映画『ニワトリはハダシだ』 インタビュー

対談者................ 森崎東、 榎戸耕史
出典................ 映画芸術
著者................ 
発行................ 編集プロダクション映芸
発行年................ 2004年 406号
ページ................ 76-85


今日の世界に
普遍は普遍だと
僕は一度
言ってみたかった


 近代日本の暗部が凝縮されたような街・舞鶴
 そこを舞台に
 森崎東がいよいよ新作に取り組んだ
 現場をともにした榎戸耕史が
 森崎作品の深みにひそむ
 苛烈な思想を聞き出す
    2004年

 榎戸 まずは、新作『ニワトリはハダシだ』というタイトルのことからお伺いしたいと思います。
 森崎 実は最初に考えていたタイトルは「五十六億七千万年の遅刻」というものでした。映画の中で肘井美佳君が演じるヒロイン・直子に、余貴美子さんが演じる母親が、弥勒菩薩の話をするんですね。お釈迦さんの入滅後、五十六億七千万年経つと、人類はとことんダメになっていて、それを救いに弥勒菩薩が現れると。しかし二十過ぎの若い直子としては、なぜ五十六億七千万年なんて長い間待たなきゃならないのかと単純に思うわけです、とても耐えられないと。それは自分の養護学校の生徒で障害者のサム君が、無実の罪で、今にも警察に捕まって少年院に入れられてしまうじゃないか、菩薩とあろうものが遅刻をしていいのか、そんなには侍っていられない、という直子の思いなんです。
 当初は、その台詞のやり取りを、直子と若い刑事(加瀬亮)が走りながら、延々と交わしクライマックスに向かうということになっていて、僕は その案が気に人ってたんですね。誰も乗ってこないだろうと思いつつ(笑)。プロデューサーの榎望さんはいいですねと最初のタイトル案に乗って くれたんですが、この映画の出資者であり、製作総指揮の志摩敏樹さんが、「そういう理屈っぽい題名よりも、ズバッと放り出したようなものがいいです」と言うので、「じゃあ例えばこんなのはどうですか?」と提案したのが「ニワトリはハダシだ」だったんです。すると、志摩さんは、「『黒木太郎の愛と冒険』(1977)で出てくるアレですね」 と。「乗りますか?・」と聞くと「乗ります」。まあ そういう経緯でした。
 榎戸 『「ニワトリはハダシだ』という言葉は、『黒木太郎の愛と冒険』の中で財津一郎さんの台詞と して何度も何度も出てきますが、物語の展開によ って、その台詞がいろんな意味に受け取れる、そ んな印象的な台詞でした。今回、監督の思いとし ては・・・・。
 森崎 うまく説明できませんが、だんだん世の中が普通ではない、普遍的ではないように動いている……、まるでニワトリが靴を履いているようなことになっているんじゃないかと。しかも、それが文芸的な世界でも、もてはやされているような気がするんです。しかし、普遍は普遍として通っていないとまずいんではないかと、。今、ここで立ち止まって、やっぱりニワトリはハダシなんだと再確認したいという、自分のなかの勝手な思いが あり、一度そう言ってみたかった、また、それに 対して皆さんがどう反応してくれるのかにも興味がありました。あるおばあさんがこの作品を観て、 「最近はニワトリはハダシという風ではなく、セ ーターを着た犬がいたりと、それはそれでいいけれど、そんなことが目立つようになってきた。何か解せないものを感じていたので、こういう題には賛成です」と言ってくれたんですが、嬉しかっ たですね。そういう風に、それぞれ違った視点で捉えてくれていいわけで、異なる捉え方をしても らうことが、このタイトルの理想です。
 榎戸 森崎監督の普遍的なものに対する思いが込め られているんだと納得します。先ほどのお話に出 た『ニワトリはハダシだ』の出資者で、製作総指揮でもある志摩さんとは、いつ頃お会いになった んですか。
 森崎 三年ほど前ですかね。雨の降る新宿のちっちゃな飲み屋で初めてお会いして、映画を一緒に創りましょうと。どんな映画にするかということで、志摩さんは「『牛きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985)みたいなものが創れればいいですね」とおっしゃいました。
 具体的に言いますと、最初に志摩さんが提示されたのは、ある芥川賞作家の書き下ろし作品で、中学生二人の成長物語でした。舞台は有明海の干潟なんですが、それを志摩さんは舞鶴でも撮れるのではないかと。僕は有明海を見て生まれ育ちましたから干潟については、僕らは「がた」って呼んで、よく知っているんです。あの干潟のドロド ロとした有明の海は、そんじょそこらにあるものではないと(笑)。ですから、あれほど独特な干潟の海の話を、舞鶴で撮る自信はない、舞台を舞鶴にするなら、いっそ舞鶴ならではの物語を新しく創ってはどうかと、言ったんです。
