旧国名について




両国

佐藤和美 (98/05/21 21:00)

 ところで、今、両国で相撲をやってますね。

両国という地名の由来ですが、あのあたりは「武蔵」(むさし)と「下総」(しもうさ)のくにざかいにあたるところで、両方の国ということで、両国という地名がつきました。両国橋という橋があって、この橋が「武蔵」と「下総」をつなげていたそうです。これが両国という地名のもとになったのですね。

 両国を総武線がとおっているのですが、これも「下総」と「武蔵」をむすんでいる線というような意味ですね。

 総武線のように、鉄道の路線名には旧国名を使っているものが多くあります。
「日本語とその周辺」に「鉄道路線名の由来」というのがありますので、見てみてください。



両国

佐藤和美 (2021/07/13)

筆者はかつて次のように書いたことがあります。

>佐藤和美 (1998/05/21)
>両国という地名の由来ですが、あのあたりは「武蔵」(むさし)と「下総」(しもうさ)のくにざかいにあたるところで、両方の国ということで、両国という地名がつきました。両国橋という橋があって、この橋が「武蔵」と「下総」をつなげていたそうです。これが両国という地名のもとになったのですね。

朝日新聞社会部『東京地名考』朝日文庫
「両国」の項には
「両国橋へ。(中略)橋名は、昔は隅田川をはさんで武蔵国と下総国に分かれていたことによる。」
と、あります。

また、Wikipediaの両国(東京都)の項にも「 1686年(貞享3年)(一説によれば寛永年間(1622年-1643年))に、のちの南葛飾郡が武蔵国へ編入されるまでは隅田川(当時は大川)が下総国と武蔵国の国境であったため、大橋(両国橋)はその両方の国に跨っていた。これが両国橋の名称の由来となっている。」と記述されています。

ところが、この「両国橋という橋があって、この橋が「武蔵」と「下総」をつなげていたそうです。これが両国という地名のもとになったのですね。」というのが、まちがっていたようなのです。

筆者がこのことに気づいたのは次の文章を読んだときでした。

「東京人」2015年5月号 特集「東京35区」の境界線を歩く
谷口榮「水と歴史の東京「東」散歩」
「大きく見ると、古代・中世まで本所区・深川区域と、向島区・城東区域が、武蔵・下総の二国に分かれていたものが、江戸時代になって武蔵国へ編入された。近代に入って、明治十一年に本所区・深川区域が東京市、向島区・城東区域が東京府南葛飾郡とに分かれる。その境はかつての武蔵・下総二国の国境で線引きされている。」
「現在の墨田区向島五丁目辺りから隅田川が東西に分流し、墨田区向島は三角州状になっていたのである。家康の江戸入部以降、隅田川の改修によって、今の西に落ちる隅田川の川筋が本流となり、東へ落ちていた本来の隅田川の川筋は細流化とともに隅田川としての記憶は失われていくが、境界の記憶だけは受け継がれ、近代になると東京市と東京府南葛飾郡の境、そして本所区と向島区を分ける境となっていた。今の墨田区の「鳩の街商店街」がかつての武蔵と下総両国の境となっていた隅田川の川筋の故地にあたる。」

つまり、両国橋は武蔵と下総をつなげてない! 両国橋の両側ともに武蔵である!
ビックリしました(汗)。

『角川日本地名大辞典 13東京都』
「両国橋」の項
「明暦3年の江戸大火後、江戸市域を隅田川以東に拡張するため、万治2年普請奉行柴山権右衛門・坪内藤左衛門のもとに起工され、寛文元年に竣工した御入用橋(官設の橋)。古称は大橋であったが、当時の江東方面は下総国であったことから両国橋と俗称され、元禄6年に新大橋が架設された際に俗称の両国橋を公式の名称とした。」

つまり、
×「両国橋は武蔵と下総をつなげている」
〇「両国橋は武蔵と下総方面をつなげている」
ということでしょうか。



国府

佐藤和美 (98/08/17 09:59)

 かつての国(武蔵、薩摩、尾張などです)には国府(お役所)がありました。

 このかつての国府跡には現在どういう地名が残っているかという話です。

 山梨県の甲府は、甲斐(かい)の国府の意味です。
 静岡県静岡市の旧名である駿府(すんぷ)は、駿河の国府の意味です。
 東京都の府中は武蔵の国府跡です。
 下総(しもうさ)の国府跡には、国府台(こうのだい)という地名が残っています。(千葉県市川市)

