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INDEX of ふくろう通信IV

058 [99/04/03 22:33] 墓場のふくろう/Even Odds
059 [99/04/10 00:06] 墓場のふくろう/HOCUS POCUS
060 [99/04/17 00:44] 墓場のふくろう/対話のあとに彼女が見たものは
061 [99/04/24 01:36] 墓場のふくろう/関係性と論理性
062 [99/05/01 01:28] 墓場のふくろう/耐久性
063 [99/05/01 17:14] 墓場のふくろう/ウィルスとバグの一日
064 [99/05/03 03:13] 墓場のふくろう/毒にあらずして
065 [99/05/04 04:02] 墓場のふくろう/ただひたすら眠る
066 [99/05/05 00:54] 墓場のふくろう/二度目は喜劇として
067 [99/05/08 12:10] 墓場のふくろう/失踪あるいは出発
068 [99/05/16 23:50] 墓場のふくろう/Scientific Experiment
069 [99/05/22 01:10] 墓場のふくろう/口を閉じて訴える
070 [99/05/28 23:41] 墓場のふくろう/科白の構造
071 [99/06/03 21:31] 墓場のふくろう/technopolis
072 [99/06/04 14:26] 墓場のふくろう/technopolis2
073 [99/06/07 23:23] 墓場のふくろう/六月の陽のもとに
074 [99/06/13 23:44] 墓場のふくろう/いつも見ている世界
075 [99/06/15 01:21] 墓場のふくろう/神戸@000
076 [99/07/05 00:50] 墓場のふくろう/でんでんむしむし
077 [99/07/09 21:20] 墓場のふくろう/物は裏切らない
078 [99/07/14 23:48] 墓場のふくろう/物の保持と関係の維持
079 [99/07/17 02:18] 墓場のふくろう/Left alone
080 [99/07/24 01:07] 墓場のふくろう/白地に赤いひのもとに


本文

058 [99/04/03 22:33] 墓場のふくろう/Even Odds

 トアロードのVirgin Record、いやVirgin Megastoreで、10年ぶりに発表されたというJeff Beckのアルバム"Who Else!"を購入した。動機は参加ミュージシャンにJan Hammerが挙げられていたからである。残念ながら1曲しか参加していないようだが、アルバム"Wired"でもBeckのギターを圧倒していたJan Hammerだけあって、マハビシュヌオーケストラ以来の相変わらずの迫力ある国籍不明keyboardを聞かせてくれているようだ。ただし、この短い1曲の中で、どれがBeckのguitarで、どれが彼のkeyboardかは、一度聴いただけでは分からないかも知れない。
 これだけ電子楽器が氾濫している現在からすればおかしく思われるかも知れないが、彼の以前のレコードアルバムには、よく「このアルバムではギターは使われておりません」とことわり書きがあった。チョーキングやビブラートが容易にプログラムできるような時代に、この技能はすでにお払い箱になってしまったのだろうか。だが、あの独特のフレーズは、チェコ出身で、かつバークリー音楽院に進んだ彼にしか出せないのだろう。音楽は国境を越えると更に普遍性を帯びる。
 ちょっと古いが、Jeff Beckもギター参加している"Drive"は夜中に聴取するには最高である。こちらも少し乗ってきて、眠っていたYAMAHAのストラトキャスターを戸棚から引っぱり出してみた。左指が動かない...。


059 [99/04/10 00:06] 墓場のふくろう/HOCUS POCUS

 Focusというオランダのロックグループが存在した。20年程前、彼等は5枚程のレコードアルバムを出して解散してしまった。そのグループの主要なメンバーであったThijs van LeerとJan Akkermanは、10年後にふたたびそのグループ名と同一のタイトルのアルバムを発表した。
 おそらく音楽家にあっては、パートナーとの別れは己の何たるかを深く認識し、新たなるインスピレーションを獲得する貴重な契機として機能することになるのだろう。そのアルバムの最後の曲"Who's Calling?"は、別れがこの再会のためにあったようなものであるとの認識に至らざるを得ないような美しい曲であった。それは、「結び」を感じさせず、いつまでも静かに対話しながら流れ続けてゆく印象を与える曲である。彼等はその後、1枚も共作のアルバムを出していない。

(残念ながら、現在このアルバムのレコードはもちろん、CDも廃盤になっている。2ndアルバムの"Moving Waves"を聴いていただくしかあるまい。)


