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ふくろう通信VI

by 墓場のふくろう

107[2000/02/15]technopolis3
108[2000/03/03]ふくろう2
109[2000/03/05]水路づけの理論
110[2000/03/11]身辺整理
111[2000/03/15]水を引く
112[2000/03/20]おかえりなさい
113[2000/03/23]モニターの中の現実
114[2000/03/25]四月になれば
115[2000/04/03]りんごの箱に関する考察
116[2000/04/04]空間を移動する主体について
117[2000/04/14]上を向いて歩こう
118[2000/04/22]上を向いて歩こう2
119[2000/04/22]残された遺産について
120[2000/04/29]ゴールデンウィーク2000
121[2000/04/30]ゴールデンウィーク2000その2
122[2000/05/03]ゴールデンウィーク2000その3
123[2000/05/03]ゴールデンウィーク2000その4
124[2000/05/06]我老ゆ。ゆえに
125[2000/05/11]Webの効用
126[2000/05/18]Я ТВОЙ СЛУГА Я ТВОЙ РАЪОТНИК
127[2000/05/27]蘇る記憶について
128[2000/05/28]憂しと見し世ぞ
129[2000/05/31]pandaが街にやってくる
130[2000/06/08]出張という名の電車
131[2000/06/10]経路制御について
132[2000/06/22]眠らせること


本文

107 [2000/02/15 23:35]technopolis3

 Chiba Cityの駅前にふくろう型の交番を見つけた。光採りの窓になった青い目の輝きがいかにもふくろうらしいところが気に入ったが、この建物のお世話になることは望むところではない。
 ふくろうがいくら不吉な鳥だとはいえ、罰したり、強制したりするイメージからは遠いところに位置しており、それらが相応しいのは、鳶や鷹の類であると思われる。交番がこの建物をふくろうのイメージで構築したのは、罪を犯す行為をただただ深く走査し、分類し、登録し、認識し、それをもって管理するためであったのだろうか、と無責任なことを考える。
 Chiba Cityの空は少し雲がかかり始めたようだ。明朝の空はまさに、空電を映すビデオモニターのような灰色かもしれない。

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108 [2000/03/03 22:25]ふくろう2

 ものごとの始まりというものは、主体の構造は曖昧ながらも、その方向性と力動性においては、可能性をはらんだ未来というものに開かれて、なにごとにつけ並々ならぬ存在感を感じさせるものである。人の誕生から組織や制度に至るまで、おそらく、それは該当するものであろう。
 それゆえ、例えば「発達」を語るとき、人が人たる諸属性が「いかにして生まれるに至るのか」という視座からの問いが、当然のものとされていることに気付くことになる。
 しかし、思うに、「発達」が「いかに終わるか」、あるいは、「発達」をいかに「終えるか」という視座から語ることに、意味はないだろうか。
 私は、文化や歴史という枠組みの中で生活する人間のいとなみをつかもうとする際に、その視座はよりいっそう該当するものであるように思う。独りの人間の死が、他の人間の生を裏付けている、この人間の生活を、その総体(ネットワーク)において捉えるのである。
 そういえば、私がこれまで出合った様々な主体の「転機」といえる場面は、その多くにおいて、物事の生まれくる瞬間よりも、そのまさに終わらんとする現場への立ち会いが、たいがいであったように思う。人間しかり、組織しかり。
 そのような棺桶の閉じられる現場に立ち会っていると、最後の瞬間に、そのひとつの主体の歴史の中で、最も充実した、すなわちその方向性と力動性をよりあざやかに感じ得た瞬間を経験する事例にも出合うものである。
 今日、一つの組織がその役目を終了する決定が下される現場に立ち会った機会に、ふと数年前に、元気な表情を残して「エピローグからプロローグにむかって」消えていったある青年を思い起こしながら考えたこと。「またとあらず」

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109 [2000/03/05 15:35]水路づけの理論

