「もう、こんな時間か…」
神経接続を切って愛機を見上げると結晶の告げる時間に
そう呟いた。気付くと周りにはもう人も殆どいない。かろうじて
階下に整備主任の原と副班長の森がいる位だ。きっと彼女たちも
今日の整備状況をまとめているだろうから、あと少しで自宅に
戻るだろう。
「…帰るか」
休息を取らねば肝心の戦闘中に支障をきたす。パイロットに
とっては体調管理は重要な仕事の内だ。二番機の調整もキリは
ついた所だったし、既に合格ラインを大きく上回っている。
大きく伸びをするとハンガーの裏口から外へと出た。
夜空にはぼんやりとした月が浮かんでいる。
「ミルク飴みてー…」
「…お腹でも空いているのですか?」
独り言で終わる筈だった言葉に返事が返ってきた。
「え…委員長?」
「今から帰りですか?」
「…あ、…はい」
普段あまり会話を交わさない善行の言葉に言葉少なく頷き返す。
何を話していいのか、わからないから普段は口数の多い自分でも
自然と口を噤んでしまう。そんな自分の心の中が解るのか、
かすかに笑った善行に首を傾げた。
「堅くならなくてもいいですよ。もう仕事時間は終わって
いますからね。それに貴方を含むパイロットには休息を取って
英気を養って貰わなくては困りますから」
「…はい」
何故、自分に声をかけたのか、よく解らない。
少なくとも他のパイロットたちに比べると一番彼自身とかけ離れた
存在だという事くらいわかる。真面目な壬生屋ならば会話をしても
成り立つだろう。速水もまた同じ筈だ。しかも相手に話を
合わせる事が上手い速水なら誰とでも会話出来る。舞なら、
もっと深く戦略関連の会話も可能の筈。だけど自分は委員長の
善行と話すような真面目さとは無縁だったし、舞のような
戦略なんてちんぷんかんぷんだ。もっとも善行も自分とそんな高度な
会話をしようとは思ってないだろう。
「声に元気がありませんよ。滝川くんらしくない。…まぁ、
私が相手だという事もあるのでしょうが」
「…いや…あの…俺…」
実際その通りなのだが、流石に本人を前にして言う事は出来ない。
思い立った事をそのまま言うなんて事が実行出来てしまうのは
この小隊内なら新井木ぐらいだろう。自分も失言の多い方だとは自覚
しているが、善行に対して面と向かって『話しにくい』とは
言いづらい。
「仕方ありませんよ。年齢の差を考えれば当然とも言える
でしょうしね。気に病む事はありません」
「…はぁ…」
善行は何を言おうとしているのか、全く読めない。自分ごときが
一癖も二癖もある大人の思考を読めるとは思わないが、それでも
何が目的で話しかけてきたのか解らないと言うのは、あまり
居心地の良いものではない。
そんな自分の心の内を知ってか、それとも敢えて黙殺しているのか
夜空を見上げた善行が突然質問をしてきた。
「滝川くんは自分の能力についてどう思いますか?」
「…俺…の能力?」
「ええ、パイロットとしての資質です」
「…あの…」
何と答えたものだろうか。つい口を噤んでしまう。少なくとも
3機ある士魂号の内一番戦績が低いのは確かだ。もしかしたら
善行はもっと何とかしろと暗にそう言いたいのかもしれない…
と思うと余計に何も口に出来なかった。
「自己分析をした事はありますか?」
「…あんまりそういうの得意じゃないから…その…」
「ああ、そんなに難しく考えなくてもいいですよ。ざっくばらんに
考えて…そうですね例えば…情報処理能力だとか、射撃能力、
接近戦での戦術など、色々ありますが自分はどれが得意だと
感じますか?」
「…その中なら射撃…だと思います」
「ああ、確かに。長距離での命中率は3機中で最も良いですね。
では他は?」
「…え…他?」
意外な言葉にぽかんと口をあけたままになってしまう。
そして数秒経つと善行の言葉が脳に浸透するように頭の中で
何度も繰り返された。
自分が自信を持てるような能力なんて無い。敢えて言えば、
自機を思う心ならパイロットの誰よりもあると言える。
だけど、彼が望む言葉はそんなものではない事も分かっていた。
沈んで行く思考に表情が曇って行く。顔色を取り繕う事が
不得意な滝川のその様子に善行は小さく笑った。
「もっと、自分に自信を持って下さい。この間のシミュレーション
結果を覚えているでしょう?」
ふと善行の言葉に先日のシミュレーションを思い出す。確かに
スコアも良かったし、回避率に至っては100%だった。
「あの時の成績は芝村さんより上だったのですよ」
「…え?」
意外な言葉が返ってくる。思わず目を見開くと、善行が薄く微笑む。
「たかが訓練だとシミュレーションだと言わないで下さい。
もともと潜在能力の高い人をパイロット候補にしていたのですから
当然ですよ。君はもっと自分を知った方がいい」
尚も言葉を続ける善行にただ黙って聞き続ける。
「起動から行動開始までの時間もパイロット4人中、最速でしたよ。
実際の戦闘中との差が一番あるのも君ですがね」
「…俺が…?」
「さあ、今日はもう帰りなさい。恐らく今夜は招集がかかる事は
ないでしょう。ゆっくり身体を休める事も君たちの仕事ですよ」
その場に立ち尽くす滝川の肩に善行の手が置かれた。
「…はい」
「ええ、それでは…気を付けて帰って下さい」
自然と滝川は敬礼のポーズをとっていた。無意識の行動に善行は
驚きもせず当たり前のように頷く。
大きく澄んだ瞳がまっすぐと善行を見、先程までは疲れで
緩慢だった動作が機敏な動作へと変わった。
月が満ち欠けを繰り返すように、人もまたバイオリズムがある。
移ろいやすい滝川がしっかりと根を下ろせば、その能力は安定して
発揮されるだろう。
小さくなって行く背中を見送りながら善行は月を見上げた。
「太陽を冠しながら、月のように移ろいやすいか…」
<あとがき>
ふと思ったのですが、黒い月と普通の月は同時に存在しないんですかね?
黒い月=通常の月が変化したものという事なんでしょうか。
…まぁ、あくまでミニミニSSという事でツッコミはなしの方向で(苦笑)
でも通常のSSでも使ってますよね、月を題材に…。
ウチ設定でお願いします…すいません。
絢爛で子孫のタキガワがご先祖も有能だったらしいけど…という事を
言うので資質としては優れていたのかもしれないと考えてみました。
何となく絡めにくい善行相手で滝川の台詞が書きにくかったですよ…(笑)