060 [99/04/17 00:44] 墓場のふくろう/対話のあとに彼女が見たものは

 10年以上も前に見た、ニキータ・ミハルコフ監督の「ヴァーリャ」という作品の最後のところで、社会でも家庭でも信頼を喪失してしまった男性がふわりと倒れてしまい、それと入れ代わるかのように、ドアを打ち破って、「ヴァーリャ」が女性を迎えに到着するというシーンには、先日見た"You've got mail"で、自分に会うために自分から去ってゆく女性を見送るTom Hanksの立場に何か似たものがあった。
 前者がCompuserveのアクセスポイントの存在しない数少ない「先進国」の一つであった当時のCCCP(USSR)で撮影されたのに対し、後者がInternetの世界が現実と融合したNew Yorkで撮影されたことが、この二つの場面設定の違いを生み出したことは、ほぼ間違いないであろう。
 E-mailを通じて語られるプライベートな交流関係は、非常に個人的な情報の交換であるにもかかわらず、気分や感情の介入を極力排除した「精密コード」の世界に媒介されざるを得ないという矛盾を抱え込んでいる。二人の関係は親密さを増す一方で、突き放され、反省され組みなおす余地が与えられる。時間・空間的に別の次元で生活する他の男性の到着、という設定を借りずとも、ひとりの人間内で異なったプロセスを共存させることのできるのが電子的なコミュニケーション環境ではなかろうか。いずれにせよ、変わらねばならぬのが、ともに一元的な論理が露骨に支配する男性の世界であるという点では一致していたようだ。
 因に、前者の作品で、アパートの外でのシーンが一度もないのに対して、後者ではニューヨークの街を主人公達が歩き回る姿が描かれる。にもかかかわらず、前者において世界が凝縮され、大きな転換の希望を抱かせたのに対して、後者におもちゃ箱のような街とおとぎ話しか見い出すことができないのは、おそらく前者が壁崩壊の前夜を描いているのに対して、後者がこのところ、摩天楼の姿そのままに成長グラフが突出し、電子基板のように安定した稼動状態を維持しているNew Yorkの街路の現状を反映しているからだ、と考えるのは深読みだろうか。
 前者の映画で、「ヴァーリャ」は、そう呼び掛けて彼を迎え入れる女性の明るい表情でしか表現されていない。いったい彼女はどのような男をそこに見たのだろうか。ホームレスとカップルの共存する三宮センター街を足早に帰路を急ぎながら、独り考えた。

(「ぼくと君が座っていたのは、地球のいちばんはげた場所...」(友部正人))


061 [99/04/24 01:36] 墓場のふくろう/関係性と論理性

 車窓の外に流れる町並を、日々ぼんやりと眺めていた主人公が、21歳の誕生日のプレゼントに友人たちから贈られたオンボロ自動車を運転して、ひとり西部に向けて街を出てゆくラストシーンで、テロップの流れも途切れる最後の瞬間に、それまで後を追跡していたカメラがすっと引くと同時に、自動車が緩やかなカーブの向こうに消えてゆくシーンは、映画で描かれた主人公と分析者の関係の終了を非常に象徴的に表していた。
 映画"GOOD WILL HUNTING"で、兄貴分の友人が主人公のWill Huntingに、自分の夢が、「ある日、おまえの部屋を10回ノックしても返事がなく、そこには空っぽの部屋があるだけだった、という時がやってくることだ」と告げる言葉には、友人というよりも、どちらかといえば父親的、あるいは治療者的なものを感じてしまう。この映画では平凡な家族が一切登場しないにもかかわらず、他人同士のかかわりに「家族」的あるいは「治療」的な情動関係が描かれているのは、「家」と結びついた家族というものが、もはやその存在根拠を失いつつある現状と、そのかかえている病理を端的にあらわしているようで、考えさせられてしまう。
 ところで、ショーン・マクガイアと名乗る心理分析者が、彼の従軍経験を臭わせる写真が映されたカットのすぐ後で、"Chomsky"の名前を口にする。言語学理論においては徹底した論理性を追求して「デカルト派」を自称し、その徹底した論理の必然的な延長線上に反戦活動を位置付けていた彼(Noam Chomsky)の態度は、そうえいば、この映画の主人公のあり方に何となく似ていないでもない。孤立無援の苛酷なメディア状況の中で、パトス(=他者とのつながり)ではなくロゴス(=自己完結性)においてしか自己存在を確証できない状況にあったことにおいて、両者の環境は共通しているのかも知れない。


