瑠璃色に染まる
おれの誕生日って夏休みに入ってからだから、小さい頃ちょっとだけ嫌だった。 だって友達と顔を合わせて誕生日を祝って貰うのに約束しなきゃ会えない。 学生時代だったら学校にさえ行っていれば、誰かが気付いて祝ってくれるのに、 夏休みはそうもいかない。ごく親しい友達が電話をかけてきてくれたり、誕生日の 祝いついでだって言って海やプールに行ったり…そういう風にしなきゃ祝っても 貰えない。そりゃあ、最近は携帯があってメールで簡単にメッセージのやりとりが 出来るよ。だけど、やっぱり直接言って欲しいんだ。目の前でおれの顔を見て 誕生日おめでとうって。 今日のおれはちょうど学校へ行く日だった。前の日に電話した時に彼女も用がある からって、一緒に学校に来た。だからちょっとだけ、期待したんだ。そりゃあ、 期待するだろ。彼女は正真正銘おれの彼女で付き合ってからまだそんなに日も 経ってない。最初に迎えたおれの誕生日にどうして期待しないでいられるんだよ。 一人で何があるんだろうって期待して実は睡眠不足だっていうのは内緒だ。 だけど、現実って奴は案外厳しいもので、目の前の彼女は何もないかのように 仕事をしている。そりゃあ二階堂先輩に言わせたらそんなの当たり前のこと。 仕事しに来てるんだから、仕事はするのは当然だ。 でも、何かそわそわしてるとか少しでもいつもと違うところがあってもいいじゃんか。 目の前で仕事してる彼女はそんな素振りもなくって、その当たり前のことにおれは 一人で肩を落とした。だって、今日がどんな日なんて、彼女にはどうでもいいこと なのかって思ったから。 そんなに時間がかからないことも目の前の彼女が気になって集中出来ない。 おれのことなんてお構いなしにすらすらとキーボードを滑らせる彼女にちょっとだけ 拗ねながら、気分転換にと冷蔵庫を開けた。 「南先生も何か飲む?」 「あ、そうですね…ちょっと休憩します」 モニタからようやく視線を外し、おれを見て笑った彼女にちょっとだけ自分が拗ねて いたことを忘れる。そういうのって狡いよ。そんな風に笑顔を向けられたら、 拗ねてるのが子供みたいだって思える。もちろん、こんなことで拗ねてしまうなんて 正真正銘子供じみているのだけどさ。 向かい合ってお茶を飲みながら、彼女を観察する。休憩すると言いながらもずっと 参考書を見てるなんて酷い。休憩するなら、ちゃんとしようよ。そんなことを 言おうとして諦める。年上なのに、何だかおれだけが甘えてるみたいで嫌だったから、 無理矢理言葉を飲み込んだ。 実際、彼女にだってたまに年上だってことを忘れるって言われる。その度にそんな ことないと言うけれど、本当はおれだってわかってた。二階堂先輩にはそんなこと いつも言われてたし、他の先生たちにだって言われてる。お金にだらしない葛城さん だって、時々ビックリするほど大人だって思うことがあるのに、おれはいつまで 経っても下っ端扱い。こうやって拗ねたりするからなんだって、わかってるんだけど 性分って奴は簡単に変わらないみたいだ。一体いつになったら二階堂先輩みたいに クールで格好いい男になれるんだろうと思いながら、彼女の手元を目で追う。 「…うん、これくらいかな…。あ、そうだ。真田先生」 「え?あ、な、何?」 きりがついたのか、突然顔を上げた彼女に慌てて視線を正した。そんなおれに彼女は 少しだけ首を傾げただけで、すぐに笑顔を向けてくる。 「明日、何か予定入ってますか?」 「明日?いや、特にないよ」 何故か嬉しそうな彼女が卓上カレンダーを掴むと小さく笑う。頬はほんのり赤く 染まってた。 「じゃあ、海に行きませんか?」 「海?いいね!どこの海?」 誕生日のことなんて忘れたように、つい声が弾む。だって彼女からどこかに行こう なんて言われたことないから。