『日本地名さんぽ』のアイヌ語

佐藤和美

 この文書は浜田逸平『日本地名さんぽ』(朝日新聞社朝日文庫1999年3月1日発行第3刷)で紹介されているアイヌ語地名等について、間違い・疑問点を指摘するものである。
 なおここでふれなかったアイヌ語には疑問の余地がないということではないので、念のため。

P8
札幌
「市の名はアイヌ語のサッポロ・ペツ(乾いた大きな川)からとされる。」

「サッポロ・ペツ(乾いた大きな川)」は「sat-poro-pet」のことだろうが、「サッポロ」に単語の区切りがない。また「sat」を「サッ」と表記し、「pet」を「ペツ」と表記するのは表記の一貫性がない。単語レベルでの表記なら「サツ・ポロ・ペツ」か「サッ・ポロ・ペッ」とすべきである。

P8
旭川
「市内を流れる忠別川がアイヌ語でチュプ・ペツ(日の川)と呼ばれていたことからという。水源が東にあるためであろう。」

アイヌ語では「東」を「チュプカ cupka」と言い、「チュプ cup」とは言わない。

P9
函館
「室町時代中期にこの地に移った武将が四角い館を築き「箱館」と呼んだことから。ハク・チャシ(浅い館)と呼んだという説もある。」

「チャシ」は普通「砦」と訳すが、「館」と訳しているのは「箱館」とのつじつまあわせか。
「浅い館」は意味不明。どういう館が「浅い館」なのか。こういう説を唱える人は、自分で言っていることの意味がわかっているのか。

P11
稚内
「市名はアイヌ語のヤムワッカナイ(冷たい水の川)からという。ワッカは飲み水の意味。」

「ワッカ」は「水」であり「飲み水」ではない。「ヤムワッカナイ(冷たい水の川)」としているのに、なぜ「ワッカは飲み水の意味。」などと書くのか。

P11
利尻島
「アイヌ語でリイ・シリ。高い島の意味」

「リイ・シリ」ではなく「リ・シリ ri-sir」である。

P11
千歳
「かつては、谷間を流れる千歳川からアイヌ語でシコツ(大きな窪地)と呼ばれていたというが、「死骨」に通じて縁起が悪いので江戸時代に改めた。」

「大きな窪地」では川の名称にならない。

知里真志保『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版企画センター)
kot
凹み;凹地;凹んだ跡;沢;谷;谷間

この場合の「コツ kot」は「沢、谷、谷間」などの訳語を使うべきだろう。

P12
松前
「十三世紀の資料にマトウマイと読める地名が見えることから、アイヌ語でマツオマナイ(半島)、あるいはマトロマナイ(女性のいる所)の意味とされる。」

「マトマナイ(マツ・オマ・ナイ) mat-oma-nay」は「半島」の意味ではない。
「マツ mat」(女)+「オマ oma」(いる)+「ナイ nay」(川)
「マトロマナイ」は「mat-or-oma-nay」のつもりか。文法的に疑問である。

P13
阿寒湖
「阿寒川を指すアイヌ語のラカン・ペツ(ウグイの産卵する川)からなどの説がある。」

「ラカン rakan」は「ウグイの産卵穴」のこと。「ラカン・ペツ」だったら「ウグイの産卵穴(の)・川」である。

P13
摩周湖
「地名のいわれも不明。マシウン・トー(カモメの多い湖)説があるが、内陸にある湖なので疑問とされる。アイヌはカムイ・トー(神の湖)と呼んだという。」

「マシウン・トー(カモメの多い湖)」ではなく「マシ・ウン・トmas-un-to(カモメのいる湖)」である。
「カムイ・トー」ではなく「カムイ・トkamuy-to」である。

P14
釧路
「クスリの語源には、クシュル(通路)、クッチャロ(のどもと)など諸説がある。」

「クシュル(通路)」は「クシル kus-ru」(通る・道)のつもりか。

P15
積丹
「アイヌ語のシャックコタン(夏の場所)からという。」

アイヌ語の「夏」は「sak」(サク、シャク)であり、「シャック」ではない。
「コタン kotan」は「集落」であり「場所」ではない。

P15
ニセコ
「町の北にそびえる山、ニセコアンヌプリ(アイヌ語で断崖の山の意という)から。もとはマツカリプト(山の後ろを回る所の意という)に由来する狩太町だったが、ニセコ高原がスキー場など観光地として有名になったため、一九六四年(昭和三十九年)にニセコ町に改称した。」

