1月26日(日)教会学校中高科分級「百人隊長のしもべのいやし」
厳格なユダヤの人は、異教徒のローマ人と交際をしたり、異教徒の家を訪問することを、神様のばちが当たるのではと気にしていましたので(もちろんイエス様もユダヤ人です)、百人隊長は気を使って、ユダヤ人の長老たちを使いにやります。今日のお話を読みましょう。
7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。 |
@ イエス様のところにお願いに来たのは、百人隊長の知り合いのユダヤ人たちでした。その人たちは、まるで自分のことのように熱心に頼みましたね。この百人隊長は、みんなからどう思われている人だったのでしょう。 |
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1.み言葉をくださぃ/降りそそぐ雨のように/恵みの主よ。/飢えと乾きに/苦しみうめき/やみ路さまよう/いのちのために。 2.み言葉をくださぃ/吹いてくる風のように/救いの主よ。/からみつく罪/根こそぎはらい/全(まつた)き勝利(しょり)の/きよめのために。 3.み言葉をくださぃ/草におく露(つゆ)のように/生命(いのち)の主よ。/人と人との/こころ通(かよ)わず/争い悩む/世界のために。 |
![]() お正月に考えたこと私のホームページは、普段ひと気がなく寂しいところなんですが、暮れにどういうわけか、マタイ6章の「思い悩むな」のところの質問の書き込みがありました。「6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」のところです。 私は考えました。そして、「私は十数年前の時代遅れの背広とネクタイしか持ってない。しかしイエス様はそんな私も綺麗だと愛してくださっているのではないか。」と思いました。 お正月に、Precious Moments聖書のルカ7章の、「百人隊長の僕をいやす」のところを読んでたら、挿し絵のある囲み記事が目に留まりました。訳すとだいたい次のようです。 ------------------------------------ 「ダディ、わたしも下りていって、手伝っていい?」アンは床下の倉庫に通じる、床の穴を見下ろして、お父さんを呼びました。お父さんは、床にこしらえた入り口の穴から、はしごで床下の倉庫に下りていったのですが、そのはしごは、地下室の別の部屋に下りるために、使われていたのです。 アンのお父さんは、入り口まで戻って、言いました。「飛び降りなさい。うけとめてあげるから。」でも床下の倉庫は暗くて、アンには下にいるお父さんさえよく見えなかったのです。「いやよ、怖いわ。」アンは床下の暗闇をのぞきこんで、言いました。「アン、私を信じなさい。ダディは必ず受け止めることを知ってるでしょう。」お父さんは言いました。アンは勇気を出して入り口の穴から飛び降りました。もちろんお父さんは、しっかりとアンを抱きとめました。 ----------------------------------------------------- 私も、父親の年代ですから、父親がどんなに欠け目の多いものだか知っています。でもアンは、そんなことは考えず、お父さんを信じて飛び降りました。私が死ぬときも、こんなのかな、と思いました。イエス様が、「この世からあの世に飛びなさい。受け止めてあげるから。」とおっしゃる。そのとき、私もアンのように、「アッバ、父よ」とイエス様を呼んで、あの世に飛べたら、どんなに幸せだろうかと思いました。 |
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このプリントはインターネットでも見れます。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach 教会学校分級のコーナーです。教会学校に来れない時も読んでね。 わからないことがあったら聖書質問コーナー http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakurach/dengon7/dengon.htm にどんどんカキコしてね。子ぎつね先生がお答えします。 |
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