言葉の世界・伝言板 2004年3月



省略語

高駒麗人KOMA (2004/03/31 20:23)

はちこうさんへ

左上の
「言葉の世界
日本語とその周辺
北海道のアイヌ語地名
ヨーロッパの言語」
の下の
「コンピュータ関連用語集」
を開くと面白いのがあると想います。

Internationalizationがi18nですか。
internationalは英語の新聞や空港名などでINTLと略されます。
英語の新聞ではGovernmentはGovtになりますね。
i18nは初めて知りました。

コンピュータ関係の会社の人がシーアイイー(CAI開発)やらラム(RAM)やら略語を頻発しながら、何の略か言えないという事があり、困ったものです。

コンピュータ用語の略語とは違いますが、2004年2月17日 夕方5時前のNHKTVで韓国ネット上略語を紹介していました。

〜します 하십니다 ha-shim-ni-da → 하심 ha-shim
大學生 대학생 dae-hak-seng → 대딩 dae-ding
中學生 중학생 jung-hak-saeng →중딩 jung-ding
お會い出來て嬉しいです 반갑습니다 ban-gap-seum-ni-da→반가 ban-gaまたは반가반가 ban-ga ban-ga →更に略して ㅂㄱ bg(2)
「アルバイト(Arbeit)」は朝鮮語で「아르바이트」a-reu-ba-i-theu ですが、これも「알바」al-baになるようです。알뱉al-baethまたは알밷al-baetでもよさそうなものですが。
ネット上のチャットで人より速く字を入力するためこういう略語ができているらしいです。
日本人アナウンサらしい人いわく「あけましておめでとう」→「あけおめ」という略語があるらしいです。



Thina PERIPLUS MARIS ERYTHRAEI

高駒麗人KOMA (2004/03/31 20:08)

Thina 投稿者:風鈴’さんへ  投稿日: 3月29日(月)01時18分20秒

> PERIPLUS MARIS ERYTHRAEI ですが、 原文はギリシャ語(periplous te^s eruthras thalasse^s)です。……

ご解説ありがとうございます。
Thinaについては書き手の傳聞ですか。Marco Poloが日本を「黄金の國Zipangu」と呼んだのも似たような物でしょうか。Zipanguはシナ語の「日本國」Ri4ben3guo2の訛りでしょうか。



省略語の話題

はちこう (2004/03/31 17:10)

はじめまして。はちこうと申します。
普段から正しい言葉遣いができているとは思えませんし、また国語学・言語学など学んだこともありませんが、言葉の話題には興味があります。
さて。
この伝言板で「省略語」の話題が取り上げられたことはあるでしょうか?

私はプログラミングに関わる仕事をしているのですが、この分野ではソフトの国際化のことをしばしば"i18n"と呼ぶことがあります。
例えば、ワープロソフトを、英語・日本語・中国語など様々な言語で問題なく使えるようにすることや、そのために必要な技術のことを"i18n"といったりします。
最初、これは "IEEE1394"のような「規格や取り決めに関するコード番号」かなにかだろうと思っていたのですが、じつはこれ、"internationalization"の省略のことで、「'i' そのあと18文字あって "n"」ということなのだそうです。
なんともイーカゲンな省略方法だなと思いますが、"i18n"は実によく使われています。

コンピュータ分野ではなく、一般の英文表記の時に、このような省略表記ってよく使われるものなんでしょうか?>どなたかご存じの方
また、このような「変わった」省略語をご存じの方はぜひご紹介下さい。
それでは。



Re:年初

薩羅薩伐底 (2004/03/31 11:00)

U+3002さん。
>キリスト教徒の多くはは基本的に、聖書の内容や公教義は史実か、少なくとも、史実の不完全な記載だと考えています。

その意味では仰る通りです。
イエスが西暦元年に生れたと信じ切ってる人も多いですからね。
天地・生き物は神が6日間で創造し現在まで変化していないとして進化論を否定したりするキリスト教原理主義を信奉する人々は、今やブッシュ政権の基盤となっています。
キリスト教原理主義を自認する大衆伝道者ビリー・グラハムはアイゼンハワー時代から大統領の私的助言者となり、レーガンもパパブッシュも現ブッシュも強い影響を受けています。



Re: 訓読

massangeana (2004/03/31 09:01)

偽中国人さん: >東野炎立所見而反見 為者月西渡)を解読(decode解碼)する行為は一種の翻訳です。
ちがいます。それは「解読」です。

>『いわゆる漢文訓読が日本固有のものではなく』
ウイグル式の訓読などは漢文についておこなわれたものです。

>『吏文』というのは朝鮮語のバイアスのかかった「変体漢文」で
ちがいます。この吏文は朝鮮と中国の間の外交文書のことで, ちゃんとした漢文で
書かれています。いわゆる吏読のことではありません。

「あまり堅苦しく考えない」のであれば, 「訓読」という漢文専用のことばを
つかわず, たんに「読み」といえばいいでしょう。



アイヌの名

佐藤和美 (2004/03/30 19:47)

アイヌふぁんさん
>アイヌ民族はみんなこんな感じの名前なのですか?
>日本のように○子や○太等の止め字はあるのですか?

私の知ってるのはこれだけですね。

「アイン」佐藤和美 (2000/07/11 12:41)
>「アイヌ」は「人間」という意味ですが、「男」という意味もあります。
>英語の「man」みたいですね。
>和人の男性名の語尾には「オ(雄男夫)」がつきますが、
>アイヌの場合も男性名の語尾に「アイヌ」をつけることがあったようです。
>北海道の歴史をちょっとでもかじったことのある人なら聞いたことのある名、
>「コシャマイン」、「シャクシャイン」
>この語尾の「アイン」って、「アイヌ」のことだったんですねぇ。



Re:年初

U+3002 (2004/03/30 15:28)

書き込みの趣旨が不明瞭でした。

要は、あることが「真実であること」と、「信じられていること」とを、混同しないでいただきたい、ということです。



Re:年初

U+3002 (2004/03/30 15:20)

薩羅薩伐底さん
>U+3002さん。
>イエスが12月25日に生れたとする史的根拠は全くありません。

現在でも多くのキリスト教徒は、そう信じています。
記紀が(専門家だけでなく一般市民からも)作り話か、よくて喩話だと思われている日本からは直感しにくいですが、キリスト教徒の多くはは基本的に、聖書の内容や公教義は史実か、少なくとも、史実の不完全な記載だと考えています。
「クリスマスは聖誕祭、新年は主の割礼祭」は、現代のキリスト教世界でも、ごく普通の見解だと思います。



はじめまして

アイヌふぁん (2004/03/30 11:48)

突然ですが、「シャーマンキング」という漫画に「ホロホロ」というアイヌ人がでてきます。彼の本名は「ホロケウ」なのですが、アイヌ民族はみんなこんな感じの名前なのですか?日本のように○子や○太等の止め字はあるのですか?



Re:訓読

偽中国人 (2004/03/30 06:45)

massangeana さん
>>東野炎立所見而反見為者月西渡
>この歌の読み方(漢文ではないので「訓読」は変です)

漢字の音や訓を利用して、ひらかなの無かった当時の日本語を暗号化(encode編碼)したもの(東野炎立所見而反見為者月西渡)を解読(decode解碼)する行為は一種の翻訳です。

http://www.geocities.jp/funadayos/works/ydzref/ref_ydz_add.htm
『いわゆる漢文訓読が日本固有のものではなく,漢字文化圏に広くみられた現象であることを論じたもの。』

同じページの次の『吏文』というのは朝鮮語のバイアスのかかった「変体漢文」で、これにも「訓読」という言葉が使用されています。

『○前間恭作(遺稿)+末松保和(編纂).『訓読 吏文 吏文輯覧附』.末松保和(発行者)+吉村守雄(印刷者)+朝鮮印刷株式会社(印刷所).1942』

特に漢字ばかりのものを漢字仮名交じりに翻訳することを「訓読」ということで、あまり堅苦しく考えないほうがよいのでは?



Re:あらぼん、さかさ吊り

偽中国人 (2004/03/30 06:44)

> 新暦の七月十五日の盂蘭盆会をしている地域があるのでしょうか?
と尋ねるぐらいですから、土着の関西人で新暦の七月十五日の盆の行事を知っている者は少ないとおもいます。

苗字の「あらき」には「新木」「荒木」「新城」などの漢字が宛てられます。
山林から切り出した新しい木はまだ木挽きや鉋がけをしていない「荒木」ということで「あらき」といいます。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/3643/lestroom/kobiki.htm
原木、丸太のことをシンガポール、マレーシアの華語では“樹桐”と呼びます。
http://www.mwt.com.hk/html/beechc.html
http://life.sinchew-i.com/special/kingfisher/lfkb.phtml?lfkb01.html

「荒木棟梁」には施工者の立場から・・・・
http://zeisei5.dpri.kyoto-u.ac.jp/data/iinkai/19990614/gijirok1.htm
「荒木棟梁、小細工棟梁、建前棟梁」などという言葉もあったようです。

川柳では「新所帯」と書いて「あらじょたい」と読みました。
庚申(こうしん)をうるさく思う新所帯(あらじょたい)
http://www8.ocn.ne.jp/~giyoh/senryu-44.htm

>キュウリやナスに某(棒、割り箸、黍殻)を刺して動物を象るといった風習
これは仏教ではなくて中国から伝わったか、あるいは日本で発生した風習かも知れません。

『孟蘭盆』は「倒懸、さかさ吊り」の意味だというのは御存知でしょうか。
餓鬼道などにおちて、倒懸のせめ苦にあっている亡者たちのために仏事を営んで、その苦しみより救うことであり、その仏事を孟蘭盆會という。(太田、鳥居訳≪西遊記≫注)
http://www.houkouji.or.jp/kaihou/h14obon/2.htm
ところが中国では≪西遊記≫の物語が流布した時期には『孟蘭盆會』の意味を勘違いしていたようです。

西遊記第八回
http://www.shuwu.com/ar/fanti/110260_p.shtml?n=9&m=101
http://www.guoxue.com/minqingstory/XYJ/XYJ_008.htm
或る日、如来が諸佛,阿羅漢、掲諦。菩薩、金剛、比丘、比丘尼などを呼び集めて云った。
彼の悪猿(=孫悟空)を取り押さえ,天界を安んじてこのかた,どのくらい経ったであろう、俗世(凡間)では500年にもなろうか。今日は中秋の十五日。我に“宝盆”ひとつ有り、さまざまの花や果物を盛り、そなたたちと孟蘭盆會を致したいがいかに?

道教では
旧暦正月十五日が上元で、「上元一品天官賜福大帝」の誕生日。
旧暦七月十五日が中元で、「中元二品地官赦罪大帝」の誕生日。
旧暦十月十五日が下元で、「下元三品水官解厄大帝」の誕生日。
http://village.infoweb.ne.jp/~tkoikawa/zatsugaku/tonchinkan61_80/obon_chuhgen.htm
http://www.kinshogo.co.jp/festa/festa_bone.html
シンガポールなどでも道教思想が今だに健在で旧暦七月が『鬼月Gohst Month』と呼ばれています。旧七月一日に冥府(地獄)の門(鬼門関)が開き、死者の霊がこの世に帰ってきます。特に身よりのない人の霊が餓鬼(台湾では“好兄弟”と呼ばれる)として腹を空かせ、供え物を置いていない家に祟りをすると信じられていますので、町内会単位で皆七月一杯は鶏やあひるを供え、直径が50cmもあるような線香や蝋燭に火を着けます。これを「中元普度」といいます。
また亡くなった身内のものが閻魔の手下に賄賂が渡せるように、紙で作った銭を焚きます。市場(巴沙basar)へゆくと紙銭や、金、銀の箔を張りつけた紙、絵に書いた衣服、家具、電化製品、地獄への護照(パスポート)などが売っています。

地獄の門が閉まる旧暦七月三十一日までは、マンション、車の購入、旅行なども控えておとなしくしている、というのがシンガポール華人のライフ・スタイルです。



Re:いわゆる新盆

らにい (2004/03/29 18:28)

>青蛙さん
そうでしたか。ありがとうございます。



Re: いわゆる新盆

青蛙 (2004/03/29 13:41)

偽中国人さん:
> 新暦の七月十五日の盂蘭盆会をしている地域があるのでしょうか?
 当地(新潟県)では8月15日です。しかしカレンダーには7月15日の欄に「ぼん」とあるので、子供の頃父親に「どうなっているんだ」と尋ねたところ、「都会ではそうなんだ」と言われました。
 当地の「ぼん」は13日(迎え火に相当しますね)に墓参りに行くだけで、15日はいわゆる「やぶいり」なので身内で酒盛りです。家の前で迎え火や送り火を点すとか、塩を盛るとか、キュウリやナスに某を刺して動物を象るといった風習はありません。(宗派にもよるのかもしれませんが)せいぜい、子供が墓参りの際に提灯を持参するくらいでしょうか。

> 「にいぼん」と発音して、ある人が死んだ後、はじめて迎える盆のことを指す場合もあります。
 当地では、身内から死者の出た後の最初の(盆ではなく)八朔(8月1日)を、「あらぼん」と称して弔います。この「あらぼん」の“あら”は、「新た」の“あら”だと思っていました。

らにい さん:
> 仙台の「七夕祭り」は旧暦でやっていますね。
 旧暦ではなく、新暦の月遅れのようですよ。
・仙台七夕まつりOFFICIALホームページ
 http://www.sendaicci.or.jp/tanabata/tanabata3.htm



Re: 天狼星、他

青蛙 (2004/03/29 13:40)

> 「天狼」は、厳密には星座名です。星名としては「狼星」あるいは単に「狼」と呼ばれたようです。
 自己レスです。失礼しました、↑は間違いでした。中国において、最初に星座が系統的に記述された司馬遷の『史記』「天官書」から歴代の天文志では、一貫して星座名として単に「狼」とされていました。これ、偽中国人さんが『史記』「天官書」および『晋書』「天文志」から該当箇所を引用しておられました。
 どうも、清代に成立した『欽定儀象考成』では「天狼」とあるらしいので、明代頃には成立したのではないかと思われます。理由は偽中国人さんが説明しておられたこととほとんど同じ。ただの「狼」だと一般名詞との区別がつかないからでしょう。英語みたいに the +大文字などという表現はできませんから。

偽中国人さん:
> 現代語ではシリウスのことを「天狼星」と呼んでいます。
 確かにそのようですね。でも、それまで偽中国人さんが『史記』「天官書」からの一説を引用しておられたので、中国の星座としての話をさせていただいたもので、偽中国人さんのご説明が間違っていると申し上げたかったわけではありません。(結局、私の方が間違っていましたが)

> 「星座」としての「天狼」を構成する恒星は「天狼星Tianlangxing」一個だけです。
 そうです。星座「狼」を構成しているのは「狼星」1星だけです。中国ではこのような1星1座は珍しいものではありません。他の地域の星座と違ってなんらかの図象を描く必要がなかったからです。ヨーロッパでは、現存していませんが、「殉死王チャールズの心臓座」 Cor Caroli Regis Martyris と「薔薇の花座」Rosa くらいしかありません。

> 私は「紀元前8世紀頃のこと」を言っているのではありません。
 そうでしたか。偽中国人さんが引用しておられた部分に「当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかった」とあったので、これはローマ暦が成立した紀元前8世紀頃を指しているのかと思いました。

> カエサルの時代(BC50年前後)に暦が大いに乱れ、
たのは、リンク先の7331さんのページ(http://www4.airnet.ne.jp/mira/seishu/term/julian.html)にある「乱年」のことを指しているのではありませんか? これはヌマ暦からユリウス暦の改暦を断行したからに他なりません。この乱年ほどではありませんが、日本でも明治6年の、いわゆる旧暦から新暦への改暦の際にも乱れは生じました。明治5年の12月は2日しかありませんでした。12月3日が翌年の元日とされたからです。当時の明治政府において改暦が急務だったのは、閏月分の官僚に対する給与対策だったんだそうです。

> アレクサンドリアの天文学者ソシゲネスの力を借りなければならなかったことを言っているのです。
 それは当然で、何の不思議なことでもないでしょう。ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦に際しても、時のローマ法王グレゴリウス13世は天文学者クラヴィウスやリリウスの力を借りなければなりませんでした。また、13世紀にカステーリャのアルフォンソ10世は『アルフォンソ表』という天文データ・ブックを作りましたが、これも(鈴木博士に言わせれば「世界各国の」)天文学者の力を借りて作ったものです。
 それで、ローマ暦からユリウス暦への改暦を成し遂げた「アレクサンドリアの天文学者ソシゲネス」を擁したローマ帝國の天文学は二流なのでしょうか?

> ユリウス日とユリウス暦とを混同しているように受け取れましたか?
 偽中国人さんご本人は混同しておられなくても、閲覧者の中には混同してしまう人もいるのではないですか。確かに、リンク先のページに目を通せばその辺りの説明はされているでしょうけど。
 そうそう、偽中国人さんが貼っていただいた Wikipedia(英語版)のページ(http://en.wikipedia.org/wiki/Julian_day)で、私が
> ユリウス日は、算定した学者の父親の名前 Julius Caesar Scaliger から来てい
るとした鈴木博士の説明が疑わしいこと(これ自体は日本語版のページでも説明されています)が、Scaliger の原著から直接引いて説明されています。annus Iulianus(ユリウス年)から来ているそうですね。 偽中国人さん、ありがとうございました。

【参考文献】
・鈴木敬信『天文学辞典』地人書館・1981
・大崎正次『中国の星座の歴史』雄山閣出版・1987



Re: April と年初

青蛙 (2004/03/29 13:37)

massangeana さん:
> 「Greek aphro」というのはアプロディーテーの意味でアプロー(o はΩ)という言葉があって
> それと関係するかもしれない, という意味のようです。
『英和大辞典』『英語語源小辞典』ともに、Aphro は Aphrodite の短縮形とあります。なんだか「アフロヘアー」の「アフロ」みたいでちょっといやだなあ。

> 1. Martius, Maius, Junius は -ius がついているが, Aprilis は -ilis がついていて, むしろ Quintilis,
> Sextilis にちかい。どうして Aprius にしなかったのか。
言われてみれば仰るとおりですね。
 1〜6月:-ius
 7・8月:-ilis
 9〜12月:-ber
で揃うのに。

> 立春と春分は 1/8 年ものちがいがありますから, 両者をひとまとめにして語るのは問題
> でしょう
 24節気のどこを年初としても問題ないような気がします。しかしこれも、指摘されたとおり、立春にも「天文学的意義」を求めるのは無理がありましたね。それなら、偽中国人さんも触れておられた冬至とすべきでした。
 西洋では春分を基点とするようですが、中国ではむしろ冬至の方が重要視されていたようですね。天の極が移ろういわゆる「歳差」は紀元前2世紀にギリシアの天文学者ヒッパルコスによって発見されたといわれていますが、古天文学者の斉藤国治氏が検証したところでは、それより前に中国で冬至点の後退現象として知られていたそうです。



Re:Thina

風鈴’ (2004/03/29 01:23)

失礼しました。英訳のリンクのところは、
http://www.fordham.edu/halsall/ancient/periplus.html
です。



Thina

風鈴’ (2004/03/29 01:18)

> 高駒麗人さん、massangeana さん

 横レス失礼いたします。

 PERIPLUS MARIS ERYTHRAEI ですが、 原文はギリシャ語(periplous te^s eruthras thalasse^s)です。

 邦訳として、『エリュトゥラー海案内記』(村川堅太郎訳註、中公文庫)があります。
 一世紀(あるいは二世紀)のエジプト出身の貿易商人による実体験の記録ですが、著者はインドの西側あたりまでしか行っていなかったようで、その先は伝聞にもとづくと考えられ、その最後の部分に Thinai の語が登場します。 写本の表記は Thina でありながら、Thinaiと読まれているようです。

