シェイクスピアの史劇と映画/アラベスク   2001年4月28日設置  2002年6月20日
              池田 博明 


英国史劇とローマ史劇

ヘンリー六世 ヘンリー五世 ヘンリー四世 リチャード三世 リチャード二世 ジョン王
タイタス・アンドロニカス ジュリアス・シーザー アントニーとクレオパトラ コリオレイナス
『四大悲劇』 『喜劇その他』 BBCシェイクスピア全集

●データ、△引用。シェイクスピアの映画化だけでなく、関係する映画もとりあげる。

       映画『リチャード三世   池田博明

 (1)イアン・マッケランが主役を演じた映画『リチャード三世』(リチャード・ロンクレイン監督、脚本マッケランとロンクレイン、1990年上演の映画版。英米合作.1995-1996年)は傑作であった。?
 映画は、時代を第二次世界大戦前に設定している。使用されている音楽が30年代のもので、雰囲気を出している。撮影は名手ピーター・ビジウ、美術トニー・バロウ、衣装シューナ・ハーウッド、音楽トレヴァー・ジョーンズ、編集ポール・グリーンマッケランのリチャード3世
 戦車が部屋をぶち抜く冒頭から、驚くべき映像が連続する。台詞は原作を思い切り刈り込んでいる。もともと権謀術数が渦巻く現代的な物語なので、違和感はない。ラストも戦車や爆弾による戦闘シーンになる。リチャード三世の「馬だ、馬、王国をやる!」という台詞は「ジープ」を馬に見立てて叫ばれる。
●イアン・マッケランのリチャード三世は、日本でも1990年の9月に東京グローブ座でロイヤル・ナショナル・シアター公演がされている。
●映画の配役は王の息子リヴァーズ伯役ロバート・ダウニー・ジュニア、王の娘エリザベス役アネット・ベニング、リチャードの妻になるアン役クリスティン・スコット・トマス、ヨーク公夫人役マギー・スミス(オリヴィエの映画『オセロ』ではデズデモーナ役であった)、王の弟クラレンス公役ナイジェル・ホーソーン(ブラナー監督『から騒ぎ』のマルヴォーリオ役)、王エドワード四世役ジョン・ウッド、腹心の部下バッキンガム公役ジム・ブロードベント、ヘイスティングス公役ジム・カーター、冒頭で銃殺されるエドワード王クリストファー・ボーエン、同じくヘンリー王エドワード・ジュースベリー、冷酷無比な暗殺者ティレル役エイドリアン・ダンバー。

 (2)アル・パチーノ製作・監督・脚色・主演の『リチャードを探して Looking for Richard』は、アメリカでシェイクスピア劇を上演する困難さを、一般人や学者へのインタビューで浮き彫りにしながら、筋立ての複雑な『リチャード三世』を解説する作品である。アル・パチーノのリチャード3世
 映画として撮影された場面に、作品についてのディスカッションやリハーサルを併せながら、劇のハイライトを順になぞっていく。
 最初の方で述べられる一般人のシェイクスピア劇の感想が、『リア王』や『ハムレット』を見て「大袈裟だった」「退屈した」とマイナス評価ばかりを取り上げているのが可笑しい。『リチャード三世』は、『ハムレット』よりも上演回数の多い劇だという。
●ナレーション台本アル・パチーノとフレデリック・キンバル、撮影ロバート・リーコック、音楽ハワード・ショア。
 配役はエリザベス女王ペネロープ・アレン、ドーセット公ゴードン・マクドナルド、リヴァーズ伯マディソン・アーノルド、エドワード王ハリス・ユーリン、クラレンス公アレック・ボールドウィン、ヘイステイングス役ケヴィン・コンウェイ、バッキンガム公ケヴィン・スペーシー、マーガレット前王妃エステル・パーソンズ、アン夫人ウィノナ・ライダー、ショア夫人ジュリー・モレット、リッチモンド伯アイダン・クイン
オリヴィエのリチャード3世
 (3)ローレンス・オリヴィエの製作・監督・主演作品(1955年、傑作の評価が高い。158分)がある。音楽はウィリアム・ウオルトン。アメリカからビデオを購入できた。
 ●配役はリチャードにオリヴィエ。ヨーク家:王エドワード四世をセドリック・ハードウィック、その弟クラレンスをジョン・ギールグッド、ウェールズ王子をポール・ヒューソン、ヨーク公をアンディ・シャイン、バッキンガム公をラルフ・リチャードソン。ランカスター家:エリザベス女王をマリー・ケリッジ、リヴァーズ伯をクライブ・モートン、グレイ伯をダン・カニンガム、ドーセット伯をダグラス・ウィルマー、アン王女をクレア・ブルーム。リッチモンド伯をスタンリー・ベイカー
 





 (4)井上ひさしの『天保十二年のシェイクスピア』     池田博明

  『天保十二年のシェイクスピア』は1974年西武劇場での初演(1月5日〜2月3日)以来、一度も再演されていなかった。それもそのはず、この劇は一大失敗作なのである。1974年当時の粟津潔作のチラシを見るだけでも豪華絢爛の感があるものの、詰め込みすぎだった。当時の演出は出口典雄だった。1974年のポスター
 天保水滸伝を父に、シェイクスピア全作品を母に織り成す一大傑作という宣伝文句だったが、なにしろ、五巻の『井上ひさし全芝居』(新潮社)にも収録されていない。もとは新潮社の書下ろし新潮劇場で出た作品なのに・・・。ちなみに、この書下ろし新潮劇場では井上ひさしは既に『珍訳聖書』という奇作も出していた。
 しかし、不思議な因縁がめぐってくる。2002年に日本劇団協議会が社団法人化10周年を記念して、企画・制作する作品として選ばれ、新演出で上演されたのである。?『あいさつ?等がウェッブ・ページ上にある。企画は鴻上尚史で、初演当時4時間以上あった上演時間を鴻上尚史の監修のもと2時間30分に短縮し、いのうえひでのりが独自のテイストに演出する、というねらいで企画は立ち上がった。券は完売で、舞台はDVD化されている。
天保2002年ポスター 元はシェイクスピアの37作品全部をつめこんだ劇作であるが(なかには『十二夜』のようにセリフに題名しか出て来ない作品もある。再演ではこのセリフはカットされていた)、最初は『リア王』である。ナレーター役の隊長(熊谷真美)がとりしきる中、鰤(ブリ)の十兵衛が三人娘、お文(村木よし子)、お里(西牟田恵)、お光(沢口靖子)にその身上を譲ろうとしているところから、芝居は始まる。身上を二つに割ったお文とお里の夫々の一家は『ロミオとジュリエット』のように相争う博打うちとなる。雇い入れた用心棒が幕兵衛(古田新太)で、『マクベス』ばりに跡目をついだり、せむしの男(上川隆也)三世次(みよじ。『リチャード三世』)の讒言が争いの火に油を注いだり、『ハムレット』のきじるし王次(阿部サダヲ)がからんだり・・・。
 第2幕の幕開けは魔女たちの「禍いの雑炊」作りである。代官が着任し、一家の争いもひと休み。代官の女房・お幸(さち。沢口靖子の二役)はお光と双子の姉妹。代官と王次がお互いに入れ替わった相手を間違える趣向があり、やがて王次は代官に斬られてしまう。『間違いの喜劇』で、お里はお光が裏切ったものと誤解する。お里が刺客として放った三世次は誤ってお文を刺殺してしまう。そして結果的にお里が宿場をとりしきり、とりあえず安泰に。
 次なる設定は、病気の幕兵衛がオテロ、三世次がイヤーゴ、お里がデズデモーナ。そして、幕兵衛が自殺した後、親分衆の寄合の席で、利根の河岸安(カシヤス)に継がせるはずの代紋を、三世次は『ジュリアス・シーザー』のアントニーの演説ばりに河岸安を陥れ、自分の掌中に収めてしまう。自分の恋情を受け入れないお光をとうとう三世次は刺殺してしまう。お光殺害の容疑で捕縛された三世次は謀略で、とうとう代官に成り上がる。その挙句に三世次は、代官の女房・お幸を口説いてしまう。しかし、お幸は三世次を許してはいなかった。
 もともと自分もその出身である抱え百姓の甚兵衛を斬り捨ててしまったことで一揆の起こる中、代官屋敷では、お幸が三世次にオランダ渡りの姿見で自分の姿を見せていた。三世次は自分の醜い姿を見て愕然とする。そして、自害したお幸と乱入した百姓たちの前で、三世次は閻魔堂の老婆の予言、「ひとりでふたり、ふたりでひとりの女に惚れない限り」、「自分で自分を殺さない限り」勝ちだという予言が当ったことを知るのだった。
 演出のいのうえひでのりはあと20分間短縮できればよかったが・・・と言っていた。場面転換をロック・バンドの歌で切り換え、原作にあったシェイクスピアの作品解説的なセリフをすべてカットして、かなり進行を早めた?蜷川演出 天保12年
 井上ひさし作品としては『藪原検校』ばりの悪の主人公・三世次が活躍するピカレスクだが、その原型がリチャード三世であり、イアーゴーであり、アントニーであり、マクベスであるところが、この劇作の趣向で、原作を知っているほど井上ひさしの工夫が楽しめるという作品になっている。   註:この項目『リア王』と共通

