのようにあります。

「それでは、馬の鳴声をヒまたはヒンとしたのはいつからであろうか。これについての私の調査はまだ極めて不完全であるが、私が気づいた例の中最も古いのは『落窪物語』の文であって、同書には「面白の駒」と渾名(あだな)せられた兵部少輔(ひょうぶのすけ)について、「首いと長うて顔つき駒のやうにて鼻のいらゝぎたる事かぎりなし。ひゝと嘶(いなな)きて引放(ひきはな)れていぬべき顔したり」と述べており、駒の嘶きを「ひゝ」と写している。これは「ひ」がまだfiと発音せられた時代のものである故、それに「ヒヽ」とあるのは上の説明と矛盾するが、しかしこの文には疑いがあるのである。すなわち池田亀鑑(いけだきかん)氏の調査によれば、ここの本文が「ひゝ」とあるのは上田秋成(うえだあきなり)の校本だけであって、中村秋香(なかむらしゅうこう)の『落窪物語大成』には「ひう」とあり、伝真淵(まぶち)自筆本には「ひと」とあり、更に九条家旧蔵本、真淵校本、千蔭(ちかげ)校本その他の諸本には皆「いう」となっている。そのいずれが原本の面目を存するものかは未だ判断し難いが、「いう」とある諸本も存する以上、これを「ひゝ」または「ひう」であると決定するのは早計であって、むしろ、現存諸本中最も書写年代の古い九条家本(室町中期の書写)その他の諸本におけるごとく、「いう」とある方が当時の音韻状態から見て正しいのであるまいかと思われる。そうして「いう」の「う」は多分現在のンのごとき音であったろうから、「いう」はヒンでなく、むしろインにあたるのである。」

この部分、校訂は「いう」で決着したようですね。



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