4.1事件






その日は朝からちょっとツイてなかった。

まず目覚ましが壊れた。お陰で後少しで寝過ごす所だったし。
次は…朝飯はパン派なんだけど、姉ちゃんが食っちまった後で俺の分は
もう残ってなかった。…春休みだからって手抜きすぎだぜ。
ちゃんと買い物しといてくれよな。
春休み最後の練習に行こうと学校行きのバスに乗ったら乗り過ごした。
…ってこれはいつもやってる事か。

でもさ、別に何処かの誰かさんみたいに常に『ラッキー』だとは思わないけど…。
あんまり『アンラッキー』だとやっぱ、嫌になんない?

それで、『アンラッキー』の極め付けがこれ。

「なんや赤也、機嫌悪そうやのう?」
俺の目の前で仁王先輩がにやりと笑う。
正直言うと…俺、仁王先輩って苦手なんだよな。何考えてるのか
わかんねぇし。確かにテニスの腕は悪くない…そりゃ、立海のレギュラーだし。
だけど…あの奇抜な作戦(しかもテニスには直接関係ない事ばかりだ)を
思いついたり、たまに口にする『ぷりっ』とか。…まぁ、とにかく仁王先輩が
何考えてるか、さっぱりなんだ。

その理解不能な先輩の隣にいるのがウチのマネージャーの 先輩。
明るくて気さくな先輩に憧れてる部活仲間は結構いる。…まぁ、何て言うか、
俺もその一人なワケで…。
「あ、さては…自分が彼女の一人も居ないから拗ねてるわけね?」
そんな事を言いながら 先輩が仁王先輩と笑う。

言っておくけど、別にこの二人がこんな風に絡んできてるから
『アンラッキー』なんじゃないぜ。

「さよか、さよか。赤也はそれで拗ねとったか」
「案外可愛い所あるじゃない」
「俺よりか?」
「またまた、雅治は〜」

何なんだよ、この二人。いつの間にこんな事になってんだよ。俺、聞いてないぞ。
二人の繰り広げる会話を聞いていると頭が痛くなる。何でって?
決まってるだろ。これって俺の失恋決定って事っしょ?

わかる?春休み最後の部活練習に学校に来たらこれだ。
これを『アンラッキー』と言わないなんて言わせない。

「赤也?」
いつもと同じように笑う 先輩の態度に腹が立つ。

先輩は…俺が名前で呼んでもらえる事がどれだけ嬉しい事か
知らないんだ。知らなさ過ぎるんだよ、アンタ。
知ってた?名字に君付けが基本の先輩に何で名前呼び捨てにしてくれって
頼み込んだの。

決まってる、アンタの『トクベツ』になりかったんだ。

「…何なんスか」
苛立ちを隠せない俺の声に仁王先輩がにやりと笑ってる。くそ!ムカツク…。
「…今日さ、丸井くんが食べるっていうからマドレーヌ焼いてきたんだけど
後で食べる?」
何で俺が怒ってるのか分からないのか、 先輩はちょっと戸惑ったように
小さな袋を差し出した。透明な袋にはマドレーヌが二つ入ってる。
「貰ってもいいんスけど…」
「いいけど?」
「仁王先輩に悪いんで、俺はいいッス」
「珍しいのう、赤也が遠慮なんて」

仁王先輩の一言、一言がムカツク。だって、今まで 先輩の事なんとも
思ってないような顔してただろ?それが何だよ、この展開。お菓子を作るのが
好きな 先輩だから、当然のようにくっついてた丸井先輩の方を危険視
してたのに馬鹿みてーじゃん。こんな横から掻っ攫われて。

「…俺だって馬には蹴られたくないッスから」
「遠慮せんでええよ。ほら、 が折角作ってきたモンやしのう」
「遠慮するッス」
心の中で仁王先輩に毒づきながらも素っ気無く答える。
こんな所にずっと居たくない。
さっさと練習始めてしまえば忘れられる。そう思って顔を
逸らすと部室へと歩き出した。
「え?あ、赤也?」
「心配せんでもええよ。あれは拗ねとるだけだから」
そんな二人の会話に歩調が早くなる。あの二人の声が聞こえない所に
行きたい。そう思うだけだ。なのに俺の方へ誰かが走り寄る音が聞こえてくる。