天保十二年の舞台 蜷川演出 『天保十二年のシェイクスピア』は、蜷川幸雄演出、宇崎竜童音楽で2005年秋に再演された。歌を生かし、原戯曲通りの4時間近い上演時間である。グローブ座を模した舞台装置。
 配役が豪華な顔ぶれとなっている。三世次に唐沢寿明、お文に高橋恵子、お里に夏木マリ、お光に篠原涼子、王次に藤原竜也、老婆に白石加代子、語り手に木場勝巳?
 9月28日のBunkamuraシアターコクーンでの公演の模様が、2005年12月23日夜にWOWOWで放映された。連日満員だったというから、演劇というものは分らない。



 (5)BBCシェイクスピア全集の『リチャード三世』 The Tragedy of Richard III
 演出はジェイン・ハウエルJane Howell、収録日March 31-April 6, 1982、英国初放送 January 23, 1983、アメリカ初放送  May 2, 1983

 ピーター・ベンソンPeter Benson as the Ghost of Henry VI 、アントニー・ブラウンAntony Brown as Sir Richard Ratcliffe、 ディヴィッド・バークDavid Burke as Sir William Catesby、 マイケル・バーンMichael Byrne as the Duke of Buckingham 、アン・キャロルAnne Carroll as Jane Shore、 ポール・チャップマンPaul Chapman as the Earl of Rivers、ロン・クックRon Cook as Richard III、ローウェナ・クーパーRowena Cooper as Queen Elizabeth、 アーサー・コックスArthur Cox as Lord Grey、アネット・クロスビーAnnette Crosbie as Duchess of York、デイヴィッド・デッカーDavid Daker as Lord Hastings、 ブライアン・ディーソンBrian Deacon as Henry, Earl of Richmond、テニエル・エヴァンスTenniel Evans as Lord Stanley、 デレク・ファーDerek Farr as Sir Robert Brackenbury、ドリアン・フォードDorian Ford as Edward, Prince of Wales、ジュリア・フォスターJulia Foster as Margaret、 デレク・フュークDerek Fuke as Sir Thomas Vaughan、アレックス・ガードAlex Guard as the Marquess of Dorset、バーナード・ヒルBernard Hill as Sir William Brandon、 パッツィー・ケンジットPatsy Kensit as Lady Margaret Plantagenet、エングス・マックナマラOengus MacNamara as Lord Lovell、ブライアン・プロセローEdward IV、 ニック・レッディングNick Reding as the Ghost of the Prince of Wales、ゾー・ワナメイカーZoe" Wanamaker as Lady Anne、マーク・ウィング・デヴィMark Wing-Davey as Sir James Tyrell、 ピーター・ワイアットPeter Wyatt as the Duke of Norfolk

 ≪舞台裏で≫ このエピソードは『ヘンリーIV世』と同じセットで撮影された。しかし、デザイナーのオリヴァー・ベイドンはセットを荒廃したように変えた。イギリスがカオスの最低にあったときだったから。


       『リチャード二世』     池田博明

 (1)ビクター企画・制作・発行の「シェイクスピア全集」(9作品)のVHS第6-8巻。

 演出ウィリアム・ウォードマン、制作ジャック・ナカノ、美術ジャック・マニング (写真転送不全)
 リチャード二世(デビッド・ブルニー)、ポリングブルック(ポール・シェナー)、ヨーク公(ピーター・マクレーン)、リチャード二世の妃(マリー・ジョアン・ネグロ)、ノーザンバランド伯(ジョン・デェブェリン)、モーブレー(ジェフ・ポメランツ)、ジョン(ジョン・マクリアム)、カーライル司教(ローガン・ラムゼイ)、ヨーク公爵夫人(ナン・マルチン)、オーマール公(ドヴェラン・ブックワルター)、庭師(ジェイ・ロビンソン)、パーシー(ニコラス・ハモンド)、サリー公(ウィリアム・H・バセット)、庭師(チャールス・ペレント)、騎士エクストン(アルヴァ・スタンリー)、ウィロビー卿(マット・カンリー)、騎士スクループ(ダン・メイソン)、ブッシー(J・T・ラワデンバック)、バゴット(マイケル・カミンズ)、グリーン(ウィリアム・ガングル)、侍女(ケイト・フィッツマウリス)、馬丁(ドリュー・スナイダー)、牢番(ランニー・ブロイルス)

 (2)BBCシェイクスピア全集の『リチャード二世』
 King Richard the Second Directed by David Giles,
 Taping dates: April 12-17, 1978,First transmitted in the UK: December 10, 1978. First transmitted in the US: March 28, 1979  
 デレク・ジャコビ Derek Jacobi as Richard II, ジョン・フィンチ Jon Finch as Henry Bolingbroke, ジョン・ギールグッド John Gielgud as John of Gaunt, Duke of Lancaster, チャールズ・グレイ Charles Gray as Edmund Langley, Duke of York, ウェンディ・ヒラー Wendy Hiller as the Duchess of York, メアリー・モリス Mary Morris as the Duchess of Gloucester, デイヴィッド・スィフト David Swift as the Duke of Northumberland, クリフォード・ローズ Clifford Rose as the Bishop of Carlisle, チャールズ・キーティング Charles Keating as Duke of Aumerle, リチャード・オーウェンズ Richard Owens as Thomas Mowbray, ジャネット・モー Janet Maw as the Queen, ジェフリー・ホランド Jeffrey Holland as the Duke of Surrey, ジェレミー・ブロック Jeremy Bulloch as Henry 'Hotspur' Percy, ロビン・サックス Robin Sachs as Bushy, ダミアン・トーマス Damien Thomas as Bagot, アラン・ダルトン Alan Dalton as Green ディヴィッド・ドディミードDavid Dodimead as Lord Ross, ジョン・フリント John Flint as Lord Willoughby カール・オートレィ Carl Oatley as Earl Berkeley, ウィリアム・ウィンパー William Whymper as Sir Stephen Scroop ジョン・バークロフト John Barcroft as Earl of Salisbury, ディヴィッド・ガーフィールド David Garfield as Welsh Captain, デズモンド・アダムズ Desmond Adams as Sir Pierce of Exton, ブルーノ・バーナビー Bruno Barnabe as Abbot of Westminster,ジョナサン・アダムス Jonathan Adams as Gardener アラン・コリンズ Alan Collins as Gardener's Man, ジョン・カールズ John Curless as Lord Fitzwater,テリー・ライト Terry Wright as Murderer