 榎戸 舞鶴を舞台にするということに対して、監督 には何かイメージがあったのですか。
 森崎 最初から舞台は舞鶴でというのが志摩さんの要望でした。ただ、『党宣言』のように原発と いう明確なテーマと具体的な被写体があるわけではないので、物語を一から創る上で、果たして舞鶴に何かあるのか、どういうところなのかが非常に気になったんですね。そこで直ぐに舞鶴に実際 行ってみて、キャメラマンの浜田毅君に聞いてみると、「非常に面白い所です。何処を撮るにしても興味が湧きます」と言ってくれたんです。正直ホッとしました。キャメラマンからそう言っても らえると非常に安心しますからね。何か撮れるに違いないと。そのホッとした感触が今回は特に良くて、最後までその勢いに乗っていけたんじゃないかと思います。
 榎戸 キャメラマンの浜田さんは、森崎監督とは 『党宣言』以来のお付き合いですから、ただ単に風景が面白いという、意味ではなく、そこに生きている人達のことも含めて、森崎映画の人物達が、 ここには生きているという視線で捉えていたんで しょう。そんな舞鶴という街を舞台に、やはり『党宣言』以来のお付き合いの近藤昭ニさんとシナリオを作っていくにあたって、どういうことか ら調べ始めたのですか。
 森崎 余談になりますが、僕のこれまでの監督と しての仕事を振り返ってみると、一人でホンを書いたことは殆どなくて、いつも誰かと一緒に書いてきました。それこそ原作があっても、オリジナルに近い形になるくらい書き直してしまう。だから。これまで誰と共同でホンを作ってきたかが、監督として携わってきた仕事の回想にもなるわけですが、近藤さんとは、だいたい五、六本一緒に書いてきましたが、その八割ぐらいは流れてしまいました。だから僕には恨みが残っているわけですよ。近藤さんはどうかわかりませんが、僕の中には<恨>としてはっきりと残っています(笑)。 そのたくさんの〈恨〉の一つとして、苛められた子供が後に反逆するという話があって、その時は形がなかなか決まらず流れたんです。それでまた復活したりして、主人公を知的障害児にするとか二転三転してまた流れ、僕の中で、いつかその話をやろうと残っていたんですね。それで今回近藤さんにどうしましょうかと言いましたら、彼が 開口一番、「あの子供の話ですね」と。僕としては、シナリオハンティングをしながら何かを捉まえてと思っていたのですが、その一言で一気に踏み込んでしまった……。
 榎戸 ということは、監督と近藤さんの中ではそういう苛められっ子が反逆する話をやりたいという 思いが続いていた?
 森崎 というか正直に言えば流れた恨みが残っていた。どす黒い恨みが……(笑)。その恨みでいっぱいの物語を核に舞鶴で撮ってみようと。
 志摩さんに「舞鶴はどんなところですか?」と 聞いてみたところ、「なかなか一言では言いにく いんですが……」と前置きしつつ、いろんな人間たちが複雑に絡んでいて、長くて根深い物語があるらしいんです。
 榎戸 舞鶴は、歴史的には日本の表舞台だった時期もあり、今でも自衛隊の大基地があり、なおかつ出雲や京都に近い。したがって部落問題があり、半島も近いので人種の問題も出てくる。それらが複雑に絡んでねじれ現象も起きている。そういう多面的かつ重層的な街を舞台にしてシナリオを作るというのは相当に難しかったのではないでしょ うか。
 森崎 普通、愛する故郷を舞台にして、そういう 「ねじれ」の部分を撮ってくれという人はあまりいませんよね。だから最初、出資者である志摩さんが果たして本当に舞鶴という街のドロドロしたものを描いてほしいのかどうかわからなかった。でも、志摩さんはどうも映画にヤクザは出てほしいよう な(笑)。
 志摩さんは、大学を卒業して映画監督になる夢が叶わなかったら家業を継げとお父さんに言わ れ、しぶしぶ家に帰って機械関連業をお継ぎになった人なんです。当時、まだ青年であった志摩さ んが、自分の一生のことで思い詰めていたある日、巫女のようなことをしている在日のお婆さんのところに相談に行ったそうです。志摩さんの中に大学で身につけた教養の類は残らなかったけれど、その在日のお婆さんのよくわからない人生案内のようなものは記憶に残っているという話を聞き、この人は僕の嫌いな中央指向の人ではない、周辺指向の人なんだとわかったんです。そのことが僕にとって大きかった。ですから、志摩さんに応えるためにも僕の衝動としても中央なんかくそくらえ、周辺を描こうと。
