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〜古墳軍ニュース〜【2007/10/27】
取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。
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ナンバー


◆ 恒例古墳軍夏の東北遠征・第5回福島県古墳探索 ◆
某有名モヤシの工場がある丘。福島産だとは知らずにいただいておりました…
高松古墳群(相馬市坪田)。相馬駅から南に3km弱の丘陵にあるとされる。西側の尾根付近は墓地になっており、その西端付近の一角の窪みに草に埋もれた石槨のようなものがあった。
丸塚は正確な位置すらわからなくなっているもよう
高松古墳群(相馬市坪田)。さらに東の尾根上の塚に載った神社。前方後円墳にも見える。他に道が見当たらずこれ以外は探索不能。近くの水田には多数の埴輪が出て有名な丸塚古墳があったはずだが消滅して跡形も無かった。
2、4、19号墳は復元したものとのこと
真野古墳群B地区20号墳(南相馬市鹿島区小池)。鹿島駅西方およそ2.5kmにある。A地区と合わせて国史跡。B地区は円墳14基現存(かつて20基 分布図)。実際にはA地区とはかなり離れていて別群としても良い感じ。
畑の合間に埋もれている古墳
真野古墳群B地区14号墳(南相馬市鹿島区小池)。1、2、3、4、8、10、11、14、15、16、17、19、20号墳が視認可能。しかしいずれも畑地や宅地、あるいは藪で安易に踏み込める場所ではない。
それほど激しく茂ってはいないので、まめに手入れをされている印象
真野古墳群B地区8号墳(南相馬市鹿島区小池)。A地区の中央付近。むこう側は一段低くなっている。馬鐸出土。冬季に撮影された航空写真を見るとよく整った円形をしている。この群はA地区群より全体的に大きめと言う。
民家庭先で大きな築山のように見えてます
真野古墳群B地区19号墳(南相馬市鹿島区小池)。分布図では「復元古墳」とされている。これと20号墳が道路に面していて最も見やすい。群内をざっと見た範囲では地表に土器片埴輪片等は見当たらなかった。
高さがないのであまりそれらしくありません
真野古墳群A地区27号墳(南相馬市鹿島区寺内)。中央の草の茂みがそれ。説明板分布図では「一部復元」とされる。また、同説明板によると向こう側に「真野土城跡」なるものがあることになっている。
A地区の古墳は接近はできるのに標柱が見当たらなかったり…
真野古墳群A地区11号墳(南相馬市鹿島区寺内)。県道南側の町営住宅地の脇に列を成すうちの一つ。いずれも標柱があるのだが腐食風化や草木に隠されたりで番号の判別が困難。
県道沿い。形はかなりくずれてます
真野古墳群A地区20号墳(南相馬市鹿島区寺内)。北東から。後円部が大きく道路で削られている。29mの前方後円墳。ここにA地区説明板がある(分布図)。藤ノ木古墳と同様の金銅製魚符が出土し、国史跡指定の根拠となった。
どこがくびれ部やら判然としませんが…
真野古墳群A地区20号墳(南相馬市鹿島区寺内)。左写真の対角方向から。左側が前方部になる。くびれ部に礫槨状の横穴石室を持つ変則的前方後円墳とのこと。A地区24号墳も前方後円墳だったらしいが現存しない模様。
削れてしまってあまり丸い形にみえません
真野古墳群A地区7号墳(南相馬市鹿島区寺内)。20号墳と同じ道路に面している。この群の円墳は変形の程度で様々に見えるがいずれも同程度の規模のようである。この右方向に8、9、11、106、12、15墳が南北に連なっている。
民家の裏手に2つ並んでます。ここからは眺めもまずまず
真野古墳群A地区59号墳57号墳(南相馬市鹿島区寺内)。A地区の北西端近く。段丘の端でもあり、この先は急に土地が低くなっている。ここから西に1kmほど隔ててB地区がある。
なにやら四角くなってしまっている古墳。でも国の史跡ですし
真野古墳群A地区74号墳(南相馬市鹿島区寺内)。A地区最西端。分布図によると「復元古墳」となっている。群のはずれで人通りも少ない道なのになぜかこの向かい側に何とものどかな古墳群の看板がある。
甲冑を着けてやる気じゅうぶんの馬です!なんか違うような気もしますが可愛い
