観劇日記
雪の夢 華のゆめ 1996年11月 東京・明治座
(97.6 NHK-BS2舞台中継) 脚本 堀井康明 演出 増見利清 キャスト 大石内蔵助・高橋英樹 大石りく・杜けあき 遥泉院・神保美喜 お軽・生稲晃子 浮橋・東千晃 千坂兵部・大出俊 上杉綱憲・青山良彦 主税・竜小太郎 吉良上野介・大山克己 あらすじ 1幕 花の季節を迎えた赤穂、大石家には和やかな家族のひとときが流れている。だか内蔵助の母くまだけは大石一家が荒波に飲まれる不吉な夢に心を痛めていた。藩主の勅使供応役という大任に藩全体が緊張の日々の中にあったのだった。気のせいだと母に取りなす内蔵助に内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだとの悲報が江戸からもたらされる。 浮き足立つ藩内を何とかとりまとめようと奔走する内蔵助を、りくは静に見守っていた。浅野家再興の望みは待ちつつ、藩士や領民の先行きの始末をつけ、内蔵助は無事に城を明け渡す。 住み慣れた屋敷を引き払い京・山科に移り住む大石一家は赤穂の港から船出する。船上で波を見つめながらりくは姑の不吉な言葉を思い出し不安を抱くが、内蔵助はどんなことが待ち受けようと「心はいつもひとつ船の上だ」とりくに告げる。 2幕 静かな山科の生活の中、長男主税は元服し女中のお軽が気になる年頃になっている。お軽の明るさが気に入り、りくは内蔵助の反対を押し切って大石家に迎えていた。だが実はお軽は上野介の実子綱憲が養子に入った上杉家の家老千坂兵部の手の者だった。 表面的には穏やかな山科の暮らしだが、急進的な浪士を押さえるために内蔵助の神経は疲れ果てていた。そんな内蔵助の様子に心を痛め、りくは久しぶりに思う存分遊ぶことを内蔵助に勧める。妻の申し出に驚いた内蔵助だが「心はいつも一つ船の上だから、何も心配はない」という妻の言葉に内蔵助の茶屋通いが始まる。 心配はないと言いながらも内蔵助の帰らない日が続き、りくは撞木町を訪ねる。内蔵助がひいきにする浮橋太夫にあって見たくなったのだった。内蔵助を思う二人の女は語り合い、各々に共感を持って別れていく。 内匠頭の弟大学による浅野家再興の道が断たれ、いよいよ内蔵助達の仇討ちの意志は固まっていき、内蔵助は家族に累が及ぶことを恐れ主税以外の幼子と共にりくを実家に返すことを決める。 別れの朝、主税手ずからりくの草履のひもを結び別れを惜しむ。りくは「今日ほど武士の妻、武士の母であることを恨めしいと思ったことはない」と初めて涙を見せる。しかし見送る内蔵助と主税に気丈な笑顔を見せ出立していく。 3幕 いよいよ江戸に向け旅立った内蔵助は途中の箱根で仇敵の吉良上野介に偶然で会う。 内匠頭の墓前で遥泉院と語り合う内蔵助、討ち入りの決意は深く心に秘めたままだった。 12月14日、浅野浪士はついに吉良家に討ち入る。上杉家では藩主綱憲が吉良への援軍を出そうとするが、千坂等が家の大事だと命がけで綱憲をとどめる。そして上野介落命の知らせが届く。 赤穂浪士全員切腹の沙汰を受け内蔵助は最後の時を迎える。その内蔵助の心に浮かぶのはりくの姿だった。幸せに出来なかったことを詫びる内蔵助にりくは静に微笑んでみせる。私はあなたの妻で幸せでございましたと…。 (注)「忠臣蔵」の物語り自体は皆さんよくご存じなので、りく中心の「あらすじ」となりました。3幕はりくの登場は終幕の内蔵助の幻の場面のみです。従って非常に端折ってあります(^^;)。 感激日記 杜さんの宝塚退団作品「忠臣蔵 花に散り雪に散り」は生では見られなかった。杜さんの大石内蔵助は大好きだったから、いつか機会があれば杜さんの「忠臣蔵」を見てみたいと思っていた。そんな希望は思いのほか早く叶ってしまった。初出演の明治座で高橋英樹さん主演の「大石内蔵助 雪の夢 華のゆめ」で杜さんが「大石りく」を演じると知った。これを見逃しては後悔すると東京・明治座の舞台を見に行った。舞台を見るためだけに東京へ行ったのは初めてだった。 宝塚の「花に散り雪に散り」は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を土台にしたオーソドックスな忠臣蔵で、時代劇ミュージカルだった。それに対して今回の「雪の夢 華のゆめ」は忠臣蔵の主君の仇討ち物語を縦糸に、この武家社会に起こった大事件に翻弄される家族、大石家の夫婦、親子の有り様が描かれていた。むしろ脚本演出は大石家の人間模様に主眼が置かれていたように感じた。