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〜古墳軍ニュース〜【2005/03/11】
取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。
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ナンバー


◆ 群馬県群馬郡群馬町井出二子山古墳現地説明会 ◆
トレンチの中に見える石の列が島の裾部分の葺石。拳より大きな丸い石です
北東中島。削平されて現状高は1mほど。八幡塚のものは二段築成で円筒埴輪列を持つが、これには見あたらない。
奥に見える白いプレハブには出土品が展示されてます
後円部上からの北東中島。径は18mと、向こうに見える八幡塚の中島が径12m程度なのに比べてはるかに巨大。
立派な大きさです。これより小さい円墳なんていくらでもあります
北中島。向こう側は前方部。ここだけ完掘。家形埴輪や須恵器が出た。葺石は古墳本体のものよりかなり小ぶりだ。
向こうのトレンチは外堀。その向こうに外堤もあったわけで、…広いです
後円部上から見た北中島。まるで独立した円墳のように見える。八幡塚の中島に比べて葺石が密な感じ。
南中島はまだ手つかず。来年度以降が楽しみです
後円部上から見た南東中島。平面図を見ると北東中島と対称位置に無い。八幡塚も全く同様なのが不思議。
トレンチの断面に須恵器が。南東中島の葺石は他に比べてやや大きいような印象
南東中島。須恵器や土師器が出た。須恵器は歪んでいたりするので地元製の疑いがあるとのこと。
よくわかりませんが礫槨は二重にめぐっているようにも見えます
後円部頂主体部。前回説明会時よりさらに掘り進められて礫槨が大きく露出していた。
囲い越しに東側から覗いてみたところ。それにしても大量の石ですな…
舟形石棺縄掛突起。これで現在保渡田の三大前方後円墳はすべて舟形石棺が見えていることになる。
外堤がどこまで続くのかはわからないとのこと
No.26トレンチ外堀部分。群馬名物FA層などが見える。今次調査では各トレンチで外掘の外に堤があるのを確認。
これは盾形の堀の「左下」の角ですね
No.39トレンチ。内堀の西端の角がはっきりと確認できた。残念ながら八幡塚のような堤上の埴輪区画などは未発見。
現場にはまだ上げていない遺物もたくさん見られました
北中島出土須恵器大甕片。古墳にかぎらず大甕は祭祀の場につきものだったようだ。
置かれたものは島ごとに違っていたようですね。用途の違いなのか?
南東中島出土家形埴輪片。八幡塚東中島でも家形が出ている。
衣服の表現なのか器物なのか、素人目にはわかるわけもなし…
各部出土形象埴輪片。人物の腕のようなものなどがあるが他はかなり難解。
左下の大きなカケラは靫?盾?
No.30トレンチ出土形象埴輪片。文様があるのは盾持人あるいは甲冑だろうか。
左上からはそう、長頸壺、高坏、土師器は直口壺
南東中島出土土師器・須恵器。はそうは確かに歪んでいるようだった。
復元できそうもない感じの雑多な破片でしたが、落ちてると気になるもので…
北中島付近にあった土器あるいは埴輪片。須恵器片も混じっている。

 
2005年3月6日取材
 今年度の井出二子山古墳現地説明会。実は先月かみつけの里を訪れた際に、二子山北側が広範囲にシートで被われているのを眺め、おお、これは堀の中島を掘ってるんだ!と大いに期待していたのであった。
 昨年の現説も参加者の平均年齢の高さに驚いたが、今年はさらに若者人口?が少なかったようにも見えた。開催告知は町のHPや地方紙などに限られていたようなので、そのせいかも知れない。とはいえ会場は盛況で、あとからあとから人がやってくるのがすごい。
 目玉はやはり中島で、4つあるうち南側のもの以外の3つを調査したという。東側2つは十字トレンチだが北中島は全形を見ることができた。3つとも18m大の規模で葺石を施したものであったようだ。人物・家形埴輪片、地元産の可能性がある須恵器片などの出土品も展示されていた。
 北〜西側にも大きく幾つものトレンチを設けており、二重堀を巡らせた構造とその規模が明らかになった。外堀から外堀まで長さは215m、幅175mというこの大きさを墳丘の上から見下ろし、遠く榛名や浅間を眺めてひとしきり唸った古墳軍であった。
 来年度は南側の調査であろうか。かなり気が早いが、楽しみである。
特別付録:北中島巨大パノラマ写真はこちら


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