 それで話が、当時実際に起こった大阪高等検察庁の汚職事件に発展し、一方では、終戦直後の舞鶴湾の中で、帰国途中の朝鮮人強制労働者を乗せた在日の人達の話にしようと。それで、在日のお婆ちゃんが韓国語で話したり、ちっちゃな孫娘と一緒に踊るシーンをやったりしたわけです。そういう話のいわば象徴であるような蛇島を見た時、「ああ、ここをどう描くかが俺のテーマだな」と思ったわけです。
 榎戸 舞鶴という街と監督の中に残っていた子供の話がどのように結びつき、どういう経緯で主人公のサムというキャラクターは生まれたのですか。
 森崎 正直に言いますと、僕は今、生きていていろんな本を読んだり、テレビを見たりするわけですけれど、他人の言うことが信じられないのですよ。僕だけでなく、皆さんにしてもそうじゃないかと。何かある言葉を信じているとしても、それが日々を送るエトスにはならないわけですよ。ところが、知的障害者の親の皆さんは、「私の生き甲斐はこの子です」と表現は異なっても同じようにおっしゃる。しかもその言葉には、否応なく信じざるを得ないような、ある深い何かが込められていることを直観的に感じる、それは他人の言葉であるけれど決して嘘ではないと僕は思うんですね。
  「連帯を求めて孤立を恐れず」と言っていた六〇年代末の東大全共闘運動に参加した最首悟という人がおりまして、彼のお児さんが重度の知的障害者でで、彼も娘の星子さんについて、やはり同じように「私の牛き甲斐はこの子です」と語っていました。それが僕が信じえる他者の言葉としてあり、この物語を創る上では無視できないものでした。
 榎戸 最首悟の「生あものは皆この海に染まり」や「星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年」といった著作で彼は、ダウン症の娘 さんのことや関わってきた水俣のことなどを語っていますね。 しかし舞鶴という、歴史に翻弄されながら孤高 に留まったような奇妙な街で、様々な背景をもった人間達が出てくる。果たして森崎東はこれをどう料理するんだろうと最初思いました。僕の印象では、この作品の登場人物それぞれの背景が映画 の物語自体から大きくはみ出しているような気がしていて、この作品の系譜とも言える『黒木太郎の愛と冒険』や『党宣言』と比べても、登場人物 は皆、かなり大きな歴史を抱えています。けれども、逆に背景としての舞鶴が大きなブラックホールのようなものだっただけに、人物の背後に隠されたものが、それほどはみ出したような感じがしないし、ある意味ではとても観やすくなったとも 言えるのではないでしょうか。
 森崎 繰り返しになりますが、まずキャメラマンがどこを撮ってもいけますよと言った。プロデューサーとしての出資者は舞鶴という街を抉り出してくれと言った。浮島丸という解かれざる大きな謎があった。それらをほとんど舞鶴というロケーションでじっくり敢行して撮っていけたことが、 とても気持ち的に救いでしたね。それらがうまく作品に反映してすっぽり収まったのではないかな と。舞鶴で目にし耳にした、信じられるものだけをやりさえすればいいんだと思っていましたからね。
 榎戸 背景の舞鶴を描く一方で、検察庁の汚職事件というものが絡んできます。物話上では、直子の家族を巡る問題、彼女の父親(石橋蓮司)は府警の捜査本部の課長で、義兄・高検の次席検事の汚職を隠蔽しようとする事件として描かれていま す。実際にあった話が題材になっているわけで、元大阪高等検察庁公安部長の三井環氏が大阪地検を訴えたという事件です。この話と浮島丸事件とがどうして絡むことになったのでしょうか、「反中央」ということですか。
 森崎 特に仕事のない、ちょっとお手上げ状態の日に、志摩さんに息抜きに行きましょうと誘われ て、近くの山の中にある国宝になっている寺の門を見に行ったんですよ。その寺の側に高橋和巳の「邪宗門」の題材にもなった、大本教の本山があるんです。やはり、あの辺は、なんと言いますか、大和朝廷とは共に天を頂かない人達の子孫が代々いるわけですよね、出雲などもそうですが。誰もそんなことを大きな声では言いませんがね。ですから、大和朝廷に対する<恨>というものが歴然 とあって、しかもその恨みを近世以降、ずっと黙らされてきた。そういう意味で、あの辺では全てがどうも繋がっているのではないか。そういう場所で、偶然かもしれないけれど浮島丸という船が触雷で真っ二つに折れ、五百人もの人間が死んだことも含め、そこには近世における悪、未だに解き明かされていない様々な問題があるのではないか。一つの映画では少し突つくことぐらいしかできないけれども、舞鶴を描く以上、否応なくその巨大なものに触れざるを得ないだろうとと。それで浮島丸事件と、ちょうどホンを書いていた頃に起きた大阪高等検察庁の汚職の問題が絡んでくることになったわけです。
