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森将軍塚古墳 その1(更埴市)
昭和40年代、周辺に迫る砕石場によっていくつかの小古墳が失われる事態となり、昭和45年に保存対策協議会が発足。市内の世帯の91.1%におよぶ署名を得て地権者の協力もあり、翌年国史跡に指定されました。
発掘後に復原整備され、現在は科野の里歴史公園の中に美しい姿を見せています。



森将軍塚古墳(その1)


力作合成パノラマ画像

南南西から(合成パノラマ写真)。全長100m、後円部2段築成長径約50m・高さ11m、前方部1段築成端幅30m・長さ41m・高さ4mの前方後円墳。前方部に対して卵形の後円部が約12度東寄りに屈曲して作られている。後円部裾下には三方に貼石帯がある。いずれの特徴も狭い尾根を最大限に利用して大きく見せる工夫と考えられる。拡大画像(3474×1104 348Kバイト)IE5.5以降では再拡大の必要がある場合があります
 
車で近付きながらこれが見えてきたとき「おおおっ」と声をあげてしまったのでした北側、歴史公園から見上げる。森将軍塚は標高490m、平地からの比高95mの尾根上にある。後円部が見えているが、むしろもう少し離れた所から見たほうが全体を見やすい。手前の樹木の無いところはかつての土砂採取場跡が崩落した部分。
 
説明板の周辺古墳群配置図。左上が北になる。「幻の11号墳」こと4号集石は「4号墓」として示されている。お手洗いもちゃんと目立たない場所に設置されている。あちこちにある説明板
 
周辺を空からみたところ同じく説明板より。右が北になる。森将軍塚のある山は大穴山(おおなやま)と称される。この時は公園は未完成。森将軍塚と有明山将軍塚は向きがほぼ90度違う。周辺には深くえぐられた土採り場が見られる。調査・復原中にも周辺の崩落が続き、復原を中断して防災工事をした時もあったそうだ。
 
歴史公園から将軍塚に至る道。公称徒歩20分だが、13分ほどで着いた。遠回りになるが階段ではない舗装道路もある。その道を通る古墳館からの有料(片道200円・入館券とのセット割引あり・12〜3月運休)のバスもある。13分で確かに着きましたが、夏だったので汗だらだら、しばらく息が上がってたことを付け加えましょう
 
この葺石を貼るだけだって大変な作業ですよねえ…南東から。遠くからは全体に白っぽいが、表面が酸化したのか近付くとこのような色をしている。この赤茶色っぽい葺石の材質は大穴山産の石英斑岩だという。葺石総数は約8万個と推定されている。
 
西から。前方部端は東西高低差が3.7mもある。東側は岩盤を削るのを省いたらしく墳丘が薄い。墳裾近くが高さ1〜2mで折れ曲がり急勾配となる「裾石垣」と呼ばれる部分が全周にある。みごとに復原されたこの葺石は職人気質の名人石工さんがたった1人ですべて積み上げたそうだ。このカーブのきれいなこと! この凄さはやっぱり実物を見ないと伝わらない感じですな
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