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不思議な感覚 04.8.28

'94年11月『ザ・近松』という舞台を見た。近松作の心中ものをいくつかまとめた意欲的な作品だった。心中もの=悲劇と考えがちだけれど何故か笑いの絶えない面白い作品だった。この時、杜さんは沢田研二さん扮する酒屋の主人八衛門の妻おさんを演じていた。

この舞台を見いて今でも忘れられないある感覚を味わった。それは酒屋をしながら裏で高利貸しをする八衛門の店を遊女に入れあげた手代の忠兵衛が金を借りるために訪ねてくる場面だった。舞台の前方で忠兵衛が店番の少女に主人も女将さんも留守だと断られている。舞台奥では長屋の人々のいる中を用を済ませたおさんが静かに出先から帰ってくる。ただそれだけの場面だった。
この時、舞台奥を歩く杜さんを見てとても奇妙な気持ちになった。舞台上の杜さんの全身がはっきり私の目に見えているのに実体が感じられないような感覚。生きた役者達の中を動きながら、おさんの命の息吹だけが感じられないような感覚。…どう表現したらいいのか…例えば、怪談映画で足のない幽霊が動く時のような、スーッとした感じを、舞台だから勿論杜さんは普通に歩いているのだけれど感じた。う〜ん、上手く伝えられない。
「今の感覚は何?」杜さんの演技だったのか、自分がかってに感じたことなのかが気になった。『ザ・近松』を結局2回見た。面白い作品だったのでまた見たいと思ったのは確かだったが、もう1度あの不思議な感覚を味わってみたいと思ったことも大きかった。ところが2回目のその場面、杜さんはカタカタと下駄の音をさせて元気に店に帰ってきた。杜さんの芝居はすっかり変わっていて、あの感覚は幻になっていた。

数年後、新歌舞伎座で『暴れん坊将軍』の舞台の杜さんを見た。劇中で傷を負い気を失った杜さんは抱きかかえられて舞台に運ばれてきた。少しお年を召した男優さんが一人で抱えてこられた。お人形かな?お人形だよね、と思っていたら床におろされた杜さんが動き出した。えっ、お人形じゃなかったの?だってお人形みたいだったじゃない…生きた人間の気配消えてたもの。

人形振りの舞踊とかは見たことがあるけれど、それとはまた少し違った気がする。じっとしている、普通に歩いている、なのに人間の気配を消してしまえるものなんだ。役者ってすごいなぁと思った。だが、杜さん以外の舞台も少しは見ているけれど、そういう不思議な感覚を味わったことはまだ無い。ってことは「役者ってすごいなぁ」ではなくて「杜さんてすごいなぁ」なんだろうか。

2000年の変化 01.2.12

だいぶ以前のことになるけれど杜さんファンのお友達とちょっとした論争(?…笑)になったことがあった。
その友人曰わく、杜さんは主演の舞台でこそ本領を発揮して活きる人、助演の時も杜さんはとても上手いけれど、主演者に遠慮してバランスを考えるあまりに自分の魅力を充分に発揮しきれずにいる。もっと自分をアピールしても良いのに。ニュアンスはこんな事だったと思う(○○さん、違ってたらまたメール下さい)。

杜さんが主演者としてこそ本当の力や魅力を発揮する人だという部分は共通の思いだった。でも、助演の時はセーブしすぎているというのはどうだろうか…ともう一つ納得できなかった。私はそんな物足りなさをそれまで感じたことがなかった。与えられた役を魅力的に演じている杜さんに、主演ではないことをのぞいては満足していた。むしろ自分を生かしながらアンサンブルにとけ込んでいる杜さんの演技力を(華はもちろんあったけれど)宝塚スターらしくない演技者として評価していた。
宝塚時代のトップスターの杜さんを生の舞台で見ているかどうかと言うことは、二人の認識の違いの下敷きにあるかも知れなかった。私は杜さんの男役時代の舞台上での君臨ぶりがとても好きだけれど、それはビデオの世界だけのことだった。

