Feel My Heart
自分に割り当てられた部屋、今までずっと使ってきたこの部屋とも、もう少し 経てば、お別れかもしれない。これから自分がどうするのかまだ決めていないが、 もし地球へ戻るのならば次の寄港先オリンポスでお別れだ。そう考えると妙に 感慨深くて部屋の中を見回す。初めてこの部屋に入ったときの事、夜明けの船が 被弾して水漏れが発生した時の事。長い間居たわけでもないのに、たくさんの 思い出がある。ふと机の方へ視線をやると何かが置いてあることに気づいた。 首を傾げそれを手に取ると、それは今時珍しい手書きのメッセージカードで あった。そこに書かれているのはシンプルな『Happy Birthday』という文字。 「そう言えば、昨日俺の誕生日だったっけ」 普段ならば自分の誕生日を忘れることもないだろうが、今年は違った。 火星独立運動の最後の日。異星からの艦と戦うことのない平和を手に入れた 素晴らしい日だった。故に夜明けの船でも大騒ぎで誕生日のことなんて、 本人ですら忘れてしまっていたのである。 「へへ…誰が覚えてくれてたんだろ」 あんな大騒ぎの中、自分の誕生日の事を気にかけてくれたメッセージカードの 送り主に感謝しながら椅子に腰掛ける。 「…何か良い匂いがする」 メッセージカードから微かに香る匂いにぼんやりと異性からのものなのだと 認識した。 「でも、誰だろ…思い当たらないんだけど…」 頭の中に浮かんだのは自分より年下、同世代を除いた年上の異性たちだが、 誰も当てはまらない気がした。送り主は誰だろうとじっとメッセージカードを 見つめていると自分の右の親指の側に何かを見つける。うっすらと見えるのは 小さな文字。 『離れていても、心は傍に』 薄いインクで書かれた文字にどきりと心臓が大きく鼓動する。自分の勘違いで なければ、このメッセージカードを書いた人物は好意を寄せてくれている。 そうでなければ、わざわざこんなことを書くだろうか。いや、気づくかどうかも わからない程薄く、小さなこのメッセージを見れば、経験の少ない自分でも わかった。 誰かが自分に好意を寄せてくれているというのは気分が良かったが、問題は 誰なのかということだった。正体が分からなければ、メッセージカードをくれた お礼をすることも、もう一つのメッセージから見える好意に応えることも 出来ない。 誰だろうと思案しているうちに自分の視界が歪んでいる事に気づいた。 「…え…俺…?」 それは涙で、自分が泣いているという事に驚くと脳内に見知らぬ女性の声が響く。 「ねえ、タキガワ。もし、もしもだよ?私の事忘れちゃったらどうする?」 「はぁ?何、訳わかんないこと言ってるんだよ」 「だから、例えでしょ」 「それにしたって唐突過ぎない?」 「もう、だから例えなの。それに、ほら。昔から言うでしょ。女心と秋の空って」 「それ、意味違うし」 「そんな事はいいから、タキガワの答えは?」 見知らぬ女性と話す自分の声。一体いつの会話なのか…記憶にない。 「俺がアンタを忘れるって何で?忘れる訳ないじゃん」 「もう、すぐ答えを先延ばしにする」 「そんなこと言ったって、アンタの質問が突飛だからだよ。…ったく、仕方ないな。 んー、忘れないって言いたいところだけど、忘れるのが前提なんだよね?」 「うん、そう。何故か忘れてしまっているの」 「じゃあ、『思い出す』っていうのはどう?」 「…え?」 徐々に明確になっていく脳内のヴィジョン。音声だけだったその記憶らしきものは 映像を伴って再生されていく。 「だからー、『思い出す』だよ。それとも何?アンタは俺に忘れたままで いろって言うの?」 「そういう訳じゃないんだけど…」 「俺は嫌だよ。アンタを忘れたままだなんて。だから思い出す、何が何でも アンタの事、思い出してやるよ」 そのヴィジョンは自分と…総軍の青い制服を纏った女性が会話している場面だ。 会話を聞いている限り、かなり親しげにみえた。親しげというより、もっと しっくり来る言葉がある気がしたが今は思い浮かばない。ただ、必死に記憶の糸を たぐり寄せるだけだ。 「そんなこと言ったってきっかけがなければ思い出せないでしょ?だって 急にデータが消えるみたいに綺麗さっぱり忘れちゃうんだよ?」 「何でそこでムキになるんだよ。…っていうか妙に具体的なんだけど」 「そんな事いいの。とにかく記憶を切り取られたみたいに忘れたとしても、 思い出せるって言うの?」 「じゃあ、今度は俺から質問。その場合アンタの記憶はどうなってるの?」 「誤魔化さないで」 「誤魔化してないって。だからさ、アンタが俺に関する記憶をなくしてなかったら 俺が思い出すのなんて簡単じゃん?」 「どうしてよ」 「アンタがきっかけをくれればいいんだよ。もし何か事情があって俺に会えなくても 何かしら手段はあるだろ?」 次第に現実味を帯びる会話と映像。重なるイメージたち。今は何も収まっていない 第二ハンガーデッキの一角にあったRB。あれの名前は何だったろうか。 「…希望…号」 口から漏れた単語は自分が地球から火星に運んできた特別なRB。記憶の雨の中に 確かにあのRBがいる。火星の海を踊るように駆け巡ったRBが。そして、そのRBの パイロットは…。 「…そうだ…だ…」 メッセージカードに涙が滲む。急に鮮明になった記憶の数々に涙は止まらず 声を押し殺して泣いた。今再生されていたあの会話はこの事を指していたのだ。 「何だよ…何で…アンタ、いないんだよ…」 メッセージカードを握りしめ、机を叩くと左手で涙を拭う。真っすぐな瞳の先は この部屋でない先を見ていた。 「俺、言ったよ。アンタに追いついてやるって。どんな手段を使ったって、何かに 逆らったって、アンタを追いかけてやるって言ったよな」 握りしめていたメッセージカードをポケットへとしまい込むと大きく深呼吸をする。 「こんなサヨナラ、俺、許してやんないから。、覚悟しててよ。俺はアンタを どこまでだって追いかけてやる。それで、アンタの口から聞かせてもらうから」 最低限の荷物をまとめると艦橋にいるであろうエリザベスへと回線を開く。 オリンポスへの寄港時に船を降りることを告げると覚悟を決めたように大きく息を 吐き出し、ポケットの中にあるメッセージカードへ話しかけるように口を開いた。 「なぁ、。離れていても心は傍にって嬉しいけど、俺、それだけじゃ嫌だから。 隣でちゃんとアンタを感じてたい。だから、アンタが俺から離れたいって言ってくれれば 諦める。だけど…そうじゃないなら…」 俺は、ずっとアンタの傍にいるよ…。 <あとがき> 多分、今までこんなシリアス展開の誕生日SSは書いたことないです。普段なら 甘く楽しい展開にすることが多いのですが…これは珍しいですね(書いた本人が言うのも 何ですが) 実は久しぶりにまともなお話を書いたのでタキガワの口調が一歩間違うとご先祖の ようになってしまって何度も修正をかけました。 ウチのタキガワは常に追いかける側なんですが、男前度をあげるなら敢えて追わない 選択もありだなぁと書いていて思ったり…。それはそれでまた次回以降に 書いてみようかな…。 |