夏の魔法







夏が終わらなければいいのに──


応援席で暑さと戦いながら、じっとコートを見つめていた。
スコアを見れば結果は一目瞭然。

山吹の夏は…終わったのである。

コートで挨拶を交わしたレギュラーがベンチへと戻り、部員達が彼らを
囲む。涙ぐむ子、悔しそうにスコアを見つめる子、それぞれに部長の南や
東方達が声をかけていた。そして普段冷静な2年生の涙に彼は
『いつも』のように笑っている。

ズキンと胸が痛かった。
彼が笑って見せる度に、後輩へ発破をかける度に、彼の心を思うと
胸が痛くて仕方なかった。

──でも、私は泣かない。

本当は彼の周りにいる部員達のように泣いてしまえれば楽だったのかもしれない。
だけど、自分にはする事があるから…だから泣けないのだ。
ぐっと拳を握りしめると応援席から立ち上がる。あのオレンジ色の髪の彼、
千石清純の夏の終わりを告に行く為に…。


ベスト8進出を決めた立海、青学らを横目に彼が居るであろう場所へと
足を進めた。タオルを握りしめ、試合会場から少しだけ離れた東屋を見つけると
屋根を確認する。彼のお気に入りの場所はそんなちょっと変わった所だった。
案の定オレンジ色を視界に見つけると足早に近づく。
「…清純くん…見つけた」
「…うん、見つかっちゃったね」
屋根の上に座っている彼はそう言って笑うと屋根から軽やかに飛び降りた。
ちゃんは…俺を見つけるのが本当に上手だね。南には捕まらない
自信あるけど、キミはいつも簡単に見つけちゃうからさ…敵わないよ」
そう言いながらやはり『いつも』のように笑う彼に眉を顰めてしまう。

ああ、やはり思った通り。普段の彼を繕っている。
いや…でもきっとそれは無意識に違いない。

「ね、座ろ?」
彼の手を取ると東屋のベンチへと引いて行く。隣同士に腰を下ろすと
まだ『いつも』のように笑う彼の瞳をじっと見つめた。瞳の奥にある
彼の感情を引き出すのが自分の役目。
「…負けたよ」
「うん…見てた」
笑いながらも彼の声は決して『いつも』のものではなかった。微かに
震えた声を敏感に感じ取るとふわりとオレンジ色の髪の毛に持ってきた
タオルを被せる。タオルを被った彼は頭を垂れるとゆっくりと名前を紡いだ。
…ちゃん」
「…うん」
重ねられた手が…大きな手がぎゅっと自分の手を握りしめる。『いつも』の
ように優しく包み込むような力でなく、何かに縋るような求めるような…
そんな仕草に頷くと彼の手にもう一方の手を重ねた。
「…俺…」
「…うん」
ただ頷くことしか出来ず、もどかしい。そっと彼の手を自分の頬に当てると
すり寄るように両手で包み彼の手から体温を感じる。
「…俺は…っ」
微かに震える彼の手が頬を包んだ。もう一方の手が肩へと伸び、距離が
近くなる。肩へ頭を乗せると自然と背中へ手が回った。彼を優しく抱きしめながら
先程の一瞬タオルの隙間から覗いた彼の頬に伝う一筋の光を思い出す。
そして肩を濡らす熱いものが光の筋が見間違いではない事を証明していた。

「清純くん…」
名前を呼ぶ事しか出来なくて、ただ優しく彼を抱きしめる。
「…夏が…」
ぽつりと彼の声が耳に届く。宥めるように、あやすようにと背中に回していた
手の動きが思わず止まってしまう。
「…終わったんだ…」
彼の言葉に思わず自分の頬にも熱いものが伝った。タオルにそれが染み込むと
首を振りながら、もう少しだけ強く彼を抱きしめる。
「…清…純…くん」
ちゃん…俺…」

──神様は意地悪だ。
どうしてこんなに意地悪なんだろう。
だって彼はこんなにも願っているのに。

こんなにも…テニスが好きなのに。
何故、彼から夏を取り上げてしまったの…?

涙が溢れて仕方なかった。彼に被せたタオルが水分を吸って重くなっていく。
そして──彼が呟いた。

「…悔しい…」

中学3年は今しかないのに…。
中3の千石清純はここまでしか、参加できないのだ。

ちゃん、俺…悔しいよ…」

私は部外の人間で、テニスの詳しい事は分からない。
彼のテニスが好きなだけで、何がいけないのか。
何が足りないのか、なんてわからない。

でも私だって分かる事はある。
だって彼一人の力でどうにかなるものじゃないでしょう?

みんなが力を合わせて勝利をもぎ取るものだから。
ただ、彼は山吹の『エース』と言う称号と期待をずっと背負ってきた。
『エース』である彼は部員の前で泣く事なんて出来なくて、弱さを見せる
事なんてご法度。

──みんな、貴方に頼ってた。
だから、貴方は精一杯期待に応えてきた。

でも、それもお終い…。

「清純くん…」
彼にかける言葉なんて見つからない。出来るのは吐き出させて上げる事。
そして彼を…優しく抱きしめる事だけ。

「何が…『エース』だよ…」

彼の言葉に涙して、優しく声をかけるだけしか出来ない。
でも、彼にとって自分はそれでいいらしい。

──唯一、弱音を吐く事の出来る場所だから。

「俺は…何も出来ちゃいない…」

ううん、そんな事ない。貴方はずっと部員たちを支えてきた。
貴方が笑って見ていてくれるから、みんな頑張って来れたのだ。

「こんな所で…終わらせたくなかったのに…」

貴方の背負った『エース』と言う称号。
みんなの期待。ずっとずっと重く、貴方の肩にのし掛かっていた。

「でも…終わったんだ…俺の…中学最後のテニス…」

悲しまないで、なんて言わない。
だって私にまで弱音を吐けなくなってしまったら、今度はどうするの?

「ねぇ、清純くん…」

──だから、貴方に新しい力をあげる。

「確かに中学最後のテニスは終わってしまったけど…清純くんはこれからも
テニスを続けて行くのでしょう?」

──テニスをしている時の貴方の笑顔が一番、大好きなの。

「高校でも続けるのでしょう?」

──だから、笑って?

少しだけ強く抱きしめると小さく名前を呟く。
「…ちゃん」
頬と肩に置かれていた手が背中に回され、彼との距離が更に近くなる。
「…キミが居てくれて良かった…ありがとう」
耳元でそう囁くと額と額を合わせ、互いに目を細めた。そして何方ともなく
瞳を閉じると唇を重ねる。

ゆっくりと離れて行くぬくもり。
だけど不安なんて感じない。

…だって、目を開ければそこには、彼の笑顔がある筈だから。



<あとがき>
勢いに任せて書いてます。確か神尾戦の時も同じような事をしたような…(苦笑)
誌上では爽やかに彼らは幕を下ろしたのですが、私にしてみれば
そう簡単に下ろしてたまるか!ということでこのお話を書いてしまいました。

書き出したのはいいのですが、睡眠時間削ってます。
こういう時はインターバルを置いてしまうと仕上がらないので
一気に書き上げたのですが、仕事に支障が出なければ良いのですが…(汗)

誰の前でも泣かない、弱音を吐かないキヨにはそれをさらけ出させて
あげたいの一心で書きました。