 上記の翻訳の訳注では次のように説明されています。

 「……This, Thi^nai, Si^nai の名が今日の Chi^na の名称と同系統で西紀前二二一年シナを統一せる「秦」に由来することは一六六五年耶蘇会士 Martin Martini により喝破せられ、今日最も有力な説となっている。もっともリヒトホーフェンの日南(安南の順化付近)説、ラクーペリのテン[さんずいに眞]国(雲南)説等をはじめ今日でも異論は絶えない。……」
 「……因みに秦 = 「シナ」系統の名が西欧の書に見えるのは私の知る限り本書本節を以て嚆矢とする……」

 ( ^ で書いたところは原文では macron )

 silk など絹を意味する語と関係があり、やはり中国のあたりを指すと思われる Seres という語も、この書物には出てくるのですが、訳本に出ている地図では、Seres は長安を含む中国北部、Thinae(ラテン語形)は長江の南の地域であるように漠然と書いてあります。

 やや古いですが、有名らしい Wilfred H. Schoff の英訳:

W.H. Schoff (tr. & ed.), The Periplus of the Erythraean Sea: Travel and Trade in the Indian Ocean by a Merchant of the First Century (London, Bombay & Calcutta 1912).
<a href ="http://www.fordham.edu/halsall/ancient/periplus.html">http://www.fordham.edu/halsall/ancient/periplus.html

 「新訳『エリュトラー海案内記』」(蔀勇造)『東洋文化研究所紀要』132,1997
というのもあるそうです。



(無題)

薩羅薩伐底 (2004/03/28 19:30)

>イエス自身が使っていた暦は、先述した「ニサンの月」(現行暦の3-4月)を正月とする暦だった筈です。。。。。。と書きましたが、現在のユダヤ教の新年は。。。。。
******************
ユダヤ教の新年は9月〜10月の新月(最初に月が確認できた日)に始まる。旧約聖書の レビ記23章を見ると、「正月の14日の夕は主の過越の祭」、「7月1日をあなたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなさい」とある。過越の祭りが大体3月から4月にあたるので、この7月1日を現在新年の始まりとして祝っているようである。週の七日目が安息日で聖なる日であるように、月の第七番目は一年のうちで聖なる月だとされるようである。



Re:年初

薩羅薩伐底 (2004/03/28 19:09)

U+3002さん。
イエスが12月25日に生れたとする史的根拠は全くありません。
ローマでは、ペルシア起源のミトラス教が前1世紀後半に伝わり、後2世紀から4世紀半ばにかけて密教宗教として盛んでした。このミトラス教では当時のローマの暦で冬至にあたる12月25日を不滅の太陽神ミトラスの誕生日として祝っていたようです。
4世紀ころから、キリスト教会では「キリストこそ真の正義の太陽であるとの考え(マラキ書3:20)」から、このミトラス教の祭を取り込み、イエス・キリストの誕生日として祝うようになったのだそうです。(岩波キリスト教辞典)

なお、教会にも暦があり、降誕を待ち望みその準備に入る「待降節第1日曜日」(12月25日から数えて4つ前の日曜日)から1年が始まります。

しかし、イエス自身が使っていた暦は、先述した「ニサンの月」(現行暦の3-4月)を正月とする暦だった筈です。



Re: 年初

U+3002 (2004/03/28 16:09)

Re: 年初
高駒麗人KOMAさん
>すると人類がどうして冬の最中を年の始めにしたかが問題です。

いくつかの民族で、冬至は「再び、昼が長く、太陽が高くなり始める日」として、祭られていました。
拡大解釈すれば、「冬至は春の始まり」と言えます。
これを年初とするのは、そう不自然ではありません。真夜中に1日が始まるのにも似ています。

グレゴリオ暦の年初と冬至のあいだの約9日のずれについては、おもしろい説があります。
ユリウス暦は閏が多すぎるので、年初の季節は徐々に進みます。
これを逆算すると、ある時代に、冬至と年初が一致することになります!
ユリウス暦ができたのはもっと後代ですが、昔の観測データを元にしていたのかもしれません。

ちなみに、キリスト教世界では、「イエスの割礼祭(お八夜)が年初と定められた」という俗説があります。
しかし、イエスがクリスマス生まれというこの説の前提は疑わしく、むしろ、年初からクリスマスが逆算された可能性のほうが高そうです。



Re: 閏月

massangeana (2004/03/28 08:52)

偽中国人さん:
下にもかいたように, 閏11月というのはおきにくいのです。現在の暦法では閏月は夏に多く冬に
少なくなります。最近あった閏月は 1995年閏8月, 1998年閏5月, 2001年閏4月, 2004年閏3月
(つまり今)となっています。

>東野炎立所見而反見為者月西渡
この歌の読み方(漢文ではないので「訓読」は変です)の問題については, 下のサイトの
説明がよいとおもいます。
http://www.kyushu-u.ac.jp/magazine/kyudai-koho/No.4/kenkyu-2.htm



陰暦11月、かぎろひ

偽中国人 (2004/03/28 06:44)

東野炎立所見而 反見為者月西渡
この14文字の漢字が「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」と訓読されるまでには紆余曲折があったようです。
http://denshobato.da.takuma-ct.ac.jp/users/denshobato/vol30/d30kyoukan3.html

東の空が朝焼けに染まったのを見て振り返ると西の空低く月が沈もうとしている、という光景から月齢を17と推定して、安騎野のある奈良県大宇陀町が毎年陰暦11月17日の夜明け前から「かぎろひを観る会」を開催しています。
http://www.town.ouda.nara.jp/kagirohi/kagirohi.html
http://www.kasugano.com/kankou/kagirohi/
平成12年の陰暦11月17日は12月12日に当たり、偶然にも「12」という数字が3回繰り返しました。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kokyunoheya/kagirohi.htm
その前後のいずれかの年に閏十一月があったような気がします。

人麻呂の観た「かぎろひ」が何であったかは諸説有りますが、一番ハードルの低い「朝焼け、曙光」としておけば「かぎろひを観る会」に集まった人々の失望感が最も少なくて済むというものです。

「黄道光」という説もありますが淡い光なのでまだ月が沈み切っていない状況では、次のサイトでも言っているように、「月明かりがあれば無理」なので可能性は少ないでしょう。
http://plaza.rakuten.co.jp/fpnakamura/2014

http://www.ksky.ne.jp/~tatsuo/siki/3gatu/001.htm

「黄道光」の写真↓
http://www.town.bisei.okayama.jp/stardb/sky/data/sky0162.html
↑「天の川以上に見ることは難しい」と書いています。
もちろん人麻呂の時代の夜空は現代よりもずっと暗いものでした。
私が天の河(銀河)を観たのは学生時代奈良県吉野で合宿したのが最後です。

「黄道光が見える条件は天の川以上に厳しいものがあります。空の暗い場所で,しかも月明かりや天の川の光に邪魔されず、黄道と地平線との角度が大きくなる冬の宵か、秋の明け方に限られます。」
次の写真を見るとかなりたくさん星が写っています。写っている星の数が多いということは相当暗い星まで写っていることを意味します。つまり黄道光は暗いものだということです。
http://village.infoweb.ne.jp/~noriyuki/phot40.htm

万葉集の次の歌からは朝焼、夕焼を思わせます。
かぎろひの 燃ゆる荒野に/蜻火之 燎流荒野尓(210)
かぎろひの 心燃えつつ/蜻蜒火之 心所燎管(1804)

「かぎろひ」は春の風物詩?
奈良の都は かぎろひの 春にしなれば/平城京師者 炎乃 春尓之成者(1047)

万葉集の中で「かぎろひ」が「立つ」と表現したのは人麿の「東の野に・・・」だけです。
「かぎろひ」の本命二重丸は「太陽柱」だといわれています。
今年の2月4日朝に琵琶湖畔で見事な「太陽柱」が見えたそうです。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2004feb/04/W20040204MWE1S100000068.html

http://weather.mainichi.co.jp/news/200302/18-03.html

http://www.alles.or.jp/~thoso/photo/sora/sp/sp0000.htm



俗ラテン語の Aprilis

にれのや (2004/03/28 00:50)

〓語源探索の参考にはなりませんが、ラルースの仏語語源辞典に、ラテン語 Aprilis [アプ「リーりス] の俗ラテン語の推定形が、
   * Aprilius
と出ていました。それだけですけど。



Re:太陰太陽暦の月の決め方

massangeana (2004/03/27 16:25)

偽中国人さん:
>リンク先の内容を全部読んで頂いたでしょうか?
よみました。ちょっと説明が簡単すぎますが, まちがってはいないようです。
冬至と大寒のあいだは30日ていどしかないので閏11月はすくないですが, 100年に
1度くらいの頻度であります。



RE:新盆

らにい (2004/03/27 13:55)

>佐藤和美様
同じく私の母は東京ですので7月15日です。父は栃木で8月15日です。
東京以外で7月15日にやっているところってあるのかなぁ?
>偽中国人さん
うちら(だけ?)は「にいぼん」と発音しています。ここでは「ある人が死んだ後、はじめて迎える盆のこと」ではなく「新暦の盂蘭盆会」を指しています。旧暦は「旧盆(きゅうぼん)」といっています。

関係ないですが、仙台の「七夕祭り」は旧暦でやっていますね。この頃なら天の川がよく見えます。



re:いわゆる新盆、

偽中国人 (2004/03/27 13:29)

「新盆」は「しんぼん」と発音するのでしょうか?

「にいぼん」と発音して、ある人が死んだ後、はじめて迎える盆のことを指す場合もあります。

massangeana さん
>その方法ではだめです。閏11月の可能性があるので。

リンク先の内容を全部読んで頂いたでしょうか?



Re:太陰太陽暦の月の決め方

massangeana (2004/03/27 10:59)

>冬至の後の新月が極月朔日
その方法ではだめです。閏11月の可能性があるので。



Re:太陰太陽暦の月の決め方

佐藤和美 (2004/03/27 09:51)

私の母(千葉県生まれ、東京墨田区在住)も7月15日でやってますね。



赤穂浪士討ち入りの年

佐藤和美 (2004/03/27 09:46)

2年前の2002年に「討ち入り300年」だとかいう話を結構見かけました。
「元禄15年(1702年)」というような表記をよく見かけますけど、元禄15年12月14日って、1703年1月ですよね。
「討ち入り300年」は2002年じゃなくて、2003年なのであった。



re:太陰太陽暦の月の決め方

らにい (2004/03/27 09:13)

>偽中国人さん
>新暦の七月十五日の盂蘭盆会をしている地域があるのでしょうか?
東京では七月十五日に盆(いわゆる新盆)を迎えるそうですよ。



太陰太陽暦の月の決め方

偽中国人 (2004/03/27 06:40)

太陰太陽暦(恐らくChinese Calendar)の月の決め方を解説したサイトがありました。
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendar.htm

冬至が必ず旧暦の11月にあるということから出発して、冬至の後の新月が極月朔日という風に決めていくようです。

昔の出来事が旧暦で記述されていることを忘れて、新暦で考えていると、季節がずれます。

旧赤穂藩の浪人が吉良邸に討ち入ったのは「極月十四日」、新暦では一月中旬から下旬の満月の前の日。
旧暦の大晦日は必ず闇夜。

干支が変わるのは日本では新暦の元旦からですが、中国、台湾、香港、シンガポールなどChinese Calendarの本場では旧正月からです。

八月の半ばになるとTVニュースなどで「月遅れのお盆を故郷で過そうという人達で混雑」というようなコメントを毎年聞きますが、新暦の七月十五日の盂蘭盆会をしている地域があるのでしょうか?



Re:天狼星、他

偽中国人 (2004/03/27 06:25)

青蛙さん
>「天狼」は、厳密には星座名です。星名としては「狼星」あるいは単に「狼」と呼ばれたようです。

現代語ではシリウスのことを「天狼星」と呼んでいます。
次の台湾(要Big5)のサイトの写真に「sirius天狼星」と書き込みがあります。http://sprite.phys.ncku.edu.tw/~astrolab/e_book/starry_nite/captions/sirius_cma.html

語体の≪漢語詞典≫には「天狼星Tianlangxing」という見出しの下に
『<天>天空中最明亮的恒星、属于大犬座。它有一個伴星、用望遠鏡可以看見。』
と説明があります。

文言の百科辞典≪辞海≫は「天狼」という見出しの下で
星名,≪史記≫天官書:『參東有大星曰狼。』晋書天文志:『狼一星在東井東南;狼爲野將,主侵掠。』按天狼即大犬座α,西名爲sirius、光度負一.六云云。
と説明しています。

>「天狼」は、厳密には星座名です。

「星座」としての「天狼」を構成する恒星は「天狼星Tianlangxing」一個だけです。

口頭語では「天狼Tianlang」だけでは「星星xingxing」のことを表わしていることがピンとこないので星(星星xingxing)に関する名詞である事を明瞭にするため「星xing」という形態素を付け足して多音節化したのでしょう。

>なにしろ紀元前8世紀頃のことですから。ギリシアですら、数理天文学が興っていない時代ですから。

私は「紀元前8世紀頃のこと」を言っているのではありません。カエサルの時代(BC50年前後)に暦が大いに乱れ、アレクサンドリアの天文学者ソシゲネスの力を借りなければならなかったことを言っているのです。

>ユリウス暦とは直接関係ありません。

ユリウス日とユリウス暦とを混同しているように受け取れましたか?



Re: April と年初

massangeana (2004/03/26 08:10)

エトルリア語についてはぜんぜん知識がないのですが, 「Etruscan Glossary」
 http://etruscans1.tripod.com/Language/index.html
というサイトがありました。これには
 afr, apher, apha, afu, aphucu, apuchapre, hapuri, hafure "luck, fortune" [az96]
 apru, aprun, apira "April" month dedicated to Fortune [az96, lrp 48/57]
 see Greek aphro, Aphrodite [az96, lrp 48/57]
とありました。apru がアプロディーテーなのではなくて, 4月の意味のようです。
出典の略号がよくわからないのですが, az96 というのは Adolfo Zabaroni というイタリアの
エトルリア文献学者の論著みたいです。
また「Greek aphro」というのはアプロディーテーの意味でアプロー(o はΩ)という言葉があって
それと関係するかもしれない, という意味のようです。
わたしが疑問をもっているのは, 以下の 3点です。
1. Martius, Maius, Junius は -ius がついているが, Aprilis は -ilis がついていて, むしろ Quintilis,
  Sextilis にちかい。どうして Aprius にしなかったのか。
2. 4月以外のエトルリアの月名をみると, ローマの月名と似ていない。
3. エトルリア語で四月が apru/aprun/apira というのはどのていど確実なのか?

なお, 春分じたいにはたしかに天文学的に意味がありますが, 「春分を年初とする」ことには
とくに天文学的には理由はない(どこを年初にするかは人間がわのつごう)のだとおもいます。
また, 立春と春分は 1/8 年ものちがいがありますから, 両者をひとまとめにして語るのは問題
でしょう(今年の旧正月が真冬の 1/22 だったことをおもいだしてください)。



Re:April および暦関連

鴛鴦 (2004/03/25 22:29)

>青蛙さん
私は一応、織田一朗『時と時計の最新常識100』(2000年5月出版)で調べました。
>「現行暦の元日に天文学的な意味はありません。全く、意味の無い、理由の無い一年の初日なんです。暦としては(天文学的意義を付加すれば)本来は立春とか春分をもって年初とすべきなんです。ですからmartius(現在のMarch)を正月としていた昔の方が、天文学的には合理的だったわけです。」
青蛙さんが上記のように仰られていることと同じ内容がこの資料にもかかれています。

「 昔のエジプトでは日の出の直前にシリウスが昇る日を年の始まり(シリウス暦)としていました。なぜならば、この頃にナイル川が氾濫し流域の土地が肥沃になることから、農作業を始める環境が整う時節だったからです。同様に中東やヨーロッパでも農作業の時節を求めるために起点を春分に求め、中国では立春としました。また、四季の変化の小さい赤道付近の国々では、農耕は雨季や乾季に左右されるもので、そちらに重点をおいた暦をつくりました。そして、興味深いことに最も新しい暦のひとつであるフランスの革命暦(十八世紀末)では年初を「太陽が秋分点を通る日」としました。それは農作物の収穫が終わり、翌年の農作業の準備を始める時期だからです。ところが、われわれが使っている暦の年初は、農作業の時節からも天文学上からも全く根拠のないものです。
 古代ローマでは春分であるマルチウス(英語のマーチ)から一年が始まっていました。ところが、一年制のコンスル(執行官)の任期が二ヶ月前のヤヌアリウス(同ジャヌアリー)から始まることから、生活に使われる年と政治年度の二本立てとなり繁雑さを招いていました。そこで、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が紀元前四六年にユリウス暦を導入するにあたって、政治年度を優先させ一般の暦の新年を二ヶ月繰り上げてヤヌアリウスの一日を新年の始まりにしてしまったのです。ずいぶん乱暴な話ですね。」

ということで仕事始めはやはり正月元日でした。「December」の件も関係ありませんでした。大変失礼しました。
「厳冬期の61日を戸外活動に不適当という理由で」というのも載っていますが、この方は「しかし、当時の暦は暦を預かる僧侶たちの怠慢と、都合のよいように暦を利用しようする政治家たちの策略で困難を極めていました。ですから、「厳冬期の61日を戸外活動に不適当という理由で」というのは単なるこじ付けにすぎないと思います。」と仰っています。でも、「〜と思う」ですから100%ではありませんが、政治的策略があったのは確かなようです。
ちなみに「ローマ暦」ではマルチウス(春分の候)を始めとしデッケンベル(冬至の候)までの10ヶ月でした。



Re:April および暦関連

青蛙 (2004/03/25 12:56)

薩羅薩伐底さん:
> ローマ最古の暦で、1〜4月が、マルス、アフロディテ、マイア、ユノに振当てられた理由
 鈴木敬信『天文学辞典』(注:デタラメ本です)によれば、Aprilis は「大地を開く」(ここでは massangeana さんが紹介しておられた aperio (開く) 説を取っているようです)、Maius は「生長の女神 Maia」、Junius は「繁茂の女神 Juno」だそうです。女神にそういった意味合いというか象徴性があったのかもしれませんが、何しろ例によって出典が掲げられていないので、いまいち信用が置けません。
 他に、Martius は単に「軍神 Mars」とあるだけで、これだけでは意味不明だし、Janualius の「門戸の神 Janus」はいいのですが、Feburuarius は「疫病の神 Febris」とあからさまに誤訳(?)をやらかしています。Febris は疫病神かっつーの。本来は、厄除けの神なんですが。

> 1年が10ヶ月で304日という暦
 いわゆる「ローマ暦」のことですが、上記鈴木博士(にしておこう)によれば「根拠は不明」なんだそうです。確かに、これでは太陽暦とも太陰暦とも言えない「奇妙な暦」です。

 April < Aprilis の語源ですが、『英語語源小辞典』によれば「語源は不詳」とのことで、諸説が掲げられています。通説のギリシア神話の女神 Aphrodite 説(ただし、その短縮形 Aphro に基づくエトルリア語の Apru(n))、massangeana さんご紹介の aperio(これはラテン語の動詞で、不定形で示せば aperire)説、同じくラテン語の apericus(陽光)説、そして *apero-(遅い、二番目の)説が掲げられています。最後の奴は、更にゴート語の afar(後の)、サンスクリットの apara-(遅い)と関係があるらしいとのことです。この説だと、Aprilis が Martius に次ぐ「第二の月」であることと一致します。

massangeana さん:
> ほかの月はローマ神名なのに, この月だけギリシア神名を使っているというのは不自然では
> ないでしょうか。
 上記のように、直接ギリシア語の神名からではなく、エトルリア語経由だからで、他の月の名と事情が違うからではないでしょうか。神名とは別語源だからとも考えられますし。

