当時、彼も僕も八王子市民でしたが、彼は実家の石巻へ、僕は安曇野へと移り住み、リア
ルには、なかなかお会いすることが出来ずにいました。もっともネットでは割と活発に書
込みがあり、疎遠な印象はありませんでした。ところが東日本大震災では、ご自宅が被災
してしまい、避難所生活が続き、その後ガンとの闘いまで背負い込むという過酷な運命と
しか表現できない人生でした。持ち前の明るい性格と気遣いのため、決して暗い話をネッ
トに書き込むことはありませんでした。てんかん持ちであるため、運転免許の取得が難し
く仕事の選択の幅は決して広くないものの決して諦めず、家族の扶養が重荷になっていた
とも思いますが、日常の幸せをエロい文章で表現してくれました。「愛の狩人」の名は伊
達ではありませんでした。
僕の住む安曇野から石巻は、非常に遠く、なかなか会いに行く事は敵いませんでしたが、
盛岡への出張に便乗して石巻のタカハシさんに会いに行けて本当に良かったと思います。
当時人間ドックで肝臓がんの疑いが告げられており、ガンとの闘病について非常にリアリ
ティがあったということが、心のどこかで早くタカハシさんに会っておかないとという
気持ちが強くなっていったのだと思います。只の一度もタカハシさんの復帰を疑った事は
ありませんでしたが、お見舞いへ行った帰りには、少し凹んだ記憶があります。11月に
なってほとんど書き込みが途絶えた際には、どのように安否を尋ねたらよいのか?悩みま
したが、逆にそういう行為自体が縁起でもないものに思えて身動きが取れない状況での
訃報でした。残念です。悔しいです。無念です。AORクラブなどでタカハシさんを知る、
怪鳥さんは「もとより信じちゃいませんが、あらためてこの世には神も仏もねぇんだなと
いう気持ちです…」と感想を書いていらっしゃいました。同感です。
このひと月ほど、335の穴などの昔の事を色々と振り返ってます。
AORという音楽は好きでしたが、ギターという切り口で言うとやはり僕自身ジェフ・ベック
という存在が大きかったんですが、当時ほとんど活動という活動がなく、音楽の興味が
AORやジャズ・フュージョンへ向かっていたある意味限られた時期に出会えた事に縁を感
じます。大変な人生だったと思いますが、ゆっくりとお休みください。
2013年1月1日