オレンジ色の太陽
都大会終了後、部室に戻った私はついでにと掃除をしていた。とっくに先輩や 友達は帰ってしまっている。一人残った部室でロッカーを拭いたり、机の上に 広がった雑誌やお菓子を綺麗に整頓していった。ふと壁に掛かった時計を見ると夕方を 指している。窓を見れば、オレンジ色に染まった空が広がっていて、とっくに夕方に なっていると改めて気付いた。 部室を見回すと満足したように笑い鞄を持つと鍵をかけ、職員室に部室の鍵を 置きに行く。そして、何気なく向かったコートで私は先輩を見つけてしまった。 汗を流しながら一心不乱に壁打ちをし続ける、先輩を。 いつも笑いながら練習している清純先輩とは全く違う表情。 ラケットを振り抜く音と壁に打ち付けられるボールの音がコートに響いてる。 今まで見たことのないくらい真剣な先輩の表情は、私の足をその場に 留めるに十分だった。 会場では少しも見せなかった先輩の悔しそうな表情。 それはきっと今日の試合の所為。 先輩の試合はまさかの敗北だった。 ジュニア選抜に出た先輩がまさか負けるなんて思ってもみなくて…。 試合を観ていた私もその結果には呆然とした。 決して相手の人が弱かった訳じゃない。 当然清純先輩が弱いわけじゃない。 でも、試合の結果は結果だから。 負けたという事実はどうしたって覆らない。 あの時は見せなかった悔しいという感情を今、ここに出しているに違いない。 いつもひょうひょうとして、何処か掴み所のない先輩はこうやって 隠れて悔やんだり、悩んでいるに違いなかった。 …誰にも見せることなく。 コートの金網に指をかけ、ひたすら壁打ちを続ける先輩を私は見ることしか出来ない。 だって、私は単なる女子テニス部の部員で、先輩は男子テニス部のエースで。 先輩と後輩と言う程、接点がなくて。 私は先輩を知っているけれど、先輩は私の事を覚えていないと思う。 先輩に何て言って声をかけていいのか分からないし、簡単に声をかけられるような 雰囲気でも無かった。 先輩は…清純先輩は…オレンジ色の夕日の中、夕日によく似た髪を振り乱しながら 悔しさを紛らわせていた。 強く打ち付けたボールが大きく弧を描き、先輩が周囲を見渡す。そして…私と 目が合ってしまった。 「……いつから居たの?」 流れる汗も拭わず先輩の瞳がまっすぐ私を見る。 「…すみません…少し前からです…。」 「…そっか。…あ、えーっと女子テニス部の…。」 肩で息をしていた先輩が呼吸を調えながら私の名前を一生懸命、記憶から 引きだそうとしてる。 「です。」 「…うん、さんだ。…格好悪いトコ見られちゃったなぁ。」 いつもの様に笑おうとする先輩が何だか切なくて、泣きそうになってしまう。何度も 首を左右に振ると先輩の言葉を否定した。 「そんな事ないです!」 「ん、ありがとう。…でも、会場に居たんでしょ。試合も見てたよね?」 髪の毛を混ぜ返す仕草はいつもと同じ筈なのに、いつもと違って見える。だって、 いつもならこんな間近で先輩を見ることもないし、まして声を交わすことなんて無い。 それに…悔しさを隠しきれてない微妙な表情の先輩だから…。何気ない仕草にだって 意味を感じてしまう。 「…見てました。…でも、私は格好悪いなんて思いません。」 「どうして?試合、負けちゃったんだよ?」 「負けたら格好悪いんですか?そんな事無いと思います。」 どうして私がこんなに泣きたくなってしまうんだろう? こんな自分を卑下するような先輩を見たくないから? 自由奔放で俊敏なプレイスタイルが好きで、いつの間にか憧れになっていた 先輩が辛そうだから? 清純先輩が好きだから…なのかな? 潤んでしまった瞳から涙を零さないようにゆっくりと顔を上げる。 