> じっさいにはマルスの祭は春にあったようです
現行暦の元日に天文学的な意味はありません。全く、意味の無い、理由の無い一年の初日なんです。暦としては(天文学的意義を付加すれば)本来は立春とか春分をもって年初とすべきなんです。ですから、martius(現在の March)を正月としていた昔の方が、天文学的には合理的だったわけです。

鴛鴦さん:
> 残りの61日(閏年考えず)つまり丸2ヶ月は「闇、眠り」の時期とされていました。
 前記、鈴木博士も同様のことを述べています。
 |古代ローマ人が304 日の暦年を連続して使った
 |とは思えない.おそらく厳冬期の 61 日を戸外
 |活動に不適当という理由で,暦にのせなかった
 |のではないだろうか.
ただし、ここでは「〜ではないだろうか」と、あくまで鈴木博士の推測の域を一歩も出ていない(根拠が掲げられていない)ことに注意が必要です。

> 仕事始めは毎年3月1日でした。
 そりゃおかしいでしょう。仕事始め?はやはり正月元日でなきゃ。それが現行暦での3月1日というのもおかしい(ローマ暦と現行のグレゴリオ暦は同期していません)。現在の春分の日が当時の元日に当たっていたということじゃないですか。

> 12月を「December(10番目の月)」というのはその名残です。
 ローマ暦が10ヵ月からなっていたためですね。61日を端折ったことと関係はないでしょう。

高駒麗人KOMAさん:
> すると人類がどうして冬の最中を年の始めにしたかが問題です。
 いえ、だから人類ではなくユリウス・カエサルです。後は前述のとおり、人間の勝手な都合です。天文学的(科学的)な根拠はありません。

> 西洋でも、(中略)分かり易かったと思います
> 10月ですが、語源的には8月でしょう。
 ですから、人為的操作(暦を制定した者の恣意)によって本来言葉の順序とズレてしまったんです。文句があるなら、ヌマ帝だかユリウス帝に言ってください。

偽中国人さん:
> 大犬座のα星シリウス(中国名:天狼星)
 「天狼」は、厳密には星座名です。星名としては「狼星」あるいは単に「狼」と呼ばれたようです。

> ローマ帝國の文化は西欧文化の基礎となり今日に影響を及ぼしていますが、天文学に関しては二流だったようです。
 なにしろ紀元前8世紀頃のことですから。ギリシアですら、数理天文学が興っていない時代ですから。

> 天文関係ではユリウス日が使用されています。
 ユリウス暦とは直接関係ありません。ユリウス日は、算定した学者の父親の名前 Julius Caesar Scaliger から来ています。


サマワvsサマーワ

偽中国人 (2004/03/25 03:22)

民放のアナウンサー及び特派員はイラクの地名を“サマワ”と発音しています。
“サ”が高く、“マワ”が低い。

一方NHKのアナウンサー及び特派員は“サマーワ”と発音しています。
“サ”と“ワ”が低く、“マ”が高く長い。

我が国のアヅマ人が生詞sheng1ci2=自己に取って新しい言葉、に出会ったときは第一音節を高く発音する習性があるという説を聴いた事があります。

民放のアナウンサー、特派員はアヅマ人の本能でで“サ”を高く、“マワ”を低く発音しているものと思われます。一方のNHK、現地若しくは英語の発音が“マ”にストレス、アクセントがあることが判ったので“サマーワ”と修正したのでしょう。

国連(United Nations、中国語圏では“聯合國”)のアナン事務総長が来日した時のインタビューを聴いた感じでは、民放の様に“サ”に高さアクセントを置くのでもなく、NHKの様に“マー”と伸ばすのではなく“マ”を短く強く高く発音していました。

それでもNHKの画面の字幕が“サマーワ”となっていたのは奇妙でした。

ちなみにWeb検索すると
サマワ  約25600件
サマーワ 約 1660件
件数に“約”の字が付いているのは、同じWebページに“サマワ”という言葉が3回出現すると3件とカウントされるためです。

当初NHKも“サ”を高く発音していたので“サマワ”が圧倒的に多いのも無理のないことです。
“サマワ”が“サマーワ”の約15倍、という数字が半年後、数年後にどのように変化するか、日本人の刷り込み現象の強度を推し量る目安となるでしょう。

Samawahという綴りだけを見て発音を邪推する日本人は“サマワー”というカナ表記を思いつくかもしれません。



渡る世間は

偽中国人 (2004/03/25 01:26)

マユツバばかり、といったところでしょうか。
mssangeanaさん。
>「ことば」関係のように好事家の多い項目では, 孫
引きやひ孫引きの不正確な情報が横行しているようにおもえます。

既に故人となられた高名な中国文学者が「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」という有名なフレーズの出典を「謡曲」の「敦盛」と書いているのを読んだ事があります。

私も数年前まで「謡曲」の「敦盛」だと思っていましたが、実際に謡曲本の「敦盛」を手にとって探しても、そんな文句は見つかりませんでした。
出典は「幸若舞」の「敦盛」というのが正解で、岩波古典文学体系の「舞の本」に収録されています。

この件に関しては司馬遼太郎も勘違いをしていたようです。

また別の有名な中国文学者が「オペラ『蝶々夫人』の中で、『風の中の羽毛のように、いつも変わる…』と歌われるように」云々と三省堂から出した本に書いていますが、『蝶々夫人』の中でこの歌が唄われることはありません。

「蝶々夫人」の作曲者はプッチーニ、
「風の中の羽毛のように、いつも変わる…」はヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」の「女心の歌」というアリア。

恐らく何かの機会にプッチニーとヴェルディを連続して聞いたので記憶が錯綜したのでしょう。

「唐詩三百首」の中で絶句に分類されているものを古詩だと主張する人も居ました。

昔韓国の「全斗煥クーデター」をシンガポールの新聞で知った私達は、「金斗煥」が正しいのだろう、韓国では金姓が多かったので、又シンガポールの華字紙がミスプリをしたと思ってました。

そのシンガポール、マレーシアの新聞でまた文字化けしました。
鳥インフルエンザの関係で自殺した人の名前は
浅田肇
のはずが
マレーシアの華字紙では
http://www.chinapress.com.my/content.asp?dt=2004-03-09&sec=world&art=0309wf41.txt
淺田源

中国語圏で「肇」という字を使わない訳ではありません。中国の外務大臣(外交部長)は「李肇星」ですから。

マユにツバを付け過ぎて、風邪をひかないように気をつけましょう。



現代ギリシャ語の τζ τσ

にれのや (2004/03/25 00:51)

【現代ギリシャ語の τζ, τσ の由来】
〓ギリシャ語の歴史の本を読んでいて、現代ギリシャ語の τζ [dz], τσ [ts] という2つの子音の由来についての記述に出会いました。いずれも、オスマン帝国による支配を受けていた時代に、トルコ語の影響で生じた子音だということです。
   トルコ語 → ギリシャ語
    {c+,} [t∫]    τσ [ts]
    c [dzh]       τζ [dz]
つまり、トルコの支配を受けていなかったら、[ts], [dz] さえ生じなかった、ということですね。不思議です。



Baghdad→「バグダッド」或「バグダード」、Madrid→「マドリッド」或「マドリード」

高駒麗人KOMA (2004/03/24 20:34)

日本のニュースではBaghdadは「バグダッド」で、Madridは「マドリード」のようです。
しかしBaghdadを「バグダード」、Madridを「マドリッド」と呼んでも良さそうな氣がします。この辺はどういう基準なのでしょうか?
http://www.wle-spain.com/japan/madrid/index.html
( マドリードでスペイン語を学ぼう。スペイン・マドリッドで学ぶ、語学留学プログラムを紹介。 )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89
(バグダード。出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 世界 > アジア > 西アジア、中東 > イラク > バグダード。バグダード(بغداد Baghdād)は、バグダッドともいい、イラクの首都。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89



暦 セドナ

高駒麗人KOMA (2004/03/24 20:27)

薩羅薩伐底さん&massangeanaさんへ
>なお、高駒麗人KOMAさんは「昔の歐洲では春のMarchが年始めだったわけで」としておられます。「昔」というのは、ローマの侵攻以前ということでしょうか。
>この本についてはしらないのですが, ラテン語ですよね?
すみません、あとで改めて深く調べてみます。

佐藤さんへ
http://www.cgh.ed.jp/TNPJP/nineplanets/sedna.html
セドナは「Sedna」ですね。これはイヌイットの神の名ですが、希臘、羅馬に續いてイヌイット神話もネタになったわけで、これは便宜上の都合ではないでしょうか。



China と Thin

massangeana (2004/03/22 14:54)

高駒麗人さん:
>Periplus maris Eruthraei
この本についてはしらないのですが, ラテン語ですよね? (periplus と Eruthra- は
ギリシア語からの借用でしょうが maris は明らかにラテン語) それとも本文がギリシア
語で題がラテン語なのでしょうか。
いまけなした Wikipedia ですが Thin についてちょっと書いてありました。
 http://en.wikipedia.org/wiki/China_in_world_languages
プトレマイオスが Sinae と Thinae (これらはラテン語訳の形でしょうが)をつかっている。
しかしこれが China にむすびつくかどうかはよくわかりません。上の方にマルコポーロが
はじめて Chin ということばをつかったと書いてありますが, ごぞんじのようにマルコポー
ロは中国のことはカタイ・マンジとよんでいるので, ちょっとこの記述はおかしいです。
ただし日本についての箇所に(愛宕松男訳)「チパング諸島が散在している海面を《チン海》
と称するが, これはチパングの言語ではチンとはマンジのことだから, マンジに面した海
という意味である。」という記述があり, これをさしているようです。この記述は 1箇所
だけなので(しかもチパングの言語だし), いまの China が直接この文章に由来するとも
考えにくいです。



ローマの暦と Wikipedia

massangeana (2004/03/22 14:39)

偽中国人さん:
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%9A%A6

どうもわたしは Wikipedia がすきになれません。各項目に文責がおらず, だれもがかってに
書いたり消したりしています。その結果, 「ことば」関係のように好事家の多い項目では, 孫
引きやひ孫引きの不正確な情報が横行しているようにおもえます。(ふしぎなことに, 英語版
Wikipedia ではかなりまともな記述が多い)

この項目は英語記事の翻訳らしいのですが(そのせいでラテン語と英語がいりみだれている。
Kalendae, Idus, Nonas を Kalends, Ides, Nones にしてしかも Ides を「アイズ」と呼ぶ
など)
>春めいてきた日に王が新年を宣言する
は原文にありません。また,
>紀元前713年、改暦が行われ、1月(Januarius、29日間)、2月(Februarius、28日間)がつけ
>加えられた。平年の1 年の長さは355日になる。
は英語版では
>The first reform of the calendar was attributed to Numa Pompilius, the second of the
>seven traditional Kings of Rome. He is said to have reduced the 30-day months to 29
>days and to have added January (29 days) and February (28 days) to the end of the
>calendar around 713 BC, and thus brought the length of the calendar year up to 355
>days.
とあり, 日本語版ではヌマの名前がない上に, 英語版で「ヌマ王の事跡だとされている」,
「2か月を加えたといわれている」という風に伝説として記述しているのが, 日本語では事実で
あるかのように書かれてしまっています。



April

薩羅薩伐底 (2004/03/22 13:44)c
massangeanaさん、鴛鴦さん、高駒麗人KOMAさん、佐藤和美さん、風鈴’さん、偽中国人さん。

丁寧なレスを付けてくださり、ありがとうございます。

実はわたしは"Aphrodite von Interusa Siegen"という登録名のジャーマン・シェパード(1996.4.10生れ)を飼っており、Aphroditeについて調べていたところ、「April=Aphroditeの月」に遭遇し、更に突っ込んで知りたいと思った次第です。

ギリシア神話のAphroditeがローマ神話のVenusに導入されましたが、Aphroditeもフェニキア神話のアスタルテに起源があり、アスタルテはバビロニア神話のイシュタルに遡り、更にはシュメール神話のイナンナに遡ります。一方、バビロニアのイシュタルはゾロアスターに取り入れられてアナーヒターに、アナーヒターはヒンドゥ教に取り入れられてサラスヴァティに、これが仏教に取り入れられて薩羅薩伐底(=弁才天)になったという説もあるようなので、薩羅薩伐底をHNにしています。
閑話休題
みなさんのレスを総合してみると、
・ロルムス暦では、名前の付いた月が10ヶ月と名前のない「闇、眠りの時期」が2ヶ月分あった。
・第1月はマルスの月"Martius"、第2月はアプロディテの月(かどうか2説あるが)"Aprilis"、第3月はマイアの月"Maius"、第4月はユノの月"Junius"、第5月から第10月はナンバー名であった。
・ヌマ暦で、名無しの2ヶ月にヤヌスの月"Januarius"、フェブルウスの月"Februarius"が名付けられた。
・ロルムス暦、ヌマ暦では、1年は春から始まる。
・タルキニウス暦で、門の守護神で「はじめ」を司るヤヌスの月を第1月とし、それに続くフェブルウスの月を第2月とし、マルスの月以降を順次繰り下げた。
・しかし、季節的位置は従来通りとした。("Martius"は春)(要するに、1年の起点を2ヶ月前に移した。)
・"Aprilis"にギリシア神のAphroditeを由来とするのは不自然とする説があるが、AD46(?)〜120(?)のローマ帝政初期のギリシアの伝記作家であるプルタコスの記述では、Aphroditeを由来とする、としている。
、、、ということでよろしいのでしょうか。

なお、高駒麗人KOMAさんは「昔の歐洲では春のMarchが年始めだったわけで」としておられます。「昔」というのは、ローマの侵攻以前ということでしょうか。春から1年が始まったというのは、古代バビロニアの「ニサンの月」(http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/rekinisan.htm)に遡るのであり、古代オリエントの制度が伝播したと考えるのは誤りでしょうか。
、この「ニサンの月」が旧約聖書神話の「ニサンの月(アビブの月)」=第1月(出埃及記12:2、13:4、以士帖書3:7)=太陽暦の3-4月」に取り入れられたものと思われますが。。。。。。。
なお、聖書にある「過越祭(ギリシア語で"pascha")」(ニサンの月に行なわれる)はイスラエルの民のエジプト脱出に関わり神から命じられた祭ですが(出埃及記12:3-14)、これも古代オリエントの遊牧民が、春分に最も近い満月の夜に行なっていた冬の宿営地から夏の牧草地に向かって移動する前夜の祭儀ペサハが聖書神話に取り入れられたという主張があります(ヨハネス・ペデルセン、マルチン・ノート)。



古代エジプトの正月

偽中国人 (2004/03/22 07:02)

參為白虎。三星直者,是為衡石。
參宿は白虎(七宿の一つ)で三ツ星がまっすぐ並んでいるのは衡(はかり)石である。

....其東有大星曰狼。狼角變色,多盜賊。
....(參の)東に大星あり、狼という。狼の角が色を変えると盗賊が多くなる。≪史記≫天官書
http://www.sokamonline.com/Hist25/01_03_05.cfm

參宿とは二十八宿のひとつでオリオン座に位置する中国の星座です。

Canis Major大犬座のα星シリウス(中国名:天狼星)は全天で最も明るい星です。

全天で最も明るいと云うことでよく目立ちます。そこで
『古代エジプトではこの星はアヌピス神とされていて、日の出直前にシリウスが東にのぼりはじめるのを見て元旦ときめ、...』とグレゴリオ暦の8月がエジプト暦の1月になったそうです。。
http://hw.sakura.ne.jp/~yumi/space/star/cma.htm

ローマ暦のことは下記に詳しく載っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%9A%A6
『当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。』

ローマ帝國の文化は西欧文化の基礎となり今日に影響を及ぼしていますが、天文学に関しては二流だったようです。
『当時乱れていたローマの暦を正すため、エジプトの天文学者ソシゲネスに新しい暦を作るよう命じました。』
http://www4.airnet.ne.jp/mira/seishu/term/julian.html
『あの有名なカエサル(シーザー)は、アレクサンドリアの天文学者ソシゲネスの指導で、大幅に狂っていた暦を改め、...』
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub307.htm

●中国との出会いが生んだ「BC」という概念
http://www.yorozubp.com/9912/991229.htm

天文関係ではユリウス日が使用されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%97%A5

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/my-art/library/calsmpl/cljdnow.html

http://osb.sra.co.jp/PostgreSQL/Manual/PostgreSQL-7.1-ja/units-history.html

アメリカによるアフガン攻撃が始まってからラマダン(断食月)に攻撃の手を緩めるかどうか注目を集めたとき、イスラムの天文学者が新月を見極めようとしたが、曇っていたので、多分新月に間違いないだろうとラマダンを宣言しました。
http://www.mainichi.co.jp/news/kotoba/ra/20011106_01.html



Re: April

massangeana (2004/03/22 05:10)

おお, ありがとうございます。
1世紀ごろのローマ人は Aprilis をアプロディーテーとむすびつけていたらしい。
が, ほんとうのところはよくわからない, といったところでしょうか。

>大英博物館双書『エトルリア語』
きのう読んでました :-) *capr- もみたんですが, 復元形らしいし, アプロディーテーは
Turan と言ったとも書いてあるし, エトルリア語ではギリシア神名の子音はわりとよく保存
されているようだし, うーんとおもってそのままほうりだしてしまいました。



Re: April

風鈴’ (2004/03/22 01:32)

 はじめて書き込みさせていただきます。

 オウィディウス『祭暦』(Fasti)の第4巻で、4月が Venus と関連づけられており、また Aphrodite 説と aperire(開く)説が出てくるということも、語源説がよく引用しています。ただし4月の Venus の祭というものが、その時代以前にかなり古くからあったものかどうかは疑問です。

 現代語の辞典では Random House Webster's Unabridged Dictionary にApril の語源として "prob. based on Etruscan apru APHRODITE" の記載があります。
 この説をとれば、もともとギリシャ語起源だが、直接ではなくエトルリア語経由でラテン語に入ったことになりますが、apru という語形がどのような根拠をもつか(伝本か、出土品か等)に関する情報はちょっと見つかりませんでした。
 大英博物館双書『エトルリア語』(學藝書林)の単語リストには「*capr- 4月」があります。

 普及しているイタリア語辞典では Zingarelli がラテン語以前の語源不詳とするのに対し、Garzanti が "prob. dal nome di un dio di origine etrusca" 「エトルリア起源の神名か」としています。



Re:天王星

佐藤和美 (2004/03/21 20:15)

鴛鴦さん
>ところで太陽系の惑星を(地球を除き)英語に直しますと、全て神の名前しかもみなローマ神話です。しかし、「天王星」だけは「Uranus」とギリシャ神話の神を使っています。何ゆえ「天王星」だけギリシャ神話になってしまったのでしょうか?

