観劇日記

出雲の阿国  1998年2月 東京・明治座

  原作 有吉佐和子  脚本 大藪郁子  演出 増見利清
  キャスト  阿国・杜けあき 名古屋山三・田村亮 伝介・浜畑賢吉 三九郎・隆大介

 あらすじ
 1幕
出雲から辻踊りをしながら上方にやってきた出稼ぎ百姓の阿国一行は、庇護を受けた豊臣秀吉の側近・梅庵のもとで元狂言師の三九郎に出逢う。阿国は、三九郎の打つ鼓に気持ちよく反応する自分の踊りに感動し、三九郎に強く惹かれる。阿国は出雲に帰る一行と別れ、三九郎と踊りで生きる決心をする。三九郎も阿国に新しい芸の可能性を見いだし、二人は結ばれる。
阿国の踊りは評判を呼び、秀吉の跡継ぎを産んだ淀の方の前で踊りを披露するまでになる。上昇志向の強い三九郎のため褒美に太閤の前で踊ることを,願った阿国は淀の方の怒りを買い梅庵のもとを追われる。
このことでかえって阿国と三九郎の絆は強まり、新たな芸を求める決意をする。
 2幕
数年たち阿国の名は都に知れ渡っている。しかし民衆のために踊りたい阿国と出世欲の強い三九郎との仲は破綻している。そんな時、兄と慕っていた伝介と出雲から来た義妹のお菊が一座に参加する。三九郎の子を流産した阿国はお菊を跡継ぎに育てようと思う。が、三九郎とお菊は阿国を裏切る。それを知った阿国は怒るが、その怒りの中から男装で踊る新しい趣向を考えつく。
阿国歌舞伎の評判を聞き阿国の踊りに笛を会わせた男・名古屋山三と出逢う。阿国は山三の男らしい優しさに心癒される。かつて怒りをかった淀の方も秀吉亡き後の孤独から己の非を悟り、阿国に天下一の称号を与える。
天下一の女阿国に対し自分には確たる立つ場所がないと山三は働き場所を求め去る。その上、三九郎は小屋を売り払ってお菊と共に出奔し、伝介も病に倒れてしまう。
 3幕
伝介と伝介の妻のお松と共に失意のなか出雲に帰った阿国は畑仕事の手伝いをしている。仕官した山三の非業の死を知るが、阿国は伝介こそが出逢った中で一番大切な男であったことに気づく。
鑪(たたら)の山で踊りを披露する話が阿国に持ち込まれる。上流の鑪と下流の村里は鑪の流す砂のために洪水の害が絶えない。生まれてすぐに鑪者の両親を亡くし、村里で育てられた阿国は二つの故郷のために踊る事を引き受ける。
阿国の踊りを喜んだ総大将に阿国は鑪の砂止めを願う。総大将は出過ぎたことと怒るが、阿国の心を込めた言葉に砂止めの約束をする。
鑪の火を見物に出た阿国を石切場の大きな岩が襲う。

 感激日記
「女優・杜けあき」に演じさせたい役と考えると、いつも頭に浮かぶのが「出雲の阿国」だった。宝塚時代の代表作「ヴァレンチノ」や「おもかげ草紙」が役者だったせいかもしれない。「ムッシュ・ド・巴里」「黄昏色のハーフムーン」「レッド・ヘッド」「フロムハート物語」、振り返れば多くのスターを杜さんが演じていることに驚く。
バックステージものは演劇(ミュージカルも含む)の題材として珍しくないが、意外に難しいように感じる。何故か分かりらないが、役者が役者を演じていながら「役者らしく」見える人が少ない。特に「スター」を演じるのは難しいと思う。実力やキャリアが有ろうと、「スター」の華を演じられるのはやはり「スター」だけ。そういう意味で「伝説のスター」を演じてきたことは、「杜けあき」という役者を語るときに大きなポイントになるだろうと考えていた。
「阿国」もまた「伝説のスター」だ。これをやれたら女優冥利といえるほどの大きな役。美しさ・実力・華、この3つが揃っている女優にだけ演じきることが出来る役だと思う。そんな女優はそう多くはない。そして、これこそ「女優・杜けあき」の演じるべき役だと思っていた。ただし、「いつの日にか」。

明治座で「出雲の阿国」主演決定と知った時は本当に驚いた。まさかこんなに早くとは夢にも思っていなかった。でもきっと良いものになると言う予感があった。宝塚退団以来初の大劇場での主演、しかもタイトルロール。お客様が入るだろうか、という危惧はあった。けれど作品的には初座長公演の不安は不思議なほど感じなかった。
阿国が夢ではあったが、明治座主演を知った時点では有吉佐和子さんの原作はまだ読んでいない。杜さんが阿国を演じると知って読んだ方も多いと思う。そして多分みんなが感じたと思うのは、有吉さんの創造した阿国の描写があまりにも杜さんにピッタリだったこと。まるで有吉さんが杜けあきという「阿国役者」の出現を予測していたのではないかと思えるほどだった。

ここまでは観劇日記というより「女優・杜けあき」論になっている。改めて公演について書いてみる。

98年2月、私はワクワクと明治座の観客席にいた。
今回の明治座公演のもとになった大藪脚本の連続テレビドラマ「出雲の阿国」を見ている。が、あまりに古いことで佐久間良子さんが阿国を演じていたことくらいしか覚えていない。原作は長編なので3幕の芝居にはどうするのだろうと思っていた。結論から言って上手く刈り込まれて3幕にきちんと治まっていたのではないだろうか。

既にネット上で「出雲の阿国」がよい舞台に仕上がっているという情報は得ていた。
幕開きの出雲から出てきたばかりの娘から、恋を知り、愛に傷つき、時に心すさみ、それでも踊ることに命を燃やす阿国。伝説の女芸能者の物語ではあるが、単なる芸道ものではない。阿国は恋にも素直な女だ。しかし三九郎や山三への愛は報いられない。兄と慕った伝介への思いは恋ではないが愛に昇華される。

この舞台で印象的だったのは三九郎の目指す「高尚で貴族的な芸術」ではなく「辻々で阿国の芸に笑い涙する民衆」のための芸を求める阿国の姿。これは女優としての杜さんが今歩いている方向性と共通していると思う。観客の人生と接点の少ない、一段高いところにある芸術としての演劇ではなく、観客の目線と同じ高さにある、観客が自分の人生と置き換えて考えられる芝居。「演じる事を通して夢や元気を与えたい」と杜さんが常々言っていることに通じるのではないか。
この舞台の大きなテーマである「歌や踊りで何が生まれるか」と言う問いへの1つの答えである。

阿国ということで歌や踊りも。スポットを浴びてせり上がってくる杜さんの美しかったこと。終幕、伝介と二人雪の中を白い衣装で踊る場面は夢のようだった。いろんな作品でよくある場面。だが使い古された演出、陳腐と言って片づけられないくらいの感動だった。
現役トップ時代をリアルタイムでは見られなかった。でもきっと杜さんはこんな風に全身からオーラを発散して、宝塚大劇場を杜けあきの存在感で包み込んでいたのだろうと思わせる舞台だった。

見終わって再演の予感があった。
2000年7月、福岡・博多座での再演決定。


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