 大阪の実家に帰って、久しぶりに居間で寝転がっていると、二階テラスの水道の蛇口から水が漏れているということを告げられたので、パッキングを交換しようと、蛇口を分解した。勢いよく噴き出す水と格闘しながら、速やかにそれを制圧し、みごと交換に成功するにいたった。
 しばらくして、一階トイレにてシャワー式洗浄機のスイッチを入れて使用していたら、停止ボタンが操作に応じなくなった。必然的に水は噴出したまま停止しなくなり、懸命の制動操作の甲斐もなく、水量衰えぬばかりか、水温まで低下し始めた。幸運にもスイッチの機能が偶然回復し、座って待つしか成すすべ(自律性)のなかった私は九死に一生を得た。しかしこれは私が解決したと幻想しているにすぎず、予断を許すものではない。
 生前、植木好きであった父が、二階にまで散水用の蛇口を設けたがゆえに、一時はテラスに数十鉢のさつきの鉢が並んだ時期もあった。歩行が不自由になって後は、その蛇口が使用されることはなくなり、庭の鉢の数も次第に縮小された。代って、利用の便に供するため、トイレに改造が施されたのであった。そらからもう、10年以上も経つことになる。
 これら一連の過去の出来事を思い起こすならば、今回、時をほぼ同じくして生起したこの出来事は、一方を原因、他方を結果とみなすに十分な心理学的根拠を有するが、物理学的、化学的ないし電子工学的な根拠は一切ないとみなさざるを得ない。
 科学性および世代性という点において、あまりにもフロイト理論的な体験であった。

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110 [2000/03/11 22:29]身辺整理

 昨日、たまたま神戸の仕事部屋で、書類やがらくたで足の踏み場もなくなった部屋を片付けている合間に、自分のhome pageを開いたら、1996年の1月以来、アクセス頻度を計測しつづけてきたdigits.comのカウンター表示と、1997年以来、asahi-net.or.jpで使用可能になったもう一つのカウンター表示が、各々同一の数字を示しているのに気付いた。
 おそらく前者のカウンターが、asahi-netのカウンターサービスがない時期(であったと記憶する)に、たまたま見つけた海外のサーバーによって供給されているが故に、キャッシュサーバなどが機能することで、正確なアクセスの計測にならなかったことによるものと考えられる。それでも、開設当初の1年という時間が消されてしまうような錯覚に陥ってしまった。
 地震のおかげで、プロバイダとの契約が1年近く遅れ、やっと開設にこぎつけたページの最初に書きこまれたメッセージは、「神戸へのご支援ありがとう」であったが、当初は、居住地近辺の写真や絵本の書評なども入れたりして、今よりも多彩であったように記憶する。さきほどサーバに残されたままになっているファイルを確認したら、かなりの量に上ることがわかった。Link pageなど、何人かの知人から開設の連絡をいただいたのに、1年近く更新していない。仕事場でも「公式」ページを開設し始めたが、こちらの「非公式」ページの位置付けを再考する機会が必要かとも思う。
 もちろん、これは単なる思いつきで、実現はいつになることやら、分かったものではないのだが。

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111 [2000/03/15 15:00]水を引く

 中部地方のある山村で、面接調査のために夕食後の老夫婦宅を訪れた。調査が終わって、「ちょっと一杯」ということになったその席で、ご主人は数十年前に村に水道がなかった頃、他の地域から自前で配管を行って水を引くに至った経過を、静かに語られた。
 最後に「若い世代の人達は、地球規模で物事を考えねばならぬ」と結んだその老人の話しを聞きながら、ひたすらつながることを求めて、線を伸ばしていた人が、この山奥にもいたのだという、ある種の感動を味わうことになった。

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112 [2000/03/20 21:53]おかえりなさい

 遅くに起き出して、数週間ぶりに布団を日光に当て、昼過ぎに多量の洗濯物を抱えて神戸の仕事部屋から出た。もともと出張の予定があったところを、調査が早く片付いたので、予定外の休日ができたことになる。
 駅前のCOOPに洗濯物を託し、岡本から510円の切符を持って電車に乗りこみ、午後2時過ぎに京都に入った。
 河原町から木屋町を歩いて三条に抜け、そこからバスに乗車し、大徳寺に向かった。地下鉄の利用できる現在では遠回りのコースであるが、街の風景を楽しみながらのささやかな贅沢である。10年以上立ち寄ったことがなかったように思う寺の境内を抜けて、北西方向に緩やかな坂を登り、本阿弥光悦が鷹峰の麓に作り上げた「芸術村」を訪ねた。
 訪れる人の少ない、光悦寺の境内では、いつもながらの竹林を通りすぎる強い春風の音を聴き、また、庵からは遠方の京都市街を眺め見ることができた。肌寒いながらも、心清められる気持ちで得心し、来た路を下った。
 学生時代はよく、毎年春になると、比叡山に登り、様々な思索にふけったものであったが、最近は六甲山にさえ登らなくなってしまった。思索の貧困さはそれ以上であるなあ、とも思う。
 帰宅後、「500円分の切符」を思い出し、友部正人の「乾杯」を聴く。