ギリシア神話の「アポロン」は、ローマ神話では「アポロ」ですよね。
「Uranus」は語尾が「-us」ですね。
ギリシア神話の「ウラノス」が、ローマ神話では「ウラヌス」って、ことじゃないかと思いますが。



セドナ

佐藤和美 (2004/03/21 19:47)

私は白土三平のファンなんですが『神話伝説シリーズ』に「セドナ」がありましたね。





佐藤和美 (2004/03/21 19:44)

今までに
『暦と星』(1991・12・17)
『calであそぶ』(1994・6・6)
なんてのを書いてますが、
その後、デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々』(河出書房新社1998・12・10発行)を読んだのですが、根が横着者なので『暦と星』もバージョンアップせずそのままの状態です。

ユリウス暦導入の前年、紀元前46年は何日だった?
なんてのも、おもしろいですね。

『大辞林』
ヤヌス [Janus]
ローマ神話の門の守護神。前後を見る二つの顔をもつ。ローマのフォルムに神殿があり、その扉は平和時には閉ざされ戦時には開かれるのが習慣であった。英語の January(一月)はこの神の名に由来。

ヤヌスは「前後を見る二つの顔」を持っています。
(20年以上前だったか、ヤヌスは二つの顔を持っている、って始まるTVドラマがあったような)
新年の月名としてはふさわしそうな神名ですね。



Re3:April

鴛鴦 (2004/03/21 16:03)

>massangeanaさん
はい、わかりましたm(_ _;)m

ところで太陽系の惑星を(地球を除き)英語に直しますと、全て神の名前しかもみなローマ神話です。しかし、「天王星」だけは「Uranus」とギリシャ神話の神を使っています。何ゆえ「天王星」だけギリシャ神話になってしまったのでしょうか?



Re: April

massangeana (2004/03/21 15:24)

鴛鴦さん:
まず一般論として, 「おもしろ雑学知識」的なサイトや本を信じるのはやめましょう :-)

「ヴィーナスのラテン語が Aprilis」なのではなくて,
1. ラテン語の Aprilis という言葉はギリシア語の Aphrodite: から来ている(だろう)
2. ローマ神話の Venus (ウェヌス) はギリシアの Aphrodite: としばしば同一視される
ということをいいたいのだとおもいます。

Aprilis が Aphrodite: に由来するというのはプルタルコスの「Numa Pompilius」にでてくる
説のようです。ここに英訳がありました。
http://classics.mit.edu/Plutarch/numa_pom.html



人名 暦 夏休みが長いのはアウグストゥスのお陰

高駒麗人KOMA (2004/03/21 13:28)

Johanna > Jehanneはjとhの間のbの母音が>jとhの間の母音が変化しています。
Koizumi Junichiro^(小泉純一郎)氏がイラクでJenoshiro Koyozomaと呼ばれているのと似ています。

Bush大統領は奥克彦氏を「かすひこ・おこ」と呼んでいました。ブッシュは奥氏を日頃、あまり気にも留めず、呼びなれていなかったのでしょう。

昔の歐洲では春のMarchが年始めだったわけで、東亜細亜の旧正月と似ています。
日本では今は陽暦で冬の真っ最中が年越しですが、企業の決算や学校の卒業は春です。
すると人類がどうして冬の最中を年の始めにしたかが問題です。
西洋でも、もしMarchを1月、Aprilを2月、Februaryを12月にすれば、Septemberは語源どおり7(Sep)月、七夕は初秋に行うことにして、Octoberは語源どおり8(Oct)月になり、Decemberは10(Dec)月で分かり易かったと思います。
“9・11”について、Septemberは「7番目の月」の意味だから9で表すのは間違いだという投書を雑誌に送った人もいました。

10月革命は1917年11月7日だそうでずれてます。
http://www.c20.jp/1917/1110kak.html
それはともかくОКТЯБРЬ(Oktjabr')は10月ですが、語源的には8月でしょう。
http://www.athenee.net/culturalcenter/DATABASE/titles/s/octorber.html
(映画ОКТЯБРЬ)
http://www3.justnet.ne.jp/~m-souda/lingua/russian/rlesson/rlesson25.html
(ロシア語の月の名前)
旧ソ連時代、モンゴルなどでОКТЯБРЬという名前を子供につけることもあったようです。日本式に言うと「神無月」(10月)さんか?「葉月」(8月)さんか?

「サザエさん」でこういうのがありました。
1小間目:カツオ「昔の人は偉いなあ」
2小間目:波平「どういう所が偉いと思う?(笑)」
3小間目:カツオ「8月を31日までにしたことだよ」
4小間目:カツオ「(夏休みの宿題をやりながら)30日までだったら目も当てられない」(波平、がっかりした表情)

カツオ君はAugustusに感謝すべきでしょう。



Re2:April 追記

鴛鴦 (2004/03/21 13:16)

>massangeanaさん
下のレスに記したリンクは4月だけですが、今度のリンクは12ヶ月全部に関するリンクがあるページです。それぞれの月でも間違いがあるのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~blueaqua/ba/month.html



Re2:April

鴛鴦 (2004/03/21 13:11)

>massangeanaさん
では、下記のリンクで言っていることは完全に間違い?(^^;)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~blueaqua/ba/month/apr.html



Re:April

massangeana (2004/03/21 12:00)

鴛鴦さん,
とりあえずひとつだけツッコミ。
>「Aprilis」はローマ神話のヴィーナス(Venus)のラテン語
Venus はラテン語では Venus ですよ!



Re:April 追記

鴛鴦 (2004/03/21 10:09)

下記のリンクのほうが(暦に関して)より詳しいと思います。ご参考に。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_010.htm



Re:April

鴛鴦 (2004/03/21 10:00)

>薩羅薩伐底さん、massangeanaさん
>ローマの Aprilis がアフロディテと関係するというのはうたがわしいとおもいます。ほかの月はローマ神名なのに, この月だけギリシア神名を使っているというのは不自然ではないでしょうか。
私がそのことについて調べてみましたら、どうやら「Aprilis」はローマ神話のヴィーナス(Venus)のラテン語ということです。そう考えると月の名前は全て「ナンバー」か「ローマ神名」か「人名」ということになります。
>Martius は季節としてはおおむねいまの March にあたっていたでしょう。
その通りです。薩羅薩伐底さんの仰るとおりその当時の暦は1年が10ヶ月で304日しかなく残りの61日(閏年考えず)つまり丸2ヶ月は「闇、眠り」の時期とされていました。そして仕事始めは毎年3月1日でした。(例として)12月を「December(10番目の月)」というのはその名残です。

下記のリンクに載っている記事です。
『「October(オクトーバー=10月)」の語源も意外なことに「8」なのです。かつて西洋の一年は3月から始まっており、1月と2月は順序としては一年の終わりでした。春が一年の最初というのは極めて自然な考え方ですよね。しかし「January(=1月)」はローマ神話の神「Janus(ヤヌス)」に由来するため、「Julius Caesar(ユリウス・カエサル、ジュリアス・シーザー)」がこれは神に対して失礼だ、という事で1月を一年の初めとしたために、もともと8月だった「October」は2つ後ろにずれて10月になってしまったというわけです。ユリウスはついでに自分の誕生月である7月を自分の名に因んで改名(英語では「July(ジュライ)」)しています。こうして出来たのが有名なユリウス暦です。 このユリウスの養子であり、初代ローマ帝王である「Augustus(アウグスツス)」が負けじと自分の名を冠したのが今の「August(オーガスト=8月)」。また、当時は3月から順に奇数月は31日、偶数月は30日、最後の2月は29日とされていたのですが、自分の月が30日しかないことが不満だったアウグスツスが無理矢理8月を31日にした結果、2月は28日しかなくなってしまったのです。』
http://wedder.net/kotoba/8.html



Re: April

massangeana (2004/03/21 08:40)

薩羅薩伐底さん:
1. ローマの Aprilis がアフロディテと関係するというのはうたがわしいとおもいます。
 ほかの月はローマ神名なのに, この月だけギリシア神名を使っているというのは不自然では
 ないでしょうか。
 Lewis and Short の辞典には Aprilis は aperio (開く)に由来すると書いてありました。

2. 1年が304日であったというのは非常にふるい時代のことで, 太陽年とのずれをどうしたのか
 はよくわかりません。

3. Martius を1月だったというのは Martius がいまの1月ごろだったという意味ではなくて,
 Martius に 1年のはじめを置いていたという意味です。じっさいにはマルスの祭は春に
 あったようですので, Martius は季節としてはおおむねいまの March にあたっていたで
 しょう。



文字化け要因

偽中国人 (2004/03/21 04:05)

高駒麗人KOMAさん
>[ərrənguta:n]の[ə](e反轉)は私の使用機では「eの反轉」に見えます。コンピュータは奥が深いですね。

ブラウザは何を使っていらっしゃるのか知りませんが、フォントの設定をチェックしてみてください。しかしあまりいじくり回すと、訳が解らなくなりますから、最初の設定を画面Captureソフトを使ってファイルに保存したり、プリンターで印刷しておくとよいでしょう。

さて私の使用しておりますWin98PCはメモリーが64M+増設128Mあります。
受信メールの累積が250件を超えると動きが怪しくなり、中国語のHPを開くと、漢字ではなく変な全角のアルファベットが表示され文字化けの状態になります。

場合によっては〔表示]→〔エンコード〕の切り替えをクリックしても言語選択を切り替えられないこともあります。

そこで必要なメールはCD−Rなどにコピーし、不要メールは削除します。またWindowsフォルダのTemporary Internet Filesというフォルダにはこれまでに開いたHPのイメージが残っているのでこれも一括してCD−Rにコピーしたあと、フォルダの中身を削除します。フォルダそのものを削除してしまうと、厄介なことになります。

こういった処置をすれば中国語HP閲覧時の文字化けを解消する事ができますが、これでも文字化けを起こす場合は、IEの再インストールをします。

IEの再インストールをしてもまだ解決しない場合はWin98+アプリケーションの再セットアップをすることになります。

メール件数と文字化けは一見何の関わりも無い様に思いますが、糖尿病がひどくなると様々な合併症が出てくるようなものではないでしょうか。



ギリシャの検索エンジン試用記

にれのや (2004/03/21 04:03)

【ギリシャ 検索エンジン試用記】
〓ギリシャの検索エンジンを見つけて、いろいろ調べています。↓
http://www.pathfinder.gr/
〓ギリシャでは、1983年からモノトニコという表記法を導入し、アクセントの表記を簡単にしました。みなさん、よく、ご存じの古典ギリシャ語にあった、「重アクセント記号」、「曲アクセント記号」、「気息記号」 を全廃し、「鋭アクセント記号」、「分離符(トレマ)」 のみを残しました。また、単音節語には、アクセントを付さないことになりました。
〓【語頭の鋭アクセント記号 "´"】語頭の母音にアクセントがある場合、古典語と同様、母音字の前にアクセント記号をつける、ということに決められましたし、現代ギリシャ語の文法書を見ても、そのように書いてあります。
   ´Αννα ['ア-ナ] 女子名 (アンナ)
ところが、インターネットで見るかぎり、語頭の母音にアクセントのある単語では、アクセント記号をつけないのが一般的なようです。
〓【ゴンチチの言っていた 「ポテチン」】以前、ゴンチチがラジオで、映画『日曜はダメよ』(監督=ジュールス・ダッシン、主演=メリナ・メルクーリ) のギリシャ語題は、
   「ポテチン」
って言うんだよ、という話をしていました。これは、わたし自身、永年の謎だったんですが、このたび、呆気なく氷解。『日曜はダメよ』(英題="Never on Sunday") のギリシャ語題は、
   "Ποτ{ε+´} την Κυριακ{η+´}"
   [ポ'テ- ティンキリア'キ-]
つまり、この 「ポテ・ティン・キリアキ」 のアタマを取って、ポテチンと言っていたらしい。ποτε は 「決して〜ない」という副詞なので、never の訳です。την Κυριακη は "the Sunday" の対格です。「時をあらわす対格」 というヤツです。
〓【ギリシャ語の外来固有名詞表記】を調べるのも、なかなかオツです。ギリシャ語というのは、古典語から現代語を通じて、「シュー音」、「ジュー音」、「チュー音」、「ヂュー音」 を生じなかった珍しい言語です。また、現代ギリシャ語は
   [b]、[d]、[g] 音を表す専用の子音字がない
という面白い特徴も持っています。
◆sh 音の表記例 σ [s]
   Σιρ{α+´}κ [スィ'ラ-ク] シラク
   Σον Κ{ο+´}νερι ['ソヌ・'コ-ネリ]
         ショーン・コネリー
◆zh 音の表記例 ζ [z]
   Ζαν(-)Πολ Μπελμοντ{ο+´}
      [ザヌ・ポる・ベるモン'ド-] ジャン=ポール・ベルモンド
◆ch 音の表記例 τσ [ts]
   Τσ{α+´}ρλι Τσ{α+´}πλιν
      ['ツァルり・'ツァプりヌ] チャーリー・チャップリン
◆dj 音の表記例 τζ [dz]
   Τζορτζ Μπουs
      ['ヅォルヅ・'ブス] ジョージ・ブッシュ
◆語中の [-nt-] が表記できない例。
   Κλ{ι+´}ντον [ク'りンドヌ] クリントン
◆語中の [-nd-] が運よく表記できた例。
   Σ{α+´}ντρα Μπο{υ+´}λοκ
      ['サンドラ・'ブ-ろク] サンドラ・ブロック
◆d の表記の愉快な例。
   Ζισκ{α+´}ρ ντ'Εστ{ε+´}ν
      [ズィス'カル・デス'テヌ] ジスカール・デスタン
〓ギリシャ語の検索エンジンの便利な使い方もあります。ギリシャ語は、外来語であろうと、つねにアクセント記号が付されるために、
   「原語のアクセント位置が不明の場合」
ギリシャ語の転写形を調べると、アクセントの位置がわかるのであります。たとえば、
   (Γιο{υ+´}ρι) Αντρ{ο+´}ποφ
   [('ユ-リ)・アンド'ロ-ポフ]
これで、Юрий Андропов の発音が ['ユーリイ・アンド'ローポフ] であることがわかります。
   Γκρ{α+´}ουτσο Μαρξ
      [グ'ラウツォ・'マルクス] Groucho Marx
日本で 「グルーチョ・マルクス」 と呼んでいる人物が、「グラウチョ・マルクス」 と呼ぶべきなのかもしれない、ということもわかってきますね。
〓以上、ギリシャの検索エンジン試用記でした。



Aprilについて教えてください

薩羅薩伐底 (2004/03/20 21:10)

「暦と星」 7.月の語源 において、"April"はラテン語の"Aprilis"(アプロディテ(愛の女神)の月)と記述されています。
他のサイトで「April(4月)は美しい季節を美しいAphroditeに捧げる事から来ている様です。」と記述されているものもいくつかあります。
しかし、「暦と星」 7.月の語源 において、ローマ最古の暦では"Aprilis"は2月であり、ユリウス暦以降(?)4月になったように記述されています。
現在、我々が呼んでいる4月(="April)は北半球の温帯地域においては美しい季節ではありますが、2月では美しい季節と言えるかどうか。。
また、1年が10ヶ月で304日という暦では暦と季節が一致せず、「美しい季節」というのは、後世のこじつけかとも思うのですが、どうなのでしょうか。
単に、最初の4ヶ月は「神名」から、5ヶ月目からはナンバーで、そして追加した2ヶ月は「神名」からとういのが、自然で分かり易いのですが。。
また、ローマ最古の暦で、1〜4月が、マルス、アフロディテ、マイア、ユノに振当てられた理由がお分かりであればお教え頂きたいのです。



ジャンヌダルク

高駒麗人KOMA (2004/03/20 14:42)

訂正(汽車 投稿者:高駒麗人KOMA  投稿日: 3月17日(水)12時02分1秒 きしろふさんへ)

>タクシーは「出租汽車」chuzi qiche→chuzu qiche、または「計程車」jichengche、「的士」disjhi→dishiです。

にれのやさんへ。
>Johanna > Jehanne > Jeanne
なるほど、JohanがJeanneになる理由がわかりました。残念ながら「その時歴史が動いた」の「ジャンヌダルク」Jeanne d'Arcは見られませんでした。
英語ではJoan of Arcですね。

Johanna > Jehanneはjとhの間のbの母音が変化しています。
Koizumi Junichiro^(小泉純一郎)氏がイラクでJenoshiro Koyozomaと呼ばれているのと似ています。
http://gold.jpg-gif.net/bbs/2/img/25394.jpg
>Our hero, Jenoshiro Koyozoma
An Iraqi looks up at a banner, reading "Leader and Hero of Reconstruction of Samawa city" with a painting of Japanese Prime Minister Junichiro Koizumi, hung on a street in Samawa, southern Iraq.
ttp://www.google.co.jp/search?q=cache:04i7q_1LFOYJ:mdn.mainichi.co.jp/photojournal/04.html+KOYOZOMA& amp;hl=ja&ie=UTF-8

偽中国人さんへ
[?rr?nguta:n]の[?](e反轉)は私の使用機では「eの反轉」に見えます。コンピュータは奥が深いですね。
 pret-a-porterなどの字の上の符号もちゃんと表記するのが正確なのでしょうが、場合によっては別の記号に化ける可能性もあります。それで遺憾ながら省くことにしています。



「蛍の光」 はみだしコラム(?)

鴛鴦 (2004/03/20 10:09)

以前この掲示板で「蛍の光」の原曲の歌詞の話題がありましたが、あの曲は日本だけでなく、世界中で使われているとのことです。しかもどの国も日本と同じく別れの歌にしているということだそうです。
どうやら古き友人がやってきたのを喜んでというのは本場だけのようですね。



ジャンヌ・ダルクの署名

にれのや (2004/03/20 02:56)

【ジャンヌ・ダルクの署名】
〓KOMAさんと同じく、「その時、歴史が動いた」 からのネタです。
ジャンヌ・ダルクが、オルレアンを解放したのち、イギリスの圧政に苦しむ町や村から、救助を依頼する手紙が、次々にジャンヌのもとに届いたそうです。ジャンヌは、そうした手紙に1つ1つ返事を書いていたとのこと。ジャンヌ・ダルクは、読み書きができなかったので、手紙の本文は口述筆記とし、文末に、これだけは習い覚えた自分の名前を署名したそうです。その実物には、
   Jehanne
と綴られていました。また、当時の教会の判決文などには、ジャンヌの名前は、ラテン語で、
   Johanna
と綴られていたそうです。
   Johanna > Jehanne > Jeanne
まあ、それだけの話ですけど、絵に描いたような語形変化だったので。



訂正 Siebold θιν

高駒麗人KOMA (2004/03/18 12:10)

http://www.pref.nagasaki.jp/naisnet/cn/access/nagasaki.html(Siobold→Siebold in Nagasaki)

NHK,「その時歴史が動いた」
紀元1世紀頃の歐洲人によるシナに関する記録がロンドンの大英圖書館にあり、それが「エリュトゥラー海案内記Periplus maris Eruthraei」だそうです。
アラビア海やインド洋を航海した船乘りの見聞記で、「印度の東に『ティーナ』という国があり、其処から絹が西へと運ばれる。」
θιν(νの上にnの筆記體のような記號)「ティーナ」が「秦」でこれが「チャイナ(China)」になったようです。
θιν(νの上にnの筆記體のような記號)は羅馬字で書くとThinaでしょうか?



schwaの文字化け

偽中国人 (2004/03/18 06:41)

[ərrənguta:n]
調査の結果、
「&#601;」という数値参照によってschwaを表示させようとする場合、
Win98+I.E.5.5の組み合わせでは
狭義のIPAに対応したフォントをユーザーが選択していてのHTMLタグの<TT></TT>が阻害要因となって表示出来ない。これはWin98のフォント選択の優先順位に誤りがある(IPAを持たないフォントが選択される)ためです。

WinXP+I.E.&.6.0の組み合わせでは
HTMLタグの<TT></TT>の有無に拘わり無くschwaの表示は可能である。

OSによって仕様が異なっているのかどうか判りませんが、実際の動作はWin98とWinXPで異なることは確実です。
コンピュータ・ソフト業界(特に大手企業)には「バグ(ソフト設計、製造上の瑕疵)も仕様の内」という言葉があります。

しかしWinXP+I.E.&.6.0の組み合わせでも
「ツール」→「インターネット オプション」→「全般」→「フォント」→「言語セット」→「ラテン語基本」の「テキスト形式フォント」から「MingLiu」を選択するとschwaの部分だけ空白になる。

「テキスト形式フォント」から「Lucida Console」を選択するとschwaの部分が白抜きの四角「□」になり、「GungChe」などを選択すると日本語の左引用符“「”のような記号が表示される。

「MSゴシック」または「MS明朝」を選択するとschwaを表示出来るが、書体に若干の違いがある。

「言語セット」→「日本語」の「テキスト形式フォント」で年賀状ソフトに付属の毛筆体フォント(特にHG祥南行書体)を選択すると[ərrənguta:n]のうちschwa以外のアルファベットが筆記体(つまり毛筆体フォントのアルファベットのLower Caseの書体)で表示されるけれどschwaの書体は「MSゴシック」または「MS明朝」のままで、変化しない。

つまり[ərrənguta:n]の[]内の文字は単一のフォントで表示している訳ではない、ということができます。

「MSゴシック」と「MS明朝」の1バイト系(半角)アルファベットの見分け方は

「:」の高さが「MSゴシック」より「MS明朝」の方が高い。
「n」の縦線の間隔が「MS明朝」より「MSゴシック」の方が広い。

数字の“7”に関しては
「MSゴシック」がカタカナの“フ”のような形、
「MS明朝」がカタカナの“ワ”のような形。

トピ主さんが過去ログ編集の際、WinXPを使用するなど、条件さえ整えば文字化けを起こす狭義のIPA専用フォント(逆さa、schwaなど)の数値参照型の書き込みも取りこぼすことはなくなります。

Win98、MEを使用する場合でもHTMLのソース・リストを「ワードパッド」で編集すれば<TT></tt>タグの削除も可能です。



ハノーファー、ハノーヴァー

にれのや (2004/03/18 00:08)

〓Danke schoen, Herr Maniac C.!
地名というのは、いずれにしても厄介ですね。発音だけは、インターネットで多数決が取れない。
〓そういえば、人名のほうも厄介です。
たとえば、ドイツ人の
   David
には、ダーフィットとダーヴィットの2通りがあるようですし、
   Johann
には、ヨーハンとヨハンの2通りがあるようですし、
〓ドイツ語の発音というのは、他のヨーロッパ諸語に比べて、若干、中央集権化が弱いというか、「しばり」 がゆるやか、という印象を受けるんですが、実際はどうなんでしょうね?