062 [99/05/01 01:28] 墓場のふくろう/耐久性

 一昨日の休日の朝、摂津本山駅前に朝食に出た帰りに、コープリビングに立ち寄り、新しいリュックサックを購入した。古いリュックがもはや荷物の重量に耐えられないかも知れないとの判断からである。ついでに二階に上がるとマッサージ機が数台あったので、その一台に身体を横たえて、スイッチを入れた。途中、隣の同一機に高校性くらいの男の子と、中学生くらいの女の子、そして60歳ぐらいのご老人が次々と横になり、しばらく試しては去っていった。
 私にとっての、その日の収穫は、コープリビング二階天井のスプリンクラーが適切に設置されていることをじっくりと確認できたということであり、新たに生まれた不安材料は、はたして、私がリュックサックに耐えられるかということであった。

(昨日夕方から頭痛と肩こり、寒気がひどくなり、少なくともその不安を確認する機会は免れたようだ。せいぜい早く寝ることにしよう。)


063 [99/05/01 17:14] 墓場のふくろう/ウィルスとバグの一日

 朝起きて調子がよかったうえ、快晴の日和だったので、昼食前の散歩がてら、リュックをかついで保久良神社まで登ってみた。以前、知人から、この附近で梟が巣をかけると聞いていた。本来ならば、ここから六甲山上を目ざすところだったが、昨夜のこともあり、無理しないことにした。
 境内の大きな樹木には、鳥の巣になりそうな穴がたくさん見受けられたが、そこには梟ではなく蜜蜂が巣をかけていた。
 近距離でカメラを向け、すぐさま立ち去ろうとしたが、暇そうな蜂が数匹追いかけてきたようだった。帰途、昼食に立ち寄った"マリオ"のおばさんに「かわいらしい虫ね。みなしごハッチ?」と私のBMUGのトレーナーの「マウスに乗っかった蜂(BUG)」のプリントを指摘されて、それに気付くとともに、彼等がこれを追いかけてきたのだと合点することにした。あるいはウィルス感染した私の行動にバグがあったからかも知れない。


064 [99/05/03 03:13] 墓場のふくろう/毒にあらずして

 風來山人(平賀源内)著の「根南志具佐」という奇妙な作品を読んだ。近ごろでも、有名タレントが自殺したりすると、マスコミを賑わすことがあるが、この作品は当時のタレントである歌舞伎役者の溺死をネタにしながらも、その成り行きを現世のみならず、来世(とりわけ地獄)にまで言及することにおいて、スケールが違う。
 更にいうならば、出来事の仔細から周辺事にわたるまで執拗に物語るという点においては、昨今のマスコミの芸能報道と変わりは無いが、ありもしない来世の細かな描写に、当時の現世の有様が、巧妙にあぶり出されているということにおいてはリアルさの質が違う。間違ってもここで描かれたような来世に身を任せるような気にはなれないが、そもそも地獄というものはこの世のものではなかったか。


065 [99/05/04 04:02] 墓場のふくろう/ただひたすら眠る

 さきほど安楽椅子で目が覚めたら、外は雨が降り出していた。雨の音を子守歌に、これから本格的に寝ることにしよう。


066 [99/05/05 00:54] 墓場のふくろう/二度目は喜劇として

 ミナミの映画館で、Pixar Filmの"a bug's life"と「名探偵コナン」を立て続けに観た。前者は私の希望で、後者は甥の希望である。折り合いつかずに「はしご」ということになったわけである。
 前者の主人公であるフリックという青年の蟻が、女王蟻の孫娘のドットに小石を手渡して、「これを種だと思ってごらん」といいながら彼女を励ます場面がある。「でもこれは石だよ」と応えていたドットが、後半、落ち込んだフリックに石を手渡して、彼の励ましを今度は自分がくり返す場面は、なかなか感動的であったが、石が石に見え、種が種に見える映像処理も、ストーリーを支える上で優れたものであった。
 それにしても、あのディズニーが、蟻とバッタの関係を、道化が脇役となって展開する階級闘争として扱うところに時の流れを感じるのだが、その点、革命を度外視してロシア帝政の栄光を懐古するかにみえてしまう「名探偵コナン」にみられる19「世紀末」解釈は、いかにも日本的で「平和」なものである。主人公の青年が、身体だけ子どもに退行していることに象徴されるように、これは昨今の若者の男性観ひいては女性観をある意味で適切に表現しているとともに、日本人の「イノセンス」と無責任を象徴しているのではないだろうか。
 雛のえさとなったホッパーと、怪僧ラスプーチンの末裔の射撃名手の女性にとって、コナン君が言うように、はたして「真実はただひとつ」であったのかどうか。私よりも頭の回転が数倍速い甥にこのことを話したら、おそらく「ふたつも映画観て疲れたんでしょ」などと言われそうで、やめた。


