月刊『裏モノJAPAN』連載中
〜他人の会話は密の味〜奈良崎コロスケの耳をすませば

Vol.6 姉弟対決

23年も住み続け慣れ親しんだ立川から、高田馬場に引っ越した。4年住んだマンションが2回目の更新を迎える前に、いい機会なので仕事上便利な都心部に移ることにしたのだ。気になる家賃は9畳+2畳の1Kで10万2千円。さすがに山手線の内側、安くはない。以前は6畳のワンルームとはいえ家賃は5万1千円と格安だったので、ジャスト倍増したことになる。

これで各社の原稿料が倍になってくれれば問題ないのだが……その気配はない。ならば今までの生活レベルを維持するためには、なんらかの支出を切り詰めていくしかなかろう。幸いにも高田「馬場」などという地名の割には競馬場もウインズもない。立川時代のように家から徒歩3分でウインズという好立地ではなく、電車でわざわざ新宿や水道橋まで出張らなければならず、ぐうたらものの俺のこと、自然、朝イチから馬券を買いにいくことも減るだろう。これでまず馬券代につぎ込むタネ銭を抑えることができる。

もうひとつは生活費切り詰めの基本、食費を抑えることだ。自炊なんていっさいしない典型的な独身男の一人暮らしのため、食事は9割方外食に頼っている俺は、エンゲル係数がズバ抜けて高い。高田馬場は早稲田大学に近く、また予備校や専門学校が集中しているため、安い定食屋がわんさかある。これならば、だいぶ食費をおさえることができそうだ。

その定食屋の中でも俺の最近のお気に入りは、駅にほど近い、さかえ通り(小規模歓楽街)にある「ごはん処 大戸屋」である。大戸屋は鯖みそ定食=600円といったように、ほとんどの定食がリーズナブルでボリューム満点だ。素材も厳選したものを使っているらしく、味もなかなかのものである。とくに和食系が充実しているのが嬉しい。だからしていつ行っても貧乏学生達で混んでいるのが難なのだが。

さて、この大戸屋にいつものように夕飯を食べにいった4月2日の日曜日のこと。禁煙席に座った俺の目の前にカップルらしき若い男女が腰をかけた。男のほうはメガネをかけた長身のヒョロッとしたやつで、まだ少年の面影を残した幼いタイプ、女のほうは肩までの黒髪ショートカットで、スーツをビシッと着こなし、バシッと化粧をした、女子アナといっても差し支えのないくらいの美人だった。

ちょっとアンバランスな取り合わせだな、と思いながら700円のささみ竜田揚げ定食を食べ食べ耳をすましていると、どうやらこのカップル、姉弟のようだ。博多出身(姉ちゃんのほうがかなりなまっていた。対照的に弟は標準語で通した)で現在高田馬場で二人暮らしをしていて、姉はこの春で大学を卒業、弟はまだ現役ということが話の流れで解明された。

話題は就職を控えた姉のぼやきから、二人の恋愛話にシフト。どうやらこのお姉ちゃん、かわいいお顔に似合わない遊び人のようで……。(博多弁の部分の採録は完全に聴き取れずフィーリングの部分もあります。ご勘弁を)


 はあ〜、アタシも明日から社会人になるんだなぁ。
 明日から? 昨日からじゃないの?
 昨日は土曜日。明日から出社よ。
 ふーん。まあ、がんばってくれよ。初任給でなんかうまいもん食べさてな。
 なんでアンタにおごらないかんの。あ、ちょっとコーヒーばいれてきて。
 メシが来る前からコーヒー飲むのかよ。
 せからしかやっちゃね。アタシの勝手でしょうが。はよいれて。
 (しぶしぶすぐ後ろのメーカーからエスプレッソをいれてくる)
 はあ、昨日、学生気分も終わりだと思ってはしゃぎすぎたなぁ。ちょっと飲みすぎて食欲ないわ。
 朝帰りもほどほどにしてくれよな。てっきり初出社でそのまま飲みに連れて行かれたんだとばっかり思ったよ。
 ああ、昨日はよっちゃん達と飲んでたんよ。
(ここでチキンカツ定食とハンバーグ定食が運ばれてくる)
 あ、僕がハンバーグです。
 ここのチキンカツおいしいよ。
 二日酔いのわりには脂っこいもん食べるねー。
 あーせからしかせからしか。
 ところでよっちゃんて、あのよっちゃんでしょ。まだつきあってるの?
 うーん、まあねえ。そうそう、うらやましいことによっちゃん留年してまだ一年は学生しよっちゃん。あ、ダジャレになった。あはははは。
 (絶句)。……おまえ留年したやつをうらやましがるなよな。
 姉ちゃんに対しておまえとはなにぃ。
 あの人は彼氏じゃないの、あのメガネの小柄な……
 はいはい、吉田くんね。うーん、彼氏じゃないというわけじゃ……
 二股かけてんの?
 そうなるんかねぇ、ふふふ。
 マジかよ、この女。
 自分こそ浮気しとるくせに。ハナちゃんのこと泣かしよってからに。
 あれは浮気じゃないってば。
 誰に訊いてもあれは絶対やってると言ってるよ。
 誰にって……誰に訊いてるんだよ!
 まあ……よかよか(笑)。
 よくねーよ。まあでも、あのことがあるから今の俺達があるんだからいいけどさ。
 またせからしかことをぬかしよってからに。あ、この場合の「せからしか」は「ウザイ」って意味だからね。ウザイって知らないでしょ。東京の言葉やからね。
 知ってるよ、バカにすんなよ!
 ねえ、銀行員て30くらいでいくらぐらいもらえるものなの?
 1000万くらい……1000万もいかないのかな?
 うちの会社は30で1000万もらえるんだって、がんばれば。
 それは今のご時世、けっこうすごいことだよ。
 吉田くん、銀行に入って2年目になるのよ。それで、こんど水戸に転勤になるんだって。
 吉田さんて今どこに住んでるんだっけ?
 経堂よ。世田谷の。知ってる?
 経堂ぐらい知ってるよ俺だって!
 それで「一緒に来てくれないか」みたいなニュアンスを言葉にしてくるんだけどねぇ。
 それってプロポーズじゃないの?(ニヤニヤ)
 まあ、そうでしょうね。でも水戸なんかに行きたくないもの。入社したばかりだしさ。
 じゃあ断ったんだ。
 博多やったらお母さんも喜ぶから考えたんだけどねぇ。
 そんなもんなのか〜、結婚て。
 そんなもんよ。あ、外国だったら絶対ついていったな、アタシ。
 外国ってどこでもいいのかよ。
 英語が活かせる国ならどこでもいいのよ。ペルーとかでも行くね、アタシは。
 ペルーって英語通じるのか……。こんな女に振り回されてる吉田さんも気の毒だよ。
 ニューヨークかパリじゃなきゃだめって言うような我がまま女じゃなかとよ、アタシは。イランだってイラクだって行くつもりだし。ばってん、水戸は……水戸だけは嫌なのよ。
 水戸なんて近いのに。
 アンタ私が大の納豆嫌いなの知っちょるでしょ!
 ……この女は……。

 
 
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