       映画『ヘンリー五世   池田博明

 (1)ケネス・ブラナー監督・脚色・主演『ヘンリー五世』(1989年.英国アカデミー賞最優秀監督賞)。?
●撮影はケネス・マクミラン、衣装(第62回アカデミー衣装デザイン賞)はフィリス・ドルトン。ブラナー率いるルネサンス・フィルム製作
ブラナーのヘンリーV世
  イギリス軍が5倍の戦力のフランス軍を打ち破ったアジンコートの戦いを山場にしているが、この劇は戦意発揚にも、逆に戦争の悲惨を訴える目的にもなる両義的な作品である。ブラナーの映画版は雨に打たれ、泥にまみれて、どちらが勝ったのか分からない戦争を描き、王の内面の独白や、兵士達のする王の戦争責任論などをじっくり描いている。“戦争の災禍をできるだけつぶさに示そうと”、世界最長のトラッキング・ショットとなったアジン・コートの虐殺の戦場が象徴的である。?
  また、ヘンリー五世がハル王子としての若い頃、一緒に遊んだ庶民たちの哀れな運命(『ヘンリー四世』の登場人物たち。フォルスタッフの失意の死や盗みで絞首されるバードルフの死、戦場で盗みをしているときに刺殺されるニムの死)を対比させていて、戦意発揚映画にはなっていなかった?
  もともと1984年にエイドリアン・ノーブルの演出で話題になったロイヤル・シェイクスピア劇団の上演で、残酷な戦闘を指揮する、若々しい国王を演じて好評だったのがブラナーであった。

●映画版は説明役デレク・ジャコビ(若きブラナーにとってハムレット役などで憬れの役者であったデレクである)、グロースター侯役サイモン・シェパード、ベッドフォード侯役ジェイムズ・ラーキン、エクセター侯役ブライアン・ブレシッド(彼は撮影現場の緊張をたびたび和らげてくれたという)、ヨーク侯役ジェイムズ・シモンズ、フォールスタッフ役ロビー・コルトレーン(ブラナーの言によれば“スコットランド人の鬼才。滑稽で哀愁があって、生気があった”)、無頼漢バードルフ役リチャード・ブライヤーズ(映画『空騒ぎ』ではなんと!知事レオナート役。ブラナー率いるルネサンス劇団の名優)、相棒ニム役ジオフリー・ハッチングス、相棒ピストル役ロバート・スティーヴンス(名優である。イギリス軍の夜の場面の名演技)、その妻クイックリー役ジュディ・デンチ(ロイヤル・シェイクスピア劇団の大女優である。これら庶民たちの芝居は、その登場人物の奇妙なちぐはぐさが映画の見所になっている)、フルーエリン役イアン・ホルム、キャサリン役エマ・トンプソン(『いつか晴れた日に』に主演し、アカデミー賞脚本賞も受賞した才媛である。映画『から騒ぎ』にも出演している。当時ブラナー夫人であった)、侍女役ジェラルディーン・マクユーアン、フランス王役ポール・スコフィールド、仏軍司令官リチャ−ド・イーストン、仏皇太子マイケル・マロニー、旗手役クリストファー・レイヴェンズクロフト、少年役クリスチャン・ベイル(スピルバーグ監督の『太陽の帝国』の主演者である)、カンタベリー司教役チャールズ・ケイ、イーリー司教役アレック・マッコウェン

オリヴィエのヘンリー五世  (2)オリヴィエ製作・監督・主演の『ヘンリー五世』(1944年)?
 第二次世界大戦中に戦意高揚映画として企画されたが、オリヴィエは初監督も手がけて単なる便乗映画とはしなかった。台詞をかなりカットして映像で語らせた名作。ただし、長い戦いの場面はやや退屈である?
 最初にシェイクスピア時代のグローブ座が描かれる。舞台で演じられる『ヘンリー五世』から、観客の想像力を刺激してフランスに攻め込む王の船のなかから映画の世界へ一気に入る。『ヘンリー四世』からファルスタッフの死の場面を挿入して(ブラナー作品でもこの案は踏襲された)、庶民と兵士の対比をきわだたせているし、戦場で兵士達が話題にする王の戦争責任論もきっちりと描かれていた。?
 ミニチュアを使って俯瞰されるイギリスの風景が見事である?
 脚色アラン・デント、撮影ロバート・クラスカー、音楽ウィリアム・ウォルトン、
 フランス王女キャサリン役ルネ・アシャースン、旗手ピストル役ロバート・ニュートン、キャンタベリー大僧正フェリックス・エィルマー、口上役レスリー・バンクス、フルエレン大尉エスモンド・ナイト、フランス軍司令官レオ・ゲン。?

 (3)BBCシェイクスピア全集の『ヘンリー五世』 The Life of Henry the Fift
 演出はディヴィッド・ジルズ David Giles、収録日は June 18-25, 1979、英国初放送 December 23, 1979、アメリカ初放送 April 23, 1980

ジョン・アビネリ John Abineri as the Bishop of Ely、ロバート・アシュビーRobert Ashby as the Earl of Salisbury、 トレヴァー・バクスターTrevor Baxter as the Archbishop of Canterbury、ロブ・ビーチャムRob Beacham as the Earl of Warwick、 ジョスリン・ボイセーJocelyne Boisseau as Princess Katherine、アラン・ブラウンAlan Brown as the Governor of Harfleur、 ジョン・ブライアンズJohn Bryans as the Duke of Bourbon、ディヴィッド・バックDavid Buck as the Earl of Westmoreland、 ロジャー・ダヴェンポートRoger Davenport as the Duke of Clarence、キース・ドリンクルKeith Drinkel as Lewis the Dauphin、 ロブ・エドワーズRob Edwards as the Duke of Bedford、ロナルド・フォーファーRonald Forfar as Bates、カール・フォルジオーネ Carl Forgione as Rambures、 ジョン・ファウラーJohn Fowler as the Boy、ジュリアン・グローヴァーJulian Glover as the Constable of France、 ゴードン・ゴストローGordon Gostelow as Bardolph、ディヴィッド・ギリムDavid Gwillim as Henry V、 ギャリック・ヘィゴンGarrick Hagon as Mountjoy、ロバート・ハリスRobert Harris as the Duke of Burgundy、 ジェフリー・ホランドJeffrey Holland as Nym、デレク・ホリス Derek Hollis as the Duke of York、 ジョージ・ハウGeorge Howe as Sir Thomas Erpingham、アレック・マーッコウェンAlec McCowen as Chorus、マイケル・マッケヴィットMichael McKevitt as Jamy、 クリフォード・パリッシュClifford Parrish as the Duke of Exeter、ディヴィッド・ピンナーDavid Pinner as Williams、 ブライアン・ポイザーBrian Poyser as Gower、イアン・プライス Ian Price as Scrope、ライアン・プリングルBryan Pringle as Pistol、アンナ・クェイルAnna Quayle as Alice、 ディヴィッド・ロウランズDavid Rowlands as Sir Thomas Grey、パメラ・ルドックPamela Ruddock as Queen Isabel、 ジョン・ソーンダースJohn Saunders as the Duke of Orle'ans、マーティン・スミスMartin Smith as the Duke of Gloucester、 トーリィ・ウォルターズThorley Walters as the King of France、パッディ・ワードPaddy Ward as Macmorris、 ウィリアム・ウィンパーWilliam Whymper as the Earl of Cambridge、テイム・ウィルトンTim Wylton as Fluellen、 ブレンダ・ブルースBrenda Bruce as Mistress Quickly。 

       オーソン・ウェルズの『深夜の鐘声Falstaff - Chines at Midnight』  池田博明
         日本語題名は『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』(1966年)

