宙ぶらりんの気持ち
たまにはどうだ?──なんて言われて久しぶりにアルコールを口にしていた。 何となく飲みたい気分だったというのは嘘じゃない。誘ってきた相手が 話がありそうなのではないかと悟ったからというのも理由の一つだった。 「夜明けの船に乗ってからお前がこういう風に飲むのって、ひょっとして 初めてなんじゃないか?」 アキにそう言われて反芻してみると確かにこの船に乗ってから一度もアルコールを 口にしていない。それどころかこうしてアキと2人だけで話すこともなかった気が する。何人かで食事したり、立ち話程度ならば何度でもあるが、改めてこういう場を 持ったのは間違いなく初めてであった。 「そうね…確かにそうかも」 「…というかお前あんまり誰かと2人だけで食事や話してないんじゃないか?」 「あら、カオリたちとよくご飯食べたり、話したりしてるけど」 自分も言われるまでは気づいていなかったが、そう言われてみるとそれはとても 不自然なことのように思えた。 「女は除外。ヤガミなり…誰でもいいから男とってことだよ」 「一対一はなくても複数人数でいいなら、あるわよ」 「一対一のことを言ってるんだが?」 「そうねぇ…ああ、タキガワとはよくあるよ?都市船も一緒に行ったりするし」 自分の記憶では何故かタキガワしか浮かばなかった。別に男性に対して不信感を 抱いているとかそんなことではなく、ただ自然とタキガワとだけは普通に同性と 行動するのと同じ様な感覚だったのである。それにしても何故アキは急にそんな事を 気にするようになったのだろうか。話の展開から彼の意図が読めない。 「ふーん…タキガワね」 「何よ、何か不満そうね」 銀ビールを1本あけると隣のアキの視線を感じ、顔をしかめた。 「じゃあさお前にとって、タキガワって何だ?」 唐突なアキの言葉に首を傾げつつ、彼に何かあったのだろうかと考える。 「何って…パイロット仲間で可愛い弟分って感じかな。それ以上でもそれ以下でも ないわ」 「可愛い弟分と来たか。じゃあ、俺やヤガミは?」 自分の言葉を反芻するアキに再び顔をしかめる。何となく話の雲行きが悪くなって いることに気付いたからだ。 「…何よ、今日のアキ変。ヤガミもアキも仲間でしょ」 「ああ、まぁ、ちょっとばかり変かもしれないな。…しかしお前の答えは何となく 予想がついてたけど実際聞いてみると…なぁ…ったく他人事ながらその鈍さは 可哀想になってくる」 何本目かの銀ビールをあけるとアキが泣き真似をして、こちらの様子を窺っている。 自分が一体何をしたのかわからないのに、そう責められるように見られても困ると 思いながらぐっと缶をあおった。 「可愛い弟分でも何でもいいけど、それはあくまでお前の主観なんだってことを ちゃんと理解しておいた方がいい」 「…何が言いたいの?」 既に自分たち2人の周りには飲み干した缶が何本も転がっている。自分が酔っぱらって いる事はわかっていたし、アキもまた酔いが回り始めていた事だってわかっていた。 にも関わらず自分の言葉には刺があった。本能的にそれが『お節介』だとわかって いたからかもしれない。 「そのままだよ。お前はそう思ってても相手も同じように思ってるとは限らない。 それだけのことさ。…あとは」 「…あとは?」 「多分そうではないと思うけど、一応忠告しておいてやるよ。年下だからって ナメない方がいい。年下でも男は男だからな」 短時間にもかかわらず飲んだアルコールの量は相当なものだった。どうやって アキと別れたのか記憶にはないが、気付くと中甲板前方通路を歩いていた。自分の 個室の前に立つと隣の部屋を見る。隣の部屋はタキガワの部屋だ。無意識のうちに 足が動き、自分の部屋の前を通り過ぎると殊更明るい声で隣の部屋へと足を 踏み入れた。 「ターキガワ!」 「…っ!??」 突然の自分の訪問を驚いたようにベットから顔を出すタキガワに何故か安堵しながら 部屋へ入っていく。 「ど、どうしたんだよ…突然」 どうしてだかわからないが、妙に嬉しくて自然と目を細める。何故安心するのか わからないが、ほっとしたその緩みで足下がふらついているのが自分でもわかった。 「んふふ〜、何かねちょっと顔見たくなって」 「顔見たいって…いつも一緒にいるのに何言ってるんだよ…って!、アンタ今 酒飲んでるだろぉ!!」 「えへへ、あったり〜」 心配そうに、だけど怒りながら両手を広げる彼のその優しさが嬉しくて、そのまま 距離を近くしていく。年下である彼の腕に収まると暖かくて、リラックス出来た。 「ちょっと!!?」 「ん〜、暖かい」 すり寄りながら、タキガワと居ることが多いのは安心できるからだと心の中で何度も 頷く。別に他の異性が安心出来ない、怪しい人たちだとは思わないが、タキガワだけが 自分の中で特別なんだと…そう結論を出していた。 「暖かいじゃないよ!ほら、離れて」 「えー?」 「えーじゃない。アンタ大人なんだから分別つけないと」 あまりにもごもっともな彼の言葉に眉をひそめた。別に未成年である彼に成人として どうかと言われたからではない。