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加須市大越周辺の風景
加須市大越は、かつては大越河岸があり、水運で栄えたところだそうです。
今ではうどんの松葉屋さんあたりになんとなく名残が感じられる程度ですが…。
利根川の土手には散策者やサイクリングに興じる人達が行き交います。



大越のまち


うまいぐあいにご開帳に遭遇…でも見てないの徳性寺の立派な山門。御開帳の薬師如来とは、鎌倉時代の武将、小山朝政が崇めた本尊であるといわれる秘仏だそうだ。秘仏があるなどと言うと堅苦しいが、滑り台と回転遊具などもある子供に優しいお寺さんでもある。徳性寺には「伝弘法大師筆紺地金泥妙法蓮華経八巻」(市文化財)も伝わっているという。この東隣においしいうどんの松葉屋さんがある。その脇の道を堤防に向かって行くと加須サイクリングセンターがあって自転車を貸してもらえる。

八幡塚近くにて発見。大阪万博の頃のものだろうか。右にも何かあったらしいが消滅している。田舎を歩いていると必ず見かける水原弘と由美かおるのアースの広告とはまた別の趣のある物件であった。「…良い社会を造りましょう」


外野の風景


これは古墳じゃありません大越の東隣の外野[sotono]地内、利根川堤防近くの川圦神社。ここも心持ち、高くできている。

利根川堤防より。川圦神社という社名は珍しい。「川圦[kawairi]」とは本来は導水口とか水門という意味だろうが、ここにはこんな伝説がある。昔、降り続く大雨による洪水の恐怖に村人たちは追い詰められていた。村に泊まっていた巡礼の母娘がいたので、娘を人柱に川へ投げ込むと、母も後を追って身投げしてしまった。大雨は止み、洪水からは逃れられたが、その後村には疫病・飢饉など凶事が続いた。そこへ訪れた旅の僧侶が犠牲の母娘の祟りだと見て神社を建てて鎮魂することをすすめた。これがこの神社の由来だそうだ。水害の多い地域の伝承でしょうか。これは土手からの眺め

参道もちゃんとあります僧侶が神社というのは変な気もするが、犠牲者が巡礼など人柱伝説としては典型的パターンである。幸手市の権現堂堤にも似たような話が伝わっているようで、恐らくは実話というよりも、洪水の恐ろしさを教育するための話と思える。カスリーン台風で昭和22年にこの近くの東村(現大利根町)の堤防が決壊したのはつい最近のことで、その記憶を持って暮らしている人々がまだ埼玉にはたくさんいるはずである。

利根川は近世、何度も人工的に流路を変えられたことは「利根川東遷」として有名。特に今の羽生・加須・大利根村付近はその工事の最前線であった。その痕跡を示す堰の跡が残っている。神社から数十メートルでもう土手なんです

これは98年当時なので、もうできてるはずですが川圦神社付近の堤防近くで道路工事が進行中。外野の集落をよけるように屈曲している県道をまっすぐに通すためであろうか。