素直
「…あのさ、話があるんだけど」 そう言うのが精一杯だった。ここ3日間まともに会話を交わしておらず、 避けられているという自覚があったから余計である。もちろん彼女に避けられても 仕方のないことをしたとわかっていた。また自分も彼女とどう向き合っていいのか わからなかった等、いくつもの事情が絡まった結果と言えよう。 確実にわかるのはこのまま会話も出来なくなるのは嫌だという事だけ。 それならばと覚悟を決めて発した言葉だった。 「…話って?」 不安に彩られた表情を見て、この前彼女にした事の代償は大きいと改めて知る。 「ちょっと…」 「…ここじゃ駄目って事?」 言葉を濁した自分にますます不安そうに彼女は眉を寄せた。 「うん、えっと…書庫とか、あんまり誰かが来ない所がいいんだけど」 「書庫…ね。だったらわざわざ書庫に行くより私達の個室でいいんじゃない?」 「え…」 「書庫に行く必要性があるなら、それでも別に構わないけど」 「あ、ううん。がいいならいいんだ。じゃあ、俺の部屋でもいい?」 思いがけない言葉に面を喰らっていた。わざわざ自分の個室を指定しなかったのは、 この前の事があったからである。同じ2人きりになるでも書庫なら部屋も広いし 警戒されはしないだろうからと思っての選択だったのだ。にも関わらず彼女が 個室でいいと言ってくれたのは意外であり、警戒されてはいないのだろうか という疑問も浮かぶ。 そんな事を考えながら部屋に入るとデスクの椅子をに譲り、自らは壁に もたれかかったまま呼吸を整える。 「あの、さ」 まず自分がしなくてはいけないのは彼女へ謝罪だった。背筋を伸ばすとまっすぐ を見つめる。これが自分に出来る精一杯の誠意の示し方だった。 「この前はごめん!」 勢いよく頭を下げると驚いたように彼女の手が伸びてきた。その手を押し返しながら 顔を上げるとじっと見つめ返した。 「た、タキガワ…?」 「俺、にあんな事して何にも言わずに逃げちゃっただろ?だから、ずっと 謝らなくちゃって思ってたんだ」 3日間ずっと言えなかった謝罪の言葉は心なしか自分の気持ちを軽くさせた。 彼女が自分にすり寄ってきたり、無防備だったとしても我慢が出来なかったのは 自分の責任だ。例え彼女が酔っていて理性が緩んでいたとしてもである。 「逃げちゃった事も、それから…えっと、に……しちゃった事も」 つい肝心の言葉が言えなくて声が小さくなってしまう。別に部屋の中が暑い訳でも ないのに頬が熱を持っていくのがわかった。その単語を口にしようと思った途端に あの時の感触を思い出してしまい、まっすぐ彼女を見れなくなる。ちらりと盗み 見るようにを見ると彼女もまた真っ赤になったまま横を見ている 状態だった。 「その…ごめん」 「…ううん。私こそごめん」 彼女の口から出て来た謝罪の言葉に首を傾げるとお互いに真っ赤な頬のまま、何とか 視線を交差させた。 「酔ってたとしてもあれはないよね。もっと気をつけるべきだって、今ならちゃんと 分かるから」 「いや、でも俺だってもっと…」 「いいの。私が無防備過ぎたっていうのは事実だし、自覚がなさすぎた…というより 節度がないっていうか…。とにかく、私も悪いのは確かだもの」 熱っぽさの消えた頬のことよりも目の前の彼女がようやくいつも通りの笑顔を見せて くれた嬉しさの方が大きくて、ただ頷き返す。 「だからお互い謝りあうのはこれでおしまい、ね?」 「うん、わかった」 これで自分にとっての第一の目的は達せられた。話があると言ったのは何も彼女に 謝るためだけではなかったのである。だから、話をする際に人が割り込まない状況を 望んだのだ。空気が少しだけ和んだところで大きく息を吸い込む。深呼吸することで 自分を落ち着かせなければ、話し出せない程の話をこれからするのである。もっとも そんな事を考えれば考えるほど心臓は五月蠅く騒ぎ出すのだが。 落ち着け…。頼むから落ち着けよ、俺! 自分で自分を励ましながら、最初の一言を探す。 「あの…さ?」 首を傾げるに再び心臓が騒ぎ出した。どう切り出して良いのか、まだ 決めかねていたからである。今から自分が口にすることを彼女が何と思うか。そう 考えると中々言葉を紡ぐことが出来なかった。 「どうしたの?」 「あ、うん…その…俺…っ」 椅子に座った彼女に向かい合ったまま力んでしまっている状態。それくらい 力まなければ言いたい言葉は出て来そうになかった。 「に、言いたい事があるんだ」 「…う、うん」 少し驚いたようなを見ているとまた頬が熱くなっていく。 ああ、きっと俺、今真っ赤なんだろうな。 