『鉄腕アトム』「赤いネコ」と『武蔵野』



佐藤和美


 手塚治虫の『鉄腕アトム』「赤いネコ」は1953年(昭和28年)に発表されたエコロジーをテーマにした先駆的作品である。(今年(1997年)も諫早湾干拓などいろいろあったが、1953年の時点でエコロジーをマンガのテーマにするというのがすごいと思う)「赤いネコ」では、最初と最後に国木田独歩の『武蔵野』が効果的に使われている。
「プロローグ」

武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない

ただその道をあてもなく歩くことで満足できる

その道はきみをみょうなところへみちびく……

もし人に道をたずねたら……

その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない

その道は谷のほうへおりていく

武蔵野にはいたるところ……

谷があり 山があり 林がある

頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である

「エピローグ」

武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない

ただその道をあてもなく歩くことで満足できる

その道はきみをみょうなところへみちびく……

そこは森の中の古い墓場… こけむした石碑がさびしくうずもれているだろう

頭の上で鳥がないていたらきみの幸福である

 国木田独歩は明治時代の作家で(1871〜1908)、『武蔵野』は1898年(明治31年)に発表された。発表当時の武蔵野の季節の移り変わりを描写した作品である。文庫本で25ページほどの小品である。
 それでは実際にこれと全く同じ部分が国木田独歩の『武蔵野』にあるかというと実はないのである。実際には次のようである。
武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。

ただこの路をぶらぶら歩いて思いつき次第に右し左すれば随所にわれらを満足さするものがある。

あるいはその路が君を妙なところに導く。これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前に少しばかりの空地があって、その横の方に女郎花(おみなえし)など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。

もし萱原の方へ下りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。

もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真ん中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねて見たまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃に問いたまえ。鷹揚に教えてくれるだろう。怒ってはならない。これが東京近在の若者の癖であるから。

(国木田独歩『武蔵野』岩波文庫 P17〜18)

 手塚治虫は正確には引用していないのがわかる。これは手塚治虫がマンガにあうように、時代にあうように、そしてこどもがわかりやすいように変更したためと思われる。

テクスト
手塚治虫『鉄腕アトム』1 手塚治虫漫画全集 第1刷 講談社 1979.10.20
国木田独歩『武蔵野』岩波文庫 第52刷 1986.10.20

(1997・10・30)




Copyright(C) 1997 Satou Kazumi

BACK