「赤也!」
舌うちすると歩く速度を上げた。俺に近づいてくるのは 先輩だから。
今の俺は 先輩と話なんてしたくない。何でって?決まってるだろ。
笑って『彼氏出来て良かったッスね』なんて言えない。
「ちょっと待ってよ。ねえ、赤…」

分かってた。それが八つ当たりだって。だけど俺は子供だから、例え相手が
好きな人でも感情を抑える事なんて出来なかった。

振り向いた俺を見て先輩は驚いたように目を見開いた。
「来ないで欲しいんスけど?」
俺の口から出た言葉は俺の声かと思うほど低かった。ああ、そっか。
怒鳴りたいのを押さえようとした結果がこれなんだ、きっと。
「ご、ごめん!私も仁王くんも…」
「…俺、準備あるし」
先輩の言葉を聞き流して、そう言うのがやっとだった。

何で俺に謝るわけ?
じゃあ何、アンタ俺の気持ち分かってて仁王先輩と二人で笑ってわけ?

「最低だよ、アンタたち」
言ってから、はっと気づく。目の前の先輩の表情が見るからに
曇ってしまったから。

わかってる。仁王先輩は何考えてるのかよくわかんねぇけど、 先輩に
よく気遣ってあげてた。さり気なく重いものを持ってあげたりしてたし。
先輩が好きになったっておかしくない。

俺は面と向かって先輩に気持ちを伝えた事なんてないし、寧ろ迷惑ばかり
かけてたと思う。我が侭ばっかり言ってたし、先輩の仕事の邪魔もしてた。
子供っぽいって分かってるけど、先輩の気を惹きたくてわざと怪我してみたり
してたしさ。

──何もしなかった俺が先輩を責めるのは筋違いだ。

「ごめん、俺…」
「赤也は謝ることないよ。悪いのは悪ふざけしてた私たちだし」
そう言って謝ろうとした俺の言葉を遮ったのは真っ直ぐとこちらを見る
先輩の視線だった。
「悪ふざけ…?」
「うん、ごめん、赤也がそんなに怒るなんて思わなかったから…。ちょっと
からかうだけのつもりだったんだけど…」

は?どういう事?
俺、先輩の言ってる意味わからないんだけど?

俺が黙って先輩を見てると、申し訳なさそうに眉を寄せてる。そして手に持ってた
マドレーヌ入りの袋を差し出す。
「今日、4月1日でしょ?エイプリルフールだから、少しだけからかおうかって
仁王くんが言うから私ものっちゃって…。ごめんね、騙されたって怒ったんだよね?」
「エイプリルフール…?」
俺が不思議そうに呟くと先輩がマドレーヌを鞄の中に入れてくれた。
「ちょっとタンマ!」
「え?赤也?」
そう言って先輩の肩を掴むと驚いたように目を見開いてる。
「じゃあ、何?先輩と仁王先輩は別に何でもないって事?」
ちょっと怖いくらいの勢いだったのかもしれない。何度も瞳を瞬かせた先輩が
数秒たってから、恐る恐る頷いた。

その瞬間足の力が抜けてその場に座り込む。いや、何て言うか気が抜けたって感じ
なんだ。だってそうだろ?全部アレは嘘だったんだぜ。俺、何一人で焦ったり
怒ったりしてたんだか…。
「…あ、赤也?」
足元に蹲ったままの俺を不思議に思ったのか頭上から心配そうな先輩の声が聞こえる。
座ったままで顔をあげると俺の表情を見てまた先輩が驚いた顔を見せる。
何で驚くのかって?そりゃ俺が笑ってるからっしょ?
「怒ってないの?」
そう言って先輩は俺と同じ目線になると首を傾げた。その距離はかなり近い。

あーあ、先輩って狡いよな。
こういう事されたら、俺、期待しちゃうよ?
…つーか、俺以外にこういう事しないで欲しいんスけどね…。
やってそうだな、この人。無防備すぎだよ、本当に。

「怒ってますよ、当然っしょ?」
笑いながらそう言うと先輩が申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。
「赤也、ごめん〜」
「どうしようかな〜…」
「ごめん、ごめんってば!ね、今度またお菓子作ってきて上げるし…だめ?」
「まぁ、それもいいッスけど…」
「…けど?」
ぱっと俺の手に先輩が飛びついた。

