オレンジ・フラワー





テニスコートの見えるベンチに腰掛けると空を仰ぎ見る。
空は綺麗なオレンジ色だ。もう冬になろうという今は夕焼けの時間も
早く訪れる。現に今はまだ4時半ば。小さく吐息を漏らすと鞄から
文庫本をとり出す。
本当ならば今日は早く帰る事の出来る日なのだが、幼なじみが
珍しく用事があるから待っていて欲しいと言うのでこうして
彼の部活動が終わるまで待っているのだ。真冬という程ではないが、
風は肌寒く、待ち合わせ場所を図書室にするべきだったと思いつつ、
ページをめくっていく。視界には文字と遠くにテニスコートが
映るだけだ。緑のコートの中で黄色のボールが何度も往復している。

程なくして辺りが暗くなる。流石にもう本を読む事は出来ないなと
思い、鞄に文庫本をしまうと目の前にオレンジ色が飛び込んでくる。
「あれ?さんだ」
オレンジ色の正体は同じクラスの男子だった。そして2年生にして
既にテニス部エースと呼ばれる千石清純。ニコニコと笑いながら
近づいてくる彼に首を傾げるとテニスコートを見る。気付けば
テニスコートにもう人気はない。いつの間にか練習が終わっていた
ようだった。
「練習終わったのね」
「うん、終わったよ」
クラスの中でも仲の良い方でもない自分に何故話しかけてきたのか
わからなかったが、普通に会話を続ける。向こうはもう帰るばかり
なのか、大きな鞄を持ったまま隣に腰掛ける。どうやらすぐに
この場を離れる気はないらしい。
「珍しいね、こんな所にいるなんて」
「健太郎くんと待ち合わせしてるの」
彼も知るであろう幼なじみの名前を出すと何故か首を傾げて
うーんと唸る。そして次の瞬間突然笑い出すといつも周りの
女の子に向けるような明るい笑顔のまま頷く。
「…千石くん?」
流石に不審な行動に思わず眉を顰めると笑いながらごめんと
謝る彼に再び首を傾げる。
「いやいや、粋なプレゼントだなって思ってね」
「??」
「俺ね、今日誕生日なんだ」
嬉しそうに笑う笑顔にそうなの、おめでとうと返すと彼は笑顔まま
ありがとうとじっとこちらを見つめた。

「いやー、俺って南たちに愛されてるなぁ」
出て来た幼なじみの名前に首を傾げるといいんだと誤魔化すように
彼は笑う。
「健太郎くんに何かいいものでも貰ったの?」
「うん、とびきりのプレゼントをね」
嬉しそうに笑ったまま彼は鼻歌を歌い出す。そのメロディーは
自らの誕生日を祝うものらしい。
「happy birthday dear 清純くーん」
そこだけ歌詞をつける彼に笑うと照れたように再び歌い出す。
まるで指揮棒か何かを持っているように振るまう彼がこちらを見る。
「ほらほら、さんも」
「え?え?」
巻き込まれる形で歌い出すと嬉しそうに微笑み返される。あまりに
間近で見たその笑顔に少しだけ胸が高鳴る。相手は校内でも
有名な男子。彼を嫌う人は少ない。人懐っこい笑顔に皆
惹きつけられるようで、クラスの中心にいつの間にか居る
ような人だった。

対して自分はクラスの中でも目立つ事なく、地味にしてきた。
彼のような大舞台に立つ人物と違い、その裏でこつこつと
仕事をするタイプだ。その所為か、クラス内の男子と言わず
女子でも決まった人としか付き合っていない。だから、分け隔てなく
接する彼の行動には慣れていないのだ。

歌を最後まで歌いきると急に恥ずかしさが自分を襲ってくる。
今、自分は何をしていたのかと思い出すだけで恥ずかしい。
同い年の男の子と近い距離で話すことなんて、滅多にない。
まして相手は幼なじみの健太郎ですらなかった。殆ど話す事もない
単なるクラスメイト。

「ありがとう、さん」
屈託ない笑顔で彼はそう笑うと目の前に立つ。
「凄く嬉しいプレゼントだった」
「…え?」
プレゼントと彼は言ったが何か物をあげてなどいない。驚いたように
瞳を瞬かせると、彼はいつもと少し違う笑顔で左右に首を振る。
「何言ってるの?俺、ちゃんと貰ったよ?」
「…千石くん?」
さんが俺の為に歌ってくれたよ。happy birthdayって」
鞄を手にすると照れたように視線を一度逸らし、また自分を
まっすぐ見た。
「俺の名前も呼んでくれたでしょ?」
「え、え…だ、だって、それは…」
「うん、俺が無理やり歌わせちゃったんだけどね。…それでも
さんはちゃんと歌ってくれたし、ちゃんと清純って言ってくれた」
教室で見る表情とは違う表情だった。幼なじみの試合だからと
何度か練習試合を見に行ったが、その時の彼の真剣な表情。
…それに似ている。今、ここに居る彼は教室で見るお調子者の彼でなく、
テニスをプレイする時の真摯な態度の彼だ。

「今日ほど嬉しい誕生日なんて、今までなかった」

まっすぐと見る視線が突き刺さるように痛かった。
強い眼差しに負けそうで立っているのがやっとだった。

「でも…俺、結構欲張りだから」

彼がどんな言葉を次に紡ぐのかなんてわからない。
だけど、胸の高まりは彼が言葉を紡ぐ度に大きくなっていく。

「キミに笑って言って貰いたいんだ」

きっと、今日ここで幼なじみを待っていなかったら
こんな風に彼を見て胸を高鳴らせる事もなかった。

「お願いしてもいいかな?」

オレンジ色の髪が揺れて、彼が静かに笑った。

「俺の名前を呼んで、おめでとうって言って欲しいんだ」

それは些細なお願いだった。
きっと昨日までの自分ならすぐに頷いてそれを言葉にしただろう。
──だけど、今は違った。
ついさっきまでは何とも思ってなかった筈の彼を少し特別な目で
見てしまったから。

「…駄目?」

些細な筈のお願いは、今の自分にはとても勇気のいるものだった。
胸に過った「もしかしたら」が本当なら、尚更に。

じっと自分の反応を待つ彼の視線を避けるように俯くと
ゆっくりと小さな声で承諾する。
「ホント!?」
弾んだ声に小さく頷き返すと大きく息を吸い込んだ。
まっすぐに彼を見ると、ぎこちない笑顔にならないようにと
気を付けながら、表情を変えていく。

「清純くん、誕生日おめでとう」

そう言葉にした瞬間、心に温かい感情が宿る。
それは何かが芽生えた瞬間。

芽生えたその感情が綺麗な花を咲かせるのは、まだ少し先の事…。



<あとがき>
キヨ、誕生日おめでとー!という事で誕生日SSです。いつもとは
少し違うキヨでお贈りしています。たまには純愛(いつもがそうじゃない
とは言いませんが)路線のキヨもいいかな〜と思いまして。

しかし…キヨのお話はついついタイトルに「オレンジ」を使って
しまいます。