 原作はシェクスピアの『ヘンリー四世』第一部・第二部、『ヘンリー五世』『リチャード2世』『ウィンザーの陽気な女房たち』、そしてラファエル・ホリンシェッドの『年代記』。オーソン・ウェルズが脚色した。
 冒頭はファルスタッフ(ウェルズ)が、昔なじみのシャロー判事(いまはよぼよぼの老人.アラン・ウェッブが演ずる)と雪道を来る場面。暖炉を前に若い頃を思い出す二人。「よく二人で深夜の鐘声を聞いたもの」とファルスタッフが語る。
 ときは過去へさかのぼり、ポンフレット城の遠景。リチャード二世が暗殺され、王位についたヘンリー四世(ジョン・ギールグッド)は貴族たちと対立している。ナレーションはラルフ・リチャードソン。王子ハルの従兄弟に当るヘンリー・パーシー卿(ノーマン・ロッドウェイ)は王の処遇が不満で叛乱を起こす。王が戦争体勢に入ろうという時勢に嘆かわしいことに、王子ハル(キース・バクスター)は居酒屋の二階に入りびたり、ファルスタッフやその仲間と遊び暮らしている?
 今日もすっからかんのファルスタッフと仲間は旅人を襲って金を強奪した。ハル王子と同輩のポイズンは途中でファルスタッフ達を脅して金をまきあげる。先回りして帰宅した二人にホラ話をするファルスタッフ。ファルスタッフ
 王が王子を探していると聞いて、ファルスタッフとハル王子は二人で王と王子の問答を予想して芝居をする。そこへ強盗の捜査で警官が来る。あわてて隠れるファルスタッフ。王子が取り繕ってその場はおさまるが、もはや戦闘体勢なので、王子も参戦に駆けつける。ファルスタッフも貧相な仲間をかり集めて兵隊に志願する。
 ヘンリー四世は無駄な争いはしたくないと交渉するし、王子ハルはパーシーとの一騎打ちを望むが、伝令役のウスター卿はパーシーに王の意向を伝えず、全面戦争になる。シュルーズベリーの合戦の描写は短いカットをつないだ迫力のあるシーンとなっている。戦いの激しさとむなしさ、残酷さを浮き彫りにする名場面である。ファルスタッフは争いをうまく避けて逃げ回っている。
 パーシー卿とハル王子は戦場で出会い、一騎打ちの結果、ハル王子が勝ち、王側の優勢となる。死んだふりをしているファルスタッフは仮病をハルに見抜かれるが、後でパーシー卿を討ったのは自分だと申し出て、王にあきれられる。原戯曲では、ファルスタッフのウソにハル王子は口裏をあわせてやることになっているが、この映画の方は王の前で王子がファルスタッフと「パーシーを討ったのは実は俺だが」と会話することになっていて、そうは見えない。
 ヘンリー四世はその後も戦い続け、なんとか叛乱は鎮圧したものの、病気が重くなる。重態の王は王子の放蕩を気にしている。一方、年を取ったとはいえ、ファルスタッフは恋人ドール(ジャンヌ・モロー)を抱いて意気軒昂であるが、往年の勢いはない。体にはガタがきているが、まだ口は達者である。ファルスタッフの小姓にベアトリス・ウェルズ(オーソン・ウェルズの実の娘)。
 王子ハルは重態の父の許に駆けつけ、死に行く王の枕もとにある王冠をかぶる。息をふき返した王が王冠を探して寝床を出て、ハルと出会う。王の詰問に、ハルは「(王冠に)お前が父を殺したのだ」と怨みを言っていたと答える。王は自分の人生は(正統の国王でないために)「王冠を得るための芝居だった」と説き、「心変わりし易い者は外征に当てよ」と治世の知恵を授けるが、息を引き取る。王子ハルの戴冠式となる。
 ファルスタッフは王子の即位で自分の時代が来ると、戴冠式に馳せ参じるが、ヘンリー五世は「昔の私ではない」「十マイル以内に近づけば死刑に処する」「暮らしに困らない程度の俸給は与える」とファルスタッフを寄せ付けない。
 ファルスタッフは王の言葉は「世間への体裁上だ」から、「そのうち内内に声がかかるさ」と強がる?
 しかし、翌日、仏国への宣戦布告の日、ファルスタッフは最期のときを迎えた。居酒屋のおかみクイックリー(マーガレット・ラザフォード)が棺を前に彼の臨終の様子を語っている。仲間が棺を馬車に載せて引いて行く。

●監督・脚色・主演オーソン・ウェルズ、製作提供ハリー・サルツマン、エグゼプティヴ・プロデユーサーはアレッサンドロ・タスカ、撮影エドモンド・リチャード、カメラマンはアレッハンドロ・ウロア、カメラオペレーターはアドルフ・シャーレット。
 ソニー・ホームビデオ・ライブラリー提供のビデオがあったが既に廃盤、中古市場で一年間探し続けて、ようやく入手できた。翻訳・小田島雄次、字幕監修・清水俊二。116分のスペイン=スイス合作映画。

△何よりも映画として面白く、しかも芸術的な作品である。ウェルズ独特の映像美が楽しめ、さらにそれを凌駕するフォールスタッフの人間的魅力が作品の大きな成功につながっている。監督としても俳優としても、ウェルズの思い入れが、みごとに結晶した名画と言えよう。
 ただし、これはあくまでも翻案映画。シェイクスピアの描いたフォールスタッフは、支配階級を痛烈に皮肉り批判はするが、同時に、国家の繁栄と安寧を願う立場に立てば、当然新王には切り捨てられざるを得ない無頼漢のはず。政治の世界と庶民の世界、その両方の世界観なり価値観なりを絶妙のバランスで見せてくれるのが、この芝居の大きな魅力のひとつ。上からの歴史と下からの歴史が交錯する多重構造の芝居。しかも、両者は単に並置されているだけではなく、お互いがお互いを風刺し合う。その要になっているのがフォールスタッフというわけである。だから、彼は国王や貴族たちをこき下ろして超然としている存在ではなく、自らも徹底的に批判される無責任男なのである。
 原作に登場するフォールスタッフは、ウェルズの映画の彼ほど善良ではない。また、フォールスタッフを中心に据えた民衆的政治観は、オーソン・ウェルズの思想であって、シェイクスピアのものではない。(狩野良規の本より)。


       『ジュリアス・シーザー』   池田博明

  (1)映画版『ジュリアス・シーザー』
 英国の舞台監督スチュアート・バージの映画監督作品(1969年)は、原作をなぞっていくのだが、それなりに見応えがあった。シーザー
 シーザーのローマへの凱旋シーンから始まる。占い師が「3月15日に気をつけろ」と不吉な予言をするが、シーザーはひるまない。シーザー役はジョン・ギールグッドで、しっかりとした台詞回しで、どんな言葉にも力がある。品のあるシーザーである。キャシアス(リチャード・ジョンソン)は、キャスカ(ロバート・ヴォーン)やブルータス(ジェイソン・ロバーズ)を皇帝への野望を持つシーザーを暗殺する陰謀に誘う。ロバート・ヴォーンはいつも周囲の反応を伺うキャスカという感じだった。ジェイソン・ロバーズは、ギールグッドのシーザーが韻文を話しているような趣きがあるのに対して、非常に散文的な話し方である。しかし、シーザー暗殺後の広場の演説ではさすがに演説口調になる。後半のキャシアスと口論する場面ではやや直情的に怒鳴り過ぎていた。
  シーザー凱旋の夜、ブルータスの家には、暗殺団が集合する。彼らが帰宅した後、ブルータスの妻ポーシャ(ダイアナ・リグ)は夫の悩みを問い質す。ポーシャはこの場面以降は登場しない。
  翌朝、シーザーの胸像から血が流れるような悪夢にうなされて、シーザーの妻カルパーニア(ジル・ベネット)は、登院を止めようとする。しかし、シーザーを迎えに来た使者ディシャスは本日の議会で王冠を与える決定をするはずだ、奥方の夢見で来ないなどとなればシーザーは笑い者になると進言する。結局、登院を決定したシーザーに、途中で待ち受けるアーテミドラス(クリストファー・リー)は請願状(陰謀を進言したもの)を渡す。しかし、シーザーはその手紙を見ることなく、退けてしまう。
 元老院の議会場にて、シーザーにメテラス(アラン・ブロウニング)は兄の追放赦免を依頼する。シーザーはそのような平身低頭式の請願には取り合わない。他の者も口添えするが、シーザーはすべてを却下する。そして遂にキャスカの一撃が!次々に刺され倒れるシーザー。驚き、あわてる議員たちをなだめるブルータスら。
 アントニー(チャールトン・ヘストン)が登場して、自分をシーザーとともに殺せと言うが、殺戮を好まぬブルータスには、その意志は無い。アントニーはブルータスの演説の後、弔辞を述べることを申し出て許される。アントニーはキャシアスたちには、遊び人だと蔑まれているが、シーザーを敬うことにかけては人後に落ちない直情径行型の人物であるという感がある。
 議院前の階段。群集の前でまずブルータスが演説する。理に勝った「愛するシーザーより以上に、ローマを愛したのだ」という演説に続いて、アントニーが演説する。アントニー役のヘストンは、オーバーアクションで芝居気たっぷりに演説している。その感情的な扇動に乗った民衆の暴動と破壊が続く。
 マッサージ室でオクテヴィアス(リチャード・チェンバレン)とアントニー、そしてレピダス(デビッド・ドディミード)の会話?
  野戦陣営。ブルータスとキャシアスの口論。なにごとにも理想主義的なブルータスと現実主義的なキャシアスの対立が鮮明になってくる。
 フィリパイの平原での戦闘。最初は優勢だったブルータス側も、最後にはキャシアスは自刃し、ブルータスも自刃する。
 狩野良規氏の評価は、ジェイソン・ロバーズはミス・キャストで、ヘストンのスター芝居にはうんざり、シェイクスピア劇の人物の多面性を描いていないと、低い。さらに、マンキウィッツ監督作品に対してはもっと評価が低く、BBCテレビ版のハーバート・ワイズ監督作品(1978)が俳優の演技力と役柄の解釈の確かさで映画版とは比較にならない出来であるという。
●他にティティニアス役ノーマン・ボウラー、ボルムニアス役アンドリュー・クロフォード、シナ役ピーター・アイアー、パブリアス役エドウィン・フィン。製作は弱冠29歳のピーター・スネル、脚色ロバート・ファーニバル、撮影ケン・ヒギンズ(『ジョージー・ガール』)、美術モーリス・ペリング(『クレオパトラ』)、編集エリック・ボイド・パーキンス、衣裳バーバラ・ギレット、音楽は新人マイケル・ルイス