眉をひそめたのはアキとの会話を思い出した からだった。 「何、その顔」 「どうせ私は分別も何もありませんよーっだ」 「はぁ?」 何よ。私が何だっていうのよ。 私の主観だとか、相手がどうだとか。 そりゃあ、自分の主観だけが全てだとは思わないわよ。 でも相手が自分をどう思ってるかなんてわからないし、大事な仲間で 可愛い弟分の何が悪いっていうのよ。 「なーんで、私がアキに怒られなきゃなんないのよ」 「アキ?」 先程までの会話を思い出しながらアキの名前を口にするとそれまで戸惑うような 表情だったタキガワが顔をしかめた。 「何が鈍感だって言うのよ、ねぇ?失礼しちゃう」 「…何話してるのか知らないけど、はアキと飲んでたってこと?」 少し強くなった語気を若干無視しながらベットへと座り込む。困ったような、 そして怒ったような複雑な表情のタキガワを見上げると言い訳を口にした。彼が そんな表情をするのは自分がアルコールを摂取している所為だと思ったからである。 「私だって、たまにはお酒くらい飲むわよ」 「別に飲むななんて言ってないよ」 「じゃあ、何でそんなに責めるような目で見るの?」 「そりゃあ、俺の部屋占拠してるからだろ」 力が入らなくなってベットに横になるとため息をついた。自分の部屋のベットで 横になればいいのに、何故か今はタキガワの傍に居たくてどうしてもこの場を 離れたくなかった。 「アキと何喋ってたんだよ」 突然降ってきた言葉に思わず視線を彷徨わせた。あちこちを見ながら、先程の会話を 思い出すと視線を合わせないように瞳を伏せる。 「ちょっと色々」 「…ふーん…いいけどさ、ここ俺の部屋だってわかってる?」 「知ってるよ。だってタキガワの顔見に来たんだもの」 「何で俺?」 「…内緒」 答えは自分だってわからない。何となく、会いたかったから。 会えば安心できるって勝手にそう思った。 年下だとか年上だとか、そんなに拘ってないつもりだった。 そんなことも関係なくタキガワとは一緒に居たし、きっとタキガワだって そうなんだろうと勝手に思っていた。 でも、アキとの会話は自分を不安にさせた。 自分が勝手に安心感を覚えていても、タキガワはそうじゃないかもしれない。 面倒だとか、同じ部署の仲間としての付き合いの一環として我慢してるだけ かもしれない。 「…で、いつまで俺のベット占拠してるんだよ」 頭の中でぐるぐるまわる自分の考え。それだけが頭の中を占めていて、彼に 引き上げられても力を入れられなかった。 「ほら、自力で起きてよ」 もし、タキガワに疎ましく思われていたら…。 そう思うと背筋が寒くなる。 「…あのさぁ」 むくりと起き上がると自分の考えを否定するかのように目の前の彼をまっすぐ 見つめた。自分としてはただ見ているだけだが、その瞳は端から見れば 睨んでいるように見えたかもしれない。あまりにも力強い視線は睨んでいると 誤解されても仕方ないほどだった。 「大人っていうか…女の人としてどうかと思うよ、今の状態」 自分の視線を受けて、彼の眼差しもまた強いものになる。自分の考えに捕らわれ 周りも彼のことも考える余裕はなかった。だから彼に両手首を握られた時は 何が起きたのかと理解出来ていない状態であった。 そして、次の瞬間唇に何かが触れた。反射的にそれから逃れようと抵抗を 試みるが、両手首をとられており、握られたその力は強くてふりほどけない。 自分が逃れれば、また追いすがる。それを繰り返して、気づいた時はベットに 組み敷かれていた。呆然と見上げればそこには追い詰められたような、苦しげな 表情の彼がいる。やがてはっと我に返った彼は真っ赤に頬を染めると飛び退き、 逃げるように部屋から出て行ってしまった。 脳裏に浮かんだのはアキの言葉。 『年下だからってナメない方がいい。年下でも男は男だからな』 別にタキガワを軽視しているつもりではなかったし、異性だってことは もちろんわかっているつもりだった。 でも、あくまでそれは『つもり』でしかなかったのだと実感した。 結果的に自分は彼を軽んじていたのだ。もし彼が同年代の異性ならば、 酔っていたとはいえ、勝手に部屋へと入り込んで居座ったり、彼に すり寄るようなこともなかっただろう。 天井に両手をかざすと真っ赤な手首が視界へと入ってきた。どんなに可愛い 弟分だと思っても、彼もやっぱり異性なのだ。抗いたくても振りほどけなかった。 異性に力で敵うはずもない。むくりと起き上がって何気なく唇に手をやった。 そこで思考が止まる。 自分の身に何か起きたのか…ようやく脳へ情報が到達したのであった。 <あとがき> いつの間にか続き物のようになってしまっているシリーズの ちゃんサイドです。 珍しく気持ちを自覚していない状態だったりします。他のSSと違って 自覚していないため、彼女の行動はアキの言うとおりタキガワには ちょっと可哀想です。このシリーズ、引き続きちゃんサイドの SSを一つ、そしてラストは最後のお題を使ってタキガワでお送りする 予定です。 |