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〜古墳軍ニュース〜【2005/01/29】
取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。
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ナンバー


◆ 山梨県東八代郡中道町甲斐銚子塚古墳現地見学会 ◆
西側には民家が近接してます。斜面の雪にはお滑り遊びの跡がたくさん…
現説前に軽く付近の古墳見学。笛吹市(旧八代町)のふるさと公園内に保存された前方後円墳の岡銚子塚古墳。
後円部墳頂には主体部の位置を示してあります
全長は92m。葺石と埴輪と鍵穴形の周堀を持ち主体部は粘土槨に割竹形木棺。主体部は主軸線にほぼ直交。
かなり形が崩れていたものをきれいに復元したようです
銚子塚の北東50mにある径23mの円墳盃塚古墳。周堀を持ち、主体部は石積の竪穴式石室と推測される。
時間があればなぁ…
公園の北西の竜塚古墳。52mと大型の方墳で、しかも主体部は竪穴系という珍種で現在調査中。接近できず。
2002年撮影の、きれいなみどり色の墳丘。芝生の管理もたいへんであろうと思われます
前回訪問時の甲斐銚子塚古墳。墳丘表面は芝で完全整備され、埼玉群馬茨城などの古墳とはまた別の景色。
こちら側は今回は掘ってません
今回の銚子塚南側。雪がもっと残っている北側で主に調査が進んでいる。
なにしろ眺望が素晴らしすぎるのでした
現地の北北西方向、甲府盆地のかなたの八ヶ岳。北東には秩父山地の甲武信岳も見える。
なぜか丸山塚の墳丘には雪が見えません
銚子塚に隣接する丸山塚古墳。径67mで山梨県最大の円墳。銚子塚に似た竪穴式石室がある。
上部には臍らしきものが刻まれているようです
これが問題のNo.10トレンチで発見された直立する木杭。手斧でおよそ12面に整形されているとのこと。
円盤は3つ、棒状のものは5本以上が見えてます。よく残ってたなぁ
木杭の発見によりトレンチを拡張した結果発見された木製埴輪と目されるもの。円盤状のものなど保存状態が良い。
夜なべ仕事の成果だそうで。配布資料なども細やかに作られていて頭が下がります…
調査員氏お手製の木製埴輪復元模型。これに軸と飾りを付けると…。
能弁でアツい解説ぶりに、見学者もひたと聞き入ります
こんな感じ。後ろで解説しているのが大塚初重先生推薦・「燃える考古魂」こと埋文センターの調査担当М氏。
区画手前は住宅、奥の方は畑であったよし
後円部北側の調査区。以前あった住宅の移転により今回の主要な調査対象になった。
墳端の状況を眺める人達。上から落ちてきた埴輪や葺石が被さってます
No.5トレンチ。墳丘端、テラス状部、周溝の始まりが確認された。周溝からは笠形木製品も出た。
埴輪の土質も全てが同じではないように見受けられます
No.5トレンチ内、葺石に混じる埴輪片。結構肉薄なものもあり、どこでどう焼かれたのか興味深い。
周溝端がはっきりわかるトレンチ。うまいこと掘りましたよねぇ
No.5-2トレンチ。周溝の端を確認するために掘られた。周溝外は明瞭に土の色がちがうことがわかる。
地山を掘り残し葺石を置いて仕上げられているもの
No.6トレンチ。後代の古墳の造出に似た台形状の「突出部」が検出された。
堀を過って突出部へ渡るための堤と考える見方もあるようです
No.7トレンチ。「突出部」端から周溝を横切る「周溝区画堤」が検出された。水位調節用施設ではないかとのこと。
形状は四角あるいは半月形と見ているようです
今回の主な調査部分の図。ちょうど主体部の頭側に「突出部」がある感じ。
破片と復元物とをつき合わせて見せる展示はわかりやすい!
出土した円筒、壷形、朝顔形などの埴輪片。4世紀の古墳であるので形象埴輪は無い。
復元途上のものを見せているのは珍しい。子供が面白がって見てました
銚子塚出土のS字状口縁台付甕。S字甕と言えば東海地方系として有名。年代の絞込みに役立ちそうだ。
右上に見えるのは口縁のS字形についての図解
参考出品の旧御坂町(現笛吹市)姥塚古墳出土のS字甕。この形の土器は埼玉群馬など関東でも多数出ている。
こういうものもちゃんと残ってるんですね
周溝底から発見された火鑽板(ひきりいた)。例のぐるぐる回る棒を押付けて火を起こす道具の一部だ。
遺物の状態はいいけれど、取り上げるのは大変ですよね。こんな真冬に戸外で水仕事なんて…
周溝から出た笠形木製品。古墳背後の丘陵から地下水が供給されるのか木製品の残りが良いようだ。
発掘している側は午後には日が当たらなくなるようです。寒そう…
説明会が終わってやっと人影まばらになった銚子塚。埼玉にもこんな登り放題の大型前方後円墳が欲しい。
左端の山中の大丸山古墳、今回も見ることはかないませんでした
曽根丘陵公園内の古墳の配置図。古墳も考古博物館も周溝墓群も見られて非常にお得。
岩は石室の一部が見えているのか、かつて開いていた石室を塞いだものなのか、…どっちだ?
現説後も古墳探訪。三珠町の伊勢塚古墳。径36m高8mの円墳。階段右に巨石露出。なぜか百葉箱も載っている。
これは墳頂に登れませんでしたが、三角点の標識が立ってるのは見えました
同じく三珠町の大塚古墳。変形著しい全長70mの前方後円墳。前方部と後円部の両方に主体を持つ変り種。

 
2005年1月22日取材
 甲斐銚子塚古墳は2002年以来の再訪になる。中道町は近々甲府市となるとのこと、隣には「笛吹市」ができていたりもして驚かされたが、はるかに望む山々の美しさやのどかな風景に特段の変化はなさそうでひと安心である。
 笛吹市八代町岡の銚子塚を訪ねた後、甲斐風土記の丘へ。公園側の駐車場から根雪で足もと危険なルートをたどって会場に到着すると、すでにたくさんの人が受付を済ませて開始を待つようすにまたびっくり。前方部の上で埋文センター長のご挨拶を伺う頃には軽く100人を超えていたようで、大盛況の見学会であった。
 今回の発掘は西側と北側の後円部から周溝のトレンチで、目玉は3つ。北側墳端から出た木製埴輪(樹物)と手斧仕上げの木杭、北側で検出された突出部、そして周溝を区画する堤である。北側周溝からは木製笠形製品の一部も出ており、西側の木製埴輪類とともに保存状態はかなり良いようである。調査員氏のウィットに富む熱い解説に大見学者団はすっかり魅了され、現場を興味深く覗き込みつつ聞き入る。寒さもドロドロの靴も途中から意識の外へ…。
 4世紀築造とされる東日本の古墳では、こうした樹物が遺物として出ている例は決して多くないし、突出部や区画堤についても例は無いようで、貴重な成果の得られた発掘調査だったようだ。朝4時起きで車を飛ばした甲斐ありと歩兵達の喜びも一入である。午後の発掘体験セミナーは時間の関係で遠慮した。三珠町の丘の上の2古墳を訪ね、素晴らしい眺望を堪能してから埼玉へゆるゆると帰還。山梨はさすがに遠く、頻繁に訪れるわけにはいかないが、大物小物をピンポイントで狙っての再訪を誓う古墳軍であった。


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