真野古墳群A地区内で見かけた交通安全の幟。有名な国の重要無形文化財の相馬野馬追をイメージしたキャラクター。野馬追はここから南に8kmの原町区の祭場などで7月23日から3日がかりで行われる。
ものすごく立派な神社古墳が蝉時雨に包まれておりました
横手古墳群B地区1号墳(南相馬市鹿島区横手)。初発神社を載せる径40mの円墳。真野古墳群と合わせた中でも最大である。今もはっきり目に見える周溝が残り、円筒埴輪が出土。周囲に3基の円墳が残っている。
神社とは小径をはさんだ東側。案内板は「鼻取地蔵」の堂脇にあります
横手古墳群B地区2号墳(南相馬市鹿島区横手)。1号墳の東に隣接。形状はやや崩れているようである。この群は各古墳に標柱も何も無く、AB地区まとめた説明板(分布図無し)が神社から離れた県道脇にあるのみ。
田んぼの中に島状にあるもののうちのひとつ。この形はかなりカッコいい
横手古墳群A地区10号墳(南相馬市鹿島区横手)。水田の真ん中で良く目立つ。常緑樹が生えていて冬季もあまり見え方が変わらないようである。近くの7号墳には石室材らしきものが露出している。
左側の立札は水準点の表示。「大切にしましょう」と書いてあります
横手古墳群A地区13号墳(南相馬市鹿島区横手)。ほとんど方墳に見える。たまたま道端にあるせいか、ここにのみ標柱がある。背後に7、10、11号墳が隠れている。右後方に見えているのは5号墳。さらに右には6、9号墳がある。
古墳公園内の駐車場側から近づくとまずこれに出会います
桜井古墳群2号墳(南相馬市 原町区上渋佐)。桜井古墳の前方部の西にある径20mの円墳。墳頂に割竹形木棺と推定される痕跡があった。推定5世紀台。南側には江戸時代の牧の境界である野馬土手跡もある。
右にちょっと見えてるのは案内標識。凝ってます
桜井古墳群1号土壙墓(南相馬市 原町区上渋佐)。2号墳の北東すぐ近くにある。4mの墓壙に割竹形木棺らしき痕跡検出。墳丘を持たず、年代も6世紀台に下がるが木棺という点で桜井古墳・2号墳・7号墳などとの共通性がある。
子供のおすべり用スロープかと思ったら、違うのね
桜井古墳(南相馬市 原町区上渋佐)。後方部から。全長約75mの前方後方墳。近年大規模な復元整備を受けた。左のスロープは棺を上げた時の道(墓道)の跡を示したもの。主体部は木棺腐朽陥没痕を2個検出したのみで未調査。
猛暑でクラクラしつつこの景色を眺めていたわけなのですが…
桜井古墳(南相馬市 原町区上渋佐)。前方部南西端から。見慣れた前方後円墳とは異質のパース感がある。同じ大型の前方後方墳である栃木県上・下侍塚古墳ともプロポーションが異なり、この道のマニアにも一見の価値あり。
周堀の範囲も地面に示されてましたが、これは少々維持上の無理があるような
桜井古墳群上渋佐7号墳(南相馬市 原町区上渋佐)。南西から。桜井古墳の東方にある辺長約28mの方墳。推定4世紀台。東北地方の方墳では最大クラスではないかと思われる。桜井古墳と同時に復元整備された。
周囲は意外にも住宅街なんですね
桜井古墳群上渋佐7号墳(南相馬市 原町区上渋佐)。北から。主体部は大きな組合せ式木棺で両端に白粘土の塊があった。鏡が布に包まれたまま発見されている。桜井古墳の主体部の様子を示唆するのではないかと言われる。
洒落た概観のまだ新しい博物館です
南相馬市博物館(南相馬市 原町区牛来)。東ケ丘公園内にある。旧「野馬追の里原町市立博物館」が合併により改称。野馬追祭場にも近い。野馬追を中心に旧原町市周辺の歴史・民俗・自然について展示している。
うおおカッコいい〜。他には駐車場の一隅にC50蒸気機関車を展示してます
原町無線塔頭部(南相馬市 原町区牛来)。博物館敷地内に設置。関東大震災をアメリカに伝えた巨大傘型長波アンテナ中央部の200mのコンクリート製タワーの頂部。ここから54本のワイヤーを放射状に張った。1981年解体。
標柱のある某施設の門には「立入禁止」と書いてあるので…
堂ノ森古墳(浪江町北幾世橋)。本屋敷古墳群から約2km東にある。保存良好な前期の50mの前方後円墳とされる。この標柱の奥の丘陵頂部にあるらしいが道がわからず未確認。さらに東の安養院古墳群と狐塚古墳も同様で未確認。
またも「どこだかわからなかった写真」です。すみません
本屋敷古墳群(浪江町藤橋)。浪江駅の約北東1.5km請戸川北岸にある。1981年からの調査により検出された前方後方墳1、方墳2、円墳1、竪穴住居跡3から成る古墳群。奥の林中にあるらしいが道が無く接近不能。
