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    第1章 難航した管財人選び

    7.清算管財人もありうる
     
    管財人の選択は通産省の指導で石炭協会にほぼ一任されていたが、協会としては、その前提として、先に望月調査員が札幌地裁に提出した再建報告書を前提に見直し作業を進めていた。果たして、この困難な仕事を引き受ける人が現れるのか、誰もが注目して見守っていた。ある日、北海道の裏事情に詳しく、仮に内定者がいれば事前に北海道側に相談してくると見て、讃良元札幌市助役を訪ねてみた。札幌の目抜き通りのオフィスビルに事務所を構えており、丁度、私が訪ねたとき、先客と入れ代わりになり、正面に讃良氏がにこにこしながら迎えてくれた。管財人の話を一通り話して感想を聞いてみた。
     
    讃良氏は、「調査員の報告は、資金面でラフな計算しかしていないうえに、肝心の大口債権者に根回しをしないでまとめた机上のプランでは、管財人も再建を引き受ける条件が整わず、誰も引き受けてはくれないだろう」と清算の可能性を指摘した。
     
    つまり、石炭協会にしてみれば、更生計画になる素案を懸命に作れば作るほど、大きな自己矛盾に陥り、本当に再建が可能なのかということになってくるというのだ。第一、再建に必要な資金、これにはこれから採炭を予定している同鉱の平安八尺層区域や、本命とされる事故のあった北部区域への坑道展開の資金が含まれるが、債権の弁済率が決まっていない大口債権者が新たな資金提供に応じるかといった難問があると、讃良氏は指摘した。
     
    大口の三井銀行は国の保証がなければ、いくら北炭グループからの担保提供があっても、リスクが大きすぎるので、国の出方待ち。その国も最大の債権者という皮肉な構図があった。また、北炭には保安技術者が足りないことや当面は千七百人いる坑内員労働者も半分に減らすことが本当にできるかなど、どれも管財人が出るにはマイナス材料ばかりが目立つ。
     
    そんな中、管財人の人選を一任された石炭協会は完全に追い詰められていった。同鉱の再建は本来、当事者である北炭自身がすべきことであるはずなのだが、石炭各社は各種の補助金漬けになっている以上、そんな愚痴は通らない。すでに、犠牲者の合同葬が予定されていた八二年四月十日までには管財人を決めると、安倍通産大臣は記者会見で表明、タイムリミットは切られていた。
     
    「更生期間中の資金繰りについて、石炭協会はある程度のデッサンを描いているが、これは、三井と国の出方いかんだ。いっぺんは、更生会社にして行くがその後、そのままで進むか、または、清算して鉱業権を新会社に移すのかのいずれかを通産省、石炭協会とも考えている」と札幌商工会議所の石林専務理事はいっていたものだ。これは管財人が再建管財人ではなく、清算管財人に途中で変わるという筋書きの場合だった。

    8.安倍通産相の政治決断

    安倍通産大臣は、犠牲者の合同葬が地元夕張で行われる八二年四月十日までには会社の再建を託す管財人を決めると公言した。しかし、その推薦を検討していた日本石炭協会からは、ギリギリになっても良い返事は返ってこなかった。有吉新吾会長は思い余って、合同葬前日の九日夜六時に、通産大臣に電話を入れた。「管財人を選ぶのは困難です」と有吉氏は大臣に伝えたという。「(再建の)希望がもてる再建計画案が出来ていないからですよ」と有吉会長は淡々と私の電話取材にこう答えた。
     
    理由は明白だった。石炭協会も国や三井銀行も同鉱の再建には北炭を完全に排除した形で新会社を設立した上で、生産部門だけを北炭から譲り受けて採炭を再開しようということで一致していたが、北炭夕張炭鉱を清算会社にした場合、国と三井銀行あわせて六百億円にのぼる債権、さらに、百十五億円もの炭鉱従業員のいわゆる労務債を清算会社に残したのでは資金を回収できる見込みはなくリスクが大きすぎるからだ。
     