1998年秋、『迷宮伝説−雨月の愛−』の千秋楽を見た。杜さんの舞台に限らず、千秋楽を見るのは始めての経験だった。話には聞いていたけれど千秋楽には独特の雰囲気があり、その祝祭的な気分の中でいつもとは少し違う杜さんがいた。年齢も舞台人としてのキャリアも杜さんより若い主演者を支え、たててきた1カ月の終わり、杜さんは楽しげに舞台に立っていた。千秋楽恒例のお遊びもリードして本当は誰が主役?(笑)という感じだった。この時、友達が言っていた事が少し分かった気がした。
2000年、松平健さんとの舞台が2本続いた。どちらも杜さんファンにとってはオイシイ役、見るたびに「健さん、よくあの脚本にOK出してくれたね〜」という私に、「セロリさん、また同じ事言ってるよ〜」と友達に笑われるほどで、主演者より印象に残るのではという役柄だった。9月の巴御前の時、千秋楽ではないにも拘わらず(笑)、遠慮していない杜さんを舞台上で発見した。これだわ、と思った。そして11月、梅コマの舞台で正反対の2役を生き生きと楽しげに演じている杜さんがいた。
去年、名鉄ホールと博多座で2度の主演を経験したことは大きいだろう。松平健さんも相手役がのびのび演じることを許す度量のある方だったのだろう。そして杜さん自身は私は何にも変わってないよと言うかも知れない。でも、確かに杜さんは変わった、と私は思う。

2001年、今年は宝塚の先輩OGとのミュージカルの舞台を控えている。どんな舞台になるか、とても楽しみだ。今の杜さんなら、きっと杜さんの魅力を存分に発揮した舞台を見せてくれるだろうと思う。


トリビュート  99.10.2

宝塚出身の越路吹雪さんの没後20年を記念して「トリビュートアルバム」が出た。越路さんによってポピュラーになったシャンソンの代表的な曲を宝塚OGと現役が歌っている。
私は越路さんの歌が苦手だった。シャンソンはあまり知らないが、越路さんと同世代の方なら岸洋子さんの方が好きだったし、あまり日本のシャンソン歌手は好きではなかった。だから杜さんが参加していなかったら、このアルバムを聴くこともなかったと思う。なんか、あれは嫌いだ、これは苦手だというようなことばかり書いている気がするけど(笑)。
今回の参加メンバーは個性的な方が多いので、聞くまでは濃いアルバムでは、と思っていた。ところがかなりあっさりとした出来上がり。逆にあっさりし過ぎて少し物足りないように感じたくらいだった。全体的にドラマ性が薄くなってしまったような気がする。それはプロデュース側の当初からの意図だったのかも知れないが。

杜さんは「誰もいない海」と「愛の讃歌」を歌っている。どちらも好きだが、「誰もいない海は」私のハナ歌ベスト3に入っているので(^_^;)初めはこちらの方に興味があった。ところが実際に聞いてみて感動したのは「愛の讃歌」だ。「愛の讃歌」は今までいろんな方達が歌っているし、本当にポピュラーな歌。たぶん杜さんならこんなに風に歌っているかなと予想していた。だが、こんな愛の讃歌は初めて聴いた気がする。

色っぽかった。歌詞のひとこと一言に非常に繊細なニュアンスが込められている。そしてどこか反社会的な感じのする「愛の讃歌」だった。
私の中のイメージとして、これまでの「愛の讃歌」は結婚式で聞くことのできる歌という感じがあった。ところが杜さんの歌はとても官能的で、これを披露宴で聴くのは気恥ずかしいなと思った。
「あなたがいれば何にも要らない」という歌詞が文字通り心に入ってきた。それは「結婚」とか「家庭」とかという範疇に治まる「愛」ではない。二人ただ抱き合っていれば幸せ。まさに周りにどう言われようとも「あなたがいれば何にも要らない」愛なのだ。
かなり以前に読んだので間違っているかも知れないが、ピアフの評伝に「愛の讃歌」の原詩はもっとリアルでドロドロとして人間らしいものだと書いてあった。この歌を歌った当時、ピアフは年の離れた若い恋人を事故で失った悲しみの中にあったとか……。そういうこの歌の背景を思い出させるような歌唱だった。

