宮司の秘密


愛宕神社の宮司は能役者

愛宕神社の宮司さんには、もうひとつの顔があって、実は能をやられているのです。

能の役者さんなんです。

神社の方では松岡岑男という名前ですが、能の方では鏑木岑男(かぶらき・みねお)という名前で出ています。

下掛宝生(しもがかり・ほうしょう)流という東京におけるワキの最大流派の重鎮で、重要無形文化財保持者です。

って書いても何がなんだかよくわからないかも知れないけれども、何かすごそうでしょ?

舞台はもちろんのこと、テレビにも出ますので、能を好きな方はご存じでしょう。

しかし、逆に能の鏑木(かぶらき)先生が愛宕神社の宮司だということをご存じの方は少なく、神社で鏑木先生が宮司の格好をしているのを見て驚かれる方も少なくありません。


失われた流儀「春藤流」の家元預かり

さて、この鏑木先生、今は下掛宝生流に属していますが、実は現在は絶えている流儀である「春藤(しゅんどう)流」の家元預かりの血筋です。

春藤流は、かなり古いワキの流派なのですが、その流儀の芸事一切を鏑木先生のお祖父さんの代に春藤流の家元から預けられました。そして、お父さんの代までは春藤流のワキとして舞台に出ておられたのです。

しかし、鏑木家は神社の家であるとともに、もとは千葉の城主でもあった武士の家です。
太平洋戦争が日本の敗戦で幕を閉じたときに、お父さんは責任を感じられて切腹をされました。

そのとき鏑木先生がまだ幼少だったためと終戦の混乱とで、世間が能どころでなかったために、その流派の継承が行われませんでした。そのために、春藤流は一時絶えてしまった形になっています。

しかし、謡本や型づけの中は震災や戦災で消失したものもあり、すべてが残っているわけではありません。

みなさんの中で春藤流関係の資料をお持ちの方がいらっしゃったらぜひご連絡ください。


宮司のページ目次へ
ホームへ