天才漫画家の素顔 手塚悦子「夫・手塚治虫とともに」他

 
 手塚治虫が死んでちょうど六年になるが、その人気と影響力はいっこうに衰えない。最近ではその名作が次々に文庫化され、書店の店頭を飾っている。近年の人気マンガも、よく見ると手塚のどれかの作品のバリエーションであることがしばしばだ。
 手塚悦子著「夫・手塚治虫とともに」(講談社・一五〇〇円)は、この天才漫画家と三〇年間を共にした妻の回顧録である。自分の生い立ちと少女時代、手塚との出会いと結婚、超多忙な夫が、それでも時おり見せてくれた暖かな思いやりの数々、子どもたちの成長、そして最後の日々の思い出など。折々に撮影された写真を交えながら、淡々と語っていく。
 意外なエピソードも多い。新し物好きでマンガに理解のあった手塚の両親の姿や、トレードマークだったベレー帽の由来と、これにまつわる出来事の数々など。紫綬褒章の授章を打診されながら断ったというのも、今回初めて知った。手塚の素顔を知ることができるというだけではなく、戦後文化史に関する貴重な証言でもある。
 手塚プロダクション・村上知彦篇「手塚治虫がいなくなった日」(潮出版社・一六〇〇円)は、手塚の死から数ヶ月ほどの間に発表された追悼文や「追悼マンガ」を四五本ほど集めたものである。実際に発表された追悼文はこの程度の数ではないはずだから、良質なものが選り抜かれていることになる。
 編集者や漫画家仲間・弟子たちの回想が数の上では多いが、様々な分野の人々が手塚の作品を縦横に論じていて興味は尽きない。特に、同名の代表作に登場する「火の鳥」の由来と意味を論じた荒俣宏、手塚は男の側の視点ではなく中間的な視点から女性を描くことのできる稀な存在だったとする萩尾望都、そして手塚の死には昭和の終焉のもう一つの象徴として、昭和天皇の死を相対化する意味があったとする呉智英と吉本隆明の指摘などが印象に残る。手塚治虫はまさに巨人だったのだ。

(1995.2月配信)

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