暮れなずむ空







午後の授業が終わってから、数時間。夕日に照らされたテニスコートは
オレンジ色に染め上げられている。後片づけをしながら、ふと空を
見上げ、周りを見渡した。
さっきまでは青く広がっていた空はオレンジ色に、たくさんの部員がいた
テニスコートにはまばらな人影。

夕方は人をセンチメンタルにさせる…そんな気がする。

悲しい事があったわけじゃない。別に何もない。
だけど、どうしてだろう…泣きたくなる。

まとめ終わったネットを手に、ただその場に立ったまま、どこでもない
場所を見る。ここは学校のテニスコートだというのに、そうでない
場所を見ているかのように。

「あれ、先輩?」
ああ、誰かが呼んでる。わかってるけど、泣き出しそうな顔を見られる
わけにはいかない。ちょっと待って。すぐにいつもの私に戻るから。

先輩〜?」
お願い、無理に私を振り返らせないで。きっと私の顔を見たらびっくりするから。
何でもないのに泣きたくなった私の気持ちなんて誰にもわからない。
だから誤解するでしょ?誤解させたくないから、そのまま少しだけ待って。
私が振り返るまで…。

「片づかないんスけど」
わかってるってば。もう、こんな風に話しかけてくるのは絶対アイツだ。
人がセンチメンタルに浸ってるのを壊さないで。

「ねぇ、先輩聞こえてるんスか?」
ああ、もう。この子と居たらセンチメンタルで居られない。わかったわよ、
振り返ればいいんでしょ。返事をすればいいんでしょ?

ぎゅっと瞳を閉じてから大きく息を吸い込むと意を決して振り返った。
「何よ、赤也」
「何よも何も…って先輩!?」
そんな風に驚かれるとこっちが困る。ああ、失敗かな。きっと他の部員達にも
知られてしまうに違いない。何て言い訳したらいいんだろう。
「いいッスか?こっち向いたら駄目ッスからね!」
自分が振り向かせたくせにまた、人の居ない方へと向き直されてしまう。
赤也は肩をぎゅっと掴みながら同学年の部員を呼ぶと私から取り上げた
ネットを片づけさせる。そして私の背中の向かって安堵の息をつくという
不思議な行動を取ると数秒の沈黙が流れた。

「赤也…?」
あまりにも不自然かつ不思議な行動をとった赤也に疑問符が浮かんでも
おかしくない筈だ。恐る恐る言葉をかけても何故か返答はない。
「ねぇ、聞いてる?」
「…聞いてますよ」
いつもならすぐに反応が返ってくるのにワンテンポ遅れて反応が返ってきた。
自分の肩に置かれたその手に込められた力が強くなって、思わず
声を上げてしまう。
「ちょ、ちょっと痛いってば…」
「…何かあったんスか?」

てっきり笑って茶化すだろうと思っていたのに、
…赤也は真剣に心配してくれたみたいだった。

「…ん、何でもないよ」
「へ〜、 先輩は何でもないのにあんな顔するわけ?」
心配してくれたのは嬉しかったけれど、特に理由がないのも本当だから
そう言ったのに…赤也は少し怒ったように返してきた。
「…だって理由なんてないから説明しようがないじゃない」
「ふ〜ん?」
どう言ったら信じてくれるだろう。本当に理由なんてない。
ただ夕焼けが、人の少ないテニスコートが、寂しく見えただけ。
何故かわからないけど、胸がきゅっと締めつけられたから。

…だから泣きたくなっただけなのに。

「俺じゃ、信用出来ないって事?」
「え、赤也…?」
両肩にあった赤也の手が肩から滑り落ち、手首へ辿り着くと
優しく握る。しばらく間が合ったかと思うと左肩に軽く体重がかかる。
「…ねぇ、俺じゃ駄目?」
額を押し付けたまま紡がれた言葉は今までの赤也からは想像が付かない程
抑揚のない声。
「赤也?」
「俺… 先輩にあんな顔させたくない…だからさ…」
赤也が顔を上げた瞬間に左肩が軽くなる。軽くなった肩の方へ覗くように
振り返ると丁度テニスコートの向こう側から部活仲間の声が響いた。

「お前ら二人、何やってんだよー!」
「ば、馬鹿。こういう時はそっとしとけって!」
丸井の冷やかすような声とジャッカルの諌める声が同時に耳に届き…。

「邪魔しないで下さいよっ!せっかく後ちょっとで落とせそうだったのに!」
赤也がそう怒鳴った。

…落とせそうだった?

「…ちょっと、赤也!」
今度はこっちが大きな声を出す番だった。くるりと振り返ると悪戯っ子のように
笑っている赤也がいる。
「へへっ、バレた?」
「バレた?じゃないわよ!」
振り下ろした右手をかわす代わりに手首を掴むと笑いながら顔を近づけて来た。
かなり近い距離でぴたりと止まると一瞬だけ真剣な顔を見せる。

『でもさ、アレは本音なんで覚えておいて下さいよ?』

そしてすぐにまた距離をとると赤也が悪戯っ子のような笑顔に戻った。
「あとちょっとで 先輩、落ちそうだったスよね!?」
「お、落ちそうって…!?」
「俺の優しさに胸きゅん?」
妙に可愛い子ぶりっ子する赤也に段々怒りのオーラを隠せなくなってくる。
「だ、誰があんたに…っ!」
「焦らなくってもいいッスよ。人間誰しも図星を指されるとねぇ?」
「図星な訳ないでしょ!」
ふざけたような態度に今度はまだ自由な左手をかざす。だけど自由だったのも
束の間。すぐに手首を掴まれ、両手とも自由を無くしてしまう。
「ムリしないでいいッスよ。うんうん、仕方ない。俺みたいな優しくて恰好良い奴が
側に居たら、そうならない方がおかしいし」
「勝手に言ってなさい…もうっ!」
まだ笑っている赤也の手を振りほどくと部室へと歩き出す。

「あはは、 先輩怒りすぎ」
「誰の所為よ、誰の」
「ん?俺ッスか?」
「当たり前でしょ!」

笑いながら隣に並ぶ赤也に軽くゲンコツをお見舞いすると笑って真っ直ぐ
見返される。笑っているけど、その瞳は真剣で受け止め切れない。
自然と逸らしてしまい目の前のコートだけを見つめた。

オレンジに染め上げられた世界に不安も切なさも、もう感じない。

隣で笑う後輩の所為でそんなセンチメンタルな感情も
どこかへ飛んで行ってしまったから。

いつものように笑いながら、たまに知らない男の子になるこの後輩は
ちょっと狡いヤツ。冗談で終わらせてくれたら良いのに、あそこで
あんな顔で、あんな台詞は狡過ぎる。


このまま意識しちゃったら、どうしてくれるの──?



<あとがき>
自分で勝手に考えたお題3つ目も赤也でした。GWが10連休もあって
勿体ないので更新しやすいように適当なお題を考えてみた結果がコレですよ。
今回のお題は『暮れなずむ空』一応4つで完成するのですが、ここまで来たら
もう最後のお題も赤也の方が潔いですよね(苦笑)

赤也はスキンシップが多そうです。特に好きな相手に対して(そうでなかったら
ただのお触り好きのオヤジになってしまう(苦笑))
冗談っぽく相手に触れてはかき回して行くんじゃないかと。
案外シリアスな雰囲気だと逆にスキンシップをとれないと尚グーです(笑)