Re:汽車

きしろふ (2004/03/17 19:03)

>高駒麗人KOMAさん
なるほど、そういうことですか。ふむふむ。
>北京五輪に向けて中國各地で古い建物や設備を壊してどんどん建て替えをしています。
中国はきれいということに躍起になっているようですね(^^;)



汽車

高駒麗人KOMA (2004/03/17 12:02)

きしろふさんへ

http://www3.ocn.ne.jp/~tanaka99/kawakami_ryokohki_kanwakyudai3_030506.htm
>加油站はガソリンスタンドで、文字通り油を加えるところ。油とは勿論ガソリンのことでガソリンが中国文字では汽油。自動車は汽油を燃やして走るから「汽車」だと。
一方「火車」つまり汽車は、火を焚いて走るから「火車」だそうだ。納得。

Trolley Busは電気で動くので「電車」diancheです。
バスは「公共汽車」gonggong qicheまたは「巴士」bashi。
タクシーは「出租汽車」chuzi qiche、または「計程車」jichengche、「的士」disjhiです。
ちなみに驛(駅、station)は「火車站」huochezhan、バス停(bus stop)は「公共汽車站」ですから「車站」chezhanは鉄道の驛とバス停を兩方含みます。
中国人が日本語を話す時、バス停の事を「えき」と言うのはそのためです。

http://www.ikyu.com/ovs/datas/1068.htm(ヒルトン大連)
http://park18.wakwak.com/~shoji/yotayota37.htm(大連の路面電車)
http://www012.upp.so-net.ne.jp/kidalian/luyou/rosia/rosia.htm(ロシア街)
大連の驛南口から勝利橋手前ロシア町附近やヒルトンホテルへ向かう道には、最近まで路面電車がありましたが、市の再建築で電線が除去され、普通のバスになりました。これにガッカリしている人は結構います。
北京五輪に向けて中國各地で古い建物や設備を壊してどんどん建て替えをしています。
それで却って觀光客が遠ざかる事もあるかも知れません。



Re:【満語の dalin について】

高駒麗人KOMA (2004/03/17 11:45)

>Dalin [2. 地輿十一:河岸]
>また、満語の -in は、やはり、韻母 -in を持つ漢字で転写するのが普通のようです。

滿洲語を轉写するなら北方漢語を採用するでしょうね。
するとlinは「林」lin、「鈴」lingで採用するでしょう。
廣東語では「林」lam、「鈴」lingで、北方lian「連」が廣東でlinになりますが、滿洲語の音譯では、廣東語の音韻は使われないでしょう。

Stalinの漢語名「斯大林」Sidalinは、北方漢語で發音するとSidalin(スーダーリン)になり、原音と近い名称になりますが、廣東語では「斯大林」は Sidailam になります。
これでは聴いてわかりにくいでしょう。



佛蘭西語音節末R

高駒麗人KOMA (2004/03/17 11:38)

ManiacCさんへ
佛蘭西語について説明ありがとうございます。Merci.

アイスクリームをグラスに入れたような「パフェ」は佛蘭西語parfait[parfε]ですが、これは「パルフェ」にした方が良さそうなものです。
「パフェ」は英語経由とも考えられます。
parfaitは英語に入って[pα:fei]と發音されているでしょうが、すると「パーフェイ」の筈です。
英語のparfaitと日本語の「パフェ」は食べ物の意味だけですが、佛蘭西語の辭典を見たら、parfaitは原義が「完全な」で、要するにperfectの佛蘭西語版でした。
するとchocolate parfait(「チョコレート・パフェ」)は、原義通りに表現するとchocolate perfect(チョコレイト・パーフェクト、完全なチョコレート)で、佛蘭西語式ならchocolat parfait(ショコラ・パルフェ)でしょうか?



Siebold

高駒麗人KOMA (2004/03/17 11:29)

Re: Siebold 投稿者:Maniac C.さんへ  投稿日: 3月15日(月)03時55分5秒

>Siebold は、彼の故国の独語では「ズィーボるト」で、英語でも「ズィーボウるト」
ですが、当時の日本は鎖国中で、彼は日本と国交の有る蘭国人と偽って入国しました
ので、蘭語式に「シーボルト」と呼ばれているのです。

Danke Gut.
Sieboldは南ドイツ生まれだそうで、1822年オランダのハーグに行き、父の門人のオランダ国王ウィルレム一世の侍医の斡旋でオランダ領東インド陸軍病院外科少佐になったそうです。1823年の4月にジャワのバタビヤに着いた。到着後、日を置かず、日本の長崎出島蘭館の医者と日本研究とを命じられたとあります。1823年8月11日から1828年の12月30日まで滞在したようです。
Sieboldだけでなく、「ガリバー旅行記」では、Gulliverも日本を訪れたようです。
「シーボルト」はオランダ語経由ですか。
彼はオランダにいた事もあり、それでドイツ語低地方言に近いオランダ語も出来たわけですね。

China(ヒーナauchシーナ)語でSieboldは「希伯魯特」Xibolute、ドイツの会社「シーメンス」(Siemens)は「西門子」Ximenzi(シーメンヅ)です。
映画「漂亮媽媽」で西門子製の助听器zhutingqi(補聴器)が出てきました。

Simensはドイツ語音[zi:mens]を直接採用してもいいでしょう。実際、「ジーメンス」という表記もあります。しかし日本人が假に「ジーメンス」と發音すると「ジ」がdziの口蓋化音「ヂー」(英語jeepのjee)になる可能性があります。
それなら「シーメンス」「シーボルト」がいいかもしれません。

よく、「ワイツゼッカー」(Weizsacker)を「ヴァイツゼッカー」と呼ぶ人がいますが、これですと「バイツゼッカー」(“Beizsacker”)になりがちです。
ドイツ語のw[v]を日本語で[w]にするのは、「ヴ」にしてbと混乱するのを防ぐためかもしれません。
あと、Cupid[kju:pid]は日本語で「キューピッド」[kju:piddo]ですが、「キューピット」[kju:pitto]と發音するのも結構、一般的です。シナ語では「丘比特」Qiubiteです。やはり、q[k]、pが無聲音なので語末のdも無聲音にする方が樂なのでしょう。

http://joke.tom.com/1036/20031029-49085.html#(Cupid)

http://www.pref.nagasaki.jp/naisnet/cn/access/nagasaki.html(Siobold in Nagasaki)

http://www.islands.ne.jp/uwa/people/si-boruto2.html



Re:ドイツ語のv

未菜実 (2004/03/17 09:07)

>Manian.Cさん
ありがとうございました。
現地での発音はハノーファーでした。少なくとも私の耳には。^^;



Re: ドイツ語のv(ハノーバー)

Maniac C. (2004/03/17 05:05)

>にれのや師匠、未菜実さん
>ドイツ語の v は、地域によって [v] に発音するところもある… <にれのや師匠
■独語のvは、標準語では、原則 [f] と読まれます(特に語頭・語末)。語中では、
有声音に挟まれると有声化するような気がします(例がパッと想い着きませんが)。
■例外となるのは、借入語の場合と、南部方言の場合。-iv で終わる形容詞は、
元々借入語ですが、語尾なしのときは [-i:f] で、eが付くと規則的に [-i:v@]
と有声化します。
■しかし、ハノーバーは、標準独語の規範とされている所、しかも北部地域です。
したがって、方言の影響とは、考えにくいと思います。
■ハノーバーの語源を遡ってみますと、中期独語のhon overe つまり (die Stadt am)
hohen Ufer (der Leine)「ライネ川の高い岸辺に沿った町」です。建設当初は、文字
通り「ホノーヴェレ」と有声音だったようです。しかし、Ufer という現代独語の綴り
を見てもお判りになるとおり、「川岸」という単語は「ウーファ」と発音されます。
多分、「ハノーファ」という発音は、この辺りの語源意識を反映しているものと思われ
ます。
■実際には Hannover には「ハノーファ」「ハノーヴァ」両様の発音が在るようで、
前者の方が一般的なようです(多分、後者が古い発音)。また、Hannoveraner「ハノー
ファ市民[出身者]」の発音は「ハノーヴァラーナ」と有声音ですが、Hannover(i)sch
「ハノーファの」の発音は「ハノーファ(リ)シ」と無声音です。これも多分、前者が
古くから在る単語で、後者が比較的新しく作られた単語なのではなかろうか、と考え
られます。
■私の推測ですが、欧州の古くから知られている国や都市の名前は、葡語・蘭語から
借用され、それ以外の国や都市の名前は英語から借用され、徐々に現地語化する、と
いう流れが在ります。ですから、多分、中期独語の綴りと発音に近い英語から、日本
語に「ハノーバー」という言い方が入って来ているのだろうと考えます。
■可能性は低いと思いますが、独語 Ufer に対応する蘭語は oever「ウーヴァ」なの
で、もしかすると蘭語が起源かも知れません。「ヴ」という表記が工夫されたのは明治
以降なので、それより前に借入された葡語・蘭語のv音は、ビードロ(vidro)などの
ように、バ行で表記されるのが普通です。



ドイツ語の v

にれのや (2004/03/17 00:30)

〓ドイツ語の v は、地域によって [v] に発音するところもあるようですよ。こういうことは、Maniac C. 氏の調査力で……



Re:フォルクスワーゲン

未菜実 (2004/03/16 10:18)

Re:フォルクスワーゲン

>佐藤和美さん
そうですね。^^;

>U+3002さん
ありがとうございました。
で、「v」の方は、日本語にする際「ハ行」でいいんですよね。
そこで、気になるのがハノーファー(Hannover)です。
日本語ではハノーバーとなっていますね。これは英語経由なのでしょうか?



Re: 満和辞典

にれのや (2004/03/15 23:11)

〓massangeana さん、それは驚きです。1937年から、それ以上の辞典が出ていないと。満語の発音にだって、語彙にだって、変化があったはずなのに……。満漢辞典だと、新しいのがあるんでしょうね。



Re:大衆汽車

きしろふ (2004/03/15 19:58)

>高駒麗人KOMAさん
中国の漢語に詳しい高駒麗人KOMAさんにお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?
なぜ「汽車」が「car」で「電車」が「trolley bus」、「火車」が「train」なのでしょうか?「汽車」は私が前述したようにまるで蒸気機関車みたいに思えますし、「火車」なんぞかなり資金繰りに困っているような名称(^^;)ですが。



re:ギリシャ語のラテン語化

らにい (2004/03/15 19:42)

>massangeanaさん
ありがとうございます。あとは自分で調べてみます。



Re3:フォルクスワーゲン

きしろふ (2004/03/15 18:37)

>U+3002さん
心得ておきますm(_ _)m



Re2:発音

きしろふ (2004/03/15 18:33)

>Maniac C.さん
なるほど、「x」はそういう経緯があったんですね。勉強になります。
あれで1母音でしたか。大変失礼しました。



Re:フォルクスワーゲン

U+3002 (2004/03/15 17:02)

未菜実 さん
>ドイツ語:「フォルクスヴァーゲン」
>英語:「ヴォルクスワーゲン」
>日本ではなぜか「フォルクスワーゲン」
>ドイツ語「ヴァンダーフォーゲル」
>日本語「ワンダーフォーゲル」

これらは、

きしろふ さん
>完全に英語とドイツ語がごっちゃになっていますね

とみなすべきではないでしょう。

英語系借用語では、ヴァ行を使わないときはバ行で代用します。
しかし、ドイツ語系借用語では、ワ行で代用するのが原則です。

フォルクスワーゲン / †フォルクスバーゲン
ワンダーフォーゲル / †バンダーフォーゲル
ウィーン / †ビーン
ワーグナー / †バーグナー
(例外: シュワルツ / シュバルツ)

おなじ現象は、ロシア語でも見られます。
モスクワ / †モスクバ
ウォッカ / †ボッカ
(例外: †ウォルガ / ボルガ
†ノウォシビルスク / ノボシビルスク)

(※「†」は「間違い」の意味)

これらは、ドイツ語やロシア語の[v]は、英語やフランス語の([v]ではなく)[w]と同系であることが多いからだと思われます。
事実、ドイツ語では[v]は「w」で綴られることに留意してください。



Re: 満和辞典

massangeana (2004/03/15 12:44)

いまだにこれが最良の辞書みたいですね。
さいきん出た「東方学」107輯(2004)の中の佐藤長博士インタビューのなかで五体清文鑑
のカードとりと関連して満和辞典の話がちょっとでてきました。



Re: ギリシア語のラテン語化

massangeana (2004/03/15 12:21)

とりあえずこんなページが役にたつのではないかとおもいます。
http://member.nifty.ne.jp/angursa/meimei/grlat.html



Re: Siebold

Maniac C. (2004/03/15 03:55)

>高駒麗人KOMAさん
Siebold は、彼の故国の独語では「ズィーボるト」で、英語でも「ズィーボウるト」
ですが、当時の日本は鎖国中で、彼は日本と国交の有る蘭国人と偽って入国しました
ので、蘭語式に「シーボルト」と呼ばれているのです。



Re: フランス語の綴り

Maniac C. (2004/03/15 03:54)

>きしろふさん、massangeanaさん、高駒麗人KOMAさん
【語頭のh】
■massangeanaさんが
>すでに古典ラテン語の時代から無音であったらしいです。
と書いておられますが、古典ラテン語初期の詩人・カトゥッルスの詩に
「アッリウスは commoda と言いたいときに chommoda と言うし、
insidiae を hinsisidiae と言っていた。…」
と、過剰にhを付ける人を風刺したものが在りますので、古典期にはまだ教養層では
発音されていて、聞き分けられてもいたようです。しかし、この詩のアッリウスの
ように、混乱がこの時期から起こりつつあったのも、確かなようです。
■現代仏語でも、語頭のhが発音される語が在ります。それは、“Ha! ha!”という
笑い声です。“Hé! hé!”という皮肉・ためらい・同意を表す言い方でも発音されます。
それ以外は同じ間投詞でも haïe, han, hein, hélas, hem, hep, hi, hip, ho, hop, hou,
hourra, hue, hum は、文法的には「有音のh」ということになっていますが、発音は
されません。
しかし、現代仏語人が意識的に言い分けているわけではなく、無意識的なもので、
彼らには言い分けも聞き分けも出来ないようです。
■もう一つ補足しておきますと、massasngeanaさんは
> C. (主にゲルマン語からの借用語で) むかしは h が発音されていたが, 発音されなくなったあとも書か
> れつづけた。
と書いておられますが、借用されたときから発音されてはいないが、原語でそう綴ら
れているためにhが綴られている、という場合も有ります。他日、話題に上ったhaïku
がそうですし、現代英語からの借用語や、Haïti, Havane(現地・西語でもアバナ)など
の地名がそうです。
【末尾の子音】
■仏語学習者は「語末の c, r, f, l には careful!」と覚えさせられます。大抵の
場合、語末の子音字は発音されないのですが、短い単語では、これらの文字が発音
されることが多いからです。
■古仏語では書かれていた文字は全て発音されていました。それが歴史的変化で次第
に脱落してしまった結果、発音されなくなっています。
■高駒麗人KOMAさんの挙げておられる clef はその例外で、ちゃんとご希望に近い
clé という綴りも在ります。前者の方が羅語 cla¯vem に近い綴りです。これは、
/kla:wem/>/kla:w@m/>/kla:v@~/>/kla:v@/>/kla:v/>/kla:f/>/klaef/>/kle/
という歴史的変化の結果です。
■一方、chef の方は/kapum/>/kapu~/>/kapu/>/kabu/>/kav@/>/kaf/>/kef/>
/kief/>/t∫ief/>/t∫ef/>/∫ef/と変化しましたが、chez/∫e/と同音衝突する
所為か、語末のfは脱落しませんでした。
■lilac は西語からの借用で、現代仏語では廃用となり、lilas が現用です。2音節
語なので語末のcは発音されなかったのでしょう。
■chic は独語 Schick からの借用語ですが、単音節なので、発音されます。
■きしろふさんの言う「x」とは、cheveaux などの、複数形に現れる綴りのことだと
思いますが、これは、古仏語で、-us を –x であらわす習慣が有り、chevaus は chevax
と書かれていたのを、13世紀ごろ、xをsの代用と勘違いしてさらにuを挿入した
ため、-u の後ではxが複数を表すことになったのです。
■高駒麗人KOMAさんの挙げておられる prêt-à-porter の porter は、-er型動詞の
不定法ですが、16世紀には全ての動詞の不定法から –r が脱落しました。-ir型と
–oir型のみ、文法家の努力によって18世紀に復元されましたが、-er型動詞は復元に
失敗しています。
■普通、語末の –e は発音されませんので、多くの場合、語末の子音字は、直前のe
が発音されることを表す目印になっています。
■高駒麗人KOMAさん御提案の Shanz Elize は、sh- や –z- が仏語らしからぬ綴り
ではありますが、一往、「シャンゼリーズ」とは発音してもらえます。最後の –e を
-é とさえすれば、「シャンゼリゼー」と発音してもらえるでしょう。ただ、champs
の –s は複数形を表し、Elysées の –s も、それに呼応した複数形を表す文法的な
ものですので、Shanz の方にだけ、発音されるからと言う理由だけで –z が有るのは、
何か片手落ちのような、変な感じがします。
■きしろふさんは hors-d'œuvre の œuvre を o-eu-vre とお考えのようですが、
羅語の operam に遡る単語ですので、œu で1母音です。強いて言うなら、œだけで
同じ発音(独語のöの音)を表せますので、uが黙字と言えるでしょう。



満語の dalin

にれのや (2004/03/15 01:58)

【満語の dalin について】
〓『満和辞典』羽田亨(京都帝国大学東洋史研究室) 編著 (昭和12年刊) の台湾でのリプリント版(中華民国87年再版)という不思議な 「満洲語の辞典」 を入手しました。

Dalin [2. 地輿十一:河岸]

とあります。凡例に
【ローマ[ママ]数字は清文鑑巻数、次に、「畋猟一」 「武器八」 等とあるはその類別、更にその次に二重点を置いて記したのが支那訳語であり、……」
とあり。
〓また、満語の -in は、やはり、韻母 -in を持つ漢字で転写するのが普通のようです。



大衆汽車

高駒麗人KOMA (2004/03/14 23:30)

きしろふさんへ
日本式漢語では「自動車」「乗用車」がcarで、「蒸気機関車」「汽車」「列車」「電車」がtrainですが、中国の漢語では「汽車」qicheがcarの意味で、「電車」diancheはtrolley bus(路面電車)で、「火車」huocheがtrainの意味です。

ですからVolks-Wagenのシナ語名「大衆汽車」Dazhong QicheはPeople's Carの意味です。



命名

らにい (2004/03/14 20:02)

以前、動植物の学名の付け方についてのレスがありましたが、私、生物に関してのある資料を見ましたら、学名の付け方として「ラテン語またはギリシャ語をラテン語化して用いる」とありましたが「ギリシャ語をラテン語化」というのはどういうことなのでしょうか?
いろいろと検索等してみましたが詳しいものはありませんでしたので、ギリシャ語をラテン語化する方法を知りたいと思いますのでご教授願います。



風が吹けば桶屋が儲かる

佐藤和美 (2004/03/14 19:10)

なんで風が吹くと桶屋が儲かるの?