 よく言われるシナリオ作りのドラマツルギーとしてはですね、一定限度以上にごちゃごちゃ入れるのは、いわゆる数学的に正解か誤りかで言えば、問違いだということは、 僕自身よくわかっているわけです。けれども我々のホンには否応なく入ってきてしまう(笑)。今回のホンも間違いに頻している(笑)。
 榎戸 いや、今回は際々でセーフだったと思います (笑)。と言いますのは、今の二つの話、浮島丸事件と高等検察庁の汚職問題はまず、浮島丸事件と関連する在日朝鮮人の祖母と母につながるサムがいて、その担任である直子先生の父親は刑事として、高等検察庁の汚職問題に関係しています。つまり、この二つの話をドラマとしていかに組み立て生き生きと展開していくかが、この物語の骨子だと思うのです。それがある程度上手くいったと僕は思っているんで。というのも今までの作品では、抽象的を言い方ですが、なんとなく物語の線がうまく螺旋状にならずに、ちょっとずれたり切れてしまったりということがあった。もちろん、それこそが山根貞男さん達がおっしゃる森崎映画の一番の面白さであることは承知の上の話ですが。ですから、今回はそのパトスが逆に落ち着きをみたかなと思うのですが、どうでしょうか。
 森崎 今ふと思ったのですが、僕は今まで意識しなかったのですけれど、今回の主人公、大浜勇という十五歳の少年の存在が提出している問題は、正常と異常の違いは何かということだろうと思うのですよ。ニワトリはハダシなのかどうかという、いわば普遍的存在というものを問うているわけです。脳が正常に働く人の言動で、異常としか思えない言動がこの世にまかり通る事実がありながら、脳が正常に働かない人間は異常であると一方的に短絡的に振り分けてしまう。そう言わざるを得ない存在かもしれないが、そんな簡単な振り分けで納得できる存在などないわけですから、親達にとってはもちろん、本人にとっても納得の元というものが成り立たない。ですからその問題があったから、シナリオのテーマがどうのこうのという前に、なんとなくこの物語の中にすっぽり入っちゃった感じがしますね。
 榎戸 今、監督のお話を聞いていて思ったのですが、森崎作品には常にひたむきに生きる人間が登場します。今回のサム・大浜勇も周りからすれば障害者ですけれども、生きることにとてもひたむきです。そんなサムの「ニワトリはハダシじゃないのか」という叫びがドラマの中心にあるので、そこに向って、舞鶴という街で生きているいろんな立場の人たちの右往左往が求心的に作用していて、そこがある意味、今までの森崎作品におけるはみ出し方と少し違う、すごく求心的な核をもったドラマラになっていると思うのです。そのサムという人間の叫びはクライマックスで、可愛がっていたアイガモのヒナが殺されたと思って錯乱して喚 く。そんなサムに、父親役の原田芳雄さんが「深呼吸!深呼吸!サム落ち着くんだ」と言って平静を取り戻させ、障害者の子がひとつ成長して、潜水の仕事ができるようになるというように、うまく収敏していっています。そういうところもとても見えやすいドラマになったと思うのです。つまり、これまでの森崎さんの映画において、ある意味、求心的ではあっても混沌に向かって発していたものが、ある方向性を持ったのではないかと。それは監督として意図していたものなのかどうか、お聞きしたいのですが。
 森崎 今の話を聞いて、こういうことかなと思うのですが、先ほど話した最首悟という人があの時代の僕にとってはある種の星で、「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉が呪文のようにしてあった。それこそが私にとっての「ハダシ」だったんです。その最首悟が星子の父親として私はここに生まれてきたんだと言っている。私にとってはそれが大きかったんです。そのことを一人の人間として、自分自身と重ね合わせてみた場合、僕も父親ですから親としての心配や喜び、迷いというものは非常によくわかるわけです。それこそ小津安二郎先生が嫁にいく娘の話をしつこくしつこく取り上げていますが、それが小津先生の真実なわけなんですよ。今頃こういうことを言うのは遅い気もしますが、そう思うのです。

  <恨>、そして<反中央>

 榎戸 サムは車のナンバーや出納帳の数字をひと目で覚えられるというコンピュータ並みの記憶能力をもっているわけですけれど、そういった障害者の持つ特殊な能力については何か調べられたので すか?
