I wish





3月、それは別れの季節。教師になってからまだ数える程しか経験していないけれど、
何度繰り返したってこの気持ちは変わらないだろう。教え子達が巣立っていく
この瞬間、おれは感動せずにはいられない。

講堂の中を見渡せば、泣いてる奴、誇らしげに微笑む奴、泣くのを堪える奴…
様々な感情をたたえた表情の生徒たちがいる。思い返せば色々な事があった。
たくさんの思い出が走馬燈のように駆けめぐる。4月になれば学園に来ることのない
卒業生たちを見ながら、おれは不覚にも少し泣いてしまっていた。

「無事、卒業出来ましたね」
そう言ったのは衣笠先生だったろうか。ふと視線が3年E組の生徒達をとらえた。特別手を
焼いた『B6』たちがいるあのクラス。真壁、草薙、七瀬、悟郎、仙道、そして…斑目。
一年前の今頃はこいつらが本当に卒業できるだろうかと職員室でみんな難しい顔をしていた。
だけど、この卒業式に誰一人欠けることなく出席している。

良かった──心からそう思っていた。

B6たちを卒業まで導けて、本当に良かったと思う。中等部から高等部へと転任し、一年間
頑張った南先生に頑張りが実を結んだよねと声をかけたのは今朝のことだ。
半分泣きながら笑った彼女ははっきりと頷いていた。長く充実した一年だったと感慨深く
なるのも当然だろう。

長い式を終えて卒業生たちを見送った後、がらんとした校内を歩いていた。あんなにも
騒がしかった校内が嘘みたいに静かだった。
「行っちまったなぁ…」
おれの声が廊下に響く。足は自然と3年E組の教室へと向かっていた。誰もいない教室は
何処か寂しげに見える。ゆっくりと歩くと窓際の一番前の席に腰掛けてグラウンドを
見下ろした。静かに眺めているとまるでこの一年が幻だったのではないかと思える
くらいだ。聞こえないはずの教室のざわめきが今にも聞こえてくるような気がして、
妙に感傷的になっている自分自身を笑った。

「…見つけた」
耳に届いたのはとっくに帰ったと思っていた卒業生の声。振り返ると教室の入り口に
斑目の姿があった。
「お前、帰ったんじゃなかったのか?」
「B6のみんな…バカサイユにいるよ」
「あー、わかったぞ。真壁が『俺がgorgeousな卒業partyって奴を見せてやろう』
とか言い出したんだろ?」
おれの言葉に頷きながら、斑目がゆっくりと教室へ入ってくる。
「やっぱな。…ったく、最後までお前達はやってくれるよなぁ」
「先生、呼びに…来た」
「へ?おれを?」
こくりと頷いた斑目は小さく笑った。一年前なら考えられない事。二年の途中で転入してきた
斑目はいつも誰を寄せることなく、自分の世界に閉じこもっていた。心配したおれが
話しかけに行っても無視するばかり。B6の輪の中に入っていった時は少しだけ
安心したけれど、B6以外の人間には相変わらずだった。自分の世界に閉じこもっていた、
狭い世界にいた斑目もこの一年で大きく変わった。南先生と触れあったことで
徐々に広い世界へと歩き出している。

「南先生も…二階堂先生も…みんな、居るよ」
「そっか。真壁の奴も随分太っ腹だな」
そう言って席を立つとバカサイユへと歩き出す。静かな廊下に響くのはおれの足音と
斑目の足音だけだ。
「なぁ、斑目」
「…?」
「お前さ、大学に行っても、その先社会人になっても、忘れるなよ。聖帝であったことをさ。
…お前にとって大きな転機だった筈なんだから」
「…真田先生、それは無理だよ。…だって、人間は忘れていくイキモノだもの」
「無理とか簡単に言うなよ!」
あまりにもあっさりと言い切ってしまう斑目に思わず語気が強くなってしまう。理屈は
間違っていないだろう。だけど、簡単に忘れて欲しくない。この一年が斑目にとって
どれだけ大切な時間だったのか。

「…人間はそういうイキモノ。…でも」
見上げた視線の先には小さく笑っている斑目がいる。
「新しいモノを、積み上げるから…忘れる」
「え…」
「新しい、もっと…大事なモノを積み上げるから…忘れるんだよ」
呆気にとられたように立ちつくすおれを振り返って、斑目はただ小さく笑うと静かに
そう言った…。


──そして、新しいスタートをきる4月

「あら、瑞希くん?」
「またお前、ここで寝てたのかよ…」
「…ん」
授業を終えたおれは、やはり授業を終えたばかりの南先生と一緒に語学準備室へと
戻って来ていた。そして見つけたのは、机に突っ伏して寝ている誰かさん。白いトカゲの
トゲーを肩に乗せたそいつは起き上がると大きなあくびをしている。卒業した筈の
斑目は何故かほぼ毎日、語学準備室に現れていた。
「お前なぁ、ちゃんと大学行ってるんだろうな」
「…うん」
「今日は瑞希くん、午後からの講義?」
「…そう。だから、ここで一眠り」
「いや、午後から講義なのにわざわざ高等部に来て一眠りするお前の意図が
おれにはさっぱりわかんないよ」

卒業式の日に交わしたあの会話は何だったんだろうと思いながら、椅子に腰掛ける。
するとおれを見ていた斑目が何故か笑った。気のせいか、南先生も笑っている。
「…何だよ」
「言ったよ、僕。…新しいモノを、もっと…大事なモノを積み上げるって」
卒業式に交わした会話が色鮮やかに頭の中で蘇る。やっぱり斑目は変わった。
外の世界へと踏み出し、変わった自分を見せに来てくれているんだとそう思うと
嬉しく仕方ない。
「だから、僕は…ここに来るんだよ…?南先生に会いに。…あと…」
「あと?」
南先生とおれの声が重なると斑目の肩の上でトゲーが飛び跳ねた。何故だか、
とても嫌な予感がした。
「…真田先生をからかいに」
「こらー、斑目!お前なー、せっかくの感動が台無しだろーー!!」
おれの声が大きく部屋に響く。小さく笑っている斑目とその肩で楽しそうに
小さな手を振るトゲー。そして笑いながらおれを宥めようとする南先生。

おれたちの関係は相変わらずで、斑目が卒業した後も続いている。南先生を挟んで
言い合いをする毎日は楽しいと言えなくもないけれど、そればかりではない
…と思いたい。卒業式の日に斑目が言った『新しいものを積み上げる』と
いう言葉を信じて、おれはこれからもこいつを、たくさんの生徒達を見守って
行きたいと思う。



<あとがき>
これはこのサイト内のブログとは別に持っているもう一つのブログに載せた
SSを少し加筆修正したものです。主な加筆部分は卒業後部分で基本的には
あまり変わっていない筈です。突発的に書いたSSとしては結構と気に入って
いるので、もう少しちゃんと修正しよう、ということで今回のこのSSが
出来ました。

rewriteさまの組込課題・台詞より「人間は忘れていくイキモノだもの」を
お借りしました。