あらためて「トリビュート」の意味を調べてみた。
tribute−1.貢ぎ物 2.強制的に取り立てられた物 3.賛辞、賞賛を示す言葉(行為、贈り物、しるし) 4.現物支給、配当

トリビュート・アルバムで「愛の讃歌」が杜さんに選曲された事は、とても意味深いことの様な気がしてきた。
そしてこのアルバムでの杜さんの歌唱は、越路吹雪とエディット・ピアフという二人の女性であり歌手である方達への、二重の意味でのトリビュートとしてふさわしいものだった。
時を重ねていつの日か、杜さんのピアフが見たいと思う。


かりん党宣言 衝撃の出逢い 99.9.29

このHPで「迷いの杜」と言う場所を持つ以上、杜さんとの最初の出逢いについて書いておいた方が良いと思う。
杜さんが好き、杜さんに興味があるという方には宝塚ファンの方が多いと思う。だから最初に断っておくけれど、私は宝塚ファンではない。どちらかというと苦手。はっきり言うと嫌いだった。関西で生まれ育っているから、わざわざ宝塚に行かなくても舞台は見ることができた。毎週TVでやっていたから。これがいけなかった。すごい化粧とテレビ向きではない芝居。
今は少しは宝塚の良さもわかってきている。しかし、作品の質が良くないと最後まで見きるのはツラい。

初めて生の舞台を見たのは20年くらい前。安奈淳さんのサヨナラ公演「風と共に去りぬ」。宝塚ファンの従姉妹のお供。これは余り違和感なく見られた。名作映画の舞台版だし、宝塚調の作品ではない。当時の私にとって宝塚調のお芝居というと王子様の出てくる子供じみたお芝居という印象があった。
2度目は93年のゴールデンウィークに見た月組の「グランドホテル」。これまた涼風真世さんのサヨナラで、前記の従姉妹のお供だった。これはブロードウェイ・ミュージカルをトミー・チューンが演出するというもの。
結局生で見た2本とも宝塚的な作品とは言えない。

月組公演を見て少したった6月頃、NHK-BSが「ベルサイユのばら特集」を数日間放送した。原作ファンだった私だがテレビ中継も見ていない。あのオスカルを人間が、しかも日本人が演じるなんてという思いがあったからだ。
ところが、「グランドホテル」が良かったので、今度は見る気になった。初演のものから再演の各組まで4・5作あったと思う。その中に89年雪組公演「ベルサイユのばら アンドレとオスカル編」があった。
宝塚やなぁ、きれいやなぁと思いながら見ているとアンドレをやっている人の演技がとてもナチュラルで良い。「ふ〜ん、杜けあきという人か」。オスカルのおもかげを銀橋で歌い始めた。アンドレのオスカルへの想いを心から吐き出すような歌だった。
「何、この人。この人は役者としての資質が違う!」
少ししてWOWOWで2番手時代の「たまゆらの記」を見た。王朝時代の三角関係のお話。杜さんは首皇子後の聖武天皇の役だった。幼なじみの三人がそれぞれの政治的な立場の中で恋と友情の間で悩む。杜さんは愛する女性を妻に迎えながら、恋敵の親友と妻を大きな心で見守るという難しい役をとても魅力的に演じていた。やっぱりすごいわ、この人。この時はっきりファンになっていた。

「華麗なるギャツビー・ラバーズコンチェルト」「忠臣蔵」のビデオを見た。ヅカファンの知り合いに「杜けあきさんてどんな人?」と尋ねた。大笑いされてしまった。「今ごろ何言ってるの!」。この年の3月に退団されたばかりだった。ただし退団前にNHKが放送した「夢の城」は全く偶然だが見ている。その事を言うと、そのトップさんが杜さんだと教えられた。
最初に見た「風共」の頃に杜さんは宝塚に入り、2度目に見た「グランドホテル」の頃に退団されている。つまり杜さん在団期間がスッポリ抜けてしまっている。もう笑うしかない。