●マンキウィッツ監督版(1953)は未見だが、ブルータス役ジェイムズ・メーソン、アントニー役マーロン・ブランド、キャシアス役ジョン・ギールグッド。?

△岩波文庫版『ジュリアス・シーザー』の中野好夫の解説は簡にして要を得たものである。

 (2)BBCシェイクスピア全集『ジュリアス・シーザー』Julius Caesar
 演出はハーバート・ワイズ Herbert Wise。収録日July 26-31, 1978、英国初放送 February 11, 1979、アメリカ初放送 February 14, 1979

 リチャード・パスコRichard Pasco as Brutus、チャールズ・グレィCharles Gray as Julius Caesar、 キース・ミッシェルKeith Michell as Marcus Antonius、ディヴィッド・コリングスDavid Collings as Cassius、 ヴァージニア・マッケンナVirginia McKenna as Portia、エリザベス・スプリッグスElizabeth Spriggs as Calpurnia、 サム・ダストーSam Dastor as Casca、ジョン・ローリモアJon Laurimore as Flavius、 ジョン・スターランドJohn Sterland as Marullus、ギャリック・ヘイゴンGarrick Hagon as Octavius Caesar、 ブライアン・コバーンBrian Coburn as Messala、レオナード・プレストンLeonard Preston as Titinius、 アレクサンダー・ディヴィオンAlexander Davion as Decius Brutus、ダリエン・アンガディDarien Angadi as Cinna、 アンドリュー・ヒルトンAndrew Hilton as Lucilius、アンソニー・ディウェスAnthony Dawes as Ligarius、 ロジャー・ビズリーRoger Bizley as Metellus Cimber、マニング・ウィルソンManning Wilson as Cicero、 ロナルド・フォーファーRonald Forfar as The Soothsayer、パトリック・マーレィ Patrick Marley as Artemidorus、 ウィリアム・シモンズ William Simons as Trebonius、ジョン・トードフJohn Tordoff as Cinna the Poet、 フィリップ・ヨークPhilip York as Young Cato、クリストファー・グッドChristopher Good as Clitus、 ロバート・オーツ Robert Oates as Pindarus、ジョナサン・スコット−テイラー Jonathan Scott-Taylor as Lucius、 モーリス・ソログッド Maurice Thorogood as Strato、マイケル・グレイトレックス Michael Greatorex as Varro、 ニコラス・ゲックス Nicholas Gecks as Volumnius、マイケル・ジェンキンソン Michael Jenkinson as Dardanius、 ロイ・スペンサー Roy Spencer as Lepidus、テレンス・コノリーTerence Conoley as Popilius、ノエル・ジョンソン Noel Johnson as Publius。

 ≪舞台裏で≫ワイズ監督は
Director Herbert Wise felt that Julius Caesar should be set in the Elizabethan era, but he was compelled by the financiers to set it in a Roman milieu. Wise felt that Shakespeare had written the play specifically as a commentary on Elizabethan culture, and that interpreting it literally as being a play about Ancient Rome trivialised the story.




        映画 『アントニーとクレオパトラ  池田博明

 (1)チャールトン・ヘストンが監督・脚本・主演をした『アントニーとクレオパトラ』(1971)はスイス・スペイン・イギリス合作映画。
 娯楽映画としては悪くない出来である(狩野良規評)。物語は冗長で起伏に乏しく、あまり面白くない?
●アントニー役ヘストン、クレオパトラ役ヒルデガルド・ニール、その侍女チャーミアン役ジェーン・ラポテア、オクテヴィアス役ジョン・カ−スル、イノバーパス役エリック・ポーター(英国の名優)。

 (2)トレヴァー・ナン演出のRSC舞台のテレビ用編集作品(1974)は有名。アメリカからビデオが購入できる。
△アントニー役のリチャード・ジョンソンが愛人にのめりこむ中年の男の姿をみごとに演じている。クレオパトラ役のジャネット・スーズマンは、イギリスの役者だから望むべくもない容姿、さして色っぽくもないが、しかし、演技は大したもの。他にパトリック・スチュアートのイノバーバス、コリン・レッドグレイヴ(名女優ヴァネッサの弟)のオクテーヴィアスなど、役者には文句のつけようがない。ただ辛いのは、カメラが人物だけに集中していて、古代ローマの壮大さのかけらも感じられないことである。アップ、アップ、アップ、カメラがなかなか引かない。クレオパトラの宮殿はテントの中といった風、その黄土色の背景に対して、ローマの場面の背景は白という色分け。前に、映像で背景を見せすぎると、俳優のセリフや演技から観客の集中力を奪ってしまうと述べたが、このビデオの場合は、背景がなさ過ぎて、それはそれでなかなか辛いのである。もちろん合戦の場面は一切なし。(狩野良規による)。アントニーとクレオパトラ
●リチャード・ジョンソンはヘストン主演の『ジュリアス・シーザー』ではキャシアス役
 他に、チャーミアン役ローズマリー・マクヘイル、アイラス役メイヴィス・テイラー・ブレイク、アレクサス役ダリエン・アンガディ、ヴェンティディウス役コンスタンティン・ド・ゴグール、スカルス役モーガン・シェパード、エロス役ジョー・マーセル、レピダス役レイモンド・ウェストウェル、オクタヴイア役マリー・ルサーフォード、アグリッパ役フィリップ・ロック。?
 スタッフは闘技B.H.バリー、美術クリストファー・モーリィとアン・カーティス、音楽ガイ・ウルフェンデン、TV美術マイケル・ベイリー、TV制作ローナ・メーソン、TVエグゼクティブ製作セシル・クラーク、

 クローズアップ中心の映像で(TV監督ジョン・スコフィールド)、ナン監督の傑作『十二夜』のような映画的な撮りかたはしていない。

 (3)BBCシェイクスピア全集の『アントニーとクレオパトラ』Antony and Cleopatra
 Directed by Jonathan Miller Taping dates: March 5-10, 1980 First transmitted in the US:April 20, 1981、First transmitted in the UK: May 8, 1981

John Paul as Canidius
Jonathan Adams as Ventidius
Jane Lapotaire as CleopatraColin Blakely as AntonyDarien Angadi as Alexas Janet Key as CharmianHoward Goorney as the Soothsayer Cassie McFarlane as Iras Emrys James as Enobarbus Mohammad Shamsi as Mardian Ian Charleson as Octavius CaesarEsmond Knight as LepidusHarry Waters as Thidius David Neal as Proculeius Anthony Pedley as AgrippaGeoffrey Collins as Dolabella Donald Sumpter as Pompeius George Innes as MenasDesmond Stokes as Menecrates Lynn Farleigh as Octavius Simon Chandler as Eros Christopher Ettridge as Scarus George Howe as EuphroniusAlec Sabin as DercetasDuring the shooting of the scene with the snake, the snake crawled down the back of Jane Lapotaire's dress.