『故事ことわざ・慣用句辞典』(三省堂)からです。
風が吹けば桶屋が儲かる
物事の因果関係が、回り回って意外な結末になることをたとえていう。大風が吹くと、ほこりが舞い上がって目にはいり、目がつぶれる人が大勢できる。その人たちが三味線をひいて門付(かどづ)けなどをするので、三味線がたくさん必要になる。そこで三味線の胴に張るために猫の皮が大量に入用となる。そのため猫を取り尽くしてしまった鼠がはびこる。鼠がわがもの顔にふるまって食物を入れてある桶をかじる。だから桶屋が繁盛して儲かる。



Re2:フォルクスワーゲン

きしろふ (2004/03/14 16:38)

>高駒麗人KOMAさん
「大衆汽車」とはガソリンではなく蒸気で走るみたいです。

うーん、でもなぜ英語やドイツ語がごっちゃになってしまったのだろうか・・・?



Re:フランス語

きしろふ (2004/03/14 16:33)

>massangeanaさん
ふむ、書いても無音なのはそういう意味があるんですか。ほうほう。
>高駒麗人KOMAさん
語尾を読まないものが意外と多いんですねぇ。確かに一々書き出していると大変です(^^;)
友人は「エリゼ原っぱ」も「長い原っぱ」も行ったことがあります。
「オードブル(horsd'oeuvre)」では「eu」と最後の「e」も無音ですね。



burgのg訂正版

高駒麗人KOMA (2004/03/14 15:42)

Sankt Peterburgは「サンクトペテルブルク」でgが「ク」になりますが「ペテルブルグ」と書かれる場合もあります。
ロシア語で「サンクトペテルブルクまで」は
“do Sankt peterburga”で、
語末の-ga[-ga]ではgが濁音になります。

Hamburger(ハンバーガー)もドイツ語を基にした片假名表記では「ハンブルゲル」になり、「ハンブルク」の「ク」が「ゲル」になるでしょう。



parisのs

高駒麗人KOMA (2004/03/14 15:34)

Parisは英語で[p{ae}ris](sを發音する)、フランス語で[paRi](sを發音しない)ですが、
Parisienne[paRizjεn]の場合、フランス語でもsが[z]として發音されるようです。
しかし、例えば日本語をローマ字で書く場合、「パリ(Paris)」はPari、「オードブル(horsd'oeuvre)」は o^doburuでいいと思います。



Hund siebold

高駒麗人KOMA (2004/03/14 15:32)

「ダックスフンド」が英語経由だとしますと、これはJohannesburgのドイツ語音起源の「ヨハネスブルク」に對する英語経由の「ヨ(ジョ)ハネスバーグ」、Hamburgのドイツ語音起源の「ハンブルク」に對する英語経由の「ハンバーグ」みたいなものでしょう。

Sieboldは「シーボルト」ですが、ドイツ語では語頭s[z]、語末d[t]で、英語では語頭s[s]、語末d[d]ですから、「ジーボルト」か「シーボルド」の筈です。
Siemensは日本語で「シーメンス」ですが「ジーメンス」も見掛けます。



訂正 フランス語の黙字

高駒麗人KOMA (2004/03/14 14:58)

サービスが優秀なホテルコンシェルジュ→ホテルのコンシェルジュ

ところで、サービスが優秀なホテルのコンシェルジュ(Concierge受付案内係)に、「金の鍵」のバッヂらしき物を表彰状代わりに贈呈する組織があるようです。
その名前がLes Clefs D'or[lεkledoR](金の鍵)のようです。

私が書いている間にmassangeanaさんがご説明下さったようです。Merci.

http://www.j-pca.net/world/language/french/



Re:ダックスフンド

佐藤和美 (2004/03/14 14:56)

未菜実さん
>「ダックスフント」は英語見たいですね。

「「ダックスフンド」は英語見たいですね。」ですよね?



Volkswagen Les Clefs D'or

高駒麗人KOMA (2004/03/14 14:53)

きしろふさんへ
企業名「フォルクスワーゲン(Volkswagen)」は、中国で「大衆汽車」Dazhong Qicheです。中国の自動車会社「一汽」Yiqiと合弁して「一汽大衆」Yiqi-Fazhongを名乗っています。「一汽VW」とも書かれます。
http://fpj.peopledaily.com.cn/2003/04/14/jp20030414_27945.html

フランス語の場合、語末のsは黙字のようで、英語のlilac(ライラック)に対してフランス語のlilac(リラ)があります。もしフランス語でも英語と同じでlilacがcで終わると「リラク」になる所です。あとChirac(シラク)やchic(シック)もあります。

chef[∫ef](シェフ)の場合、語末のfは發音されるようです。

ところが フランス語では、clef[kle](クレ、音樂の記号、鍵)の場合fは黙字のようです。
これでは何が黙字で何が發音すべきかわかりません。

一方、英語の clef[klef](クレフ、音樂の記号)ではfを發音します。

ところで、サービスが優秀なホテルコンシェルジュ(Concierge受付案内係)に、「金の鍵」のバッヂらしき物を表彰状代わりに贈呈する組織があるようです。
その名前がLes Clefs D'or[lεkledoR](金の鍵)のようです。

片假名では「レクレフドール」ではなく「レクレドール」のようです。
lesのsを發音せず、clefsのfもsも發音しなくぃようです。
http://www.lesclefsdorjapan.com/

ならば Le' Cle' D'orと書いても良さそうな物です。
Les Clefs D'or Japanという組織がありますが、「金の鍵」はフランス語なのに後ろの「日本」がフランス語のJaponでなく英語のJapanですから、混成語ですね。日本で言うArbeit Newsのような物です。

英語ではLes Clefs D'orという組織名の場合は、フランス語の發音にならってclefsのfsを読まないのでしょうか。つづり字發音で[-klefs-]と發音する人もいるかもしれませんが、この辺はどうなのでしょう?

Les Clefs D'orは片假名で「レクレドール」で、フランス語でも語末のrは發音するようですが、例えば pret-a-porterは「プレタポルテ」で、語末のrを發音しないようです。

まあドイツ語の片假名表記でもBerlinは「ベルリン」なのにHitlerは「ヒトラー」ですからこういう不規則さはよくある事かもしれません。

どうして發音しないのかというより、發音しないものを一々書くほうが辺です。
シャンゼリゼはChamps Elyseesですが、これもShanz Elizeと書けばすっきりします。



Re: フランス語のつづり

massangeana (2004/03/14 14:40)

きしろふさん:
文字がさきにあってそれを発音しているわけでなく, ことばをあらわすために正書法があるのですから
質問をいいかえて「なぜフランス語のつづりでは発音されない子音を書くのか」としてみます。
その1:
h についてはすでに古典ラテン語の時代から無音であったらしいです。フランス語で h を書く理由
はいくつかあって
A. ラテン語の正書法に似せた。homme (オム, 人)など。
B. 読みまちがいをふせぐため。huit (ユイト, 8)を uit と書くと, 昔は u と v が文字のうえで区別
 されなかったため, vit と読まれる可能性があった。
C. (主にゲルマン語からの借用語で) むかしは h が発音されていたが, 発音されなくなったあとも書か
 れつづけた。このばあい, まえにくる語とのつながりかたが h- のない語とはことなっているので,
 h をかいておくことには積極的な意味もあった。
末尾の子音もおなじで
A. ラテン語ににせるため。「et (エ, …と)」など。
B. むかしは発音されていたもの。このばあい, おおくはうしろに母音がつづいたばあいに
 リエゾンによって発音される(複数形の -s はすべてそう)ので, かいておく積極的な意味
 があります。



Re:フォルクスワーゲン

きしろふ (2004/03/14 13:12)

>未菜実さん
完全に英語とドイツ語がごっちゃになっていますね(^^;)
確か「フォルクスワーゲン(Volkswagen)」は「大衆車」、「ワンダーフォーゲル(Wandervogel)」は「渡り鳥」でしたっけ?



無声

きしろふ (2004/03/14 13:03)

お久し振りです。
いきなり質問ですが、なぜフランス語では単語の頭の「h」や末尾の「s」「x」など発音しないのでしょうか?もしその経緯(歴史)をお知りでしたらお願い致します。
単純な質問ではありますが、重ねて宜しくお願い致します。



えぐい、いがらっぽい

佐藤和美 (2004/03/14 10:03)

ちょっと『大辞林』で調べもの。

いがらっぽ・い 5(形)
のどが刺激される感じである。えぐい。えがらっぽい。
「煙でのどが―・い」
〔「えがらい」から転じた語〕
[派生] ――さ(名)

さて、「えがらい」は、

えがら・い ゑ― 3 (形)[文]ク ゑがら・し
〔「えぐい」と「辛い」が混交して生じた語〕「えがらっぽい」に同じ。
「―・いタバコ」

ついでに、「えぐい」。

えぐ・い ゑぐい 2 (形)[文]ク ゑぐ・し
(1)あくが強くてのどを刺激するような味や感じがする。えがらっぽい。えごい。
「十分に熟していないので―・い」
(2)気が強い。また、思いやりがない。
「根つからよめりせずに立て歩く―・い代物さ/洒落本・列仙伝」
[派生] ――さ(名)

「えぐい」と「いがらっぽい」て、関係ある言葉だったんですね。



Re:ダックスフンド

未菜実 (2004/03/14 10:00)

「ダックスフント」は英語見たいですね。

で、思い出すのが
ドイツ語:「フォルクスヴァーゲン」
英語:「ヴォルクスワーゲン」
日本ではなぜか「フォルクスワーゲン」

ドイツ語「ヴァンダーフォーゲル」
日本語「ワンダーフォーゲル」



ダックスフンド

佐藤和美 (2004/03/14 09:37)

昨日、日テレの「報道特捜プロジェクト」って番組の中で「ダックスフンド」なんて言葉を使ってました。

さて、Googleで検索。

ダックスフント 19100件
ダックスフンド 44600件

「ダックスフンド」がこんなに優勢だとは知りませんでした。

『大辞林』
ダックスフント 5 [(ドイツ) Dachshund]
〔アナグマの猟犬の意〕イヌの一品種。ドイツ原産。胴長で脚が短く、体高25センチメートル程度。小型化されたものは、ミニチュア-ダックスフントという。被毛の違いによって、滑らかな短毛種のスムース-ヘアード、粗い短毛種のワイアー-ヘアード、長毛種のロング-ヘアードに分類される。

もしかすると、「ダックスフンド」って、英語読み?



Re: 大和言葉での数え方

U+3002 (2004/03/12 15:00)

えむくまさん
>20は「はたち」、百は「もも」、千は「ち」って言われてみれば、知っていることだったのですね。30,40,50はどうだろうと考えましたが、十は「そ」と読みますから、「みそ」「よそ」「いそ」ですね、きっと。

少し混乱が見られます。「はたち」と「みそ」は、細かく言えば別の系統の語です。
●ひとつ、ふたつ、…、はたち、…、みそぢ、…
●ひと、ふた、…、はた、…、みそ、…
「ひと、ふた、…」の系統は、単独では使われず、ふつう和語の助数詞をともないます。
例: ひとつ、ひとり、ひとよ、ひととせ、ひとやま、ひとセット、etc.

>なぜ20は「ふたそ」でないのだろう?

「はた」は「ふた」の変化形だとの説があります。
50が、規則的には「いそ」であるにもかかわらず、「そ」を省いた「い」が使われることが多いことを参考してください。
また、マレー系の言語の中にも、nと10nを同じ語で呼ぶものがあるそうです。



Re: 文字化け

massangeana (2004/03/10 10:13)

見えるかどうかにかかわりなく, ここの管理人の佐藤さんが, 「過去ログを編集するとき
困るから JIS X 0208 以外の文字はつかわないように」と何度もおっしゃっていますので, それ
にしたがうべきでしょう。

偽中国人さんの投稿は
1. 文法的に正しい HTML 上にある文字が特定のブラウザでみられない
2. ある文字を含むメッセージが文字化けしてだれにもよめなくなる

のふたつの問題をごちゃまぜにしているとおもいました。等幅フォントうんぬんというのは
前者の問題, 簡体字中国語がどうこうというのは後者の問題です。

前者についてはたんなるフォント選択の問題ではないでしょうか。手元の IE 6.0
では等幅フォントは「MS ゴシック」になっていますし, System フォントでも IPA は表示
できます (Windows 2000/XP)。

後者については, この掲示板がレンタルのシステムであり, 言葉について語る
ための専用のものでないので, 特殊な文字をつかうことなど想定していないと
いうことにも注意する必要があります。掲示板自身が Unicode をつかっていれば
IE で投稿しても何の問題もないのです。



文字化けについて

偽中国人 (2004/03/10 03:25)

文字化けについて調べて見ました。
結論から言うと、Windows及びインターネット・エクスプローラの構造的欠陥が原因です。

高駒麗人KOMAさんの「投稿日: 3月 7日(日)18時16分5秒」の投稿の中でIPAの「曖昧母音の記号schwa」の部分が縦長の□になっています。

インターネット・エクスプローラーの場合、この掲示板を右クリックすると、HTMLのソース・ファイルを見ることが出来ます。ソース・コードを調べてみると、半角文字で<tt>というのがあります。
これは<tt>と</tt>との間に挟まれた文字を、等幅フォントを使って表示せよとブラウザに指示を出すものです。
フォントがMS明朝ならunicode ver.2.1をサポートしているので半角で[&#601;]と入力して送信(投稿)すればschwaが表示されるはずですが、この<tt>と</tt>のおかげでMS明朝ではなくSystemフォントが選択されるようです。

日本語WindowsのSystemフォントはANK(AlphaNumericKana)と第一水準、第二水準、IBM拡張文字しかサポートしていませんので、IPAを&#で指定してもschwaに該当するコードのフォントが無いためOS(オペレーティング・システム)が代替文字として半角縦長の□を表示する、という仕掛けです。

HTML形式でsave可能なワープロなどで新規にHTMLファイルの基本的枠組みを作成、保存し、それを
「メモ帳」などのエディタで開き、実際に半角で「&#601;」と入力し、保存すればIEでschwaの表示が可能です。

次にソースを「メモ帳」で開き「&#601;」の前に半角で<tt>、後ろに半角で</tt>と書き込んで保存します。IE5.5で開いて表示させると、文字化けしているとおもいます。
<tt>と</tt>と取り去れば再びschwaを表示します。schwaを正しく表示している時はMS明朝フォントが選択されているものと思われます。

Netscape 6.2.3ではこのような文字化けすることなくschwaを表示します。

マイクロソフトのHPに次のような記述があります。
http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;JA;826908
『補助漢字 (JIS X0212) が含まれるメッセージが簡体字中国語 (GB2312) でエンコードされる現象....
原因
補助漢字 (JIS X0212) は、"簡体字中国語 (GB2312)" のコード ページには含まれますが、"日本語 (JIS)" のコード ページには含まれないため、"簡体字中国語 (GB2312)" でエンコードされます。
補足:
メッセージ内のすべての文字を表示できるエンコード方法を自動的に選択します。 』

この言い訳は換句話説(huan4ju4hua4shuo1=言い換えると)「Windowsがサポートする日本語の文字は第一、第二水準だけだ」という意味です。簡体字中国語 (GB2312)" と解釈できるコードにdetectしたら全体を優先的に簡体字中国語 (GB2312)とみなすというのがマイクロソフトの方針だということです。第三、第四水準の文字はシステムフォントではサポート範囲外なのです。このことをあまりハッキリ言うと、客が逃げてしまうので言葉を濁しているだけです。

繁体字Big5、簡体字中国語GB2312の2バイト系漢字の第一バイトが日本語の半角(1バイト系)カナ文字、カナ記号と同じコードを使用していることも文字化けの原因と考えられます。

更にサーバーの中には漢字コードの第二バイトに“5C”を含むものが文字化けする場合もあるそうです。
http://www.php-j.com/forum/read.php?FID=6&TID=1133



орангутан と орангутанг

げたのにれのや (2004/03/09 01:53)

〓ロシアの検索エンジン 「Яndex」 で、орангутан と орангутанг を検索してみました。
   орангутан  6175件 27%
   орангутанг 16788件 73%
といったところです。意外にも発音しにくい 「オラングタヌク」 に軍配が上がりました。この両者の違いと言えば、まあ、日本語で言うところの
   トムヤンクン 4030件
   トムヤムクン 6210件 (Yahoo!)
の違いみたいなものです。



орангутан(г) 大連

高駒麗人KOMA (2004/03/07 18:16)

орангутан(г) の発音   投稿日: 3月 5日(金)23時08分16秒

げたのにれのやさんへ

>〓KOMAさん。орангутан(г) という単語をロシア人が発音するのを聴いたことはありませんが、
   орангутан [アラヌグゥ'タヌ]
   орангутанг [あらヌグゥ'タヌク]
と発音するのは間違いないと思います。

「簡明俄漢詞典」では
орангута’нг,-а[陽]猩猩
とありますので、
   орангутан [ərrənguta:n]
   орангутанг [ərrənguta:nk]の何れかでしょう。
[ə]は曖昧母音の記号schwaです。
皆さんの機種ではəは化けていませんか?
[a]で代用するか、{e逆さ}のほうが無難でしょうか?

massangeanaさんへ
>中国語には lin と読む字はたくさんあるので, dalin に由来するならばわざわざ音のちがう「連lian」をつかわずべつの字をつかったはず

例えば「大林」Dalinだったら納得できるでしょうか。
シナ語方言では ianが in になるのは結構あります。
「大連」は廣東語でDailinです。しかし大連のような満州南部のシナ語(北方方言の一種)で、「連」をlinと發音するのがあるかどうか。個人の發音(個人方言ideolect、一時的な言葉parole)では ian の發音が inになるのは北方でも結構あります。

massangeanaさんは御存知でしょうが、ロシア語のシナ語音譯では、
ロシア語のин(in)はシナ語でinまたはingになります。

Ленин(Lenin)→列寧(Liening)
Сталин(Stalin)→斯大林(Sidalin)

この場合、нин(nin)は「寧」ning、
лин(lin)は林(lin)ですが、「林」の場合、南方方言でlimやlamになります。
「令」lingを使って「斯大令」とすれば無難でしょうが、現状は理屈どおりにはいきません。

以前、大連で会ったロシア人女性の
Елена(Yelena)さんは、中国語では「叶蓮娜」(Yelianna)でした。
ianという韻母が使われたのは、私の知る限りこれくらいでしょうか。



Re: 大連

massangeana (2004/03/07 09:57)

松茸さん, 批判文の紹介ありがとうございます。漢語の「輦」に由来すると
いう語源説はいただけませんが, 批判部分の
1. dalin (岸)は一般的な語すぎて固有名詞としては不適当
2. 中国語には lin と読む字はたくさんあるので, dalin に由来するならばわざわざ
  音のちがう「連lian」をつかわずべつの字をつかったはず
というのはもっともだとおもいました。



まずは自力で調べましょう

松茸 (2004/03/06 23:32)

 沖縄の言葉については、とりあえずここを見てください。
「琉球語音声データベース」
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/index.html
 また、通常の国語辞典ページや検索エンジンも役に立ちます。
 掲示板で質問するのは、それでもどうしてもわからない場合です。



教えてください・・・

ミツオ君 (2004/03/06 20:25)

 沖縄で「あだん」と言う言葉を調べてます。やっとたどり着いたのがこのHPです。教えてくださいお願いします。



速見もこみち の 「もこ」 とは?