「ニセコアンヌプリ」が「断崖の山」の意だというのなら、単語で示して欲しい。
「狩太」は「真狩別太」の省略形で、「真狩別」の「太」(プトゥ putu;その口)の意味である。「真狩別」は「マッカリペツ mak-kari-pet」(奥(山)の方を回っている川)だったか。

P16
長万部
「河口付近で折れ曲がって流れる長万部川を指すオシャマン・ペツ(川尻が横になっている川)からとされる。」

「川尻が横になっている川」なら「オ・シャマム・ペツ o-samam-pet」である。

P18
青森
「松が青々と茂る森からという。アオモリはアイヌ語で、突き出た小丘の意味とする説もある。」

「アオモリ」が「突き出た小丘」の意味だというのなら、単語で示して欲しい。

P20
竜飛崎
「アイヌ語で突き出た地の意味という。」

アイヌ語が示されていない。どういうアイヌ語が「突き出た地」になるというのか。

P20
恐山
「「襲う」から山が重なった様子や崩壊地形の意味かという。恐山を管理する円通寺(むつ市)の山号からとも伝える。ウソル(湾の内側)のアイヌ語説もある。」

恐山の語源はアイヌ語と考えるべきだろう。

以下の文献を参考のこと。
清水清次郎『黙認できないアイヌ語地名否定論』
(アイヌ語地名研究会『アイヌ語地名研究2』収録)

P22
十和田湖
「ト(鋭)ワタ(湾曲)で、高い崖が鋭く湾曲している湖か。アイヌ語でも崖に囲まれた湖の意味だという。」

どのように解釈したらアイヌ語「トワタ」が「崖に囲まれた湖」になるのか。単語を示して欲しい。

P26
岩手
「岩手山の溶岩を指すイハ(岩)テ(出)の地、アイヌ語のイワァテュケ(岩の脈)、イワァテェ(岩地の森林)などの説もある。」

アイヌ語に「テュ」などという発音はない。「ワァ」も「テェ」もどういう発音を想定しているのか。意味不明である。自動的に「イワァテュケ」も「イワァテェ」も意味不明である。
「岩の脈」で、日本語に訳したつもりか。
「岩地」が「森林」になるのか。

P31
遠野
「文字どおり、山間の遠い野から。柳田国男『遠野物語』の「大昔はすべて一円の湖水」と符号するアイヌ語のト(沼)ヌプ(野)説もある。」

「沼野」だとどういう地名だというのだろうか。「沼」のあとに「野」ができたとでも言いたいのだろうか。「『遠野物語』の「大昔はすべて一円の湖水」と符号する」というのには苦笑するしかない。

P34
大槌(おおつち)
「町名の由来も、アイヌ語の川尻に止めをかけてある川(オ・ツシ・ウツ・ペツ)からともいう。」

アイヌ語を少しでも学習したことのある者なら「ツシ」などという表記は絶対にしない。どういう単語を想定しているのか。 「ウツ」もこの文脈では該当する単語は見当たらない。 「川尻に止めをかけてある川」というのはあやしい日本語だが、「オ・ツシ・ウツ・ペツ」というのもあやしいアイヌ語である。

P40
築館
「昔あった館にちなむ。
伊豆沼に面し、日本最古の遺跡・高森遺跡がある。北京原人と同じ時代、五十万年前の地層から石器が出て、日本にも原人がいた!と反響を呼んだ。」

私の使用しているのは1999年3月1日発行の版である。

P49
雄物川(おものがわ)
「貢物(おもの、貢ぎ物)、あるは木材などの大物を運ぶ川や重要な川など諸説ある。アイヌ語だとオムナイ(塞がる川)で、あふれて洪水を起こす川の意という。」

アイヌ語「オムナイo-mu-nay」(川尻が塞がる川)は「あふれて洪水を起こす川」ではない。

P65
安達太良山(あだたらやま)
「安達郡第一の山の意味の安達太郎が縮まったとされる。ほかにアイヌ語のアタタ(乳首)説など諸説ある。」

アイヌ語に「アタタ」という単語が存在するのか。

「アタタ」は以下の辞典に記載なし。
田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館
中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』草風館
萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂
知里真志保『分類アイヌ語辞典・人間編』平凡社

また、『分類アイヌ語辞典・人間編』の「乳首」の項にも「アタタ」は存在しない。

P141
黒部
「岩壁と木々で昼も暗いことから。アイヌ語説もある。」

アイヌ語が全く示されていないが、「アイヌ語説もある。」と書く意味があるのか。

(2001・9・9)


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