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113 [2000/03/23 00:26]モニターの中の現実

 ラジオで、最近起こった殺人事件の「ある程度の動機はつかめたが、対象選択の原因がつかめない」という旨の報道がなされていた。なぜ「その学校の、その子に対して行われたのか」ということであるらしい。本人にとって、殺人が自己の存在、人生の行路に対して、眼前に立ちふさがった敵対者に対して行われたものであれば、そのような問題設定も意味あることかもしれない。しかし、おそらく、彼は、テレビの画面を通して、学校一般が話題にされているのと同じ視角で、学校一般に対処したといえるのではなかろうか。もちろん、そこに映っている主人公は自分である。
 学校という場においては、あらゆる会話がゲーム化されるという話は、かなり以前から指摘されている。社会が「学校化」されることで、それは社会生活上の一般的な原理ともなりつつあるようだ。「ゲーム」ということが何を意味するのかについては様々に解釈可能であろうが、それには、関与する主体が、その現場から距離を置くことができる(あるいは、置かざるを得ない)という感覚が伴われているように思う。おそらく、その背景には、生活の場への関与が、かっての社会ほど、物心両面において、その関与の切実さにおいて、希薄になっていることがあるのだろう。あらゆる場において若者に限らず我々は、テレビカメラの視角で現実に対処している。適当に演ずる事で、その場その場を切りぬけていけるのである。
 先日、数人のご老人に話しを伺ったとき、共通して出た子どもの頃の話題は、「食べるため」「生活のため」仕事の一翼をにない、あるいは年少の子どもの面倒を見ざるを得なかったということばであった。親は子どもを、自分の意図にかかわらず、生活状況に強制されて、子どもの行うべき行為を強制さざるを得なかったし、子どももそれを甘受せざるを得なかったわけだ。それでも彼らは、遊ぶために罪の意識を感じながら、そこから時として逃避した。命がけで遊んだわけだ。それに比較して、現代の子どもは、他人との関係を形成する動機は非常に恣意的なものになっていることは確かだ。ネット上での関係然り。
 ちなみに、「さあ,○○の始まりです」という表現は近頃の「閉じこもり少年」に好まれることばであるようだが、まさにそこには、自己の強引に設定したテーマの範囲内で、彼らの想定した「現実」のなかに一度も実現したことのない自己の想定する完璧なる物語を主導的に展開したい、という欲求を見て取ることができるように思われる。
 もちろん、その際、ゲームは新規な設定で開始されることが期待されているのであろうが、残念なことに状況をリセットすると主人公自身もリセットされることを、多くのプレーヤーは看過しがちであるということだ。いくら希薄とは云え、人間はこの世において、物心両面で関係を維持し歴史を引きずることで自分を成り立たせている。現実はそんなに甘くない。  しかし、一つだけ強調しておきたいことは、彼ら現在の若者は、自己の物語を恣意的に展開できる可能性を、少なくとも持つことができるということだ。この大切な事実を誰が彼らに伝えることができるのか。
(今年の数少ない「春休み」の一日に、梅の時期も終わりに近づいて、春らしくなった岡本の町を久しぶりに散歩しながら考えたこと)

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114 [2000/03/25 23:59]四月になれば

 誰もいない広い図書館二階のフロアで、たまたま手に取った「トリュフォー」というタイトルの本を開くと、墓地に馳せ参じる人たちのシーンから始まる、彼のある映画作品の紹介が目にとまった。長くも短くも、その人生を終えて、静かに眠りについた人に、生前かかわりのあった人々が、さまざまないきがかりで集うてくるというシーンは、多くの映画で使われる設定である。思うに、死はある一つの物語の終わりであるとともに、それと並行した数多くの物語の結節点でもあるはずだ。
 3月という月は、多くの人々にとって一つの区切り目の時期であり、またあるエピソードの終わりの時期でもある。そうであるがゆえに、暖かい日差しにもかかわらず、何やらもの悲しい雰囲気を漂わせた時期であることも確かであろう。「悲しい」というよりも「不安な」ということばのほうが、あるいはここでは適当かもしれない。しかし、それだけではないのだ。
 私の仕事場で、この年度末をもって、YさんとHさんという二人の方がその場を去られた。うち、7年間も仕事場でお世話になったYさんは、今月ご結婚になった。新しい人生というものがそこからまた始まるのであろうこのお二人の女性のご健勝をお祈りするとともに、Yさんの幸福な夫婦生活の始まりを、心より祝福させて頂きたい。
 ところで、すべてが終わったような墓地でのシーンについてであるが、私はやはり、次のようなもうひとつの場面をまた、自分なりに思い描いてしまう。即ち、これまでの場面のフィルムの流れが、あたかも逆回しになるように、棺桶の周りに集い、悲しみにくれていた人たちが、急に引き締まった表情になり、その場から三々五々に、元来た自分の場所へと去って行く。そして、しばらくして誰もいなくなった頃に、その棺桶の蓋が突如として内部から押し開かれ、そこから鞄を抱えて平常となんの変わりもないいでたちの主人公がにこやかに歩み出て、そのまま街中に向かってゆく、というようなシーンである。私は、そのようなイメージを、その日差しの差し込む図書館の片隅で、例年のごとく思い描いてみた。
 ちなみに、トリュフォーのその映画の場面を、私は未だ観ていないが、おそらく4月になればそのような暇もなくなるだろう。