 森崎 映画に人る前に、ある自閉症の絵描きさんの絵を見に行ったんです。その人は何でもばっと見ただけで隅々まで全部憶えてしまうんです。そ ういう症例を高機能自閉症と言うそうですが、他にも電車の型や路線から経路までの何から何まで全て憶えられる人など、多種多様な実例があって、調べていくうちに圧倒されましたね。僕らが知らないそういう能力に直面してみて、結局のところ近代科学は何も解明していないという思いも強く しました。
 確かに、そういう能力を持っている障害者が実際にいることを知らない人は、サムの能力と物語の展開に疑問をもつかもしれません。しかし、現実にはそういった能力を持った人が厳然とあるわ けです。これもまた、表立ってはいませんが、障害を持つ人が事件に巻き込まれて被害者や犯人にされてしまう悲劇というものを描くことも、今回 の映画の一つのテーマでもありました。
 榎戸 山田宏一さんと対談された本の中で、山田さんが「フランソワ・トリュフォーが『シナリオに現れてくる人物像というものはすべからく事実が元になっている」と言っている」と述べられてい ましたね。しかし、最近は、これがリアルな人間だといわれても全然リアリティが感じられないし、その分、現実にはあり得ない世界を描く方向に映画は行っていて、どんどんリアルなものから遠ざかっている。先ほどの話じゃありませんが、犬に服を着せて散歩している人間がいるからといって、それをそのまま描けばリアルかと言えばそうではないと思うんですよ。そういったものが今の映画に蔓延してきている気がします。しかし、森崎監督が創り出す人物像というのは奇想天外ではあるけれども、ご白身ではもちろんのこと、助監督にも入念な調査を指示されるなどして、一人ひとりをリアリティに裏打ちされた人物にされていることが今のお話を聞いてよくわかります。
  ところで、先ほどの<恨>という森崎監督の避け難い情念、また、<反中央>志向というのは監督の実人生、監督を取り巻いていた歴史の中でどのように形成されてきたのでしょうか。
 森崎 答えになるかどうか定かではありませんが、そういう<恨>や<反中央>志向があった結果、そうなったという意味においてはそうかもしれませんが、それが僕自身の表現であるとは思ってないんです。それを表現したかったわけでは決してなかったので。確かに昔、東京と聞けばなんとなく憧れはあったんですよ。九州の田舎で生まれましたから。ですが、東京の人間よりもある意味では自分達を知っているのは、周辺の人々なわけですよ。在日の人なんかも、地理的にも朝鮮半島に近いですから。友達になったりするのはやっぱりそういう人達なのだと。彼らにそういう気持を抱くというのは、例えば、いい大学を出た秀才の頭の良さに対するものとは全く違う方向のものだと思っていました。
 ちょっと話が変わりますが、「ニワトリはハダシだ」と言って僕らを追い回した人間が実際にいたんです。京都の撮影所で大道具をやっていた人で僕らはチューヤンと呼んでました。それから、寒い時に火をガンガン起こすのが仕事だったのでホットマン、僕らはホイットマンと呼んでましたけど、その二人は台本には絶対に名前が載らない、監督が載せろと言わない限り載らないような、差別されていた人達でした。ある時、何組だったか、僕がまだカチンコを打っていた頃、セットの中でそろそろ本番という時になって突然、喧嘩が始まったのです。セットの隅に行ってみると、そのチューヤンとホイットマ ンが叫んでいた。事の発端は、「玉音放送が流れる前に、日本が戦争に負けたことを知っていた」 とチューヤンが言ったのに対し、ホイットマンが 「そんなことはあり得ない、嘘をつくな」と。す るとチューヤンは猛然と「俺は潜水艦に乗っていて信号で通信を聞いて知っていた」と反論した。 二人とも自分の持論に拠り所があったんですね。 それを否定されたんじゃ自分の戦争を否定されたようなものだったんで、お互いに引っ込みがつかないんで大喧嘩になった。僕は何も事情も知らずにセットの外に二人を追いやった。彼らは追い出されても、セットの外でいつまでも怒鳴り合っていました。