 (4)ビクター企画・制作・発行の「シェイクスピア全集」(9作品)のVHS第21-23巻。
 演出ローレンス・カッラ、制作ケン・キャンベル 
 アントニー(ティモシー・ダルトン)、クレオパトラ(リン・レッドグレイヴ)、チャーミアン(ニッシェル・ニコルス)、占い師(ジョン・キャラダイン)、イノバーバス(バリー・インガム)、オクティヴィアス(アンソニー・ゲェアリー)、ポンペイ(ワルター・ケーニグ)、イアロス(ブライアン・ケルウィン)、道化(ジャック・グゥイラム)、ヴェンティディアス(マイケル・ビリントン)、シリアス(クロード・ウールマン)、アイアラス(キム・ミヨリ)、アレクサス(アンソニー・ホランド)、マーディアン(ジェイムズ・エィヴァリー)、イーミリアス(アール・ボーエン)、使者(ジョセフ・R・シカリ)、ミーナス(テッド・ソレル)、ミシーナス(アール・ロビンソン)、アグリッパ(トム・ロスキ)、ティディアス(アルヴァ・スタンリー)、オクテーヴィア(シャロン・バー)、ドラベラ(ジョン・デブリン)、ユーフローニアス(ダン・メイソン)、プロキュリーアス(ベンリー・サットン)、シリューカス(ラルフ・ドリシェル)、兵士(ポール・ボウマンJr、トム・エヴァレット、マイケル・キース・ホール、グレイ・オニール、アレックス・ライト)、その他。


       映画 『タイタス・アンドロニカス   池田博明

 (1)ティモア監督の『タイタス』
 シェイクスピアの作品の中でもっとも血塗られたこの復讐劇を、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』のレクター博士役のアンソニー・ホプキンスがタイタスを演じた映画『タイタス』がある(2000年)。イタリアのコロセウムやムッソリーニ宮殿でロケした豪華な見ごたえある作品である。
 製作・監督・脚本は『ライオンキング』のジュリー・テイモア、衣装は『時計仕掛けのオレンジ』『炎のランナー』のミレーナ・カノネロ、美術監督はダンテ・フェレッテイ、撮影監督はルチアーノ・トボリ、音楽エリオット・ゴールデンサル。
 ジュリー・テイモアはオフ・ブロードウェイの舞台で、1994年に『タイタス・アンドロニカス』を手がけており、多くの舞台やオペラ、ミュージカルの演出も手がけている。DVD版のおまけのディスクにはジュリーのコロンビア大学での講演も収録されているので、映画の意図がよく分かる。舞台的な照明が取り入れられている。チネチッタ撮影所の大道具や小道具を作る職人たちの腕前をジュリーは高く評価していた。しかし、その技術を受け継ぐ若者がいないのだという。
 タイタスは古代ローマの人物に属するが、暴君サタナイナスや息子たちのBGMは1930年代に属し、演説も乗用車に乗って行われる。また、ゴート族の王子たちのBGMはロック世代に属する。ちょうどローマという都市がそうであるように、古代世界に突然、自動車やマイクロフォン、TVゲームやビリヤードが登場するが、違和感ではなく、むしろ異化効果を感じる。
 映画は冒頭、紙袋をかぶった少年が真っ赤なテーブルの上の沢山の玩具の兵隊などをかき回し、打ち砕く衝撃的な場面から始まる。この少年が道化師に連れ去られて、古代ローマの世界にワープするのである。12歳の少年の目で、復讐劇が目撃されていく。少年役は、ノーブル演出の『夏の夜の夢』でも目撃する少年を演じたオッシーン・ジョーンズ。

 正邪の結論の出ない復讐劇である。
 粗筋を小田島雄志の要約で示す。
△ローマの貴族タイタスが、ゴート族を平定し、捕虜を引き連れて凱旋してくると、ローマでは先の皇帝が没し、その息子たちサターナイナスとパシエナースが次の皇帝位を争っていた。市民たちは、護民官マーカス(タイタスの弟)を通じて、タイタスこそ皇帝に、と願うが、タイタスはそれをしりぞけ、サターナイナスを推挙する。?
 新皇帝はタイタスに対する返礼として、その娘ラヴィニアを妃に迎えたいと言い出す。彼はラヴィニアが弟パシエナースと相愛の婚約者であることを承知の上で、難題を吹っかけたのである。タイタスは、妹はパシエナースのもの、と反対する息子の一人を切って捨ててまで命に服そうとしたが、皇帝はいやがる女など弟にくれてやると、と称し、前から色目を使っていた捕虜のゴート族の女王タモーラを妃にする。
 タモーラにとって、タイタスは多くの身内を殺した仇である。彼女はひそかに情を通じているムーア人アーロンを手先に使い、タイタスへの復讐を始める。まず狩の最中にパシエナースを殺して穴に放り込み、そこにタイタスの息子二人を落とし込んで皇帝の弟の殺害者たちと見せかける。次に、ラヴィニアを誘い出し、自分の二人の連れ子に犯させ、犯人の名を言えぬように舌を切り取り、書けぬよう両手首を切り落とす、という目に会わせる。さらにタイタス一族のだれかが腕を一本献上すれば捕らえられた二人の息子は返されるだろう、というので、タイタスがみずから腕を切り落として持たせてやると、息子たちの生首が返される。ここにいたって、タイタスは、「この恐ろしい眠りに終わりはないのか?」の一言を境に、皇帝夫妻への復讐を決意する。マーカスの知恵により、ラヴィニアが杖を口にくわえ、手首の無い腕で支えて、砂の上にタモーラの連れ子たちの名前を書くので、ついに犯人の名を突きとめると、タイタスは二人の連れ子をおびき寄せて殺し、その骨を粉に引いて生首を包んで焼き、皇帝夫妻を宴に招いて息子たちのパイを食わせ、復讐をとげてみずからも刺されて死んでいく。
△シェイクスピアの第一期の作品群が《アクションによって統一された世界》であるように、その世界に生きる人物たちもまた《行動によって統一された人間》といえるだろう。彼らは、おのれの信じるところに従ってひたむきに行動する。その心には、自己に対する猜疑、分裂。葛藤といったものがない。かりにそれが芽生えかけたとしても、行動することによってたちまち摘みとられてしまう。
△タイタスの主人公には、内的葛藤の影さえない。(小田島雄志『シェイクスピア遊学』白水社)。
●ゴート族の女王タモラをジェシカ・ラング、先帝の息子サタナイナスをアラン・カミング、ムーア人の悪人アーロンをハリー・レニックス、王子デミトリアスをマシュー・リース、王子カイロンをジョナサン・リース・マイヤー、タイタスの娘ラヴィニアをローラ・フレイザー(ラング主演の『従妹ベット』では若い家政婦役だった)、ラヴィニアの婚約者パシアナスをジェームス・フレイン、息子ルーシャスを『ブレイブハート』のアンガス・マクファーデン、タイタスの弟で護民官のマーカスをコーム・フィオール