 この他にもいろいろ残っていることでしょうね。「国府」、「府中」等の地名を見かけたら、かつて国府があった所かもしれませんよ。



近江、遠江

佐藤和美 (98/08/19 12:03)

 旧国名の近江(おうみ)と遠江(とおとうみ)はセットになった地名です。

 「おうみ」とは「淡海」(あわうみ)です。(あはうみ→あふみ→おうみ)「近」の字がついているのは「遠江」に対するものです。つまり「近江」とは「近い淡海」ということで、琵琶湖のことです。

 「とおとうみ」とは「遠つ淡海」(とおつあわうみ)です。(とほつあはうみ→とほたうみ→とおとうみ)「遠江」とは「遠い淡海」ということで、浜名湖のことです。浜名湖は現在は海とつながっていますが、この「遠江」という名がついたときは海と隔たっていて淡水湖だったんですね。浜名湖が海とつながったのは1498年、津波によって砂州が壊されたためでした。



九州、四国

佐藤和美 (98/08/20 12:05)

 今日も旧国名の話です。

 「九州」はなぜ「九州」なのかということですが、旧国名が「九」だからですね。筑前、築後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の九です。

 「四国」も旧国名が「四」だからですね。阿波、讃岐、伊予、土佐の四です。もっとも県の数も四ですね。



「しすせそ」

佐藤和美 (98/08/25 12:05)

 旧国名で思い出したのですが、私の通勤している西日暮里(にしにっぽり)の駅の近くに、「しすせそ」というかわった名前の店があります。

 さて、問題です。この店はなんの店でしょうか。



「しすせそ」

佐藤和美 (98/08/31 12:11)

 8/25(火)にだした問題の答えです。
「しすせそ」という名前の店はなんの店かという問題でした。

 「しすせそ」は「サ抜き」(讃岐)ですよね。
ということで、「ウドン屋さん」でした。



葛飾

佐藤和美 (98/09/08 12:03)

 東京都に葛飾区という区があります。

 葛飾は旧国名の「下総」(しもうさ)の郡の名です。
葛飾郡はかなり広い地域を指すようで、今でも千葉県には東葛飾郡があります。(千葉県の北西部です。)

 東京都江戸川区に葛西という地名があります。葛西臨海水族園があるところです。この葛西は葛飾の西の意味です。

 江戸川をはさんだ千葉県浦安市(ディズニーランドのあるところ)は以前は東葛飾郡浦安町でした。江戸川が葛飾の東西の境目だったんですね。



両国、境港、三国

佐藤和美 (2001/09/21 12:52)

旧国名での境の話です。

「両国」(1998/05/21 21:00)
>両国という地名の由来ですが、あのあたりは「武蔵」(むさし)と「下総」(しもうさ)のくにざかいにあたるところで、両方の国ということで、両国という地名がつきました。

境港は伯耆(ほうき)と出雲の境にあった港ですね。

なお各地に「三国○○」という地名がありますが、これは三つの国(旧国名)の境にあった地名です。三国峠とか、三国山とかですね。
例外もあるようなので、旧国名の地図と位置を比較してみるのもおもしろいかも。



国境地名

UEJ (2001/09/21 22:24)

私の好きな「国境地名」はこれです。
 甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)
 甲斐・武蔵・信濃の国境にあることに由来する名

滋賀と福井の県境にはそのものずばり国境峠(くにざかいとうげ)という峠があります。
神奈川の相鉄沿線には「三ツ境」という駅があったけど、あれはどういう意味だろうか。



RE:国境地名

佐藤和美 (2001/10/15 12:46)

UEJさん(2001/09/21 22:24)
>神奈川の相鉄沿線には「三ツ境」という駅があったけど、あれはどういう意味だろうか。

きのう、図書館に行ったら、語源の載ってる本を見つけました。

角川日本地名大辞典14神奈川県
三ツ境(みつきょう)
「地名「三ツ境」の由来については、二俣川村・川井村・阿久和の3村の境であったとか、三ツ境の境は橋の意味であるとか、密教にちなむとかの説があるが(横浜の町名)、未詳。」

「三ツ境の境は橋の意味であるとか」というのは、三ツ境の近くに「二ツ橋(ふたつばし)」という地名があることに関係あるのでしょう。

どちらにしろ国境地名ではないようですね。



紀勢町

佐藤和美 (2002/02/18 12:19)

三重県の町です。

「紀」伊+伊「勢」→紀勢町

合成地名でもあり、去年書き込んだことのある旧国名の国境地名でもありますね。




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