067 [99/05/08 12:10] 墓場のふくろう/失踪あるいは出発

 三宮センター街の東入口から少し入ったところに、後藤書店という古書店があり、その店頭の「数百円均一」本のダンボール箱に、時々面白い本が置かれる。
 以前、地震直後でまだ店舗がプレハブであったころの或る日、その店頭のダンボール箱内に、精神医学、心理学、そして生物行動学関係の著名な文献が多量に並べられたことがあった。おまけに、それらのうちの数冊は、おそらく限られた人しか読まないであろうと思われる、しいていえば、あるひとりの研究者しか所持していないであろうと思われる本であった。
 手荒な扱いをすればぼろぼろと崩れてしまいそうなPortmann,A.という著者の手によるそのうちの1冊の本をめくってみると、見返りのページあたりに所有者の署名があった。"Dr.M.Takagi Bern Sept. 1945" と黒の万年筆で記された名前と所在、そしてその日付は、まさにその「ひとりの研究者」その人の所有物であることを示していた。
 私が今日、仕事帰りにこのことを思い出したのは、決して、今日そこで、Guillaume,P.の"L'Imitation chez L'Enfant"を見つけて嬉しかったからではなく、また、一昨日、その近くの書店の格安ワゴンセールで三田博雄氏の「ふくろう通信」に200円の値札が付けられて2冊並べられているのに出合ったからでもなく、この高木正孝という人物が、今だ行方不明であるという奇異な最後を遂げた(であろう)人物だからである。いや、この「最後」という表現は、ここでは適切ではあるまい。
 彼の翻訳したアドルフ・ポルトマンの「人間はどこまで動物か」は、近年に至るまで、教育ないし発達心理学教科書に必ず登場する、知らぬ人なき「参考文献」となってしまったが、この訳者の彼が、同時に、南米登山の記録である「パタゴニア探検記」の著者であるということを知る人はさほど多くはないはずだ。
 つまり、私も六甲山方面に梟を探しながら登ったまま、「行方不明」になってみることを一瞬ながらも夢見てみたまでのことに過ぎない。しかし、このふくろう通信のような後ろ向きの姿勢では、野垂れ死にがせいぜい落ちなのであろう。


068 [99/05/16 23:50] 墓場のふくろう/Scientific Experiment

 実家でテレビを観ていたら、Christopher Lloydが「アダムス・ファミリー」という映画に出演していた。"Back to The Future III"で科学者を演じた際、彼が未来に戻るために機関車を乗っ取る場面で、機関主に「強盗か」と問われて、「いや、科学的実験だ」と答える場面がある。利害や体面を度外視して、真理なるものの存在を信じ、追求つづける研究者というものの姿を強く印象づけるこの場面とこのせりふを、私はそのキャラクターとともに大変気に入っていた。このアダムスファミリーにおいても、彼は無邪気に子ども達と「冒険」を繰り返す役割を演じているが、科学者と妖怪には何か共通点があるようだ。
 日常生活の論理に安住するのではなく、それを対象化して穴のあくほど見つめてみようとする人物は、往々にして異端者とみなされ、危険人物、「妖怪」とみなされる。しかし、それは既存の価値観を一度は逆転し、新たな自律性、ひいては自立を招来するための、すなわち「親離れ」を可能にするための、契機ともなりうるのだ。もちろん既成の価値観に結局は擦り寄ってしまう権威主義的かつ中途半端な「博士の異常な愛情」ではいけないのだろうけれども。
(でも、こういう発想がPiaget的心理学の限界でもあるのだなあと、釈然とせず目覚めた次の朝に考えた。)

 