はぁ、恰好悪ぃ…。 どうせならもっと格好良く言いたかったけど…でも…。 「お、俺さ…その」 たった一言なのに、その肝心の一言が出て来ない。 「〜〜〜〜っ!あーもう、駄目だ!」 「た、タキガワ?」 「ごめん、話したいことあるんだけど、何か上手く話せなくて…」 ため息をつきながら彼女を見ると心配そうにこちらを見ているところだった。 確かにこんな風に話があると言ったのに話しづらそうにされると気になるだろう。 「ううん、私はいいの。でもタキガワがそんなに話しにくいなら、また今度でも いいよ?」 「そ、それは駄目!」 諫めるような彼女の言葉を慌てて遮る。こういうのは勢いがなければ言えないこと だと思う。延ばし延ばしにしてたらきっといつまで経っても言い出せないに 違いない。 「えっと、ごめん。俺…どうしても今聞いて欲しいんだ。多分ここで延ばしたら、 いつまで経っても言えなくなる気がするんだよ」 「そっか…うん、ごめんね。変に急かしちゃったみたいで」 「いや、悪いのは俺だから。…えーっと、じゃあ…」 こんなに彼女に助け船まで出されても言えない自分に呆れていたが、せっかくの チャンスを逃すわけにはいかない。 「ちょっと言い方を変えてみる。…あのさ、は…年下嫌い?」 「え?何で?」 「あー、何て言うか…。これから俺が言いたい事に関係してくるんだ。だから、 ちょっと聞いてみたくって」 慌てたようなが頬をほんのりと桜色に染めた。この反応をどう捉えるかは これからの話に大きく影響する。そしてこの反応ならば感触は悪くない筈だ。 「べ、別に気にして…ないよ?」 「そ、そっか。じゃ、じゃあさ!背は?高い方がいい?」 何処か挙動不審なところがあるが、少なくともあまり気にしてはなさそうだ。 この言葉に安堵しながら次の質問を投げかける。 「背?私はこれくらいでいいよ。そりゃあモデルとかだったら、もっと高い方が いいかもしれないけど。そんなのに関係ないし、普通ぐらいで十分」 「あー、の身長じゃなくて…そのー、男がってことなんだけど」 勘違いしていたらしい彼女の言葉に補足説明を加える。自分が聞きたいのはどういう タイプの異性が好きなのか、だ。彼女の理想の身長でなく、異性の身長がどれくらいを 理想としているのかが聞きたかったのである。 「え?」 「うん、だからさ?…その、がいいなーって思う男って身長どれくらい かなって思って…」 「え?…私がいいなって思う男の人の身長って…な、何でそんなの聞くの? タキガワの話にこれも関係あるの…?」 「う、うん」 焦ったようながこちらをじっと見つめている。さっきよりも頬は 染まっており、もう桜色どころか薔薇色だ。眉を寄せている彼女が少し上目遣いに こちらを見ていたかと思うと視線を逸らす。その表情はどこか拗ねたようにも 見えた。 「…参考意見?」 「え?」 突然出て来た単語に首を傾げた。 「だって変だよ、そんな質問。…年上の好みでも知りたいって所?」 「い、いや…別にそんな訳じゃ…」 「嘘。タキガワ、好きな人でも出来たんでしょ。それでその人が年上だから、 とりあえず身近な私の意見を参考にしようとした…違う?」 どうも誤解が生じているようであった。確かに好みを知りたいとリサーチはしている。 でも自分の好きな人というのは目の前の彼女自身だ。 「違う。だって、俺…っ」 何故か泣きそうな表情の彼女がこちらを睨んでいた。どうしてこの状況で 泣きそうなのか、理由がわからなくて余計に混乱してしまう。 「…帰る」 「え?ちょっと待ってよ、!」 先程までは泣きそうだったのに、今度は怒ったような表情で椅子から立ち上がる。 慌てて行く手を遮ると彼女は視線を伏せたままこちらを見ようともしない。 「…私、悪いけどタキガワの相談にはのってあげられそうにない」 「相談って…!俺、に相談にのって欲しいなんて一言も言ってないよ」 無言のまま、部屋を出て行こうとする彼女の腕を掴む。焦りが行動へと出て しまっていた。 「…痛っ…」 「ご、ごめん」 慌てて手を放すと気まずい沈黙が部屋の中に流れる。再び部屋の外に出ようと する彼女よりも先に入口へ回り込むとまっすぐ前を見据えた。 「お願いだから、最後まで話聞いてよ」 このままでは自分の気持ちを伝えるのは困難だ──そう思いながら、自分の話運びの 悪さや度胸のなさを悔やむ。もっとシンプルに気持ちを伝えていればこんな風には ならなかった筈だ。 「さっきに質問したこと、失敗だったって思ってる」 視線を合わせない彼女の横顔をじっと見つめながら覚悟を決める。 