路上の人たち

道行く人を描くということを長年やってきました。ぼくは元来引きこもりがちな人間なので、ぱっと会って世間話をしながら描くことに為らざるを得ない、この仕事に多少なりとも感謝してます。子供の頃を思えば、赤面症の僕は自意識過剰で相手に心の中を“サトラレ”てしまっているのではという恐怖感が支配していました。面と向かって話すのが苦手だし、ましてや人の前で自分ひとりで引き受けて、何かをするというのはもっての外でした。ドキドキしてしまって、見透かされているのではと思うと、普通の心持ちでは居られなかったのです。今では大分、厚顔になってきましたが、その恐怖感は残っています。自分が何かの役割を担うことで少し克服できたようです。ほんとかなぁ?とにかく、みんなありがとう!

高橋さんはプロゴルファー。TVでもゴルフレッスンの番組を持ってました。箱根の湯本富士屋ホテルのいすゞのイテレホンカードになっている人たちは昔1990年頃からかなあ、NTTの中央支店や銀座支店、テレコムプラザ新宿と一緒に仕事をしていた時に描いた多くの人の中の一部です。だいぶ昔やってたことなので、もうこれしかサンプルが残っていないのです。面白がってくれた台湾の留学生ありがとう。雅清ちゃんはその子が連れてきた友達。由佳ちゃんは何年か後に友人と一緒に作品を展示していたアートフェスティバルでばったり会って、フジテレビの関係の番組制作会社の新入社員でした。子供番組を作っていると言ってました。てんつく氏は舞台役者さん。意外と照れ屋でした。イベントでお会いしたんですよね。台湾からツアーで来る田舎のオバサンたちが身に付けているものは何故か花柄だらけ。花柄がオシャレと思ってるんだろうなあ。韓国のオバサンたちは似顔絵というと漫画より肖像画の感覚。省略するとまずいのだ。品のいい物腰のYOHOTAさん。ワンちゃんの名前はかわいい“きんぎょ”。ダイビング好きの新宿サブナードの子供服店の草柳さんはブルーホールの美しさを教えてくれた(僕は潜ったことないけど)、持っているものは“なまこ”。KENT氏は似顔絵を描いているアメリカン。仁&恵は確かアメリカン・フェスティバルに来てくれたカップル。親方は友人達と来て何故か親方と名前を入れてくれと言った。松平さんは川崎の方のお祭りで寄ってくれたおじいちゃん。


秋間さんです。イベント畑を歩いていた人です。酒が元でもう亡くなりました、享年50歳でした。似顔絵がほんとに好きでイベントを楽しんでやってました。亡くなった時に贈った似顔絵です。最後のイベントは靖国神社のさくら祭りでした。アメリカンフェスティバル、神田明神などの神社回り、箱根の小涌園、大涌谷、気兼ねなく家族のようにワイワイやりましたっけね。あまり食べずに朝から呑んでるので、このご時世に珍しい栄養失調で入院したにもかかわらず、病院から逃亡してイベントやりましたね。最期は酒の毒素を肝臓がどうしようもなく、足までぱんぱんと浮腫み、脳にまできて夕方には夢遊病者のようにふらふら歩っていましたね。奥さんは痛いし辛いんだと思うと言ってました。さくら祭りも終り挨拶をして失礼した時見た夢遊病者のような、その姿が最後でした。


娘が保育園の頃(2歳〜5歳)お世話になったみどり先生。髪型も少女のようです。右がゆうこ先生。↑保育園の助けが無ければ子育ては大変なものになっていたでしょう。助かりました、ありがとう。卒園式の日に贈った絵です。


→ストリップ嬢の踊り子藤香寿美さん。北海道を拠点に全国旅から旅へ。今頃どうしてるかなあ…。新宿OSから移動した公演先の川崎OSに届けた切り絵です。間に合うようにほぼ徹夜しったっけ。妻に今でも笑われます。あの神々しく艶めかしいストリップが好きなんです(笑)。掛け値なしに向き合えるんです。そう言えば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋戸(あめのいわやと)に隠れてしまった時、天宇受売命(あめのうずめのみこと)がしたことといったら…その為に天照大御神さえ思わず外のにぎやかさに岩戸を開けて覗いてしまったんですから…
←猫好きの紀子さんに贈った切り絵。

■現場で描いた似顔絵というものは、その場でお客さんに渡してしまって手元に残らないのです。HPを開いた今、デジタルカメラでお客さんと絵を一緒に入れたものをこれからは残していきたいなあと思うこの頃です。

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