 そのチューヤンが「ニワトリはハダシやど、お前ら大学出てるのにそんなこともわからないのか」と僕らを追い回しながら言っていたんです。そこにはものすごい白尊心があったに違いない。僕の中では、その喧嘩と直結して「ニワトリはハダシだ」ということなんですよ。チュ−ヤンのその言葉には確かな拠り所があったんだなとわかること、それが僕にとっての唯一の拠り所と言いますかね。だから、わかった風なふりをして映画を作ってもそう恥じる必要はないと。
 榎戸 今回、監督の現場に付いていて、演出家の端 くれとしてすごく興味深かったのは、役者さんに 「間」ということを随分言っていたことです。「間 をつめてくれ」と何度も何度も。ずっと仕事をし てきた原田さんや倍賞美津子さんではなく、初めて参加している役者に対して注意深く言われてい ました。それと森崎監督が現場では台本を持たないのは、ご自分で幾度も書き直したシナリオに書き込んだ人物像に、現場で新しく別の何かを発見しようという意図からなんですか。何度も間をつ めてくれと言われるのは、新しい自分のイメージと演じる役者さん達の芝居とに誤差や違いが生じているからでしょうか。また、それは映画全体の ショットの流れと関係があるのでしょうか。いわゆる映画的なリズムの問題でもあるかもしれませんが……。
 森崎 そうですね。端的に言うと、間を置くことが芝居だと役者は思っていますよね。しかし、間を作られるということは、僕ら演出側からすればそれだけ芝居が少なくなるということじゃないですか。間ばかり作られたんじゃしょうがねえよと言いたくなる(笑)。まずそれへの反感、間への反感がありますね、一ミクロンでも削りたくない という、素晴らしい間はそうそうないわけで、名優の創った間なんていうものを金科玉条のごとく言われることについては非常に・・・・アンチ中央としてはですね(笑)、ケチをつけたいと。
 榎戸 それはもしかして、監督が創り出す登場人物の階級とか階層とかに関係していますか? 例えば山手の人間みたいな喋り方、ゆっくりゆっくり台詞を言って間ばかりあったりするというのと、庶民的に早口でぼんぼん喋ることと関係あるんですか。
 森崎 もっとわかりやすく言っちゃいますと、僕は『港の日本娘」(1933/清水宏監督)は嫌いなんです。
 榎戸 なるほど。
 森崎 昨年十一月の東京フィルメックス映画祭において清水宏監督の特箪があって、外国の審査員も来ていましたよね。そこで僕は、自分の好きな『蜂の巣の子供たち』(1948)とか『有りがたうさん』(1936)とかを好きになってほしかったのですけれど、その方々は『港の日本娘』がいいと。清水作品を好きな人はあれが好きなんですよ。でも、僕は嫌いなんです。それは単純に上流階級の話だから(笑)。
 榎戸  『港の日本娘』は、あの時代のモダニズム、松竹蒲田のモダニズムと言われますが、単純にそれだけではないと思いますけど、清水宏という人はそれほど上流階級嗜好があったわけでもなく、むしろその逆ですし。
 森崎 もちろん、あれを創った本音の部分は想像がつきます。けれども、冒頭、題材を得た俯瞰の横浜の「ハマだ、ハマだ」というシーンには何がハマだと(笑)。島原育ちの子供としては思ってしまうんですね。でも、『母情』(1950)なんかは当時タイトルを聞いただけで全く観ようとも思わなくて、今回初めて観て、実は僕の映画人としての感性を、父のごとく母のごとく育てたというか植え付けておいてくれたのは、この雰囲気なんだなとよくわかりました。手に取るように。だからもう、「ごめんちゃーい」とボロボロ泣きながら観ましたよ(笑)。僕も無縁ではなかったんですね、松竹映画とは。
 榎戸 今回の森崎紺には肘井君と加瀬君という新人二人が参加していますが、この二人はいかがでしたか?