 (2)ルーマニア国立クライオヴァ劇場来日公演の際の批評があった。
 公演は1992年5月6日から10日まで。「朝日ジャーナル」編集者・天野道映評、朝日ジャーナル最終号(1992年5/29号より。
△演出シルヴィア・プルカレーテ、主演ステファン・イオルダシュ?
 この作品は残酷な復讐劇で、上演されることが少ない。残酷の忌避のためばかりでなく、大量殺人が非現実的で、時に滑稽になるからだ。しかし、冒頭に白幕に映し出される男(主演のステファン)を私は、ルーマニアの独裁者チャウシェスクだと誤認したために、王宮の陰謀、犠牲者の苦痛、専制者への報復が絵空事に見えなかった。では、それはルーマニアの劇団だからであり、最初に映像の誤認があったためかというと、そうではない。この舞台が濃密に演劇的で、日常の外に確固とした世界を作ったためである。英国から来る劇団とはかなり印象が違う。(中略) せりふ(ルーマニア語)はかなりカットされている。その分状況が言葉を超えて進んでいくかのように見える。その進み方がせりふにかわって、さまざまなイメージを生む面白さ。白い幕は前後左右にあり、上昇下降して密室や森を作る。(中略) 視覚的といっても、テレビとは正反対の方向を示している。人物は常に空間の一部としてデザインされているからである。クローズアップが不可能なのである。丈高い白幕を抜きにしては、その下でもがくラヴィニアの表情が生きない。多層な白幕の存在は舞台を立体化する。(後略)。

  (3)製作・監督・主演(サタニヌス役)クリストファー・デューン、製作総指揮ジョー・レドナー、ビデオ製作スティーヴ・ムティマーのビデオ(アメリカから購入)を見ることができた(字幕なし、1998年、147分)。しかし、演技以前,演出以前の作品であった。
 舞台では台詞は大きな声で語られなければ、観客には聞こえないが、映画ではそんな必要はない。しかし、この映画では台詞は大きな声で語られる。対話も動きも遅く、映画的な演出ではなかった。台詞を言う人物だけに演技があって、その他の人物はただ立っているだけなのも拙劣である。
 残酷な場面だけが特殊効果で際立つ。戯曲を絵解きしただけの演出以前の拙劣な作品であった。
●衣裳及びタマーラ役キャンディ・K・スウィート、タイタス役及び製作補助ロバート・リース、タイタスの弟マーカス役リチャ−ド・ポーター、タイタスの息子ルシアス役アレックサンダー・チュー、同娘ラヴィニア役アマンダ・ギージック、ムーア人アーロン役及び製作補助レクストン・ラリー等。チェロ演奏テレサ・ヴィラーニ。

 (4)BBCシェイクスピア全集の『タイタス・アンドロニカス』Titus Andronicus
 Directed by Jane Howell Taping dates: February 10-17, 1985 First transmitted in the US: April 19, 1985 First transmitted in the UK: April 27, 1985

Paul Davies Prowles as Young Lucius Edward Hardwicke as Marcus Walter Brown as Aemilius Brian Protheroe as Saturninus Nicholas Gecks as Bassianus Derek Fuke as Sempronius Eileen Atkins as Tamora Peter Searles as Alarbus Neil McCaul as Demetrius Michael Crompton as Chiron Hugh Quarshie as Aaron Gavin Richards as Lucius Crispin Redman as Quintus Tom Hunsinger as Martius Michael Packer as Mutius Trevor Peacock as Titus Andronicus Anna Calder-Marshall as Lavinia Paul Kelly as Publius


        コリオレイナス       池田博明


 (1)彩の国 さいたま芸術劇場  『コリオレイナス』 
 シェイクスピアの史劇ではもっとも上演回数が少ない作品。主人公のケイアス・マーシアス=コリオレイナスが民衆を軽蔑している点に問題がある、という。また、主人公のポリシーが一貫せず、母親の言葉に行動が左右される点に弱点があるという指摘もある。しかし、主人公の行動はプルターク英雄伝からの借用である?
 河合祥一郎が指摘するように、“戦争を憎む人でも、戦(いくさ)でしか生きられない武人コリオレイナスの人間としての高潔さは理解できるだろう。シェイクスピアは問うているように思える-誰もが平等であると教える民主主義においても、命を懸けても名誉を求める気高い心(noble mind)が失われてはいないかと。”
 T・S・エリオットは悲劇として『ハムレット』に勝る構成であると高く評価した。『ジュリアス・シーザー』から始まるシェイクスピアの悲劇時代の最後の悲劇大作。松岡和子翻訳、蜷川幸雄演出。2007年8月24日22:25〜1:35、NHK教育テレビで放映。

 彩の国さいたま芸術劇場の2007年公演では、最初に舞台前で民衆たちが二列に並んで礼をする。主人公の母親役の白石加代子の証言によれば、蜷川演出では群集が塊りではなく、ひとりひとり演技をつけられて意味のある動きをする、稽古の半分以上が群集のひとたちの演技だという。
 第一幕
 舞台は正面の大きな階段である。階段の前に垂れ下がった中間幕は鏡の役割をして当初は観客自身の姿が写っている。そう言えば、この劇で重要な役はローマ市民たち。照明が変わると幕の中にローマの民衆たちが見えてくる。人々は飢えに苦しみ、貴族たちに不満を募らせている。ケイアス・マーシアス(唐沢寿明)が貧民たちの第一の攻撃目標である。
 マーシアスの友人で元老院のメニーニアス(吉田鋼太郎)は「胃袋に対する叛乱」の喩えで貧民を鎮めようとするが、姿を現わしたマーシアスは貧民たちは口先だけの無責任な手合いと断言、この暴動を鎮めるために、平民から護民官(嵯川哲朗・手塚秀彰)が選ばれることになったと話す。
 二人の護民官は陰でマーシアスへの反感を煽る相談をする。そのとき、ヴォルサイ人が攻めてきたとの報があり、マーシアスはローマを離れる。
 マーシアス邸では母親ヴォラムニア(白石加代子)と妻ヴァージリア(香寿たつき)がマーシアスの話をしている。訪ねてきた友人ヴァレリア(高橋礼恵)が外出に誘うが、ヴァージリアは気が進まないと断る。
 マーシアスはヴォルサイ人との戦闘に参加。城内に一人で突入する。後に続く兵士はいない。たった一人で敵中に閉じ込められ、傷を負いながらも、コリオライを占領するマーシアス。味方は劣勢と聞いていた上官は驚く。
 マーシアスはさらに攻め込んで行き、敵の指揮官オーフィディアス(勝村政信)と一騎打ちのすえ、ローマを勝利に導く。
 階段の最上段の扉に描かれた絵が変化し、場面を転換する。四天王像など仏教がモチーフの装置や音響が異化効果をもたらす。美術は中越司、照明は原田保。

 第二幕。
 陥落した都市の名前にちなんでマーシアスはコリオレイナスの称号を受ける。マーシアスは執政官に推薦されるが、執政官になるためには謙虚のしるしであるボロ服をまとい広場に立ち、傷あとを見せながら市民に了解を得なければならない。マシアスはその慣習に強く抵抗するが、周囲の説得によりしぶしぶ慣習に従う。無理やり愛想をふりまき、彼は何とか市民の賛成を得る。しかし、彼の失脚を狙う二人の護民官は推薦を取り消せと市民をそそのかす。

 第三幕
 広場に集まる市民たち。コリオレイナスの推薦は撤回され、逆に彼は反逆罪で訴えられてしまう。市民と対立するマーシアス。彼は母ヴォラムニア(白石加代子)の説得により市民に謝罪することを了解するものの、護民官の狙いどおり途中で癇癪を起こしてしまい、民衆の敵としてローマから追放される。

 第四幕
 マーシアスは母と妻と別れて、ローマを後にする。祖国への復讐の念に燃えるマーシアスはヴォルサイ人の宿敵オーフィディアスのもとへ。自分を追放した連中への仕返しのため、オーフィディアスに協力を申し出る。二人は和解し友情を誓い、共に戦う仲間となる。ヴォルサイ軍の召使たちの会話「平和なんて屁みたいなもんだ、剣を錆びつかせ、仕立て屋を繁盛させ、はやり歌作りを増やすだけなんだから」「俺も戦争大歓迎だ。昼が夜より上なように、戦争は平和より上だからな。元気いっぱい歩き回り、声を張り上げ、いっときもじっとしていない。ところが、平和ときたら中風病みのよいよいだ、目はかすみ、耳は聞えず、生ける屍だ。戦争が殺す人間より、平和が生み落とす私生児のほうが数はずっと多い。」・・・
 ローマ領に攻撃をしかけるヴォルサイ軍。