小高い独立丘の上にある古墳。ちょうどお盆で墓地にも人影が
藤橋古墳(浪江町藤橋)。本屋敷古墳群の北北東およそ600mにある。中世当地を支配した標葉氏の守り本尊と伝えられる藤橋不動尊本堂の土台になっている。前方後円墳または前方後方墳とされるが現状は円墳に見える。
なんだか未来派的な絵柄…! 遠目に見る限りは素敵です
マリンパークなみえ(浪江町)。請戸港近く、高瀬川と請戸川が合流して河口となる所にある。プラネタリウム、研修室、宿泊施設、野外活動施設、レストランなどを備えた巨大豪華海の家。物産品土産品を売ってないのが残念。
誰もいない炎天下の公園。樹木は伐ったばかりのようでした
丈六古墳群(浪江町高瀬)。浪江駅の南約1.5km、桜とつつじの名所の丈六公園のある山が古墳群とされるが詳細は不明。現地は何らかの調査の為かちょうど尾根の樹木が伐採されて古墳らしき高まりが見える状態になっていた。
裸になった尾根の上にぽこぽこと塚が並びます
丈六古墳群(浪江町高瀬)。尾根先端付近。このようなこぶ状のものが数か所見られた。標高は最高地点で50mほど。現地は北側直下に高瀬川が流れ、群集墳の立地としては典型的な地勢である。南側の崖には横穴墓群もある。
左手の小径から尾根を下ってきました
丈六古墳群(浪江町高瀬)。最高地点から少し下った所。これはもう古墳としか考えられない整った形をしている。公園の頂上付近には展望台や小堂・石碑などがあり、その付近にもいくつかやや不整形な塚状のものがあった。
いい感じの円墳。どの塚も接近できますし登れます
丈六古墳群(浪江町高瀬)。さらに少し下って公園入り口に近い地点。ざっと見て歩いただけでも20基ほどはあったと思われる。土器片らしきものの散布はわずかに見られたが石材の露出や散乱は無かった。
幼稚園の遠足によさそうな公園かも。ぽこぽこしてて楽しいぞ
丈六古墳群(浪江町高瀬)。同じく入り口近く。我々の知る限り福島県でこれほどの見易い丘陵上の群集墳は無い。すでに公園化されていることでもあり、末永く保存されることを期待したい。
この下の方にも塞がれた横穴らしきものが見えてました
丈六横穴墓群(浪江町高瀬)。閉鎖されていて確認できない。この群に限らず浜通り地方には横穴が非常に多く清戸迫横穴や羽山横穴など有名な装飾横穴墓も多いが通常は閉鎖されていて訪問しても見学できない場合が多い。
折りしも夏祭りの準備真っ最中でした
宮林古墳(浪江町谷津田)。南西から。丈六古墳群の西約2kmの白旗神社にある詳細不明の古墳。東北は社叢も屋敷森も針葉樹が多い。平地ではあるが北側に高瀬川を見おろす段丘上である。
削れてなければかなりの大きさです。社殿前には櫓を組み立て中
宮林古墳(浪江町谷津田)。北西から。社殿裏に不完全ながら墳丘が残る。周溝も視認できる状態である。主体部は社殿が食い込んでいることにより破壊されている可能性がある。
景色はいいんですが、我々は陽に炙られてへとへとです…
下原古墳群(浪江町小野田)。南東から。中央が該当地点。神社脇の道から丘に入れる。宮林古墳のある白旗神社から北西に1.2km、高瀬川を挟んで反対側の標高50m弱の段丘上。立地条件は良いが全く詳細は不明。
なにか怪しい気のする礫群。ちょうど谷が入り込んで抉れてきている地点なんです
下原古墳群(浪江町小野田)。該当地点付近は藪が深く墳丘は確認できなかった。しかし道の脇に円礫が不自然に混じる露頭が見られた。ちょうど埼玉県川本町の鹿島古墳群が荒川のきわで崩れた所と良く似た印象であった。

 
2007年8月取材
 恒例の東北探索行・福島編もこれで5回目。未踏の地だった浜通りへようやく行くことができた。今回は北部、相馬市・南相馬市・浪江町を探索。
 好天はありがたかったがなにしろ今夏は猛暑。炎天下でくらくらしつつ最初に向かった丸塚古墳が痕跡すら見られず落胆させられたものの、真野・横手の両古墳群の素朴な佇まいや、桜井古墳の堂々たる姿など、有名どころの底力に感服。
 ひと気のない丘の公園で出会った丈六古墳群の思いがけぬ充実ぶりも嬉しく、滝の汗を流した甲斐のある探索行であった。
 次回は浜通り南部か、中通りの取りこぼしを巡ってみようか。期待に胸膨らませつつ来夏を期する古墳軍なのである。


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