1月26日(日)教会学校中高科分級「百人隊長のしもべのいやし」

暗唱聖句(ヘブライ人への手紙11章6節)
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。

 先週12人の特別なお弟子さん(使徒)をお選びになったイエス様は、イスラエル北部の風光明媚な湖ガリラヤ湖畔をメインにしていよいよ布教活動を開始されます。今日はローマ軍の百人隊長の僕(しもべ)を癒されたお話です。
 厳格なユダヤの人は、異教徒のローマ人と交際をしたり、異教徒の家を訪問することを、神様のばちが当たるのではと気にしていましたので(もちろんイエス様もユダヤ人です)、百人隊長は気を使って、ユダヤ人の長老たちを使いにやります。今日のお話を読みましょう。


イエス様に懇願する百人隊長(マタイ福音書による)

聖書(ルカによる福音書7章1〜10節)

7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。
7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。
7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。
7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。
7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

★並行個所(マタイによる福音書8章5〜13節)
8:5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
8:6 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
8:7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
8:8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。
8:9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
8:10 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
8:11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。
8:12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
8:13 そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

言葉の意味

ルカ7:1 カファルナウム・・・イスラエルの北部ガリラヤ湖に面した、その地方の中心都市。カペナウム。
7:2 百人隊長・・・ローマ軍の百人の部下を持つ隊長。当時のイスラエルはローマに支配されていました。
★ マタイによる福音書は百人隊長がイエス様に直々にお願いしたことになってます。

考えてみましょう

@ イエス様のところにお願いに来たのは、百人隊長の知り合いのユダヤ人たちでした。その人たちは、まるで自分のことのように熱心に頼みましたね。この百人隊長は、みんなからどう思われている人だったのでしょう。

A イエス様が「これほどの信仰」と感心された百人隊長の信仰とは、とのような信仰であったと思いますか。

今週の祈り

「神様。イエス様のおことばにはすばらしいお力があることを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」

今週の讃美歌2編80番
「み言葉をください」

1.み言葉をくださぃ/降りそそぐ雨のように/恵みの主よ。/飢えと乾きに/苦しみうめき/やみ路さまよう/いのちのために。
2.み言葉をくださぃ/吹いてくる風のように/救いの主よ。/からみつく罪/根こそぎはらい/全(まつた)き勝利(しょり)の/きよめのために。
3.み言葉をくださぃ/草におく露(つゆ)のように/生命(いのち)の主よ。/人と人との/こころ通(かよ)わず/争い悩む/世界のために。

お正月に考えたこと

 私のホームページは、普段ひと気がなく寂しいところなんですが、暮れにどういうわけか、マタイ6章の「思い悩むな」のところの質問の書き込みがありました。
「6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」のところです。
私は考えました。そして、「私は十数年前の時代遅れの背広とネクタイしか持ってない。しかしイエス様はそんな私も綺麗だと愛してくださっているのではないか。」と思いました。
 お正月に、Precious Moments聖書のルカ7章の、「百人隊長の僕をいやす」のところを読んでたら、挿し絵のある囲み記事が目に留まりました。訳すとだいたい次のようです。
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「ダディ、わたしも下りていって、手伝っていい?」アンは床下の倉庫に通じる、床の穴を見下ろして、お父さんを呼びました。お父さんは、床にこしらえた入り口の穴から、はしごで床下の倉庫に下りていったのですが、そのはしごは、地下室の別の部屋に下りるために、使われていたのです。
アンのお父さんは、入り口まで戻って、言いました。「飛び降りなさい。うけとめてあげるから。」でも床下の倉庫は暗くて、アンには下にいるお父さんさえよく見えなかったのです。「いやよ、怖いわ。」アンは床下の暗闇をのぞきこんで、言いました。「アン、私を信じなさい。ダディは必ず受け止めることを知ってるでしょう。」お父さんは言いました。アンは勇気を出して入り口の穴から飛び降りました。もちろんお父さんは、しっかりとアンを抱きとめました。 -----------------------------------------------------
 私も、父親の年代ですから、父親がどんなに欠け目の多いものだか知っています。でもアンは、そんなことは考えず、お父さんを信じて飛び降りました。私が死ぬときも、こんなのかな、と思いました。イエス様が、「この世からあの世に飛びなさい。受け止めてあげるから。」とおっしゃる。そのとき、私もアンのように、「アッバ、父よ」とイエス様を呼んで、あの世に飛べたら、どんなに幸せだろうかと思いました。
このプリントはインターネットでも見れます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach
教会学校分級のコーナーです。教会学校に来れない時も読んでね。
わからないことがあったら聖書質問コーナー
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach/dengon7/dengon.htm
にどんどんカキコしてね。子ぎつね先生がお答えします。