だから主君の仇討ちを成し遂げた達成感や清々しさといったものは薄かった。私がこの忠臣蔵を「りく」に注目して見ていたためかもしれないけれど。 大石内蔵助の高橋英樹さんは初めて舞台を見たが、「美丈夫」という言葉がぴったりだった。英樹さんと一緒だと女優としては背の高い杜さんがとても華奢にみえて(本当に華奢なんだけど)うれしかった(笑)。英樹さんは立ち居振る舞いなども武士らしく立派だったし、押し出しのよいご家老だった。適度に愛嬌もある方なので茶屋遊びの場面なども違和感なく見られた。 ただ、英樹さんの内蔵助はあまりに恰幅が良すぎて幕府の理不尽な裁きによって死んでいく哀れさというか無常観みたいなものもあまり感じなかった。こういうところが女性の杜さんが演じた内蔵助と本物の男優さんとの違いかも知れない。それと割にリアルな作品だったが、明治座の舞台という事で見得を切るような場面がいくつかあった。まぁ、お約束といえばそうなんだけど、 この作品に関しては余計な気がした。 杜さんの「りく」、すごく良い脚本書いてもらえましたねぇ、というのが初めて観た時の感想だった。 今までテレビ・映画・舞台でたくさんの「忠臣蔵」が描かれてきた。私もいろいろ見てきたから内蔵助というとあの人この人と男優さんの名前を挙げることが出来る。だがどういう理由か「りく」を演じた女優さん達が思い浮かばない。内蔵助はその時代の大物(大御所)男優が演じる役どころだから、「りく」もその相手役にふさわしい大物女優さんが演じていたと思うのだが、どうしても思い出せなかった。どうしてだろうかと考えてみた。結局、「忠臣蔵」は男の世界であって、「りく」といえども理想的な武士の妻というステレオタイプでしか描かれてこなかったのではないだろうか。「忠臣蔵」でなくても武士道物とよばれるジャンルの作品ならどこにでもはまってしてしまうような典型的な耐える妻像。そのために誰それという顔を持った女性として思い浮かべられないのだろう。例えてみればこれまでの「りく像」には能面を被っているような印象があった。ところが「雪の夢 華のゆめ」では、1個人として家庭人としての内蔵助とりくが描かれていた。杜さんにとってはしどころがあり、ファンとしてもとても嬉しい脚本だった。 杜さんの舞台の特長といえばまず所作の美しいこと。奥方の裾を引いた着物姿の美しさ、何気ない動きの見事さ。登城する内蔵助の身支度を手伝うセリフのない場面で、まるで踊るような身のこなしに見ほれてしまった。 そしてもう一つ、、セリフの微妙なニュアンスでその役の心情が確実に観客に伝わること。りくの人となりは赤穂に悲報が届き浮き足立つ人々の中、「そなたは何も聞かないのか?」と尋ねる内蔵助に「聞かせねばならないことは旦那様がおっしゃいましょう。それまでは」と答える場面に端的に現れている。言葉数は少なくても、奥方の抑制の利いた動きの中、眼差しひとつで苦悩する夫の身を案じる思いなどが伝わった。また2幕で女中と火鉢を挟んでとりとめなく話す時、ちょっと崩した姿勢や女中に対する言葉つきに奥方の品格を保ちつつ、くだけた雰囲気があって絶品だった。茶屋遊びをする内蔵助を思い、内蔵助の相手の遊女を訪ねる場面では「決して悋気ではない」といいながらどこか寂しげなりくに女を感じた。妻公認の遊びとはいえ心の中にさざ波は立つもの。でも「可哀想な奥さん」と観客にも遊女にも思わせず、相手の遊女を悪役にもしない、これは案外難しいバランスで成り立つことかもしれない。 杜さんのりくは賢い女性であり、強さも優しさも持っていた。命も捨てる覚悟の内蔵助が安心して後事を託せる妻だった。そしてきちんと甘やかな女としての魅力も兼ね備えていたように思う。今回の「雪の夢 華のゆめ」が好きなのは、大きな仕事を成し遂げた夫とそれを支え続けた妻の物語と言うだけではなく、ただ普通の夫と妻として、睦まじい相愛の男女の物語として描かれていたからだった。 脚本家の堀井さんとは東宝の舞台で何度か仕事をしている。東宝の舞台で2番手3番手の役柄をこなす杜さんに宝塚以来のファンは忸怩たる思いもあったと聞いている。私は退団後のファンなのでそのあたりの機微は実感としてはない。だが、その積み重ねがこの「りく」に生かされていた。この「りく」を堀井さんに書いてもらえる女優の杜さん、宝塚の男役からの見事な転身だと言えるだろう。本当に良い「りく」を書いてもらえました。 明治座わずか2度目の出演でいきなり「出雲の阿国」に主演すると知らされたとき、「りく」の好演が実を結んだなと思った。そう納得できるだけの「りく」を杜さんは生きていた。 |