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〜古墳軍ニュース〜【2004/09/03】
取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく設置したコーナーです。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。
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ナンバー


◆ 群馬県太田市成塚向山古墳群最終現地説明会 ◆
出土遺物展示室内の展示です
1号墳出土鉄剣のひとつ。かなり小ぶりなもの。武器類としては他に銅鏃が出土。
直径6.3cmのかわいらしいもの
1号墳追葬墓壙出土の重圏文鏡の表面。包んでいた布片が残っている。
手焙りは室内照明かと思ってましたが、違ったらしい…
1号墳墓壙周囲の堤状部東側から出た手焙形土器の破片。祭祀用か。わが埼玉でも蓮田市で多数出土。
展示室内に掲示されていたパネル類のうちのひとつ。写真などもありました
1号墳葬送儀礼想像図。北側の堤の切れ目からの割竹形木棺搬入を想定。右上は手焙形土器復元図。
轡?鐙?辛うじてわかる程度の欠片です
2号墳の馬形埴輪片。主体部入口近くの墳裾には3体分の脚部が残っている。
これだけは足元のハコの中。扱いの違いは何故?
同じく2号墳の家形埴輪片。他に形象埴輪は巫女らしきものも出土している。
雲が低くて鉄塔もかすんでます。しっとりと雨に濡れた発掘現場
東からの1号墳。辺長およそ20mの方墳。葺石周堀ともに無し。堤で墓壙を作る珍しい「構築墓壙」型式。
棺床を抉る大きな溝は、試掘のトレンチで削ってしまったものだとか
南から見た1号墳墓壙。割竹形木棺の跡が明瞭に残る。棺の北端に置かれた石と木棺の搬入口が見えている。
古墳の右に見えるのは説明板。要所に立派な説明板があるすごい現場です
東から見た2号墳。周囲に非常に余裕があってもなぜか山寄せ式。葺石無しだが周堀ともとれる浅い窪みあり。
奥壁上側まで通路を設けてあり、参加者は順番に並んで石室を覗きます
北から見た2号墳石室。ほんの少し胴張りがある。手前奥壁の左上方に盗掘痕。
埴輪は全て上部が欠け落ちた状態で、周囲の土石の間に砕片が
2号墳主体部南側墳裾付近。馬形埴輪などの脚部が残る。円筒埴輪は脚部の細い後期型。
南から。大きな割石を積んだ石室です
2号墳主体部。むしろ1号墳より古墳らしく見えたのが仇で盗掘を招いたか。
図は説明板に添えられていたもの。かなりの急斜面です
謎の住居群分布図。このあたりはただでさえ夏は雷、冬は空っ風にさらされるのになぜか北西側に集中。
吹きっさらしの斜面でキャンプはしないよなぁ、とは思うのですが…
住居群中から南西方向。いずれも柱穴がない、床が斜面のまま、火災の痕跡があるものも多い、と謎だらけ。
1号墳の下からも同時期の土器が出ているとか
炉跡とされるもの。住居であったとする根拠の一つ。他に土器・紡錘車など生活用具も出土。
左端に見える看板には「最終現地説明会」とありました
遺跡全体を見上げる。見えているのは2号墳。この景色も間も無くパーキングエリアとなって消滅。

 
2004年8月29日取材
 行きそびれていた成塚向山古墳群の説明会は今回が最後。北関東自動車道のPA建設のため消滅する予定の古墳である。「最終」の文字に背中を押され、群馬県太田市を目指した。
 現地に近づくにつれ雲の濃くなる空に不安が募ったが、着いてみれば既に駐車場は埋まり始めていて、我々の受付も30番台。やむようすもない雨の中を次々にやってくる車と人には心底驚いた。おかげで説明会は早めの開始となり、濡れてツルツルする斜面を上って現場を見学。40分ほどかけて現場を一巡する間にも雨はどんどん本降りになってきて、ご高齢の見学者の足元などちょっと心配でハラハラさせられた。
 ここは前期古墳の1号墳と後期古墳の2号墳の2基+住居址という珍しい形態の遺跡。現場の説明板やパンフも手間のかかったものだったし、資料の他に発掘風景のナマ写真までいただけてしまうわ、NHKは取材に来ているわでなかなか豪勢な説明会ではあった。これを口実(?)にささっと削られて消滅してしまうのはあまりに惜しい。


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