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115 [2000/04/03 00:58]りんごの箱に関する考察

 自宅で納屋に眠っていた木製のりんごの箱を分解した。
 バールで板を一枚はがした途端に、全体の強度が落ちて、箱全体がぐらつき出した。
 一つの要素が不良になることで全体のバランスが崩れてしまうというのは、このような小さな箱から、家屋、翻っては組織やグループ、家族や恋愛関係に至るまで、部分と全体の関係を維持しているあらゆる構造体について云えることではないかと、抽象的に感じた。
 しかし、その後の箱の分解は難航し、接合部のくぎが錆付いて、おそらくその箱を製造するときに要したであろう数倍の時間を費やすことになった。
 思うに、いくらぐらついているとはいえ、一度構築された構造体は、その個々の関係において、なかなかしぶといものもまたあるのだなあと、抽象的な思いつきを反省した。

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116 [2000/04/04 23:27]空間を移動する主体について

 10年ほど前、GrayHoundで、CaliforniaからNew York Islandまでバスの独り旅をしたことがあった。はっきりとした到達地点があるわけでもなく、途中、知人や恩師を訪ねる気ままな旅であったように思う。何時間走っても窓の外は同一の景色という大平原のまっすぐな道を、心地よいバスのシートの中で、うとうととしながら走り抜けたことを、事あるごとに懐かしく思い出す。
 大切なのは目的ではなくそれにいたる経過である、ということばは、しばしばはっきりとした目的を遂行し得なかった事例について、コメントされる言葉であり、確かにそれは、人間の生活における一つの真理を言い当てたものではあろう。
 しかし、目的を確実に達成することを、実践において体現してゆく心構えがあって初めて、そのことばの重みは生きたものとなるはずである。
 David Lynch監督の"The Straight Story"において、主人公の老人が、喧嘩して10年も会っていない病気の兄を、見舞いに行くために乗りこんだ芝刈り機が、町を出てまもなく、故障で立ち往生してしまったとき、彼は、そこで考え込んでしまうわけでもなく、ましてや杖をついて大平原を目的地に向けて無謀に歩き出すわけでもなく、すんなりと通りかかった観光バスに乗り込んで退却し、依頼したトラックで牽引して持ち帰った芝刈り機を、ライフル銃の一撃のもとに燃やしてしまい、すぐさま次のトラクターを手持ちの金をはたいて購入し、より確かな装備で再出発するのである。彼は確実に目的地に着く必要があったのだ。
 様々な人々がこのような老人の旅に、側面から支援を与え、同時に何かを学んでゆく。しかし、彼は、決して老人として暖かく包まれる関係に甘んじるのではなく、お互いに分かち合う姿勢に徹している。「私が」行くのだという決意と主導性がそこには感じられるのである。
 ラストの場面で兄がトラクターを眺めながら聞く、「あれで来たのか」ということばには、目の前にやってきた「おまえ」の意気込みに対する感動が、云わずとも表わされていたように思う。
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 117 [2000/04/14 03:07]上を向いて歩こう

 夕方、岡本駅を南に下ったT字路のあたりまでくると、頭上が喧しいので見上げると、電線に五ないし六羽の元気そうなつばめが囀っていた。日頃、俯いて通過することの多いこの路で、しばらくの間、上を向いて歩くように仕向けてくれるこのお客の暫くの滞在を歓迎したい。

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 118 [2000/04/22 01:04]上を向いて歩こう2

