『地名の世界地図』のアイヌ語

佐藤和美

 この文書は21世紀研究会編『地名の世界地図』(文藝春秋文春新書2001年12月10日発行第14刷)で紹介されているアイヌ語地名等について、間違い・疑問点を指摘するものである。
 なおここでふれなかったアイヌ語には疑問の余地がないということではないので、念のため。

P108
「岩内(イワウ・ナイ「硫黄の多い川」)」

「イワウ iwaw」(硫黄)+「ナイ nay」(川)で「硫黄の川」であり、「多い」という言葉は出てこない。

P109
「古代、アイヌは北日本にも広く分布していたので、アイヌ語の地名は本州にも多くみられる。やはり東北に多いが、関東、関西にもあるとする研究者も多い。」

「関東、関西にもあるとする研究者」とはどんな研究者か。バチラーやバチラーの説を孫引きしたような「研究者」では話にならない。

P109
「たとえば、柳田国男によれば、東日本に分布する堂満や当間(当麻)という地名もアイヌ語起源(トマム、トマン「沼、沼地」)であるという。」

アイヌ語に「トマムtomam」(湿地、泥炭地、沼地)という単語はあるが、「トマン」というアイヌ語は存在しない。
当然のことながら「東日本に分布する堂満や当間(当麻)という地名」が全てアイヌ語「tomam」に由来するとはかぎらない。個々に堂満・当間・当麻を全て調べたわけではないだろう。
いくら柳田国男の説とはいえ、無批判に引用しないこと。

P109-110
「彼のこの説によって、アイヌ語の地名が白川以南にも残っている可能性が認められるようになってきた。」

この前後の文章の参考にしたと思われる谷川健一『日本の地名』(岩波新書)には次のように記述されている。

「ともかくも、柳田はアイヌ語地名を白河以北にとどめて考えてはない。それどころか東日本に分布する堂満や当間という地名がアイヌ語であるとしている。これからしても、柳田が単一民族国家の考えに基礎を置いた一国民俗学に加担したものではないことが確かめられる。そこで私どもは、アイヌ語地名が白河以南にも残存する可能性を原則的に認める必要がある。その上でアイヌ語地名の取扱いには思いつきや語呂合せを避けた慎重な取扱いが要求されよう。」

「アイヌ語地名が白河以南にも残存する可能性を原則的に認める必要がある。」を「アイヌ語の地名が白川以南にも残っている可能性が認められるようになってきた。」とするのは曲解のしすぎではないのか。

P110
「千島列島のクリル島は、千島アイヌ語のクル「人」がロシア語化したものだ。」

なにを根拠にこう言いきるのか。根拠があるなら見せてもらいたい。
北海道アイヌ語でも「クル kur」は「人」の意味だから、わざわざ「千島アイヌ語」という必要はない。
「Kuril」の「kur」がアイヌ語なら「il」はなんだと言うのか。
「クリル島」は「クリル列島」の間違いか。(P109の地図は「千島(クリル)列島」になっている。)

P110
「また、千島そのものも、もともとアイヌ人がチュプカ「東」、つまり「東の島々」と読んでいたものと、のちに北海道を含めて漠然と「蝦夷が千島」という名称がもちいられていたことから、列島を千島とよぶようになったと考えられる。ちなみに「蝦夷が千島」は多くの島、といった意味であった。」

「アイヌ」はアイヌ語で「人間」という意味である。そのため「アイヌ」に「人」はつけない。「アイヌ人」とは言わない。
アイヌ語「チュプカ cupka」は「東」という意味で「東の島々」という意味はない。
「読んでいた」は「呼んでいた」の誤記である。
「チュプカ」と「千島」がどのように結びつくといいたいのか意味不明である。

P110
「北方四島の色丹(シコタン)はシ・コタン「大いなる村」(シ「大きな」コタン「村」)、」

なぜ「大きな村」が「大いなる村」になるのか。

P110
「国後(クナシリ)はクンネ・(アン・)シリ「黒い島」(クンネ「黒いところ」アン「ある」シリ「島」)である。」

「クンネ kunne」は「黒い」であり、「黒いところ」という意味はない。
「アン an」(ある)は不要である。

P110
「また、いくつか説があるが、択捉(エトロフ)はエト・オロ・プ「盛り上がる先のある場所=岬の(多く)あるところ」、つまりエト「鼻、先端」オロ「その所」プ「盛り上がる」が有力のようである。」

「鼻、先端」は「エトゥ etu」であり「エト」ではない。
「p」、「pu」に「盛り上がる」の意味はない。
「鼻、先端」+「その所」+「盛り上がる」でなんで「盛り上がる先のある場所」になるのか。
「盛り上がる先のある場所」でなんで「岬の(多く)あるところ」になるのか。
こんな説が「有力」なのか。

P110
「同じく、歯舞(ハボマイ)はアプ・オマ・マイ「氷のあるところ」(アプ「流氷」オマ「ある」イ「所」)またはハポ・マ・イ「母の泳ぐところ(=母なるところ)」(ハポ「母」マ「泳ぐ」イ「ところ」)などの説がある。」

「アプ・オマ・マイ」は「アプ・オマ・イ」の誤記である。
「アプ apu」は「流氷」という意味で「氷」ではない。かってに「氷」に変えないこと。
「母の泳ぐところ」がなんで「母なるところ」になるのか。
「母の泳ぐところ」で地名になるのか。語呂合わせにしか思えない。

P110
「樺太では、中南部のトマリは「港」という意味で、北海道沿岸、本州沿岸にもトマリとつく地名は、いくつか知られている。」

アイヌ語の「トマリ tomari」は日本語の「泊り」が入ったと言われている。そのことを知っているのか。
「トマリ」は樺太と北海道で意味の差はない。わざわざ「樺太では」と断る必要はない。

P110
「また、樺太南部のポロナイスク(敷香)は、ポロ「大きい」、ナイ「川」、ロシア語のスク「渡場集落」の合成語で、「大きな渡し場のある村」という意味で、アイヌ語に起源があるといわれている。」

ロシア語「スク sk」に「渡場集落」という意味があるのか。
「大きい」+「川」+「渡場集落」がなんで「大きな渡し場のある村」になるのか。

(2001・10・20)


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