「俺がもっとストレートに話してれば良かったんだ」 言いたい言葉は僅か2文字という短い単語にも関わらず、何度も口にしようとしては 失敗した。自覚してからずっと言いたくて、でも言えなくて…そんなことを毎日 繰り返した。 「俺が言いたかったのは…アンタが、が好きだって事」 驚いたように瞳を見開いたがそこにいる。先程までの勘違いを思えば この驚きようは仕方ないのかもしれない。 「だから、さっきの好きな人がいるっていうのは当たり。ついでにそれが年上だって いうのも当たり。でも最後が全然違う。だって俺が好きなのはアンタだから」 動かなくなってしまった彼女の元へと一歩近づく。足がすくんでいるのか逃げよう とする意志は見られない。 「ずっと言いたかったんだ。これでも一応意思表示はしてたんだよ。でも全然 気づいてくれなくて…しまいにはこの前みたいになっちゃったけど」 もう一歩だけ彼女に近づく。まだ、彼女が逃げる気配はない。 「…俺、の気持ちが聞きたい」 もう、後戻りは出来ない。 もしここで拒否されたら今までみたいな仲間としての関係は保てないだろう。 それでもいいから、気持ちを聞きたかった。 自分の気持ちを伝えたいとずっと、ずっと願っていたから。 「…私…」 交差していた視線が下へと降りた。数秒の沈黙の後、へたり込んだに 合わせて膝を折る。 気持ちを伝えた今、もう先程までの恐怖はない。 妙に清々しい気分だった。 「…私、いつも当たり前のようにタキガワがいるって思ってた」 唐突に語り出した声に耳を傾ける。これから彼女がどんな言葉を紡ぐのか少しだけ 心臓を騒がせながら。 「それは本当に当たり前過ぎて、私わかってなかったみたい…。だからアキに どういう存在なのかって言われて『可愛い弟分』って言ったの」 可愛い弟分という言葉に胸を痛めながらも、最後まで話を聞こうとただ頷く。 「でもね、私が感じたことと相手が同じだと思うなって言われて、急に不安になった。 だって、一緒にいるのが当たり前だって思ってるのは私だけなんじゃないかって。 安心してるのは私が勝手に思ってるだけだって」 「…?」 「勝手に不安になって、タキガワの部屋に行ったのがこの前の時。酔ってて余計に 行動がおかしくって、結果的に迷惑かけちゃった…」 先程まで泣きそうだったり、怒っていた表情だったは顔を上げると 少しだけ照れたように笑った。 「考えても、考えてもよくわからなくて…カオリに言われてやっとわかったの」 もうそこには負の感情はない。吹っ切れた表情で笑っている。 「一緒にいて安心したり、その人が特別だって言うなら…それは十分…」 気づくとその笑顔はいつものものよりも特別なものに見えた。にっこりと笑った が近づいてくる。次の瞬間右の頬には手が、そして左の頬に柔らかい 感触があった。 「好き…ってこと」 頬にある彼女の手を握ると何度も瞬きを繰り返し、今言われた言葉を頭の中で反芻する。 じわじわとわき上がってくる嬉しさに顔が緩んでいくのが自分でもわかる程だ。 「…」 名前を呼べば笑っているが小さく頷く。握っている手を強く引っ張ると 自分の方へと抱き寄せ、幸せを噛みしめるように何度も頷いた。 「俺…俺さ、アンタが全然気づいてくれないから駄目なのかって思ってた」 腕の中で彼女が笑っているのがわかる。普段ならきっと拗ねてしまうだろうけど 今はそんなこともない。ただ、ただ嬉しくて腕に込める力を強くしていく。 「…タキガワ?…ごめん、ちょっと苦しい」 「え?あ、ごめん」 力を緩めるとゼロとも言える距離で見つめ合う。 「大好きだよ」 素直に言えば、こんなにも幸せな気分になれるなんて思わなかった。 あまりにも幸せすぎて顔は当分笑顔から変わる気がしない。 どちらともなく瞳を閉じると唇を重ね合う。 3日前とは違う幸せなキスに胸の高鳴りを感じながら互いの唇のぬくもりを求め合った…。 <あとがき> ラストは甘くなりそうだなーという自分の予感が見事に的中し、何だか 恥ずかしい締めくくりとなってしまいました。書いているのは確かに 私自身ですが、いつもキャラクターがそれぞれ勝手に動き出すので 大まかな流れは押さえれても細々した部分は彼らがどう動くかに かかっているんですよね…。お陰でこの2人の組み合わせだと どうしても甘ーい展開になるようです(汗) そして私の中では続き物の最終話は当社比1.5倍だった訳ですが、 例外になることもなく、やっぱりそれくらいのボリュームになっています。 TVさまの君を想う5つのお題3より「素直」をお借りしました。 |