 冷蔵庫のない生活をしてはいるが、気候が温暖になるにつれ、シャワーを浴びた後に冷たい飲料が欲しくなるものであり、冬場にはそれでしのいでいた常温の白湯では我慢できなくなって、一階下の酒店前に並んでいる自動販売機に、果汁100%飲料を求めて出かけることになる。
 数日前より、この行動を再開していたのであるが、雨音のしていた先ほどまでの気配からは、予想もしていなかった月の静かに照る夜空をそこにみいだして、何か得をしたような気がした。
 山手幹線沿いの歩道には、つつじの花が開き始め、街路樹が淡い緑の葉を伸ばし始めた。この時期の雨は、空から降ってくるというよりは、地面が引き寄せているような錯覚に囚われる。おそらくこれは生命にとって正しい知覚であるに違いない。

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119 [2000/04/22 20:19]残された遺産について

 「武谷三男氏が死去」との夕刊記事を実家にて目にした。
 氏との著作の上での初めての出合いは、「三段階論」(「弁証法の問題」等)ではなく、原子力発電批判(「原子力発電」岩波新書)であったり、ジャック・モノーの生物学(「偶然と必然」)批判(野島氏との対談「現代生物学と弁証法」勁草書房)であったりしたところに、私の大学時代の思考空間のありさまが反映されているようで懐かしい気がするが、氏の思索の営みが、科学史研究の一つの大きな遺産として残されたと同時に、氏の一貫して批判した原子力発電の事故発生の必然性が、スリーマイル、チェルノブイリ等において、みごとに証明されると同時に、その廃絶のための課題が、氏の後に残された我々の負の遺産として未だ残されているという事実が、そのような懐古的感傷を厳しく戒め、私を現実のなかに引き戻す。
 氏の冥福を祈るとともに、せめて、当分冷蔵庫は買うまい、と自戒する。

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120 [2000/04/29 15:32]ゴールデンウィーク2000

 余裕のある土曜日にのみ許された摂津本山駅南側のハンバーガーショップでの朝食を済ませ、久しぶりに遠回りをして2号線沿いのコープリビングに文房具を求めて立ち寄った。
 2階のマッサージチェアのコーナーで、新しいとおぼしき機種に腰掛けて、恒例の試運転をしていると、係りのおばさんが近づき、足の裏などを指で押さえながら、私の身体の状況を把握し始めた。
 ことば巧みに購入を促すおばさんの心理作戦に、こちらも学術的な関心からしばらくお付き合いをしていたが、今日誰もがもっている傾向とはいえ、私のストレス度および身体状況に関する的確な把握には脱帽せざるを得なかった。
 逃げの手法として「連れ合いとの相談の後に」と言葉を残してその場を立ち去ったが、「その連れ合いの方もお仕事されているのですか」という幾分不信な色合いのこもった質問に、「確かに働いています」と余裕と確信のこもった口調で返した際に、その連れ合いが同時に、24時間覚醒して稼働し、それと同時に、私にそのテクノストレスを、24時間提供し増幅させ続けている"s"という手のやけるエージェントであるという事実を告げることは、さらに購入を薦める口実を拡大するのみと判断したので、やめた。
 その後、数十メートル離れた同フロアのパソコン机のコーナーで勤務先の学生に声をかけられるというハプニングがあった。数分のタイムラグであったが、様々な意味において危ないところであった。
(岡本の「だんじり祭り」の鐘と太鼓の音を遠くに耳にしながら)

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121 [2000/04/30 17:53]ゴールデンウィーク2000その2

 昨晩からExcelのmacroと格闘している。実家に帰っての作業のため、コマンド集がなく、一部手探りを余儀なくされた。macroというscript手法が存在しなければ、原稿先送りの口実もできるのだが、と弱気になるところを共同研究者のメールに鼓舞されて、なんとか作業を継続できた格好で、ネットワークの役割の大きさを痛感する。事実、macroのような情報ならば、web上で検索すればどこかのだれかがちゃんと教えてくれる。少なくとも「情報」に関していえば、どこそこにいて本がなかったからという口実は利かなくなりつつあるようだ。
 勤務先のHomepageの更新も必要に迫られて行った。パソコンを「自転車のように軽快に」使うというキャッチフレーズがあったが、まさに自転車操業である。情報を享受する側の便利さと、情報を提供する側の大変さを共に味わえるのは貴重な経験であるには違いないが、できれば休日以外の機会に味わいたいものだ。
 今夜の神戸は雨だろうか、と雲行きの怪しい空を眺めて思う。

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122 [2000/05/03 00:21]ゴールデンウィーク2000その3