 森崎 助監督の武ちゃん(武正晴)が「二人の素人風なのがだんだんと学んでいく課程で、演技としての成長が画面に映っていればいいんじゃな いですか」と言ったのですよ。それで僕はほっとしたんですね。僕は演出力なんてものはこれっぽっちもないと思っていますので。二人にとっては悪い監督に出会ったなと同情します(笑)。
 適切に言えませんが。この前、古湯映画祭とい うのに行ったら、黒木和雄さんと隣同十になって、細かい話をあれこれしたのです。黒木さんは口を開けば、僕は「演出に自信がないんです、全然演出なんかしてません」なんて言うんです。ワンカ ット主義でもないのだけれど、二度は回さないそうなんですよ。だから他力本頗なのだと。僕もそうなんです。演出的にはもうお手上げで、誰かが見るに見かねて細かく指示する(笑)。「監督の言う通りにやっていてもしょうがないんだなあ」と役者が思って自発的に考えると、原田芳雄みたいに素晴らしい芝居を思いつく……。
 榎戸 でも、監督は随分やってみせてくれと言ってました。森崎組を経験している原田さんや倍賞さんは、やってくれと言われればいろいろやってくれますけど、そう言われても最初は戸惑ったと思うんです。彼らの中に芝居の描き出しがまだそんなにないですし。とにかく自発的にやってみることを覚える ということ、それを自覚させることが演出家としての一番の仕事だと思うんですが。
 森崎 非常にダジャレ的な発言になりますが、なんかOKが出ないで困ったと思った時、あくまでダジャレですからね、監督に向かって「私、ここで走ってみます」「じゃあ走ってみなさい、そして、転がりなさい。はい、OKです」と(笑)。そういうこともやはり自発性によって文えられるわけですね。例えば、肘井君が酔っぱらって歌を歌いながらひっくり返って寝ちゃうシーンがあり ますが、一回目はNGなんですよ。それで撮り直 しになるわけですけど、彼女にしてみれば今度は どうやったらいいかわからないと思うんですが、それは僕にしても同じなんです。それがわかって きて、結論としては役者がやるしかないんだと。
 榎戸 彼らに対するアドバイスというのは何かあり ますか。
 森崎 演技し終わって必ず監督を見る役者がいるじゃないですか、OKかと。自然に目が行ってし まうようですけど、行かないようにならなきゃと思いますね。例えばOKですか? NGですか?と乞食みたいなびくびくした目で監督を見ちゃいけない、それは失礼だと(笑)。彼らはそういう俳優さんじゃなかったけれど、そうではなくて、やはり観客を意識しなきゃいけないですよね。監督の後ろにいる、泣いてくれたり笑ってくれたりする、有り難い神様達がいることを忘れないように。
 演出面の反省点として、最後、直子が母親の墓前で泣くシーンにおいて、肘井君はあれでOKだったと思うのですが、父親役の石橋さんの演技でね、僕が彼に「立たないで下さい」と言ったことが大きく響いているんですよね。それを石橋さんは抑えるようにという風に捉えて、抑えた演技をしていますが、抑えていい演技になることは滅多にないんですね。もっとストレートに手が震えたりするぐらいに、僕は感情を出してほしかった。でも、立たないで下さいと言った以上、「石橋さん、もっと感情を出して下さい」と僕には言えなかったのですよ。なんだろう・・・・言うべきですよね。僕はラッシュを見る度に思うんですよ。あのシーンは。僕があの親父だったら、もっと泣くなと。
 榎戸 その辺の駆け引きは難しいところですよね。バランスという問題もあるじゃないですか。あのシーンの場合は、石橋さんと共に肘井君と三林京子さんも見なければいけないわけですから、三人 の芝居のバランスを考えつつ、最終的にどこでOKをを出すかということだと思うんですよね。
 森崎 父親の芝居を抑えるべきかについてはどう思いますか。
 榎戸 難しいところですが、泣き過ぎてもバランスが崩れると思うんです。ただ、バランスが崩れることが、この映画に別の何かをもたらすという風に監督が判断されることもあり得ると思います。でも、あの流れでは、間違いなく肘井君から見ざるを得ないと思うので、あれはOKカットだったと思いましたけど。あれ以上、石橋さんのほうに気持がいき過ぎると、石橋さんや三林さんの情感のほうが強くなり過ぎて、肝腎な最後のサムの成長のエピソードに戻れなくなってしまう。つまり、主眼はサムにあるのですから、そっちに感情を寄せなければいけないですからね、この話は。