069 [99/05/22 01:10] 墓場のふくろう/口を閉じて訴える

 Theo Angelopoulos監督の作品で感じられるなんともいえない居心地の悪さは、彼が常に周縁に向かうベクトルを示していることにあり、映画「永遠と一日」においてもそれは、「シテール島」に漕ぎ出すまでには至らぬまでも、終始一貫したテーマとして映像化されている。
 人生の黄昏時に、過去を振り返って自分の位置を再確認するというプロットは、ベルイマンの「野イチゴ」を思い起こすが、後者が若者とのドライブの果てに、過ぎ去りし日々を何らかのかたちで統合してゆくのに対して、この前者においては、彼は途中で車を降りて、バスのシートに身を委ねてしまうのである。ラストに近い場面で、引き裂かれるように少年と別れた彼は、街中の交差点の真中で、流れに反して車を停めてしまう。けれども彼は決してそこで最期を迎えることを潔しとはしないのである。
 周縁に向かうとはいえ、彼の表現する空間は決してユークリッド的なものではなく、クラインの壷のごときトポロジカルな心理空間がノスタルジックに表現されており、周縁への志向が表現されればされるほど、内部への思いが深められてゆくのである。ただ、彼の志向するものは、決して身体性の回復ではなく、「自分の言葉 ... 失われた言葉を再発見し、忘れられた言葉を、沈黙から取りもどす」ことであるように見うけられる。しかし、はたしてそれはいかにして可能なのだろうか。
 いずれにせよ、この映画でもっとも生き生きと活動しているのが、新婚夫婦でもなく、ましてや子どもでもなく、小銭を数えるバスの車掌の手つきであるというのは皮肉だ。おそらく彼らは街の中心でぐるぐると回りつづけているのであろう。


070 [99/05/28 23:41] 墓場のふくろう/科白の構造

 芦屋のルナホールにて狂言を観劇した。演目は「梟」と「棒縛」。若手の演者であったこともあり、昨今の狂言ブームも手伝ってか、観客の反応は微妙に変化してきたようだ。
 従来の狂言の会の観客は、能楽の謡のイメージを背負ったまなざしを舞台に向けていたように思われる。室町や江戸の人々の視線で観劇する雰囲気をエンジョイするとでもいえばよいのか。ところが、今回多くみられた若い観客は、その発声や身振りの現在形での滑稽さにまなざしを向けていたようだ。演者の発声と笑いの起きる瞬間とのタイミングが、漫才のしゃべりと観客の笑いの関係に似ていたからだ。
 私は、観客の反応と同調しつつも、狂言の「おかし」さはやはり、その長い歴史の中で、時代を超えて醸成されてきた科白の独特な交差の様式にもあるように感じている。このおかしさは、個々のおかしさの背後に、じわじわと伝わってくるものだ。しかし、これを現代の若い観客に表現として伝えてゆくためには、ことばづかいが現在風でなければならないのだろう。そして、もしそれが可能になったとしたら、この狂言という「古典芸能」のもつ古典としての意味は、おそらく、その個々の科白にあるのではなく、科白の折り重なりによって構成されるスクリプトの構造と、それよって必然的にもたらされる劇進行の独特なテンポとリズム感にある、ということになる。
 同行したナイジェリア人のOさんは、喜んでおられたようだが、ホールを出てから彼は日本語とナイジェリアの一言語であるEdo語の音韻構造の共通性について語ってくださった。彼も狂言のテンポやリズム感に共鳴してくださったのだろうか。
 ちなみに、アジアの場合と同じく、梟はナイジェリアでも忌み嫌われる鳥だそうだ。


071 [99/06/03 21:31] 墓場のふくろう/technopolis

 「東京都区内」と書かれたJR切符を秋葉原の自動改札に飲み込ませながら、ここ数年、この駅が私にとっての東京の入り口になっていることに気がついた。ラジオデパート地下の2軒のジャンク屋さんに顔を出し、いつ行ってもソリテアで遊んでいる某P店の親父さんの顔を確認し、うさんくさいパーツ屋さんの店先を覗き込む。それでも数ヶ月前にあったはずの、Palm3を扱う店舗がまたまた移転してしまっていた。秋葉原は生きている。
 今回は幕張のネットワーク関連の展示会に顔を出すのが主要な目的であるが、おそらく無意識の衝動としては、神戸からの逃避であるというのが正解であろう。久しぶりにゆっくりながめた東海道の田園風景は、色よく実った麦と、田植えの終わった瑞々しい稲の緑で色づけられていた。そういえば6月の東京は久しぶりだ。
 それでも、高貴な名前を持つ神戸の彼女"s"が、1時間おきにこちらに「体調」についての連絡をよこして来る。自分で連絡させておきながら、ここにいることを捕捉されていることの窮屈さを感じる。それにしても休息のために東京に逃げ込むというのもおかしなものだ。映画"JM"で記憶屋ジョニーが"I want room service."と絶叫する場面を思い出した。(いつもの渋谷の某Aホテルにて、いつものポットでコーヒーを沸かしながら。)