    大沢氏は管財人就任の条件を四つあげた。そのなかで、新会社には一切の債権を持ち込まず、まったく”さら(白紙)”の状態で出発したいという意向を示した。そのために、政府と北炭グループの全面協力を絶対条件にしたのだった。この北炭グループの協力は百十五億円もの労務債の完済を新会社設立前に行うことを狙ったものだった。こうして、大沢氏の管財人就任の最終決断を引き出すための環境整備が大詰めの段階で行き詰まり、結局、正式発表は四月二十日ごろまでの延期となったのである。

    9.犠牲者合同葬

    九十三人の犠牲者の慰霊合同葬が地元夕張市で行われた。四月とはいえ、まだ、北海道は寒さが残る。会社側は大型バス十六台を動員、約千二百人の遺族関係者を会場に運び込み、その他の人々も乗用車に相乗り、ぞくぞくと詰めかけていた。
     
    会場前で、義理の弟の河鰭一明さん(当時三二才)を亡くした神田さんに話を聞くと、「去年十月に生まれたばかりの子供がいるので、親戚で助け合っていかなければダメ。地元では仕事はないし、この先ヤマがどうなるのか不安ですよ。やっぱり、閉山になるんだろうか」と、足早に会場へと消えた。
     
    二、三才の子供や小学生ぐらいの子供を連れた母親や親戚の人たちが多く見うけられ、まだ働き盛りの三十ー四十代のお父さんを失ったばかりか、みんながヤマを残そうと会社の要請に応じて給与カットや社内預金を会社に貸したり、家族もまさに身を削る思いで苦労に耐えてきただけに、倒産でそのお金が戻ってくる保証が何もなくなった遺族の思いは計り知れないものがあった。
     
    会場前に、その温厚さで組合員の厚い信頼を集めていた三浦清勝同鉱労働組合委員長が大柄の体を揺らしながらやってきた。炭鉱の人は、ほとんどといってもいいほど、恰幅がいい。三浦委員長は仲間思いで優しくて、ちょうど、新党さきがけ代表の武村正義氏に風貌が似ていて好感のもてる人である。あとのことだが、労務債の返済のメドがついた頃、一時、社会党から国会議員選挙にでないかと誘われたとき、「まだヤマには再就職できないで待っている仲間が大勢いる」といって誘いを断っている。当時、三浦委員長は何度も、北炭本社、萩原前北炭会長、通産省、国会などでヤマの再建に奔走してきて知名度は抜群だっただけに、当選する可能性は高かったが、「最後を見届けたい」といって断っている。話を聞こうと近づくと、「これで、ひとつの区切りですね。これからのこと? 今日は仲間の葬式をやらせて下さいよ」とだけ言うと、静かに立ち去って行った後ろ姿がいまでも記憶に残っている。

    10.安倍大臣が夕張で記者会見

    葬儀後、安倍通産大臣が、近くの会館を借りて記者会見を開いた。のちに、通産事務次官になった福川伸次通産省石炭部長(元・神戸製鋼副社長)も同席して、今後の管財人選びの見通しや再建問題について国の対応を説明した。
     
    安倍氏は、「あてにしていた有吉日本石炭協会会長からの管財人の推薦は、四月十日までに得られなかったが、あと十日以内になんとか頼むと私自ら、有吉会長に強く要請した」といった。同鉱の更生計画を一日も早く選ばれた管財人のもとで作成しなければ、ヤマの再開はそれだけ遠のくという不安がヤマ元に広がり始めていたからだ。有吉会長には待ったなしの最後通牒が言い渡されたのである。
     
    管財人選びが難航している点についても、安倍大臣は、「石炭協会の会長である有吉氏が選ぶ以上は、石炭業界の人も(管財人を)支持していきたいとうことでしょうし、新夕張炭鉱をどういうふうにするかは大きな問題で、金融関係もあるし、地元の協力もなければ再建はできない」と述べている。
     
    この発言だけを聞くと、一見、しごく当然のことを言っているように見えるが、この発言の裏には、国は、同鉱の再建については、石炭業界単独か、または、業界と地元の北海道庁が共同出資して、新会社を作ることが好ましいという考えがあった。もちろん、これには新たな借金を背負いかねない石炭各社は猛烈に反対していたのはいうまでもなかった。
     