 森崎 ああいう時は余計なことは言わないに限るんですよね。相米慎二だったら立たせたり座らせたり何度でもやらせて、結局、最後は修正するんでしょうけど、僕は立たないでくれって先に言っ ちゃった。そういうのってあまり良くないですね、反省点です(笑)。
 ただ、僕はシナリオライターとして、やはり夫として女房を見殺しにはできないだろうから、石橋さんに「俺が立件する」と言わせざるを得ない。 けれども、果たして本当に立件できるのかという疑問は残りますよね、彼自身の中にも。言いはしたものの、映画の中で単に格好つけるために言っ ただけなのではないかと、鋭い人間ならば見抜いちゃいますよね。そこでどうするか、僕には答えはないわけですけど、そこをクェスチョンにしたままでいいのかという……。
 榎戸 全体を含めて考えると、石橋さんは刑事として、基本的に仕事人間としての男、夫としての生き方というのがありますよね。それを陰で支えてきた妻がいた。先立った妻に対して、人としての礼儀と解釈するのがいいと思うのです。つまり、立件できようができまいが、しようとする人問の意志こそが大切なのだと。その意志が見えさえすれば映画としてはいいんだと僕は思います。それを受けて、客がそうなんだと共鳴してくれるかどうかだと思います。
 森崎 そこにポイントを置くならば、親父は泣かない方がいいですね。
 榎戸 僕だったら頑張って泣かないで下さいと言うかもしれません(笑)。
 森崎 眼鏡とって涙を拭うのもやめろと。
 榎戸 そこがまた難しいところですね。役者って、それはやめろと言うと、やめるけど別の芝居をす るんですよね。役者というのはすべからくそうい う生き物ですから。かといって、こうやって下さ いと言うのはもっとまずいですしね。
 森崎 いや、なんとなくほっとしました。あそこについては気持ちが残っていたんですよ、なんだ、格好つけただけのシーンじゃないかという気がしていたので。

    これまでとは違う意味をもつ作品に

 榎戸 ラストもいろいろな案があったそうですけれど・・・・。
 森崎 僕には浮島丸が海中からぐわーっと上がってくるイメージが強くありました。近藤さんの第 一稿では、子供達が海に流されたということで、夜、かがり火を焚きながら街中総出で助けて回るとい う大ロケーションもあったのですが、金がかかり過ぎるので断念せざるを得ませんでしたね。しか し、照明が届かないとか船が十五艘ぐらいしか出 せなかったとしても、今でもやってみるべきだっ たと思っています。それを考えるとノイローゼに なりますけど(笑)。
 榎戸 僕は現行のほうが好きですけど。準備中のホン直しで、ラストどうなったと助監督の武に聞いたら、サムが海に潜るシーンで締めくくることになったと。僕はそれを聞いて、最初は水に顔をつけることもできなかったサムが潜水ができるまでになる形で終わるのか、ああ、きれいに収まっていくんだなと思いました なぜなら、これまでの監督の作品にはないイメージだったので、そういうラストも観てみたいなと、例えば、シュレンドルフの『ブリキの太鼓』(1979)のオスカルのようにサムがわーっと叫びながら登場して、途中でほっぽり出されず、ずっと通して描かれ全てがサムの成長に収敏していく形で終わるのだと。ですから、今同の作品というのはこれまでの『党宣言』や『黒木太郎の愛と胃険』とは違う意味で、すごいなと思ったんです。
 森崎 でも、やはり浮島丸で最後の画が閉じるというのは今でもやりたいな。蛇島で倍賞さんが語りますが、五百人もの人間が死んでしまった浮島丸事件の時、沈没した船に向って舞鶴の港の漁師のおかみさん達が一斉に船を漕ぎ出して、「女、子供が先やぞお」と叫びながら総出で助けて回った。その事実は戦後日本の中で誇るべきエピソ^−ドだと思うのです。「女、子供が先やぞぉ」という言葉に込められている漁師のおばさん達の「ニワトリはハダシや」みたいな精神に触れることができたので、蛇島のシーンはやはりなくてはならなかったと思います。初めてのロケハンのとき、「この浜には五百人の死霊が沈んでいる」と感じました。その霊達に見守られながらあのシーンを撮り終えることができたので、僕にとってもこの作品は今までのものとは違うなと思っています。

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