 夕方から慌ててプリントアウトした資料を抱えて大阪に出向き、深夜に折返して帰宅した。
 何年かぶりに、いつもの十二間道路角のコンビニエンスストアで弁当を購入した。店員さんが「暖めますか」と聞いてきたとき、すんなりと「結構です」ということばを返してしまった。
 本当は暖かいほうがよいのであるが、なにかしら冷えた弁当の持つ侘しさを、今日は久しぶりに味わってみたかったから、そのように出てしまった反応であると感じた。
 夕方までのミーティングに向けたデータ解析の時間とは打って変わって、「ラジオ深夜便」を聞きながらの夕食のもつこの侘しさと、それと同居した安らぎ感を、贅沢に堪能できる余裕が与えられた事を感謝する。

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123 [2000/05/03 16:04]ゴールデンウィーク2000その4

 8時半に目覚ましの音に、幾分快適な気分で起床し、いつものGod Mountainで朝食をとり、ハーバーサーカスのパソコンショップに出向いた。今日の本来の目的はそこではなく、ときどき夜に徘徊するコースを歩いてみようと思ったためである。
 曇天の空を背景にして、日光の照りつける摩耶山の緑は、今がまさに旬の色合いである。
 神戸駅前から、いつもながら人通りの少ないクリスタルタワー北側の道を、中央郵便局を目指して、ホテルシェレナ跡まで進み、そこから一つ北のMotomachi 6のアーケード内を、ゆっくりと歩きながら、三宮方面を目指すというのが今日のコースである。平日の午後8時前のこの通りは店舗も閉まる頃なので、なかなか思索にはうってつけのコースであるのだが、今日はさすがに天気の良い休日とあって、かなりの人出である。
 通りに沿って小学生による絵画展示のイベントなどもあって、のんびりとした気分でそれを鑑賞しながら、徐々に人通りの多くなる元町近くまで来ると、一つ南の路に進路を変え、人で身動きのとれない中華街のなかを突き抜けて、大丸前まで出た。
 センター街を東に進み、前期のみ毎週通っている、センター街地下にあるカレー屋さんのSavoyで遅い昼食をとり、「さて、ここでVoiceでコーヒーでも」と思ったが、これは後日にとっておく事にした。

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124 [2000/05/06 21:33]我老ゆ。ゆえに

 出版直後に購入し、本棚の一番手の届きやすいところに10数年間眠っていた、波多野完治著「ピアジェ入門」(国土社)をほぼ一日かけて読んだ。この本が「ピアジェ心理学入門」ではなく「ピアジェ入門」であるというところに、この著作の特色があり、さらには著述対象となったPiaget,J.ご本人よりも、そこには波多野完治先生ご本人が、より鮮明に浮き彫りにされているというところに、この著作の存在価値もまた、あるといえるようだ。
 私にとってのPiagetが雲の上の存在であると同様に、波多野先生は、書物の上の存在でしかなかったが、二度だけ、拝顔の機会を授かった事がある。
 1度目は発達心理学会設立記念に学士会館で開催された講演会であった。私が感心したのは、先生の、懐古的な話題に終始せずに現在の研究動向あるいは研究対象に注意を注ぎ続けられているその研究姿勢であり、さらに感心した事は、その研究対象にたいする研究の営みのあるべき方向を自ら見定めておられる事であった。それはこの書物の中にも良く表われている。
 ちなみに、2度目の機会は、数年後、同じ学士会館の近くの路上で、恩師の古澤頼雄先生が「あれは波多野先生では」と後姿を見送られる機会に偶然立ち会ったというものであった。
 そのようなこともあってか、私はPiagetの書物を読むときは、なぜか神田神保町の岩波ホールあたりの光景がイメージされてしまう。(彼の著作のほとんどをここで購入したからということもあろうが...)
 いずれにせよ、10数年間のブランクゆえに、この本に「再会」できた事の意義は大きい。

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125 [2000/05/11 03:52]Webの効用