    また、再建を成功させるには、倒産した会社に対する膨大な国の四百億円にものぼる債権の担保をはずせるかだが、国は新会社に債権を継承させることを求めて、石炭協会と対立していたし、三井銀行など民間の銀行も自分らの債権が新会社に移されなければ困るとして協会案に反発、もうこれ以上、新会社には関わりたくないというのが本音で、管財人選びには地元以外は誰もが消極的というのが実態だった。だから、安倍氏のこうした発言が出るのである。
     
    また、開発区域の問題をめぐって、国は事故のあった北部区域の再開発にこだわっていた。  安倍大臣が、「この区域は夕張新鉱に残された最大の(石炭)層ですからね。私の気持ちとしては、(北部の早期再開発という)そういう思いを再建に結びつけていくことが大事だ」といみじくもこういっている。
     
    ところが、協会側が考えていたのは、北部開発は再建が軌道に乗ってからのことで、まず、規模は小さくなるものの平安八尺層の開発を先行させるべきとして、国とは大きく見解が分かれていた。
     
    協会の佐伯博蔵専務(当時)が、ひとつの有力なシナリオとして挙げていたのは、八三年七月の平安八尺層の採炭開始に間に合わせるために国が言うように、とりあえず、更生計画を立てる管財人を選んで平安八尺層につなぐ。その時点で、同鉱を新会社にして、北部開発を行うか見定めようというものだ。
     
    しかし、平安八尺層(平八)は二切り羽体制で年間七十万トンぐらいの小規模な出炭になる。しかも、それまでの間は、現行の坑員千七百人の人員体制でかろうじて残された残炭四十ー四十五万トン(北炭試算では七十五万トン)を採炭して平八につなぐことになるが、この平八に移行する時には人員は八百人ほどに半減せざるをえなくなる。縮小再生産というわけで、これも同鉱の再建に暗雲を投げかけることになった。
     
    八三年四月は、大きな節目となっていた。同鉱の山根喬管理人(管財人の前任者)は、管財人が選ばれなくても四月中に平八の開発に入ることは法律上何の問題もないとした。四月十六日の夜、山根氏に電話を入れた。
     
    「ただ、管財人が決まらないと、国の開発資金などの制度融資が得られないばかりか、災害復旧資金もでないので、平八の開発準備も止まってしまう」と、不安が口をつく。当時の会社の資金繰りも六月まではなんとかなるが、それ以降についてはメドがなく、やはり管財人なしでは破産、そして、閉山という最悪の事態も十分考慮しなければならないと、管財人の早期就任が同鉱の命運を握ることには変わりはなかった。

    11.新会社による再建案

    実は、石炭協会が新会社による再建を決めた大きな理由はこの資金繰り難にあった。 協会の大手五社社長会が終わったばかりの四月十二日、松島石炭の本吉節治社長に取材したが、
     
    「協会が新会社に決めたのは現有の雇用規模では、いずれ、資金不足がおきて、平八での採炭まではもたないだろう。そのためには、大幅な人員削減が必要で、それには新会社にした方がやりやすい」というものだった。ただ、「業界の共同出資といっても、業界がどこまでやれるか疑問が残る」という本音も。
     
    三井銀行の村瀬隆一審査第二部長も、「新会社といっても、商売敵の業界がどこまでやりますかね」と言い切る。同鉱に二百億円の更生担保債権を抱えていた大口債権者の三井もそうした不安のなかでは、再建に向けての金融支援も難しいということだ。
     
    「同鉱を破産に持っていくかどうかは、大口債権者の国の判断ひとつですよ。そうなれば、社会、労働問題に発展して、大きな問題になる。一民間銀行の問題ではないですよ」ともっぱら、国に火の粉をかぶらせる。国と三井は持っている債権を新会社にそっくり引き継がせて返済させるという腹だが、協会側はそんなことをされては、新会社はにっちもさっちもいかなくなるので、当然、反対し管財人も決まらないという綱引きが続いていた。三井としては間違っても自分らが同鉱の破産の引き金を引いたという非はうけたくないという本音と交錯する。

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