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〜古墳軍ニュース〜
取材は進めどなかなか追い付かないデータ整理と更新。放置して鮮度が落ちては惜しい情報を何とか救済すべく新設しました。古墳をめぐる最近の動向などを随時掲載・更新しますのでお見逃しのないように。
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ナンバー


◆ 南大塚古墳群現地説明会(川越市) ◆
 
7号墳の石室。左端に8号墳も見える。説明してくださるのは発掘にあたられた平野さん
7号墳の石室。左端に8号墳も見える。説明してくださるのは発掘にあたられた平野さん
遺物の展示も。右奥の円筒埴輪は二つ合わさった状態で出土
遺物の展示も。右奥の円筒埴輪は二つ合わさった状態で出土

 
2003年5月10日取材
 南大塚古墳群は川越市西部、関越自動車道川越インター近くにあるもの。現地説明会があるというので行ってきた。
 現存する古墳は10基だがもともとは40基以上の古墳があったのではないかといわれている。今回は第2次発掘調査で、16年前に4号墳ほかの発掘が行われたそうである。現在4号墳のあったところにはマンションが建っており、現地はそのすぐ隣。我々も山王塚古墳などを訪ねた際にここに踏み込み、畑の脇の藪状のかたまりを見ている。どうやらそれが5号墳の名残であったようだ。
 調査されているのはその5号墳と、マンションの東側にある7号墳・8号墳の計3基。宅地造成に伴う調査ということだ。3基はすべて円墳だが、築成時期はそれぞれ異なる。
 5号墳は馬蹄形の周堀をもち、わずかに残っていた墳頂部の粘土郭状の主体部付近から鉄刀と埴輪片が出ている。興味深いのが周堀北側外周の土坑から見つかった埴輪棺とおもわれるものだ。古墳じたいは盗掘に遭っているがこれはほぼ完形で出土している。右の写真の右側に見える2つの円筒埴輪がそれで、同様のものが4号墳からも出ているという。6世紀後半頃の築成と推定される。
 7号墳にも周堀が認められるが、古墳そのものは土取りなどで原形を失っていたようだ。中世に盛り土をされて現状の塚となっていたもので、その下から石室のような掘り込みとわずかな数の石材が発見されている。6世紀半ば頃のものと推定されるという。
 8号墳は調査途上のようだった。石室とおぼしき土坑が見られるものの石材の類はほとんど見あたらず、盗掘の際などに抜き取られた可能性を指摘されていた。周堀は南側で7号墳の堀を避けるかたちになっており、築成時に7号墳も古墳として認識されていたことをうかがわせる。土師器坏・須恵器甕などの遺物から、7世紀後半の古墳と推定されるという。
 実は現地説明会にはこれが初参加の古墳軍、緊張と興奮の取材なのであった。好天にも恵まれ、なかなかの探索日和。インター西側の古墳をいくつかと、例の休止線などを再訪した後、帰途についた。


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