072 [99/06/04 14:26] 墓場のふくろう/technopolis2

 Networld + Interop99 Tokyoの会場では、VOIP(Voice over IP)やらVPN(Virtual Private Network)やらのことばが飛び交い、この不況の状況下で、いかに安価にかつ安全にコミュニケーションを維持するかに関心が向けられているようだ。Javaのツールも、アプリケーションサーバによるシステムの一元管理をもくろむ提案にほどよく組み込まれてしまった。
 ネットワークを双方向コミュニケーションの新しいありかたとして、革新的なアプリケーションを提起しようとしている人間にとっては、日本という市場は、まだまだ入り込む余地を残している。何が出てくるかわからないという期待とともに、まだまだ何も出されていないなという気分にもなる展示会である。
 「である」と現在形で書かねばならぬのは、いくら「モバイル」がはやりの昨今でも、栄養補給だけは自らステーションに赴かねばならないと言うことで、ただいま中休み、お食事の最中である。これまた、いつものカフェテラスから.中間報告までにて。


073 [99/06/07 23:23] 墓場のふくろう/六月の陽のもとに

 幕張から帰って、友人から「なにか世界を良い方向に変えそうな情報はありましたか」などと聴かれた。私は別段、世界をよい方向に変えようと常に努力している人間ではないので、戸惑いながらも、この質問を敢えて真摯なものと受け止めなおさねばと思う。そもそも私がネットワークにこだわる理由は何か。
 もうかなり昔のことになるが、確か私が大学院修士課程の2年目のころであったように思う。中之島のフェスティバルホールでアンドレイ・タルコフスキーのSF映画が二本上映されるというので、大変に緊張した気持ちで、足を運んだ。当時はまったく未知であったこの監督の作品であったにもかかわらず、私は何か答えを探すように鑑賞していた。上映後のホールの外は、雨が降りしきっていたが、傘の無いまま、梅田まで歩いて帰ったことも鮮明に憶えている。六月が来るたびに、その映画とその雨、そしてそのころのいろいろのことを思いだす。
 その後に観た彼の晩年の作品に「ノスタルジア」という作品があり、その前半、時刻不明なホテルのロビーでふたりの主人公がお互いに背を向け合って語り合う場面がある。女性が男性に問い掛ける。「お互いがわかりあうには?」「破壊することだ。」「何を?」「(ため息をつきながら)国境を。」


074 [99/06/13 23:44] 墓場のふくろう/いつも見ている世界

 仕事で中高生を相手にパソコン教室を開いた。いきなりインターネットにアクセスというところからはじめたが、さすがに最近の子どもは、そんなことで緊張したりはしない。おそらく彼女達には、目の前のブラウン管はテレビのそれと異なることはないのだろう。
 しかし、さすがの彼女達も、ブラウン管の蛍光面が3色によって成り立っていることは知らなかったらしい。自分でページの"BGCOLOR"を設定して始めて気づいたようだ。いつも見ている「世界」を少し深く理解するきっかけを提供できたのだろうか。
 「画面に顔を近づけてごらん」という指示は、「テレビから目を離しなさい」と家族から言いつづけられた経験のある子どもにとっては奇妙な教示であったに違いない。しかし、インターネットを通じてもっと伝えねばならぬことは、「画面にくぎ付け」にさせることを突き抜けて、画面の向こう側の「世界」に飛び出すこと、画面に媒介されてつながること、でなければならない。