あ、もちろんご飯食べに行こうとかそれくらいは あるけど、遠出のお出かけは初めてだ。 「電車でも結構時間がかかるので、始発じゃないと向こうでたくさん遊べないですけど、 結構穴場なんです。だからどうかなーって」 「始発でも何でも来いだよ!そうだ、お弁当とか持ってく?」 「もちろん、作りますよ!実はもう今日の朝から準備始めてるんです」 「へー、凄いね。楽しみだなぁ。あ、そうだ。おれも何か作ろうか?二階堂先輩 直伝のヤツ!」 「え、真田先生、料理できるんですか?」 「あ、その反応酷いなぁ。おれだって作れるものはあるんだよ。…と言ってもおれの 好きなカレーと二階堂先輩が教えてくれたのくらいしかまともに作れないけど」 「じゃあ、一緒に作ります?」 「え?」 思ってもみない彼女の提案に一瞬首を傾げてから、その提案について色々考える。 それってどういう意味…かな。 「距離的にはそんなに変わりませんけど、私の家の方が駅に近いですし…」 目の前の彼女が頬をより一層赤くしていく。これって、やっぱりそういうこと、かな。 「…え、えーっと…いいの?…そのー、えっと、それってアレだよね?」 「…そんな風に確認しないで下さい…恥ずかしくなるじゃないですか…」 「ご、ごめん」 部屋の中に流れる微妙な沈黙。だけど決して心地悪いものじゃない。寧ろ、おれは幸せで ちょっと前まで拗ねてたのなんか嘘みたいだった。 「…だ、だって…今日、せっかく真田先生の誕生日だから、ちょっとでも一緒に居たい じゃないですか…。でも何もないのに、そんなこと言うのって変かなって思って… それだったらって、いっぱい考えて…大義名分があればいいかもしれないって思って、 ここ数日の焼け石に水なダイエットだってして、海行きを提案したんです…」 「そ、そっか……って、ええっ!?」 俯きかけてた彼女がおれの声で顔上げた。真っ赤な頬のままで心外だと言った風に むくれる。 それ、狡いよ。可愛いじゃんか。 「……何で驚くんですか」 「だ、だって、おれの誕生日のことなんて忘れてるかと思ってたから…」 「酷いです。忘れる訳ないじゃないですか。私、去年だってちゃんと真田先生の 誕生日だけは覚えてましたよ」 「お、おれのだけ?」 言ってからしまったという顔で彼女が自分の口を両手で塞ぐ。慌てて去年を思い返して みれば確かにおれの誕生日の時は彼女から祝ってくれて、他の先生の時は周りから 祝われてるのに彼女も便乗してた形だ。 「…そ、そうだったんだ」 部屋の中は相変わらず微妙な雰囲気で、とてもじゃないけど職場の雰囲気じゃない。 これで残りの仕事しろっていうのは難しい話だ。 「え、えっと…じゃあ、お邪魔します…でいいかな」 おれの言葉に彼女が真っ赤になりながら頷いてくれる。どうしよう、おれ、今すごく 幸せかもしれない。いや、間違いなく幸せだ。だって、忘れられてたと思ってた 誕生日のこと覚えててくれて、しかもそれだけじゃない。彼女は一緒に居たいからって、 色々考えてくれて…あーもう!こんなに幸せでいいのか!? いつの間にか飲み終わっていたコップを彼女が照れ隠しのように片づけ始める。そして 片づけ終わったのか、彼女がおれの肩を突いてきたので振り返ると唇に何かが触れた。 すぐに離れて行った彼女の後ろ姿からも耳まで真っ赤なのがわかる。慌てて、 手を伸ばして捕まえるとおれもと呟いて、顔を近づけた…。 <あとがき> 何、これ、甘…。ここまで甘くする予定なかったんですが、結果的に非常に甘いお話に 仕上がりました。流石に大遅刻(7/25の誕生日対して8/12)なので、これくらいの 甘さじゃないと逆に真田に悪いのかもしれませんね(苦笑) capriccioさまの三六五題より「瑠璃色に染まる」をお借りしました。 |