い、いや…いいんスけどね。でも、不意打ちは止めて欲しい。
本当に先輩って無防備だよな。
それとも俺のこと弟みたいにしか見てないからか?
それはそれで寂しいけど…それなら弟じゃなくしてやるよ。

「そうッスね…。何で俺が先輩に名前呼びをお願いしたのか…その理由が
分かったら許して上げますよ」
「え?」
そう言って立ち上がると先輩を見ながらにやりと笑う。
「理由なんてあったの?!」
「大アリ」
「聞いてないわよ、そんなの!」
「そりゃ、言ってないッスからね」
慌てて立ち上がった先輩がわずかに頬を膨らませる。

たまに見せてくれるこういう子供っぽい所も好きなんだよね、俺。
こういう状態になったら先輩も後輩もない。
俺のペースにのった先輩が悪いんスよ?

「勿体ぶらないで教えてよ」
「イヤに決まってるっしょ」
「何でよ」

つーか、その理由が分かったら許してあげるって言ったの
忘れてないか、先輩。

「じゃあ、教えてもいいッスけど」
「本当?」
ぱぁっと表情を輝かせる先輩に思わず笑う。ふと頭に思いついた考えに
再びにやりと笑うと自分の頬に人さし指を当てた。
「じゃ、ここに」
「…は?」
俺の行動の意味が分からないのか先輩は不審そうに俺を見てる。
「んもう、鈍いなー。ほっぺにちゅーですよ、ちゅー」
「!!」
真っ赤になった先輩がこっちを睨んでる。
まぁ、馬鹿にされたと思ってるんだろうな。
俺は本気なんだけど。

「赤也の馬鹿!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんスよ」
「あんたって子は〜」
先輩が本気で俺の頬を抓ったって痛くないし、距離も近いから俺としては
嬉しいんだけど。効き目がないと思ったのか先輩が手を離すと今度は
違う反撃に出る。
「真田くんに言いつけるわよ!」
「別にいいッスよ。幸村部長の後ろに居るんで」
「可愛くない〜」
余裕がなくなって本気でむっとしてる先輩を見てると自然と顔が緩む。
でも先輩にとってはそれが気に入らないらしい。こっちを睨んでいる。

「ちょ、ちょっと赤也何処行くのよ!」
先輩に背を向けて部室に行こうとしたら背中にそう声をかけられた。
「着替えに行くに決まってるっしょ」
「あ、そうか」
さっきまで怒ってたくせにそうやって返すと普通に納得したみたいだ。
本当に先輩って面白いよな。

そのまま先輩が何も言わないから部室に行こうと歩き出す。そして数歩歩いた所で
ふとまた振り返ると先輩はその場で何か考え込んでるみたいだった。

もしかしてさっきの名前呼びの理由でも考えてるのか?

「そーだ、 先輩」
「え?」
さり気なく先輩の名前を呼んでみると驚いたように先輩が顔を上げた。
目を真ん丸にしてこっちを見てる。
「俺さ、 先輩の事好きなんでヨロシク」
「……え!?」
さっきよりも目を見開いた先輩ににやりと笑い返すとこう言った。

「さて、今日はエイプリルフールだけどこれは嘘か本気か…。答えは
先輩次第ッスよ」

くるりと先輩に背を向けて手のひらを振ってみる。
きっと先輩は今複雑な顔をしてるだろう。

俺の言葉が本当なのか、偽物なのか。

先輩が選んでいいッスよ。
偽物だって言うなら当分は可愛い後輩を演じてあげるし、
本当だと信じてくれるなら…さっきよりも本気で言ってあげるよ。

先輩がずっと好きだったって。
そしてこれからも好きだってね。





<あとがき>
エイプリルフール企画のリクエストより「赤也でエイプリルフールネタ」でした。
お名前が記入されていなかったので、どなたがリクエストして下さったのか
わかりませんが、ありがとうございました。
中々赤也でお話のネタが浮かばなかったので嬉しかったです♪

赤也と年上相手ならこんな風に振り回すタイプか完全に赤也が
甘えているタイプのお話が好きです。
ところで…前半に出張っている仁王って結局何弁を
話しているんでしょうね(苦笑)