075 [99/06/15 01:21] 墓場のふくろう/神戸@000

 いつもの喫茶店で朝食をとり、いつものごとく"s"の吐き出すstatus情報でご機嫌を確認して「今日も一日」という気分になり、ふと時計を見ると"@000"であった。私にとっては仕事の始点である"@000"は、地域によってはお休みの始まりであり、夕餉のあとの団欒であり、真昼の直射日光であり、雪と氷に包まれた夜明け前であることを考えると、地球儀を眺めるようなイメージに媒介されて、同じこの時間を「共有している」という実感を受けることができるのはいつのことだろうと想像してしまう。しかし、そのような同じ生活の場を共有しているという経験を、想像できる時代にはなったのだなとも思う。
 でも2000年まであと200日という「秒読み」は何か恣意的だ。


076 [99/07/05 00:50] 墓場のふくろう/でんでんむしむし

 アーノルド・ローベル作のかえる君とがま君の物語に、「おてがみ」という作品があり、そこには、そのふたりの間を、ゆっくりとメールを運ぶかたつむりが登場する。以前、私は、このゆっくりとしたメッセンジャーの印象をもたせてくれるかたつむりと、映画"Apocalypse Now"(邦題「地獄の黙示録」)の冒頭で語られる"かみそりの上を這っている"超越した感のあるかたつむりの印象に刺激されて、梅雨の茂みで見つけたカタツムリを大学院の薄汚い研究室の自分の机の上で、インスタントコーヒーの瓶に入れてしばらく飼っていたことがある。
 彼の生活時間は、決してわれわれの速度では経験されておらず、おそらく彼独自の視点からしても、私の行動は、面白みの無い循環した行動と映っていたに違いない。いや、あるいはわずかならも無意味に加速を続け、老化しつづける奇妙な存在と映ったのかもしれない。しかし、すくなくとも私にとっては、それは他の院生のメンバーとの対話をとりもつ、手がかりとなったことには違いなかった。
 しばらくして私はそのかたつむりとの別れを迎えることになった。夏が来て、空気が乾燥しはじめたにもかかわらず、殺風景な瓶の中にとどめておくのがなにか哀れに感じられたからかもしれないし、単に私の存在を無視するかのように、瓶の中をゆるやかに移動しつづけるかたつむりの無表情さに飽きが来たからかもしれない。いずれにせよ彼は再び茂みに帰っていった。
 また、しばらくして、私はある人から、旅行のお土産として「幸福の木」というものをもらった。これは見かけは一本の棒切れであったが、ガラスのコップに差しておくと、しばらくして葉が出て根が伸び始めた。かたつむりよりさらに成長速度のゆっくりした生物を、私はその後数年間、自分の院生室の机の上に置いていたように記憶する。おそらくその木はしばらくして、お粗末な養育態度ゆえに、枯れてしまったにもかかわらず、毎日わたしに水をかけられていたようだ。私は生命の萎んでゆく様をただ眺めていたにすぎなかった、と今では思う。
 この木はいまでも私の神戸の自室の箱の中に眠っている。
 もしかすると、あのかたつむりは、私の手から離れるや否や、「はてしない物語」に登場するそれのように、急にすさまじい速度で元気に運動を始め、それまでの私との間延びした生活をあざ笑うかのように活動的になっていったのではないか、といまでも思うことがある。残念ながら、「幸福の木」のほうは生物学的には枯れてしまったわけであるが。
(「あめもかぜもふかぬに、でな、かまかちわろう。でんでんむしむし、でんでんむしむし。」狂言「蝸牛」より)

 


077 [99/07/09 21:20] 墓場のふくろう/物は裏切らない

 学生から「新聞紙上でアンケートを実施するので格言のようなものを」と請われた。私は格言や座右の銘のごときは、ことさらに好んで用いることは無いつもりなのだが、ふと、次のような事を思い出したので、そのことばを記入して手渡すことになった。
 以前、まだ私が在学中のころ、教員を始めて数年の学生時代の同輩であったA氏と二人で飲むことがあった。かっては私も居住したことのある、勝手知ったる彼のアパートに泥酔して転がり込んだ翌日の日曜の朝、彼は「パソコンを買うことにした」といいつつ、あるパソコン雑誌(当時は数えるほどしかなかった)を取り出して、その計画を説得するような口調で披露し始めた。NECのPC9801Fというなんとか使い物になる16ビットパソコンに彼は惹かれているようであったが、それとて趣味の領域を越える代物では無かったように記憶する。
 TIのプログラム電卓やACOS(大型計算機)という両極端にのみ実用性と魅力を感じていた私は、目的の定まらぬように見えた彼のこの突然の決断を半ばあきれて聞いていたが、ひとしきりパソコンのすばらしさを語った後で、彼はぽつりとこのようにつぶやいた。「物は裏切らんよ」。
 彼に遅れること約1年、私もPC98LTという、laptop型の最初のパソコンを購入した。このパソコンは意外なところで、その機能を発揮することになり、その意味で私の期待を裏切ることはなかった。
 いまでも中古屋の片隅に「ジャンク」品として積み上げられていることのあるこれらのパソコンを見るたびに、私はこの友人のことばを思い出すとともに、それを裏打ちするかのごとき意味を持つ、もうひとつの命題を、それゆえにこそ常に心しておかねばならぬ大事な、そのもうひとつの命題を、同時に思い起こすことにしている。