げたのにれのや (2004/03/05 23:54)

【速見もこみちの 「もこ」 とは?】
〓ええ、みなさん、下世話なはなしで恐れ入ります。
近ごろ、俳優の 「速見もこみち」 の名前の由来で、ほうぼうのサイトが盛り上がっているようで。本人がTVで語っていたのを偶然見ましたが、
●「もこみち」 は本名で、モコはどこかの外国語で 「まっすぐ」 という意味で、「もこみち」 で 「まっすぐな道」 という意味だ。
とのこと。
 ほうぼうのサイトで入り乱れる情報も似たようなものですが、
●イタリア語で 「まっすぐ」 の意味、と雑誌に書かれていた。
●スペイン語が語源。
●どこかの外国語で 「太陽」 という意味。
という説がありました。しかし、イタリア語でもスペイン語でも、moco に 「まっすぐ」 という意味はありません。特に、スペイン語は、
   moco ['モーコ] 鼻汁
という始末で。どこかの言語に 「まっすぐ」 という意味の 「モコ」 という単語はあるんでしょうか?
〓わたしは、モコと聞いたとたんに、ジャン・ギャバン 『望郷』の Pepe Le Moko ペペ・ル・モコを思い出したんですが……



орангутан(г) の発音

げたのにれのや (2004/03/05 23:08)

〓KOMAさん。орангутан(г) という単語をロシア人が発音するのを聴いたことはありませんが、
   орангутан [アラヌグゥ'タヌ]
   орангутанг [あらヌグゥ'タヌク]
と発音するのは間違いないと思います。



ロシア語とNG音

高駒麗人KOMA (2004/03/05 21:15)

松茸さん御紹介の頁は、大連外国語学院の人の文章ですね。

http://kr.search.yahoo.com/search/web?fr=kr-front&p=Sankt+Peterburg&b=16&xargs=
(Yahoo Koreaで“Sankt Peterburg”で檢索)

http://www.ozi.co.kr/html/gi_leningrad_02.htm
(Sankt Peterburgの別名 Leningrad)
↑Санкт-Петербург(Sankt Peterburg)は、
朝鮮語、韓國語、高麗語Korejskij jazykでは
“상트 페테르부르크”
(Sang-theu Phe-the-reu-bu-reu-kheu)
になるようです。

SanktがSangt[saŋt]に聽こえるのでしょうか?

「オランウータン」orang utanはMalay語の
orang(人) hutan(森)
のようですが、英語では
orang-outang
になり、ロシア語では
орангутанг(orangutang)
になっています。
[orrangutank]
のように發音されるのでしょう。



大連 伊都綿 地名の綴り

高駒麗人KOMA (2004/03/04 09:04)

大連あれこれ 投稿者:高駒麗人KOMA  投稿日: 3月 3日(水)00時39分1秒
>最近、青泥窪橋〜勝利廣場近くにイトキン(伊都錦)が出店しました。
伊都錦でなくて伊都綿でした。
http://ginandit-ld.hp.infoseek.co.jp/news0310c.html

「大連」は滿洲語ですか。色々な説があってますます混乱しますね。
英和辭典でSian(西安), Siang(湘江Siang Kiang?), Siangtan(湘潭),
Sikang(西康)があり、一方でHsi Chiang(西江), hsien(縣), Hsin-kao(新高山Hsin-Kao-Shan?), Hsinking(新京)があるのは確かに不統一ですね。
ジーニアス英和辭典ではQingdao(青島)があり、Tsingtao、Chingtaoもありうると書いてありました。
福建の場合Hokkienは恐らく現地方言音で、Fukkinは廣東語音で、Fukienは山東省音Fugianで、FuchienとFujianは北京語音でしょう。
大連にあるスイスホテルの無料配布の册子(今はなくなりましたが)で、同じ冊子内で「四川」がSichuanだったりSzechwanだったりしています。イギリス綴りとアメリカ綴りが混在するなど日常茶飯事でした。
本名信行氏が編輯した「アジアの英語」の辭典では、例文の中で、「福建」をHokkien、「客家方言」の事をKekと記述していました。これはSinglishのような東南アジア英語で、シナ南方の華僑が老家(故郷)の方言音をそのまま英語に混ぜている物でしょう。この辭典では何処の方言音なのか注釋も何もありませんでした。シナ北方(北京や青島、大連、西安など)で、「英語で書かれた中国の案内書」を買えば福建はFujian、客家はKejiaでしょう。
結局英語をマスターするにはシナ語の各方言を覚える必要も出てきます。
日本人でロシア語を学んだ人でシナ語を知らない人の場合、
Ли Хун Чжанのようなシナ語の露西亜文字表記をどれだけ理解できるか、他人事ながら心配です。



奥が深い re:大連

松茸 (2004/03/04 05:01)

* げたのにれのやさまご紹介の論文ですが、批判文も見つかりました:
http://www.google.co.jp/search?q=cache:BEVrNVqxpz8J:www.dlsk.net.cn/xxyj4/q4p21.htm
……なんとしても中華語と解釈したいだけ、のような気もしますが。(^^;

* massangeanaさま、ご教示ありがとうございます。m(_ _)m



満語の dalin ですか……」

げたのにれのや (2004/03/04 04:39)

〓massangeana さん、ありがとうございます。
すると、「大連」 という地名は、満語を語源とした 「大連湾」 から取られ、のちに語源が不明になっていた、ということですか?
〓それと、検索の途中で気がついたんですが、中国には 「青泥〜」 という地名が多いようです。これには、何か特別の意味があるんでしょうか? わが辞典には 「青泥」 という語は載っていないんですが。



Re: 大連は満洲語か?

massangeana (2004/03/04 04:29)

>『名称是怎様来的?“大連”其名源自満語』
ロシアが清朝から大連湾などを租借したときの条約中, ロシア語で大連湾にあたる箇所に
相当する満語の箇所が「海浜之湾」になっている。「海浜」は満語では dalin という。
したがって「大連」は満語の dalin の音に由来するにちがいない, という論旨ですね。

松茸さんが疑問を呈していらっしゃいましたが, 岸を dalin といったのはたしかのよう
です。Google で「julergi dalin」で検索してみてください。ネルチンスク条約の原文が
でてきます(朝鮮語のpdf なので, 直接日本の acrobat では開けないようです。HTML版
はみられます)。



大連は満洲語か?

げたのにれのや (2004/03/04 03:06)

〓大連は満洲語か?
『名称是怎様来的?“大連”其名源自満語』というページを見つけました。
http://travel.runsky.com/homepage/travel/dalian/survey/userobject1ai321473.html
ここにはどういうことが書いてあるんでしょうか?



福建・客家

Maniac C. (2004/03/04 03:05)

>高駒麗人KOMAさん

>「福建」をHokkien、「客家」をHakkaと書くのは何処の英語でしょうか?
→研究社の『新英和大辞典』, The American Heritage Dictionary of English
Language, Merriem-Webster Online では Fukien でした。
どの中国語方言に基づくのかはこのどれにも記載は有りませんでした。
中国語方言字音データベースで見ますと、「福」を hok に近く発音するのは台湾語
(hok4)と潮州語(hog4)ですが、「建」を kien に近く発音するのは台湾語(kian3)と
客家語(gien4)です。Hokkien は台湾語に基づく綴りでしょうかね。
又、Hakka も同HPで見ますと、客家語で hak5ga1, 広東語で haak3ga1 となります
ので、このどちらかに基づく綴りではないでしょうか。



旅順・奉天・新京

Maniac C. (2004/03/04 03:02)

>高駒麗人KOMAさん

>英語圈の人は「旅順」をRyojun及びPort Arthurでわかるとは限りません。英語話者には北京の中国人や中國にいた經驗のある西洋人で、旅順の英語表記をLushunで覚えている人なども入るでしょう。
→なるほど、そういう人も対象読者層とお考えになるわけですね。

>そういう人に英語で日本史を説明するなら、旅順の場合、“Ryojun(Port Arthur、Today written as Lushun)”のように今の慣用ではLushunだと書くのが親切だと思います。
→確かに、その方が親切だと私も思います。しかし問題が2つ在ります。
1つは、「日本の英日翻譯担當者は中國の地名の現行綴りには疎いようです」とした
点。日本史の年表であれば、当時の呼称のみで良い(スペースの関係もあるでしょう)、
と判断されたのかも知れません。
もう1つは、英日対訳(?)であり、「日本史」に関する書物であれば、或る程度、日本
に興味を持っている読者が対象だと考えられますので、そういう読者と英語を学んで
いる日本人には、日本語での呼称と、英語での呼称とで十分であり、現行での中国音
までは不要、と考えられたのかも知れません。
多分、「英語で日本史」の本は、高駒麗人KOMAさんの想定するような読者層を想定
していなかったのではないでしょうか。

>この本では奉天はMukdenでした。これは「奉天」Fengtianとは無関係の別称でしょう。
→失礼しました。ムクデンも満州語で「隆盛」の意味で、漢語での「盛京」に当たる
そうです。後にここに「奉天府」という地方機関を設けたため、「奉天」と呼ばれる
ようになったそうです。ウェード式とは無関係でした。

>「新京」はWade式では確かにHsinkingですが、私が観た昔の鉄道のボードではSinkingでした。
>台北の博物館で「新疆」XinjiangをSinkiangと書いてあるのを見ました。
>西夏XixiaはWade式でHsihsiaですが、「世界の言語と国のハンドブック」では Sihiaです。
→確かに、研究社の『新英和大辞典』にもSian(西安), Siang(湘江), Siangtan(湘潭),
Sikang(西康), Si-kiang(西江), Sining(西寧), Sinkiang(新疆), Sitsang(西蔵)が
拾え、Pinyin の X が S で綴られる地名も在るようです。逆に HS で記載が有るのは、
Hsia(夏), Hsi Chiang(西江), hsien(縣), Hsin-kao(新高山), Hsinking(新京),
Hsuan Tsung(玄宗), Hsuan T'ung(宣統帝)です。不徹底で混乱しますね。



Re: 大和言葉での数え方

Maniac C. (2004/03/04 02:59)

>えむくまさん
>30,40,50は……、「みそ」「よそ」「いそ」ですね
→そうです。50は「五十鈴(いすず)」にも残っているように「い」だけの場合も有る
ようです。

>なぜ20は「ふたそ」でないのだろう?
→『岩波古語辞典』には「両手・両足の全部の指の数を基礎として二十進法の数詞が
発達し、二十を『全部』または『一人』と言う単語で示す言語は少なくないから、
ハタは恐らく動詞ハテ(果)と同根で、これ以上数えられない、両手・両足の指を全て
使い切った数の意であったのだろう。」と有ります。機械的に10が2つ分、と数える
のではなく、そういう特別な感情の込められた、身近な語だったのでしょうね。



大連について、さらに

げたのにれのや (2004/03/04 02:29)

【大連、つづいて】
〓KOMAさん、訳をありがとう。
大ソヴィエト百科事典が、1860年より大連という地名があった、と認めていることを考えれば、少なくとも、ロシアが現在の大連を 「ダーリニイ」 と命名した時点で、「大連」 という呼称があったことは確かだと思います。つまり、ソ連邦と中国の両者が、「大連」→「ダーリニイ」 という順序を認めているわけです。
〓台湾の検索エンジンで調べたところ、
   青泥窪 22件
   青泥{さんずい+圭} 12件
でした。中国で検索すると、
   青泥窪 0件
です。やはり、かつての表記が 「青泥窪」 で、中国では 「青泥{さんずい+圭}」 への書き換えが行われたように思えますね。
〓ええ、話は変わるんですが、ロシア語の形容詞には 「短語尾」 と 「長語尾」 というものがあります。変化語尾が長いか短いかという違いです。たとえば、
   здоровый [ズダ'ローヴイ] 「健康な」
ならば、
   男性短語尾 здоров [ズダ'ローフ]
   男性長語尾 здоровый [ズダ'ローヴイ]
です。両者の違いは、「一時的な性質」 と 「普遍的な性質」 の違いです。日本語でたとえれば、
   地球は丸い 「丸い」=普遍的
   今日の月は丸い 「丸い」=一時的
ということです。ロシア語の形容詞すべてに 「短語尾」 と 「長語尾」 があるわけではありません。たとえば、「色を表す形容詞」 には短語尾がありません。実は、ロシア語には、「遠い」 という意味の形容詞が2つあります。
   далёкий [ダ'りょーキイ]
   дальний ['ダーりニイ]
「距離が遠い」 という意味では両者は同義です。далёкий には、短語尾がありますが、дальний には 「習慣的に」 短語尾がありません。しかし、もし、дальний に短語尾があれば、その男性形の語形は
   дален ['ダーりぇヌ]
です。これが、
   Dalian [タ゚ーりぇヌ]
と発音がソックリなんですね。ロシア人が 「大連 dalian」 という音を聞いたとき、それが、дальний という形容詞を連想させることは十分考えられます。



Vladivostok:「符拉迪沃斯托克」Fi-la-di-wo-si-tuo-ke

高駒麗人KOMA (2004/03/03 22:50)

訂正:
今の中国で作られた「世界地図册」Shijie Dituce(=World Atlas)では、Vladivostokは「海蔘威(“威”の上に山がある場合もあり)」Hai-shen-wei、または「符拉迪沃斯托克」Fi-la-di-wo-si-tuo-keですから、流石に漢字の本場では「浦鹽斯コ」は没(ボツ)になったようですね。

【Далянь】 Дальний,Дайрен。
要するにソヴィエト時代、大連はロシア語でDaljan'、またはDal'nij、Dajren(Dairen)と呼ばれていたわけでしょうか。

>▼沙俄強占大連地区后、于1899年在大連湾西南岸的東、西青泥窪一帯筑港口、建居民区、改 "青泥窪" 為 "達里尼" 市。"達里尼" 為 "大連" 的諧音。……
ツァーリのロシア(ロシア帝国)が大連を占領した後、1899年大連湾西南岸の東西の青泥窪一帯に港と居住区が建設され、「青泥窪」Qingniwaが「達里尼」Daliniに改名された。「達里尼」は「大連」の諧音(似た發音の言葉)である。

Дальний が、Dalian のモジりなのか、それともДальний が、Dalian になったのか、今後の研究課題ですね。



大連について、さらに

げたのにれのや (2004/03/03 02:22)

【大連について、さらに】
〓『大ソヴィエト百科事典』(БСЭ) の Далянь をひいたところ、次のような記述がありました。БСЭ は、ソ連邦では最も信頼のおける百科事典でした。
【Далянь】 Дальний,Дайрен。
……(前略)……
大連は、条約によってロシアが中国から租借した領土に、1898年、ロシア人が Дальний (ダーリニイ) の名のもとに建設した。その地には、Циннива [ツィンニ'ヴァー] という漁村があり、1860年より大連と呼ばれていた。
……(攻略)……
〓Дайрен の発音は [дай'рэн] です。「ツィンニヴァー」 というのが、噂の 「青泥窪」 らしい。ただし、現在の簡体字表記は 「青泥{さんずい+圭}」 とみえる。
http://www.cncn.com/zones.asp?Province=Liaoning&City=Dalian
このページに、次のようなことが書いてあります。わたしには正確に訳す能力がないので、原文を引用します。
▼…… 現大連市区一帯在
   魏晋時称 "三山"、
   唐時称 "三山浦"、
   明清時称 "三山海口"、"青泥窪口"。
○ここに 「チンニーワー」 が出てきますね。
▼大連名称源于大連湾。大連湾的称謂最遅在明代就己出現、官方文件始見于1879年李鴻章給光緒皇帝的奏折中。
○李鴻章が大連を使用した例が最も古いことが、ここにも記されていますね。
▼沙俄強占大連地区后、于1899年在大連湾西南岸的東、西青泥窪一帯筑港口、建居民区、改 "青泥窪" 為 "達里尼" 市。"達里尼" 為 "大連" 的諧音。……
○中国では、ロシア語の Дальний ダーリニイ ['da:l'nij] は、大連の地口ととらえられているようです。他にも、このような説明をしているページがあります。ロシアには、こういう説明をしているページは皆無でした。

(1) 「青泥窪」 チンニーワーから 「大連」 になったのは、いつごろなのか?
(2) Дальний は、Dalian のモジりなのか?
残る疑問2つ。



訂正:春卷 chunjun>chunjuan

高駒麗人KOMA (2004/03/03 01:17)

地名人名とは別ですが、中國で作られたフランス語圏の人用の会話帳では、
春卷 chunjuan(chun kien)rouleau de printemps
燒賣 shaomai (siu mai)pain fourre au porc cuit a la vapeur
等と書かれてあり、西洋ではchun kienやsiu maiの方が馴染みであるとわかりました。

いずヴぃにーちぇ。



うらじお など

高駒麗人KOMA (2004/03/03 01:11)

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1429/colo/dairen2.html
第四節 日本の命名した大連

>浦塩斯徳<ウラジオストック>、ニコリスク、ハバロフカ方面から…

浦塩斯徳<ウラジオストック>は酷いですね。

stokを「斯コ」si-deにするのはいいです。
しかし、前半のVladivo-を「浦鹽」にするのは日本式の当て字です。
大体、形態素としては、Vladivo-stokではなくVladi-vostokでしょう。

日本人が臺灣の「タカオ」(打狗Dagou「ダゴウ」)を「高雄」と書いたようなものです。

今の中国で作られた「世界地図册」Shijie Dituce(=World Atlas)では、Vladivostokは「海蔘威(“威”の上に山がある場合もあり)」Hai-shen-wei、または「符拉迪沃斯克」Fi-la-di-wo-si-te-keですから、流石に漢字の本場では「浦鹽斯コ」は没(ボツ)になったようですね。

ハバロフスクは昔はハバロフスカだったのでしょうか。これはやはり形容詞女性形でしょうか?