 そのページに入り込むと、それに連なる多数のページをたらい回しにされるhomepageが存在すると聞いた。実物を確認しようと、その存在を告げた本人の助言に従い、wwwタライドットコムを入力して接続すると、なぜかネパールのある業者のページに接続されてしまった。確かにブラウザによって異郷の地に運ばれたわけであるが、おそらく存在するであろうそのたらい回しのリンクの世界では、もっとネットワーク特有の異郷が構築されているに違いないと希望する。
 ところで、私のページも場合によってはある種、異郷にいざなう役割を果たしているのではないかと、考えてはみるが、これは正確には夢の世界ではなく、単なる睡眠の世界にいざなう文体的、内容的特質を維持してしまっているに過ぎないのではなかろうかと危惧する。これも確かに一つの効用には違いないが。
 さきほど自動販売機に出向いたら、新聞屋のバイクが点灯したままの前照灯をアスファルトの地面に向けて、路の真中に停車していた。配達人はおそらくマンションの中に走りこんでいったのであろうが、この光景は、空はまだまだ暗闇であるとはいえ、朝の気配を感じさせるに十分の緊迫感を有していた。私もこれから暫しの夢の世界を求めて眠ることにしよう。
 閲覧者諸氏の、快適な睡眠と爽快な朝を祈る。

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126 [2000/05/18 00:02]Я ТВОЙ СЛУГА Я ТВОЙ РАЪОТНИК

   映画"Bicentennial Man"(邦題「アンドリューNDR114」)でRobin Williams扮するロボットが、非常に精力的に世界中を移動して回るのに比して、彼が決して暴れ出したり、たとえ恋敵であっても人を傷つけたりしないのは、かれが常に人間を認識し理解する事に徹し、その上で人間に奉仕する「ロボットの三原則」に徹しているからであって、これは機械が人間になるというこの映画の見かけ上のテーマにもかかわらず、それは映画の幕切れまで一貫しているのである。
 だから、彼がEmbeth Davidtzが扮するヒロインのPortiaの死に先だって「死」を迎えるのも、決して彼の生涯の物語の終焉を彼と生活を共にした人間がたたえるためではなく、最後までサービス精神に徹したことを劇的に表現するためなのである。
 なぜならその後を追うようにして彼女が自死をもって終わりを迎える瞬間に、目を閉じたロボットに向かって静かにささやく言葉は"See you soon."であるからだ。彼は彼女の現世での生活の最後のエピソードにいたるまで、世話になった「家族」として奉仕すると共に、その死の瞬間にも、彼女が希望を抱いて眠りにつく事を助けるという機能を全うしたことになるのである。
 このようないわゆる「癒し」の機能については、人間よりも機械が一枚上手である事は、2001年を待つまでもなく、既にJoseph WeizenbaumがELIZAにおいて証明済みであったのだろうに、治療装置としてでなく、家族として、このような「物」で家庭という空間が補完されることが必要とされるまでになってしまったのであろうか。
  (「私は貴方のしもべです、私は貴方のロボットです。」 KRAFTWERK "The Robot")

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127 [2000/05/27 00:16]蘇る記憶について

 門戸厄神近くの丘の登り路を歩いていた際、カラスアゲハ蝶に出合った。
 今年は初めての出会いであったこともあってか、目で後を追いながら注意をさしむけて鑑賞していると、子どもの頃、虫取り網でそのすばしこい蝶を追いかけた記憶の映像が、おぼろげながら蘇るのを感じることができた。
 しかし興味深かったのは、それらの記憶と同時に、それまで気にも留めていなかった、木立の茂るその丘から、虫取りに連なる、ある種のなつかしい香りが、そこはかとなく漂っているように感知された事であった。おそらくこの数十年の自然はさほど変わらなかったのかもしれないが、そこで香りを感じる主体の側が、あまりにも鈍感になってしまっていたことを思い、なにかもったいないような気がしたのであった。

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128 [2000/05/28 23:41]憂しと見し世ぞ

 小島輝正氏の著作集数冊が、センター街、後藤書店の店頭、500円均一のコーナーに、数週間前から並べられていたのには、その前を通りかかる度に気づいていたが、三宮に出向いた日曜の今日の午後、そこを通りがかった際に、Wertheimerの"Drei abhandlungen zur gestalttheorie."を偶然に同じ場所に見つけ、浮き立つ気持ちに、どうせなら3冊まとめて、と「後の2冊のうちの1冊に」という非常に不遜な態度で「著作集V エッセイ集2」のページを開いてみた。
 「憂しと見し世ぞ」というタイトルのついたその一つのエッセイを読んで、いたく感じるところがあり、その不遜な態度を恥じると共に、「エッセイ集1」もそこに見いだし、合計3冊をカウンタに差し出した。
 思うに、勘定の後で、店のおじさんが、私が不覚にも見逃していたRorschach,H.の"Psychodiagnostik"を「おまけに」下さったのは、決しておじさんが「最近はドイツ語を読む人がいなくなってね...」とつぶやいたその気持ちに由来するのではなく、この小島輝正という文学者のエッセイ集2冊を、同時に差し出したことによるものと思わざるを得ないのだが、それを訪ねることもなくそそくさと店を後にしてしまった。
 私がドイツ語については「素人」にも達せぬ人間である故の所為であったことはいうまでもないが、同時に、私が、小島氏のエッセイで述べられる学生の、もはや手のかからなかった時期とはいえ、後裔に属する立場に一度は立った身であったことも、少なからずあったように思う。
(「もしかしたら、一生に二度だけ、私はなにものかに心を奪われ、そのことによって本当に生きたのかもしれない。」 小島輝正(1985) )