078 [99/07/14 23:48] 墓場のふくろう/物の保持と関係の維持

 藤原智美氏の小説集「メッセージボード」に「捨てられない」という小品があるが、先日講義で「保持すること」と「手放すこと」について話した際、この小説の主人公を話題にすることになった。自己の手にしたものはすべて、自己のテリトリー内に保持しておかねば不安な男が主人公なのだが、彼の狭いアパートの室内は、びっしりと両壁に積み上げられた古新聞、きれいに洗浄され丁寧に重ねられた弁当のケースから、街で受け取ったすべてのティッシュの包みなどで、自己の生活を維持する空間さえ無くしかねない状況なのである。
 物を保持することに固執し、他者に受け渡すことを拒否することで、多くのものを自己の領域内に確保できるのは確かなのだが、それによって自己の独自かつ新たな活動が展開されぬまま、封じ込められてしまうのは、まさに皮肉としかいいようがない。
 転職を志向するのは、はたして「保持すること」なのか「手放すこと」なのか、近頃よくそういう考えに固執して思考が停滞する。そういえば主人公は居場所を移動していったにもかかわらず、過去の物の重荷を背負ったままであった。この男の話は決して他人事ではない。


079 [99/07/17 02:18] 墓場のふくろう/Left alone

 せみの抜け殻を地面に見つけて、初めて聞き耳を立ててみた。どこからともなく少し威勢の悪そうなせみの声。真夏がやってきたにしては歯切れの悪い雲行きの空である。
 試験監督、来客やら学生への対応、PC基板の調整をしているうちに夕方になってしまった。一人取り残された感で仕事場を出る。
 夕方から"Left Alone"というlive houseにて、春からのお仕事の慰労会。Jazz trioに軽いアルコールも、たまには悪くはない。明日は岡本の喫茶店をはしごしながら採点に勤しむこの時期恒例の行事が待っている。三宮の"Voice"あたりまでテリトリーを伸ばすことになるかもしれないが、眠気の出る採点行動に工夫を加える以前に、採点が楽しくなるような問題を作らねばならないのだろうと今年も思う。私も早く殻を脱いで夏季休暇モードに入りたいが、早くも休暇中のお仕事の予定がひしめき始めた。歯切れの悪い「夏休み」の始まりだ。せめてPatric Morazの軽快なピアノでも聴いて眠ることにしよう。
 ところで、"left alone"ということばに「左に一人」というイメージが重なってしまうのはどうしてだろう。


080 [99/07/24 01:07] 墓場のふくろう/白地に赤いひのもとに

 SETI@homeにクリックひとつで参加して、数百キロバイトの分析データが送り込まれてきた。分析はMacが、解釈はあちらがやってくれるという。「協力」とは言いがたいが、ひとつの目的を持った行為の一翼をになう「分散処理」のプロセスと、それを担うデータの流れが相互の連携を保ちながらグローブ全体を大きく包み込む、壮大な実験が開始されたともいえる。「ソラリスの海」とまではゆかないが、地球に脳波のような微弱な信号のうねりが生まれているには違いない。
 ところで、この地球規模のグローバルブレインともいえる「知的行為」の主体に、その行為に受け止められるべく電波を送信した知的生命体は、どのような性質を持った生命体を期待しているのだろうか。
 映画"ET"で、ETが"Yoda"の扮装をした人間を見て"home home"と近寄って行くシーンがあるが、残念ながら、我々は、そのシーンの現実そのままに、"home"と呼べるような彼らの共同体には入れてもらえぬくらい、まだまだ下等な生命体らしい。


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