「私は先輩が、…清純先輩が格好悪いなんて思いません。」 「…。」 視線が交わったまま、数秒間沈黙が流れる。先に沈黙を破ったのは先輩だった。 「ありがとう。」 「千石先輩…。」 「負けを認められなくってジタバタする方が格好悪いよ。だって負けたなら次は 勝てば良いんだもんね。…うん。気付かせてくれてありがとう。」 いつもの笑顔とは違った…どこかふっ切れたような先輩の笑顔は本当に格好良かった。 少しは私でも先輩の役に立てたのかな。そうだったら、嬉しいのだけど。 「それからね、『ちゃん』」 「…は、はい?!」 突然、先輩にちゃんづけで…名前を呼ばれた。あまりにも突然すぎて思わず声が 上ずってしまう。そんな私の様子にいつもの調子を取り戻しつつある先輩は笑ってた。 「清純でいいよ。もう名字に戻っちゃ駄目だよ?」 「え、え…?」 「だって、ちゃんさっき『清純先輩』って呼んでくれたのに次は『千石先輩』 なんだもんなぁ。せっかく喜んだのに。」 先輩の言葉に目を白黒させる。まさか、自分の中でだけ先輩の事を名前で呼んでいたのに いつの間にか口にしちゃってたのかな?そんな焦りに頬が紅くなってしまう。 だって、先輩と私は2、3回くらいしか話したことがないのにそんなの馴れ馴れしすぎる。 それに…私が先輩に憧れてるって知られちゃったかもしれない。 「…わ、私先輩のこと勝手に名前で呼んでましたか?」 「うん。」 私の質問に先輩はあっさりと頷いてしまう。 どうしよう、どうしよう。 ただ焦りと恥ずかしさで、ますます頬は紅くなるばかりだ。 「ちゃん、これから時間ある?」 「…はい?」 頭の中は混乱したままで先輩の言葉の意味を汲み取れない。 「ダッシュで着替えてくるから、アイスでも食べに行こうよ。 あ、もちろんオゴリだからね。」 「え、えーっと…。」 「嫌?」 「そんな事ないですけど…。」 「じゃぁ、決まり。待ってて、すぐだから!」 そう言って男子テニス部の部室に走っていく先輩を見送ると金網にもたれ掛かる。 頭の中ではさっきから先輩の声が何度も繰り返し響いてる。 それも『ちゃん』って何回も。 緊張が高まってきたのか、心臓の脈打つ音が少しずつ大きくなった。 そして視界の中に先輩が映ると心臓の音は更に大きくなる。 「ちゃん、行こうか。」 「は、はいっ!」 自分が思ったよりも緊張していたのか、大きな声で返事を返してしまう。 私が緊張していると先輩は分かっちゃったに違いない。 にこりと笑うと校門に向かって歩き出す。 「今日はね、北東の方角がいいんだよねー。こっちなら…ジェラートだけど… ちゃん、それでもいい?」 「はいっ!」 どうしても力んでしまって返事が大声になってしまう。やっぱり先輩には 気付かれちゃったかな。恥ずかしいけど…でも清純先輩とこうして歩いていられるのは やっぱり嬉しい。 目の前の交差点の信号が青で点滅しだすと先輩が私の方を振り返る。 「行くよ、ちゃん!」 私の手を取ると横断歩道を一気に走る。そしてすぐ側に見えたジェラートのお店を 指して先輩がまた笑う。 オレンジ色の太陽みたいな先輩の笑顔はやっぱり素敵で…。 繋がったままの手が暖かくて…。 私、やっぱり清純先輩が……好きです。 <あとがき> 何故か急に彼とのお話を書きたくなりました。…多分久しぶりに見た アニメに彼が出ていたからかな?(6/18のアニメは神尾とキヨの試合のお話でした) 夕方の太陽っていうのは何処か切ない気分になる太陽で私、好きなんです。 キヨも明るい、楽しいだけじゃない所を何処かに隠してるのでは? …なんて勝手に思いまして、人知れず努力したり、悔やんだりする彼を 書いてみました。本当の所…彼ってどんな性格なんでしょうねぇ? |