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129 [2000/05/31 23:39]pandaが街にやってくる

 暗くなった小ぶりの雨の中を、いつもの王子公園駅にたどり着き、改札を入ると、何か雰囲気が明るくなったような気がしたので、階段を上りながら、壁から天井まで、周囲に目を廻らすと、壁のペンキが塗りかえられていることに気がついた。
 遠足の季節も過ぎたこの時期にどうして、という思いとほぼ同時に、さきほど下ってきた坂の、壁を隔てた公園内に、ここ数日、帰る道すがら、聞き耳を立ててその存在を感じようとして来たある動物のことに思い当たった。  おそらく、多くの人々がこの動物を眺めるために、この駅に降り立ち、満足するしないにかかわらず、またこの駅から帰ってゆくのであろう。
 それでも、いかにこのように「場」がしつらえられたとしても、それはどこまでも「鑑賞」するものでしかなく、決して「知る」ことにはならないのだろうな、と、おそらくは今後またとないにせよ、一度はその動物の肩にそっと触れたことのある人間として、少し得意さと感傷をこめて思った。

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130 [2000/06/08 22:08]出張という名の電車

 千葉に向かう総武線の車内広告を、座席からぼんやりと眺めていたら、そこには二枚一組の広告が並べられており、一方には、「友人関係に悩んだら静岡に」という旨の、下田あたりの海岸でのスナップ写真が、また一方には、「恋愛関係に悩んだら静岡に」という旨の、白糸の滝あたりでのスナップ写真が、いずれも静岡に人を呼び込もうとするメッセージとともに掲げられていた。
 「静岡県内で友人関係やら、恋愛関係やらに破綻をきたした人間はどこに行けばよいのだろうな」と推量しながら、熱川あたりのバナナ園で大きく口を開けて待ち構えているワニを思い浮かべた。
 我ながら呑気なものだな、と思った。

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131 [2000/06/10 23:04]経路制御について

 風速31メートルを記録した京葉線千葉みなと駅の改札から望む東京湾は思いの外に波立っており、そこに来て「これは待ってもだめだ」と下した判断は、確かに賢明だったようだ。
 JR千葉駅まで、モノレールで戻り、内陸を総武線で本郷幕張まで向かったが、ここでも駅前のタクシー乗り場への待ち行列で、改札を出るまで数十分を要しそうな気配であった。5年前の地震直後の、新神戸駅に向かう人で溢れる三田駅前の光景が脳裏に過る。
 下りのホームに入った各停に乗り込むことを即断できたのは、10年程前に降車した経験のある、一駅下った総武線幕張駅からならば、なんとか歩いて現地に到達できるだろう、という確信故のことであった。
 朝のホテルで見たテレビのテロップの「暴風警報」をまじめに受けていれば、かくも右往左往せずに済んだ事ではあるが、ここがパケットというものと、人間というエージェントの、各々が「移動」という行動に関してもつ位置付けの相違であろう、と強引に思い込むことにしたい。
 しかし、現実世界と異なり、ネットワークの世界は、過去の記憶というものが、意味を成さぬほど、変貌しつづけているのであるならば、このような経験の記録は、却って経路決定の障害になるのだろうなと、到着した会場で、せわしなく点滅しつづけているHUBのLEDを眺めながら思った。

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132 [2000/06/22 02:03]眠らせること

 半年以上キッチンの棚の奥に眠っていたグレープジュースが、賞味期限がわずかに切れた状態で発見された。仕事場に持ちこんで、味わってみたが、発酵してはいなかった。
 会議が立て続けに3つ、開催され、そのいずれの席においても眠りに誘い込まれた。夕方、やっと解放されたが、発酵してはいなかった。かわりにワインを一杯賞味してお茶を濁した。
 ものごと、なんでも寝かせておけば、勝手に腐るわけでもなく、また何かがよりよく変化し、成就するというものではないと思う。

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