Vladivostokに對する「海蔘威」、Khabarovskに對する「伯力」Boliは、恐らくロシア沿海州Primorskijが清國領土だった頃の名前でしょうが、滿洲語名つまりTungus語の呼称はどうだったのか氣になります。

大連湾のロシア語名“Да-лянь-вань”は、
昔は“Та-лянь-вань”でしたか。
西歐語でのTalien>Dalianと似ていますね。

李鴻章のロシア語名“Ли Хон Чжан”は、
昔は、“Ли Хунг(-)Чанг”ですか。
これもLi Hung Chang>Li Hong Zhangという変遷と似ています。

Pin音制定で、シナ語固有名詞の羅馬字綴りが変わりましたが、キリル文字表記もそれと連動したという事でしょうか。

ところで「福建」をHokkien、「客家」をHakkaと書くのは何処の英語でしょうか?
北方中國で作られた英語による中國のガイドでは、Fujian、Kejiaになるでしょうから、これではCommunicationに支障を来たすのではないでしょうか?
地名人名とは別ですが、中國で作られたフランス語圏の人用の会話帳では、
春卷 chunjun(chun kien)rouleau de printemps
燒賣 shaomai (siu mai)pain fourre au porc cuit a la vapeur
等と書かれてあり、西洋ではchun kienやsiu maiの方が馴染みであるとわかりました。



ピンインのロシア文字転写法

げたのにれのや (2004/03/03 01:06)

【ピンインのロシア文字転写の一覧表】
〓先に書き込んだアドレスでは、どうも、ジャンプできません。
http://satabhava.hobi.ru/biblio.htm
にジャンプしたあと、
   (1) 左に縦に4つ並んでいるアイコンのうち、上から3つ目をクリックし、
   (2) ジャンプしたページで上から7つ目のエクスプローラーのマークをクリックしてください。
ややこしくてすみません。



李鴻章のロシア語表記

げたのにれのや (2004/03/03 00:40)

【李鴻章(り・こうしょう/リー・フンチャン)のロシア語表記】
〓松茸さん、massangeana さん、面白い情報をありがとう。
李鴻章のロシア語表記ですが、松茸さんの情報に従って検索してみたところ、
   Ли Хун Чжан もしくは
   Ли-Хун-Чжан
   [りふヌ'じゃヌ] (という発音と思われる)
が正しい綴りと判明しました。200件ほどヒット。hong は、ピンインの綴りではなく、原音を反映して Хун とするようです。
〓一応、ロシア語で、なぜ、大連 Dalian [ターリエヌ] を Дальянь [ダ'りゃーニ] と表記するのか説明しておきます。
  (1) ロシア語には [ng] という子音がない。
これは、ロシア語学習者も意外に気づいていないことが多い。ロシア人は [ng] の発音ができません。たとえば、
   танк ['ターヌク] 戦車
   пингвин [ピヌグ'ヴィヌ] ペンギン
つまり、中国語の音節末に高い頻度で現れる -ng をいちいち -нг で転写していると、とても発音しづらい単語ばかりになってしまう。たとえば、(普通話ではありませんが)
   Хонг-Конг [ほヌ'コヌク]
そこで、-n を -нь で転写し、-ng を -н で転写するという規則をつくったわけです。
  (2) -ian を -янь と転写するのも規則です。
〓↓に、ピンインの音節をロシア文字に転写するための非常にわかりやすい一覧表を見つけました。どうぞ、ご参考に。
http://satabhava.hobi.ru/biblio.htm?ref='http://satabhava.hobi.ru/article.alemasov05.htm'&button='article'



大連あれこれ

高駒麗人KOMA (2004/03/03 00:39)

massangeanaさん、
げたのにれのやさん、
松茸さん、
資料ありがとうございます。

Port ArtherでなくPort Arthurですね。失禮しました。
ロシア語でПорт−Артур(Port Artur)であったのに、氣づかないのは私の不コの致す所です。日本領時代の旅順を假にLushunと書いたとしてもそれは「旅順が本來日本領」という主張にはならないと思います。「英語で日本史」の本は英語圈の人に日本史を説明する本ですが、日本人が英語を学ぶ教材でもあります。ただ、英語圈の人は「旅順」をRyojun及びPort Arthurでわかるとは限りません。英語話者には北京の中国人や中國にいた經驗のある西洋人で、旅順の英語表記をLushunで覚えている人なども入るでしょう。
そういう人に英語で日本史を説明するなら、旅順の場合、“Ryojun(Port Arthur、Today written as Lushun)”のように今の慣用ではLushunだと書くのが親切だと思います。
この本では奉天はMukdenでした。これは「奉天」Fengtianとは無関係の別称でしょう。
「新京」はWade式では確かにHsinkingですが、私が観た昔の鉄道のボードではSinkingでした。
台北の博物館で「新疆」XinjiangをSinkiangと書いてあるのを見ました。
西夏XixiaはWade式でHsihsiaですが、「世界の言語と国のハンドブック」では Sihiaです。
普蘭店も勝手な名前で呼ばれたわけですね。
「青泥窪」についてですが、大連驛(大連火車站Dalian Huochezhan)の南口の手前に「勝利廣場」Shengli Guangchang(Victory Square)と「青泥窪橋」Qingniwa-Qiao(Qingniwa Bridge)があります。これが大連の旧称であるという話を聽いたことがあります。

http://www.warriortours.com/hotel/dalian.htm
http://cu.clarkson.edu/projects/reushen/reu_china/Dalian-web-page/dalian.html
http://www.daliannews.com/homepage/english/pictures/userobject1ai335445.html
最近、青泥窪橋〜勝利廣場近くにイトキン(伊都錦)が出店しました。
Hope Square(希望廣場Xiwang Guangchang)は青泥窪橋よりバス停1つ分西で、森ビルが近くにあります。

日本語では大連は「だいれん」が普通だと思いますが、今でも日本人で「タイレン」と呼ぶ人も結構いるようです。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1429/colo/dairen2.html
“Дальний(Dal'nyj)”の假名表記は「ダーリヌイ」でしょうが「ダーリニイ」はひどいですね。シナ語「達里尼(ダーリニ)」経由でしょうか?
http://www012.upp.so-net.ne.jp/kidalian/jieshao/jieshao.htm



Re: 大和言葉での数え方

えむくま (2004/03/03 00:22)

Maniac C. さん、ありがとうございました。
20は「はたち」、百は「もも」、千は「ち」って言われてみれば、知っていることだったのですね。30,40,50はどうだろうと考えましたが、十は「そ」と読みますから、「みそ」「よそ」「いそ」ですね、きっと。じゃあ、なぜ20は「ふたそ」でないのだろう?
気にしだすとキリがなさそうですね。



Re: 大連

massangeana (2004/03/02 22:51)

とりあえずこれ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1429/colo/dairen2.html



re:大連

松茸 (2004/03/02 18:44)

*『地名の世界地図』第十三刷pp.126-127より。{ }はルビです:

「逆に漢字名が先で、満州語に後から変化したものに大連がある。大連は、はじめ、青泥窪{チンニワ}と呼ばれていたが、満州人の進出によってダリン(港、岸)に改められた。そのため李鴻章の時代に漢字名も大連{ターリアン}とされたのだ。その後、一八九九年、ロシアがこの地を占領し、貿易港を建設したとき、ロシアの首都から遠かったという立地条件とターリアンの音がロシア語で「遠い」に近いことからタルニィになり、それが最終的にターリエンとなった。」

……例によって疑問百出ですね。(^^;
・「漢字名」ではなく「漢名(中国語名)」ではないか?
・「満州人の進出」以前に「青泥窪」という地名があったことが確認できているのか?
・「ダリン(港、岸)」なるマンチュー語があるのか?
# 少なくとも以下のオンライン辞書にはそれらしい単語はない:
http://web.archive.org/web/20011117084017/msnhomepages.talkcity.com/IvyHall/anzhu/manchu_d.htm
・ロシアの支配は1898年からでは?
・「ターリアン」と「ターリエン」、どっちがホント?
・"Dal'nij"を「タルニィ」とするのはおかしい(濁点のつけ忘れ?)。
・歴史記述として、日本の支配(租借)下の正式名「だいれん」を無視してよいのか?
などなど。


* いわゆる「旅大租地条約」の露語正文(綴りは現代式にされてますが)を発見:
http://www.hist.msu.ru/ER/Etext/FOREIGN/port_art.htm
 “Та-лянь-вань”(Ta-ljan'-van')と明記されてます。
 ちなみに、「中露密約」の正文では、「李鴻章」が“ЛИ ХУН-ЧЖАН”になってました:
http://www.hist.msu.ru/ER/Etext/FOREIGN/china896.htm



大連とダーリニイ (ダーリニー)

げたのにれのや (2004/03/02 03:34)

【大連と Дальний (Dal'nij) ['ダーりニイ]】
〓ロシアのエンジンで検索・調査してみました。
(1) 多くのサイトで、「かの地に、1898年以前に町は存在しておらず、現在、中国語で Далянь [ダ'りゃーニ] と称している都市は、そもそもロシア人が建設したものである」 と記されています。Далянь 「大連」 という呼称が先にあったと記述するページは皆無でした。
(2) 「大連」 Далянь という呼称は、ロシア語の Дальний に由来すると記すページもある。
(3) Дальний ['ダーりニイ] 「ダーリニイ」 は、ロシア人がこの町を建設した際に、"самый дальний порт" (もっとも遠い港) の意味で名付けたという記述もある。
(4) これは、ちょっと興味深い記述。ロシア人将校たちは、ダーリニイを
   Лишний ['りーしニイ] 「邪魔者、厄介者」
という韻を踏んだあだ名で呼んでいたとのこと。何となく、当時の極東のロシア軍の本音が滲み出ていますねえ。
〓ロシア語の知識がない方にちょっと説明します。
   дальний ['ダーりニイ] ['da:ljnjij]
というのは 「遠い」 という意味の形容詞の主格・男性形です。その形容詞を名詞として転用したのが、この地名です。
〓李鴻章の使用例がある、と言ってもロシア人には受け入れがたいでしょうねえ。そもそも、ロシア人は李鴻章に興味がないみたいで……。現在の表記ならば、
   Ли Хон Чжан
となるはずですが、この表記をしているページは皆無でして、
   Ли Хунг(-)Чанг
という旧式の表記でさえ、数件しか見つかりません。



Re: 旅順・奉天・新京

Maniac C. (2004/03/02 02:28)

>高駒麗人KOMAさん
>日本人が英語を学ぶための教材としては、現在、英語圈ではLushunなのですからこれを添えて Ryojun(Port Arther、Lushun)とでも書くのがベストだと思います。
→現在の地名であれば、中国政府が採用している Pinyin で綴るのが最善でしょう。
「講談社Internationalの、英日二言語で日本史を紹介する本」とやらは、「日本人
が英語を学ぶための教材」なのですか? 「外国人が日本語/日本史を学ぶための
教材」或るいは「日本人が英語を通して日本史を学ぶための教材」のように思えたの
ですが。

>「新京(長春)」、“Sinking(Changchun)”、
>「奉天(瀋陽)」、“Feng-t'ien(Shenyang)”のように
>當時の地名と現在の地名を併記するのが親切ですし、書き手が兩方知っていたら兩方書く筈です。
>“Sinking(新京)”、“Feng-t'ien(奉天)”は滿洲國時代の慣用綴りです。
>今のPINYINでは勿論、“Xinjing(新京)”、“Fengtian(奉天)”になります。
→「奉天」は Mukden,「新京」は Hsinking なのでは? であれば、これは「慣用
綴り」なのではなく、ウェード式ではないかと思うのですが。

>少なくともChina Daily、新華社などではいまは旅順をRyojunとは書かないでしょう。
→現在の「旅順」、或るいは中国が実権を持っていた当時の「旅順」に関する記事で
あれば至極当然のことだと思いますが、もし日帝時代の「旅順」までも Lushun と
書いているのであれば、思想的背景に「旅順は我々の領土であった」という主張が
有るものと考えます。

■お気づきになっていらっしゃらないようですので、お知らせしますが、綴りは
(誤) Arther → (正) Arthur です。



Re:Re: 大連

高駒麗人KOMA (2004/03/02 00:27)

 投稿者:Maniac C.さんへ
>1894-5の日清戦争での記述か、1905-45の日露戦争後〜第2次世界大戦終了までの間の、大日本帝国占領下のものではないでしょうか。であれば、日本語名 Ryojun が正式名称であり、通称として英名の Port Arthur が添えられるのが当然かと思われますが、いかがでしょうか。
>■ついでに Port Arthur の由来
勉強になりました。確かに當時は旅順はRyojunまたはPort Artherでしたね。

英和辭典を見ると、物によっては、「大連」の英語名として、Dalian(「大連」の北京語音PINYIN綴り)の他に、Talien(北京語音WADE式)、そしてDairen(日本語音)を記載しているのもあります。日本で出ている英語の教材で「旅順」が英語でRyojunであっても間違いではないでしょう。

しかし、日本人が英語を学ぶための教材としては、現在、英語圈ではLushunなのですからこれを添えて Ryojun(Port Arther、Lushun)とでも書くのがベストだと思います。
「新京(長春)」、“Sinking(Changchun)”、
「奉天(瀋陽)」、“Feng-t'ien(Shenyang)”のように
當時の地名と現在の地名を併記するのが親切ですし、書き手が兩方知っていたら兩方書く筈です。
“Sinking(新京)”、“Feng-t'ien(奉天)”は滿洲國時代の慣用綴りです。
今のPINYINでは勿論、“Xinjing(新京)”、“Fengtian(奉天)”になります。

大連の小さい資料館で、昔の機關車についていたらしい板を見せてもらいました。
「行京新」
「FOR SINKING」
つまり「新京行き」と書いてありました。

少なくともChina Daily、新華社などではいまは旅順をRyojunとは書かないでしょう。

>「大連」は「大連湾」に因み、1879年の李鴻章の文書に初めて出てくるそうです。
ロシヤが Dal'nij と呼んだのは1898-1905年ですので、「大連」の方が先ですね。
私の想像ですが、単純に、「ロシヤから最も遠い不凍港」の意味ではないでしょうか。

やはり「大連」の方が先ですね。

http://www.daochinasite.com/eng/places/dl1.shtml
↑色々な言語のソフトが紹介されていますね。



Re: 大連

Maniac C. (2004/03/01 19:06)

>高駒麗人KOMAさん

>講談社Internationalの、英日二言語語で日本史を紹介する本がありますが、年表で「旅順」の英語名が Ryojun(Port Arther)でした。
>勿論、Lushunと書くべきでしょう。
>日本の英日翻譯担當者は中國の地名の現行綴りには疎いようです。
→日本史の年表とのことですが、それは1894-5の日清戦争での記述か、1905-45の
日露戦争後〜第2次世界大戦終了までの間の、大日本帝国占領下のものではないで
しょうか。であれば、日本語名 Ryojun が正式名称であり、通称として英名の Port
Arthur が添えられるのが当然かと思われますが、いかがでしょうか。
■ついでに Port Arthur の由来ですが、1858年から’80年代まで占領していた英国
の、海軍大尉 William Arthur に因むそうです。

>「大連」Dalianはロシア語Dal'nijから来たのか、それとも「大連」という名が昔からあって。ロシア人が語呂合わせでDal'nijと呼んだのか、まだ私にはわかりません。
→「大連」は「大連湾」に因み、1879年の李鴻章の文書に初めて出てくるそうです。
ロシヤが Dal'nij と呼んだのは1898-1905年ですので、「大連」の方が先ですね。
私の想像ですが、単純に、「ロシヤから最も遠い不凍港」の意味ではないでしょうか。

http://www.daochinasite.com/eng/places/dl1.shtml
http://www.dalian.cn/i18n/en/travel/att_list_4.jsp
http://www.encyclopedia.com/html/D/Dalian.asp

http://www.fact-index.com/d/da/dalian.html



訂正

高駒麗人KOMA (2004/03/01 12:20)

Lü-ta /lu:dα:, lu:tα:/= Luda→Lüda
DalianもDaliänと書くべき物です。



大連 Далянь Дальний

高駒麗人KOMA (2004/03/01 12:15)

松茸さんへ
硬変化と軟変化が地名に現れている事について、「大連」Da4lian2のロシア語名は
Далянь(Daljan')ですが、昔は、
Дальний(Dal'nij遠くの)
だったようです。

「ジーニアスGenius英和大辞典」(大修館)
Da-lian /dα:ljα:n/(名)(大連(だいれん)《中国東北部、遼寧省南部の都市:Talienともいう;旧称Luda、Dairen:ロシア語名Dalny》)
Ta-lien /tα:ljen/=Dalian
Lü-da /lu:dα:,(英)lju:-/ リューター(旅大)《Dalian(大連)の旧称》
Lü-ta /lu:dα:, lu:tα:/= Luda
Lü-shun / lu:∫un/ リュイシュン(旅順)<中国北東部遼寧(りょうねい)省南部の港:遼東半島の南端で大連と接す:旧称Port Arther>

「簡明俄漢詞典Jianming E2-Han4 Cidian
(КРАТКИЙ РУССКО-КИТАЙСКИЙ СЛОВАРЬ)」
商務印書館、92年版
(“Далянь”は見當たらず、英和辭典にあった舊稱Dalnyつまり
Дальнийを探してみました。)
дальний、ая、ее [形] 遠的、悠遠的…、
Дальний Восток 極東

Грозный(Gronzyj)は英語の新聞などではGroznyで、
Дальний(Dal'nij)はDalnyになるようです。
英語でのロシア人名地名の羅馬字表記では、子音や形容詞語尾の硬軟の區別が完全に無視されるようです。羅馬字轉冩だけでは元の發音を推測出來ません。
講談社Internationalの、英日二言語で日本史を紹介する本がありますが、年表で「旅順」の英語名が Ryojun(Port Arther)でした。
勿論、Lushunと書くべきでしょう。
日本の英日翻譯担當者は中國の地名の現行綴りには疎いようです。

Порт−Артур <旧>旅順(中)
(「旅順」は
舊稱“Порт−Артур”Port-Arturがあり、英語の舊稱“Port-Arther”のロシア版でしょう。)

「大連」Dalianはロシア語Dal'nijから来たのか、それとも「大連」という名が昔からあって。ロシア人が語呂合わせでDal'nijと呼んだのか、まだ私にはわかりません。
どなたかご存知でしょうか?

http://www.airagency.ru/Tourism/TourKatalog/China/Dalyan.htm
(ロシア語の大連紹介、Китай. Далянь、左側に中國各地の地名がロシア語で紹介されています)

http://www.dalian.cn.emb-japan.go.jp/jp/page015.html
(大連概要)

http://www012.upp.so-net.ne.jp/kidalian/jieshao/jieshao.htm
(大連てどんな所)

げたのにれのやさんへ
御紹介頂いた著者&書名は羅馬字にしたら何とかわかりました。
>ユーリイ・アレクサンドロヴィチ・フェドシューク著 『ロシア人の姓―一般向け語源辞典』
>Юрий Александрович Федосюк 《Русские фамилии―популярный этимологический словарь》
Julij Aleksandrovich(Alexanderson?) Fedosjuk
“Russkie Familii(Families?)-Populjarnyj(popular?) etimologicheskij(語源の?) Slovar'(辭典)”

>エヴゲーニイ・ミハーイロヴィチ・ポスペーロフ著『都市の名前〜過去と現在 (1917―1992)』 >Eвгений Михайлович Поспелов《Имена городов: вчера и сегодня (1917―1992)》。
Evrenij Mikhajlovich(Michaelson?) Pospenov
“Imena(名前?) Gorodov(都市の?) Vchera(明日、過去) i(と) Segodnja[sevodnja](今日、現在):”

http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%a7%a4%a7%e2%a7%e0%a7%d9%a7%df%a7%ed%a7%db&hc=0&hs=0



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