 第五幕
 慌てたローマ側はマーシアスに和解を申し出るが、彼はかつての友人メニーニアスさえも無視し、ローマ侵略を続ける。しかし、彼の母・妻・息子までもが嘆願に訪れ、さすがに心を動かされるマーシアス。和解を受け入れてローマの兵を引き揚げる。
 ヴォルサイ軍内でどんどん存在感を増すマーシアスを疎ましく思い始めていたオーフィディアスは、彼がローマと和議を結んだことに憤慨。裏切り者として責め、斬り結んだあげくに致命傷を負わせる

 福田恒存訳本の「批評集」より
 ハーリー・グランヴィル・バーカー
 “護民官たちは全くの「悪役」であり、喜劇的に描かれてゐることだけが彼らの救ひだ。可笑しなものとして蔑まれれば、少しはいやらしさが減るのだから。が、主要人物たちにしても、一人として多くの共感をもつて描かれてはゐない。初めて登場するときに「いつも民衆の為を思ってくれてゐる」男だと民衆に絶賛されるメニーニアスも、まもなく民衆を煽てたり、せせら笑つたりする。オーフィディアスも、良きにつけ悪しきにつけ不安定。優しさに欠けるヴォラムニアは最後まで情なしであり、息子を説得して凱歌を奏すると、息子がそのために払はねばならぬ犠牲のことなどお構ひなしだ。さらにコリオレイナスその人をもシェイクスピアは、裁判官のやうに超然と創造的な暖さぬきで扱つてゐる。?
 朱雀成子の著作(2006)より
  “ローマでのヴォラムニアの立場は「父」の役割を果たす母である。父権制は女を蔑視するが、母性は礼賛するので、女は母として権力を行使できる。それは母による父権制の代行権力の行使というべきもので、女は母性という舞台で抑圧者となりうることを示す。ヴォラムニアは、女として「周縁」にいながら、母としてローマ父権制の「中心」に位置している。”
 安西徹雄の批評 (『彼方からの声』2004年より?
 “シェイクスピアの言葉の力強さと繊細さ、その深さとゆたかさを、そのまま日本語で再創造することなど、端的に言って不可能なのだ。日本の演出家はこうして、翻訳の結果みじめにも衰弱したテキストを用いて仕事するしかない。最初から、決定的なハンディキャップを負って出発するしかないのである。 けれども、こうした絶望的なハンディキャップを克服する方法も、まったく見つからないわけではない。まず第一に、舞台上の視覚的効果を最大限に動員し、言語という表現の媒体を、いわばバイパスすることによって、演劇的というよりは、むしろ劇場的な説得力を強化し、膨張させて、弱体化したテキストを、強引に補強することも可能である。いわゆる蜷川シェイクスピアなどは、こうした手法のもっとも目ざましい実例の一つだろう。この方法は、確かに相応の効果を挙げることは、やはり認めておかなくてはならない。英語圏(特にイギリス)のシェイクスピア上演では、シェイクスピアの原文という、いわば有難迷惑な足枷をはめられているために、良かれ悪しかれ、圧倒的にテキスト中心となる傾向が強く、本来シェイクスピアのうちに潜在している非言語的次元の可能性には、それほどの関心を示すことは少ない。ところが、蜷川演出は、少なくとも結果的に、この次元がどれほど強力な可能性を孕んでいるか、顕示して見せることによって、皮肉にも、イギリスで高い評価を得ることになったのである。”
 松岡和子 (『コリオレイナス』訳者あとがき より
 “鮮やかな振り付けの殺陣、唐沢をはじめとする俳優諸氏の「舞い」とも「剣舞」とも呼びうる切れのいい動き、日本刀(舞台美術も衣装もアジア風)のきらめきと太刀風や剣戟の響きとの同調の見事さ、戦闘シーンに長い時間を割いた蜷川の慧眼、などのおかげで目を開かされたのは『コリオレイナス』における戦闘場面の肝要さである。つまりこの劇における殺陣の場面は、他のシェイクスピア劇中にもあまたある戦闘場面とはその重要性も意義もまったく違うということだ。・・・コリオレイナスが十全に生き、その真価を発揮するのは戦場なのだ。彼自身、連戦連勝の軍人であることを最大の誇りとしている。・・・ステージのほぼ全域を占める大階段と上手下手にそびえる鏡面を駆使し、貴族階級と民衆との刻々変化する力関係を活写した完成度の高い演出、「コリオレイナスの言霊がこの俳優を見つけた」と思わせるほど、難物である主人公にくっきりとした輪郭と「高潔な」血を通わせた唐沢寿明、迫力と品格から笑うべき要素までをヴォラムニアに注ぎ込んだ白石加代子ら俳優陣の高度な演技、などなど玉質に満ちた『コリオレイナス』であった。”
  
参考文献
福田恒存,1971.シェイクスピア全集 補 コリオレイナス.新潮社?
シェイクスピア大全.2003.新潮社.
松岡和子訳,2007.コレイオレイナス.ちくま文庫
朱雀成子,2006.愛と性の政治学 シェイクスピアをジェンダーで読む.九州大学出版会.


 (2) BBC全集シェイクスピア全集『コリオレイナス』The Tragedy of Coriolanus
 演出はエリシャ・モシンスキー、収録日 April 18-26 1983、英国初放送 March 26, 1984、アメリカ初放送 April 21, 1984。
 
 ジョス・エィクランド Joss Ackland as Menenius、アラン・ハウランド Alan Howard as Gaius Marcius Coriolanus、パトリック・ゴッドフリーPatrick Godfrey as Cominius、 ピーター・サンズ Peter Sands as Titus Lartius、ジョン・バージェスJohn Burgess as Sicinius、アンソニー・ペドリー Anthony Pedley as Junius Brutus、 メイク・グゥイリム Mike Gwilym as Aufidius、ヴァレンティン・ダイアルValentine Dyall as Adrian、 イレーネ・ワース Irene Worth as Volumnia、ジョアンナ・マッカラム Joanna McCallum as Virgilia、ヘザー・キャニングHeather Canning as Valeria 、ダミエン・フランクリンDamien Franklin as Marcus、 ニコラス・アマー Nicolas Amer as Aedile、テディ・ケンプナーTeddy Kempner as Nicanor

 ≪舞台裏で≫モシンスキー監督はコリオレイナスと母の関係をロス・ケネディと息子の関係をモデルにした。

参考文献
福田恒存『シェイクスピア全集』1〜15巻、新潮社
松岡和子『シェイクスピア全集』1〜15巻、ちくま文庫
坪内哨遥『ザ・シェークスピア(全戯曲:全原文+全訳)』第三書館
ラム『シェイクスピア物語』(上下)、偕成社文庫
AERAムック『シェイクスピアがわかる』(朝日新聞社、1999年?
喜志哲雄『劇場のシェイクスピア』(早川書房、1991年)品切
高橋康也ほか、『シェイクスピア辞典』(研究社、2000年)
出口典雄(監修)、佐藤優(執筆・編集)『シェイクスピア作品ガイド37』(成美堂出版、2000年)?
狩野良規『シェイクスピア・オン・スクリーン』(三修社、1996年?
ミルワード『シェイクスピアの人生観』(新潮選書、1985年)
中野好夫『シェイクスピアの面白さ』(新潮選書、1967年)
ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(白水社、新装訳書1992年)
ジョン・ウェイン『シェイクスピアの世界』(英宝社、1973年)
C・ウォルター・ホッジス『絵で見るシェイクスピアの舞台』(研究社出版、2000年)
松本侑子『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』(集英社、2001年)
ローレンス・オリヴィエ『一俳優の告白、オリヴィエ自伝』(文藝春秋、1982)
ケネス・ブラナー『私のはじまり』(白水社、訳本1993年。1989) 


  BACK TO 私の名画座